第24話 練習初日

 陽と会った翌日の昼過ぎ、星南の姿は父親の勤める神社にあった。巫女さんに衣装を着るのを手伝ってもらい、光理と二人で木製の舞台に立つ。


「これ、白に赤い紐が映えてて素敵」

「お姉ちゃんは赤で、私はピンク。袴の色はどっちも綺麗な赤だね」

「二人共よく似合ってるぞ」


 舞台を客席から眺める父に褒められ、姉妹はくすぐったいような気持ちで笑い合った。

 これから、舞の練習が始まる。まずは形からということで、予備の衣装を着ての稽古だ。

 星南が白地に赤の紐で装飾された巫女装束で、光理は白地に桃色の紐で装飾された巫女装束である。光理の長い髪は桃色の紐で一つにまとめられた。


「さあ、始めましょうか」

「宜しくお願いします」

「宜しくお願いします」


 姉妹に舞を教えてくれるのは、神社に勤めて半世紀になるという噂のある女性だ。彼女の補佐として娘がおり、彼女も巫女をしている。

 丁寧な物腰と気品のある雰囲気を持つ師のもと、星南と光理は懸命について行った。文句を言う間も耐えられず、ただただ体を動かし体に覚えさせていく。




「はい、一旦そこまでです」


 日が暮れ始めた頃、師の声で星南は我に返った。我に返ると同時に体の力が抜け、すとんとその場に座り込む。隣を見れば、光理も同様だった。汗だくになり、荒い呼吸を繰り返す。その時になって初めて、星南は自分も大汗をかいていることに気付いた。


「――っ、はぁ、はぁ」

「はあ、はあ。……何これ、滅茶苦茶ハードッ」

「よくついて来ていますよ。やはり、流石ですね」


 ふふっと笑った舞の師は、娘に頼んで冷たい麦茶とアイスを人数分持って来させた。舞台傍のベンチに姉妹を呼び、麦茶とアイスをふるまう。アイスはバニラとイチゴの二種類があり、光理がイチゴを選んで星南はバニラにした。


「――はあ、ほてった体にアイスが染みるっ」

「うん、丁度良い。先生、わたしたち少しはうまくなりましたか? 途中から無意識でやっていたので、わたしは自信がありませんが……」


 星南の問に対し、師は「ええ」と朗らかに微笑む。


「初日ですから、手加減はかなりしましたがよくやっていますよ。大抵、初日で音を上げてしまいますからね」

「え……」

「ですが、やはり見込んだ通りです。お二人共、指先まで神経を行き届かせて自然に動いていますから、これ以上ハードな練習をせずとも本番を迎えられそうですね」

「何か、さらっと怖いことを言われた気がしますが……気にしないでおきますね」


 どうやら、彼女は鬼らしい。幸いにも星南と光理は及第点を貰えたようだ。

 姉妹は一抹の不安を抱えながらも、それから小午後六時まで繰り返し舞の練習を続けた。



「疲れた……」


 家に帰り、夕食もそこそこに星南は自室のベッドに突っ伏した。普段は何事に対しても余裕のある光理ですら、何も言わずに自室に引っ込んでいる。

 重い瞼に抗おうとしつつも、体は悲鳴を上げている。ゆっくりとした動きを維持するのは現代人である姉妹にはハードルが高く、気力も体力も根こそぎ奪われた。


「お疲れ様でした、星南様」

「いろは……ありがと」


 鞄から這い出してきたいろはにねぎらわれ、星南はかろうじて微笑む。筋肉痛がすぐに来るのは若い証拠だと大人は言うが、体が痛くてだるくて仕方がない。クリスマス、本番四か月前の時点でこの状態で、きちんと舞うことが出来るのだろうかと今から不安だ。


(とはいえ、舞の先生が忙しくて月に三回くらいしか練習出来ないらしいし。十二回しかないと思えば、この時期から始めないといけないよね……)


 神様に奉納するための舞だ。生半可なものは披露出来ない。しかし、体は睡眠を欲していた。


「いろは、少し寝るから……一時間したら……起こし、て」

「あ……。はい、ゆっくりお休みください」


 突っ伏したまま寝てしまった星南の体に、いろはは頑張って毛布を掛けてやる。そして覚えた目覚まし時計のセットをして、自分も彼女の傍で丸くなった。




 ぐっすりと眠ってしまった星南は、夢を見ていた。

 彼女は見知らぬ、しかし懐かしさを感じる何処かの庭に立っている。周囲は木々に囲まれ、人目に付かない隠れた屋敷の一角。白砂が敷き詰められた上に立ち、すっと前に手を差し出す動作をする。


(これ、舞の仕草だ)


 動きが、今日練習した舞とうり二つ。それに驚きながらも、星南は納得をしてもいた。この舞は、古来から受け継がれてきた大切なものだと先生が言っていたからその通りなのだと。

 夢の中に置いて、星南は岩長姫として舞を舞っている。


「……」


 体が覚えているのか、丁寧に穏やかに、一つ一つの動きを確かめるように舞い踊る。

 舞うことに没頭していた岩長姫は、舞い終わったのと同時に我に返って振り返った。屋敷の柱に肩を預け、こちらを眺めている男の姿を見付け、顔を真っ赤にする。


「い、いつからそこに……」

「姫様がぼんやりとお立ちになっていた頃から」

「それって、始めからということではないですか!?」

「すみません。見惚れてしまい、声をかけ忘れました」


 そう言って微笑む男に、岩長姫は何も反論出来ずに両手で顔を覆う。誰も見ていないことを前提にしていたのに、と指の間から声が漏れた。

 姫の独り言を聞き、男―比古―はまた「すみません」と言う。


「勝手に見ていたことは謝ります。ですが、ここにはおれと他にいろはたちもいますから。皆、姫様のことを案じていますよ」

「……それでも、貴方にはもう少しうまくなってから見せたかったのです。年に一度、春の祭りで神に捧げるこの舞を」

「必ず、良い結果を得られましょう。貴女ならば、きっと」

「ありがとう、比古」


 決して主従の一線は越えない。固い意志を感じていたため、岩長姫も比古にそれ以上近付こうとはしなかった。時折訪れる二人だけの瞬間に、精一杯の見栄を込めて。

 それから雪がちらつき始め、比古に促された岩長姫は屋敷に戻った。




「……ああ」


 目覚まし時計が鳴る前に、星南は目を覚ました。空腹だったが、それ以上に不思議な感情に涙が溢れて止まらない。

 そうか、と彼女は唐突に理解した。岩長姫は、比古という男を心から想っていたのだ。同時に己の役割を知っており、決して思いを口には出さなかった。


(舞が引き金になるなんて)


 岩長姫の記憶を、かなりの部分思い出した。舞に込められた切ない想いをも感じ取り、星南は静かに天井を見つめていた。

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