海の中を泳ぐための魔法

 人間としては大変珍しい体験をしているのだろう。

 海中を移動している間、グラッドはずっとそう感じていた。


 今のグラッドはウレイラに手を引かれて、海の中へ潜っている状態だ。素潜りで潜る深さの限界などものの数秒で突破して、普通なら行けるはずもない程の深みにあるマーメイドの住処へ向かっている真っ最中。


「まさか、こんなに早く案内してもらえるとは思わなかった」


 そう口にしたつもりだったが、実際にはほとんどがガボガボガボとしかなっていない。

 その証拠に、ウレイラが顔だけで振り向いたが「なにか言った?」と言いたげなくらいには不思議がっている。


 決して会話ができないわけではないが、気を付けて喋らないと意思疎通は難しい。

 事前に最低限の身振り手振りでも決めておけば、少しはマシになるかもしれない。


 だが、それを欠点としてみてもグラッドの身体を覆っている不思議な泡は大変素晴らしい。

 連れて行って欲しいと口にする前から、マーメイドの住処が海の中にあるのは覚悟していた。運が良ければ岬の洞窟や沖合の岩場かもしれないという期待もあった。


 しかし案の定というべきか。

 ウレイラの回答はこうだった。


『あたし達の住処は海の底にあるのよ』


 そんな場所に無事に行くための道具をグラッドが持っているはずもない。最悪、溺れて気を失っている間に連れて行ってもらう強行軍か。

 などと自分の不死特性を利用するべきかと真剣に悩む前に、助け船は出た。


『あたしと一緒なら問題なく行けるわよ! マーメイドには陸上で暮らす人と交流するための秘術と秘薬があるからね』


『そうそう。先に伝えちゃうけど、あたしはまだ秘術があまり上手じゃないの。移動中に効果が消えちゃうかもだから、もしそうなったら急いで教えてね?』


 その時は改めて秘術をかけなおすから。

 生死を分けかねない難事をポジティブに話すウレイラ。彼女から渡されたのは小指の先程度の丸薬で、味はかなり苦かった。

 けれども文句などあろうはずもない。

 ウレイラは上手くないと言っていたが、彼女の秘術の泡と薬によって現時点のグラッドは苦しむことなく地上にいるのと大差ない状態で海中遊泳を楽しめているのだ。


 自由自在に動けるとまではいかないが、多少は感覚が掴めてきたのか遅めに泳ぐ程度は出来るかもしれない。今は海の底を目指すのが最優先なのでやりはしないが、もし後で泳ぐ時間が得られるのであれば試してもいいかもしれない。


「おおっ」


 だがそれよりも、今のグラッドは色鮮やかで神秘的な海の世界に魅了されていた。

 

 数千はいるかもしれない小魚が巨大な群れを作って泳ぎ、その群れにぶつからないよう赤い魚や青い魚が反対方向へ。

 珊瑚礁からは、縦に長いボディにオレンジ色や黄色い模様を持つカラフルで珍しい魚が顔を出している。大きいのと小さいのがいるので親子だろうか。


 下の砂地では大きな貝の他に、砂に隠れようとする根魚。縄張り争いでもしているのか、川で見かける種類よりもずっと大きくて足の長い蟹がハサミで力比べをしていた。


 どっちへ目を向けても多種多様な海の生き物がいっぱいで飽きることはない。

 

 今はのんびり泳ぐ緑甲羅の海亀と並走していたので、手を伸ばしてちょいちょいと顔をつついたところだった。亀はのっそりとした動きで首をグラッドの方へ向けると、うっとおしそうに爪の無い前足でぺしっとはたいて進路を変えた。


「気持ちよく泳いでる海亀の邪魔をしちゃダメよ~」

「つい気になってな」


 グラッドの素直な本音にウレイラがくすくすと笑っている。

 

 その後、割と一定の速度で泳いでいた彼女の動きにブレーキがかかった。同時にグラッド達の頭の上を影がよぎり、その影と同じような形をした何匹もの生き物が四方を通り過ぎていく。


 一瞬サメかとグラッドは槍を構えそうになったが、闇組織の強面顔ではないパッチリおめめで愛くるしく笑っているような顔で誤解だと気付いた。


 彼らはサメではない。

 イルカだ。


 


「あら、ちょっと遊んで欲しいみたいね。ん~、でもごめんねぇ。今はグラッドを連れてるからちょっと付き合うのは――」


「オレなら構わないぞウレイラ。イルカとマーメイドの遊びも見てみたいしな」


「あらそう? それじゃあ……いっちょ陸の人にあたし達の優雅なお遊びを披露しましょうか!」


 それから。

 競争するように一定の距離を高速で泳いだり、時にはダンスのように華麗にクルクル回ったりと、ウレイラとイルカ達はとても仲良く遊んでいた。


 その様子を少し離れたところで眺めていたグラッドは、スタートの合図をしたり、優雅な踊りに拍手を送る。

 ――が、その動作が良くなかったのか。はたまた単なる時間切れか。


「……ガボッ!?」


 いきなり身体を覆っていた秘術の泡が霧散し、口の中が一気に塩辛くなった。

 慌てて手足をバタバタと動かしていると、ウレイラとイルカ達が血相を変えて駆けつけてきた。


「わあわあわあ! す、すぐにかけなおすからね!」

「キュイーキュイー!」


 すぐに秘術を再使用してもらえたので事なきをえたが、グラッドは少しの間ゲホゲホと口から水を吐きだすことになり。


「……いやー、徐々に泡が消えるんじゃなくていきなりパンッと割れるんだな。びっくりしたわ」


 苦笑いをしながらわざとらしくおどけて見せると、ウレイラと近くにいたイルカがホッとし息を吐いた。その後は三種族共に可笑しそうにくすりと笑いあったのだった。


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