永遠が人間を捨てた日

十三番目

プロローグ


 飛行機に乗ってから、かれこれ何時間経っただろうか。


 窓の外には真っ暗な空が広がっており、今いる場所が夜だということを教えてくれる。


 高校生活最後の夏休み。

 親族へ会いに行った帰りの機内で、永遠とわは眠たげに目を擦っていた。


 海外からの帰路だ。

 まだまだ道のりは長いだろう。


 永遠が座っている場所は、ちょうど飛行機の翼が見える位置で、翼の端で点滅するライトが窓から見える唯一の光源になっていた。


 ぼうっと明かりを眺めていた永遠だったが、翼の端で何かが動いた気配に思わず身を乗り出す。

 目を凝らして見ると、それは人のような形をしていることに気がついた。


 翼の端で座り込み、足をぶらつかせていた人影は、永遠の視線に気付いたのだろう。

 くるりと後ろを振り向くと、永遠の方をじっと見返してくる。


 風になびく長い髪と、影の中から発光するようにのぞく赤いまなこが、永遠の目にはっきりと映り込む。


 人影それはしばらく永遠を眺めていたが、突然ゆるりと目を細めると、翼の上を歩き、どんどんと永遠の方へ近寄ってきた。


 壁一枚を隔てた距離。

 窓越しに向かい合った二人は、まるで正反対の表情を浮かべている。



 ──これが、後に「人類の終焉者しゅうえんしゃ」と呼ばれる二人の出会いであった。



 そして、永遠が人間として生きた、最後の日の記憶メモリーである。




 ★ ★ ★ ★




 機内の明かりによって、人影の全貌ぜんぼうが見えてくる。


 自分と同じくらいだろうか。

 まだ若い見た目の青年は、長い黒髪を上で一つに結えている。


 白い肌と、赤い瞳。

 目尻に引かれた紅が、青年の圧倒的な美貌びぼうあやしさを引き立てていた。


「こんばんは、適合者さん」


「……えっ?」


 突然聞こえた声に、思わず辺りを見回す。


 周りの乗客は特に気にした様子もなく、各々のことをして過ごしているようだ。

 気のせいかと思い窓の方に視線を戻すと、面白そうにこちらを見つめる青年と視線が合った。


「僕だよ、適合者さん」


 青年の動かす口元と、聞こえてくる言葉のタイミングが重なっている。


「まさか……貴方が話しかけてるんですか?」


「ふふ、だからそうだってば」


 小声で言葉を返すも、周りの目が気になってソワソワとしてしまう。


 幸い隣は空席だが、前後には多くの人が座っているのだ。


「いったい何がどうなってそんな所に? というか、今って飛行中ですよね……?」


「こんなに高い所に来るのは久しぶりでね。風が気持ち良くて、つい長居しちゃったんだ」


 ついで長居できるような場所ではないのだが、青年の顔は本当にそんな理由で乗ったんだと思えてくるほどあっけらかんとしている。


 青年の髪を見ても分かる通り、この飛行機は今まさに上空を飛んでいる最中だ。

 中華服に似た青年の着衣は風の力に当てられ、先ほどからバタバタと悲鳴をあげている。


 長い袖口がひるがえり、白い手首があらわになっているが、爪の色だけは黒いんだなぁ……なんて、どうでもいい事ばかり考えてしまった。


「とにかく、そんな所にいたら危ないですよ! 今から中に入るのは無理だし、とりあえずそこに座っててください」


「心配してくれてるの? 優しいんだね」


 せめて落ちないようにと思ったものの、青年がそこから動く気配はない。


 それどころか、さらに身を乗り出すように窓へと近寄ってくる。


「ねえ、君。名前はなんて言うの?」


「えっ? ……永遠とわ、ですけど」


「永遠。永遠えいえんを意味する言葉だね。良い名前だ」


 真っ直ぐな言葉に、思わず照れてしまう。


 名前を聞いて微笑んだ青年は、そのまま自分の名前も教えてくれた。


「僕はシン。シンって呼んで」


「シン?」


「そうだよ永遠」


 シンの緩く微笑んだ表情があまりにも綺麗で、思わずここが空の上だと言うことを忘れそうになる。


 やはり私も、まだまだ女子ということか。

 顔の良さには、どうしても逆らえないのかもしれない。


 飛行機の中と外。

 普通ならありえない状況だが、私はどこかこの状況を楽しんでしまっている。


 そういえば、シンの声はどうやら私にしか聞こえていないようだ。

 はっきりと届いているにも関わらず、周りの乗客は誰一人として反応していない。


 まあ、先ほどから一人でコソコソと話し続ける私の方には、たまに不審なものを見るような眼差しが向けられているのだが。


「着陸まであと二時間くらいか……」


 スマホの画面を見て、何となしにそう呟いていた。


「よく聞いて永遠。残念だけど、この飛行機が目的地に着くことはないんだ」


 まるで冷水をかけられたかのような気分だった。


 シンの言葉に、顔から血の気が引いていく。


「なに……言って……? 馬鹿な冗談はやめてください。目的地に着かないなんて、そんなことあるわけが──」


「きゃあああああああ!」


 つんざくような悲鳴が機内に響き渡った。


 女性の甲高い絶叫を皮切りに、伝染していく悲鳴と恐怖。

 前に座っていた乗客たちは、何かに気づいたような顔をしたあと、急いで後ろに逃げようと立ち上がっている。


「いったい何が起きて……!?」


 ぐらりと揺れた機内と、前方で飛び散るあか。


 あれは、なに。


 べちゃべちゃと液体を踏み締めて、必死でこちらへ逃げてこようとする乗客たち。


 その後ろから現れたのは、この世のものとは思えないほどおぞましい姿をした──異形いぎょうの存在だった。


 

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