まったくこのおっちゃんは

 練習の途中で荒田監督に高校に出向くことを説明すると快く承諾をもらい康太はグラウンドを後にした。みんなより早く練習を切り上げることに他の学生コーチの奴から少なからずの嫌みをもらい受けたが、そんなこといちいち気にしている暇などない。昨日の夜はあれから高校時代の簿記の教科書を机の引き出しから引っ張り出して、勘定科目から連結財務諸表のやり方まで細部にわたり復習してきた。生徒はおろか他の大学の学生に絶対に舐められるわけにいかないのだ。


 寮に帰って素早く汗をシャワーで流し、制汗スプレーをかけまくる。少しきついスーツに身を纏い今度は余裕を持って電車に乗った。幸手駅から程遠く離れた桜高校はもともと桜商業高校という名前だったが、数年前に近隣の工業高校と普通高校と吸収合併し総合学科の高校として生まれ変わった。これも少子化の影響なのかと思いながらも康太は足を進める。


「君たちのために大学から勉強を教えにきてくれた先生方です」


 泉主任の簡単な紹介が終わると、さっそく授業に入っていく。どうやらこの教室に集められた大半は中間試験や小テストで赤点をとってしまった生徒らしい。


『まったくこんなことなら昨日早く寝ればよかった』


 康太は昨日の猛復習も虚しく、簡単な勘定科目で貸方、借方を間違える生徒にできるだけ優しく教えていた。


「菱田くん」


 自分の名前が呼ばれたと思って振り向けばやっぱり校長の金井だった。ドアを半分ほど開けて手招きする。


「なんすか?」


「どうだね調子は?」


「まぁぼちぼちですよ、でなんすか?」


「そんなことより、今日はユニフォーム持ってきたかね?」


 どうしてこの人は疑問を疑問で返してくるんだろう。康太は自分の頭を軽く撫でると明らかにめんどくさそうに「持ってきました」とだけ言って再び授業に戻った。しかし、金井は自室に戻ることはなくそれどころか教室の一番後ろに居座り周囲を見渡している。



『このおっちゃん、おれがばっくれると思ってんのかよ』


 まるで信頼されていないのが腹を立たせるが、正直康太にとってバイト代がもらえればそれでいいのでバイト代がでない野球部の監督を最初から真剣に受けようとははなはだ思ってもいなかった。ただ後ろから感じる視線にひどく気疲れした。

 

 授業が終わってから二十分が過ぎて、康太は金井に借りた教職員用の着替え室でユニフォームに着替えグラウンドに向かって歩いていた。野球部専用グラウンドは十分な広さはあれど手入れの行き届いていない乾いた土はダイビングキャッチをしようものならきっと怪我をするくらい固かった。内野に足を踏み入れたところでふと足を止めた。ユニフォーム姿の男子生徒が二人そこでキャッチボールをしていた。一人はピッチャーのように大きなモーションで思いっきり腕を振っていて、もう一人はその球をなにも言わずに受け止めている。その様子を立ち止まったまま見守った。


「おい太一もっとなんか感想とかないのかよ!」


 雄大は不満そうに太一に言った。


「うん、ナイスボール」


「おいおい、もっと明るくやろうぜ」


 雄大の笑いがはじける。その後も楽しそうに投球する雄大は勢いのあるストレートを投げ込んでいた。捕手役の太一は康太が見ている限りでは一度もグラブのシンでボールを捕ることが出来ていなかった。立派なキャッチャーミットをこさえているのに全部網の部分で捕球している。


 

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