第1話 ギャンブル依存症の母と、娘。_2
母--わたしの母、なのだが。
母は人道に外れるような人ではない。
こういう話をすると、「人道」とは何か、正しさとは何か、
という話から考えだしてしまうが、
例えば「人に迷惑をかけない」ことを人の道理とするのなら、
母は人に迷惑をかけるようなことはせずに
自分の力で稼ぎ、自分の力で生きてきた。
「人に迷惑をかけない」が
警察のお世話にならない
世間から誹りを受けない
ということであれば、まったく問題がない。
母は中学を卒業して、バイトをしながら理容師学校に行き、
理容師になってからは、必死に働いた。
また、父と一緒になってからは、
ふたりで必死に働いて、家計を支えてきた。
いつか、家を持って、家族でしあわせに暮らす。
よくある夢だが、
わたしたち家族にとっては、大切な夢だった。
*
わたしは必死に働く両親を尊敬していた。
今もだ。
わたしはしあわせだった。
両親がいて、両親は子に愛情があることについて。
なにを愛かといわれると、それは分からないが、
両親は、子どものために働いてくれていたし、
わたしは両親の将来を支えられるようになりたかった。
今もだ。
父と母が、身を粉にして50年あまりもの歳月を働き続け、
家を買い、家族を養い、子どもを育ててくれた。
夫婦で「合意」して、家族で決めた道を、
永年働くことで守ってくれた。
今もだ。
ただ、母はしばらく前に理容師をやめて家にいる。
理容師の仕事は、体力的にも精神的にもとてもきつい仕事だ。
朝早く家を出て、通勤電車に乗って、一日中立ったまま、
失敗が許されないパーマや、髪切りをし、
シャンプーとリンスをし、肩を揉む。
お昼を食べる時間がないことは度々ある。
夜になって仕事が終われば、
また通勤電車に乗って、地元に戻り、
スーパーで買い物をして、家で料理を作る。
技術的に高度な仕事だが、
低価格理容室の台頭で、
母も短い時間に仕上げる低価格理容室で働かなければならなかった。
長い理容師人生のなかで、店を持ったこともあったが、
それも低価格理容室だった。
技術的に高度なのに、ひとり2000円弱しか頂けない。
しかし、お客様の要望は高く、優しい人ばかりではない。
相手は男性だ、怖い人もいる。
こうした体力的、精神的な限界がきて、
母は仕事をやめた。
母は「怖くて、胸が痛くなる。震える」
そういった。
そう、いわせてしまうまで、働かせてしまった。
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