極光商会繁盛記 マギカロジカオペレッタ

八畳一間

第1話明日への一歩は桟橋から

港湾都市テュルセルで一番簡素な作りの桟橋。

切り揃えた木材を縄で縛って組み上げ、板を並べた木道のような簡素作りで、港の桟橋と言うよりは暇つぶしに夕食のおかずを一品増やそうと釣り糸を垂れる老人や仕事に疲れた男共が休日に憩いと娯楽を求め、つらつらと並んで腰を下ろし、日がな一日のんびりと座っていそうな静かな湖畔の高目に作られた桟橋である。


 春も終わりに近づき、夏の気配を感じさせる強い日差しと、地平線から天に向けて折り重なり立ち登る白い雲。三本マストの立派な木造船、三角帆の荷運び船、小さな漁船など多くの船が、桟橋の先端で向こう岸を見やる男を他所に通り過ぎ、港の船着場、荷下ろし場へと向かってゆく。


 彼の名はアルメディオ。この桟橋、テュルセルの港湾管理事務所から彼に任された仕事は、ここテュルセルを含め陸に囲われた海の周りに点在する国家や同盟未加入の商船が事務所で手続きを行う間、一時的に連絡用の小舟を係留させておく所で、船が掲げる帆や旗を見てどこの所属か判断し、事務所へ案内する、同盟の結成以前から設けられている港のルール。


 まずは沖に停泊し、船長以下、伝令係が小舟で港の一番端にある所で入港手続きや荷物の書類などを事務所に渡す習わしの残りなのだが、正直一日中海を見ているだけの楽な仕事だ。最も、彼の場合航海中に負った怪我のため、左足が少々不自由である生活には問題ない程度ではあるものの、学がなければ肉体労働しかないこの世情ではある意味海の門番とも言えるこの仕事に就けるだけでも仕事を斡旋してくれた港湾間管理事務所と友人に感謝して仕事をこなすべきであると日々この桟橋に立っている。


 そして恐らくはこの仕事に就いて初めて、どこの所属でもない初めて見る異様な黒い小舟が近づいてくる。帆もない、漕ぎ手もいない、それでも船の両脇から水飛沫を上げ、結構な速さで自分を目指して近づいてくる。正面から見ると細身の輸送船に見張小屋を乗せたような、なんとも奇妙な船である。

 

 船尾の手摺から身を乗り出し、こちらを伺う人影はこれまた見たことのない服を着て陽に透ける薄緑色で短めの髪、顔立ちからして女の子だろうか。いや男の子かも知れない。桟橋に船が接舷しそようと近くにきて改めてその姿を垣間見ると、彼がごく稀に利用する娼館にも、街ゆく貴族様にも、これほどに綺麗な女の子は見たことが無かった。


 その綺麗な女の子に見惚れて惚けていると、


「すみませーん、港についてお伺いしたいのですが、どちらに留めればけばよろしいですかー?」


天国の天使か、御伽話の妖精かといったやや高めの澄んだ声が問いかけて来た。


 正午近く、仕事を求めて集まった人足や船主達の喧騒がそろそろ落ち着くだろうかといった頃。強い日差しに焼かれた肌と潮風に傷んだ髪、汗と垢が染みついた生地を潮風に晒し強張って掠れた服で包みんだ大勢の船乗りと少数の小綺麗な身なりの船主達がざわざわと騒がしくあげる声が一瞬にして風のない水面のように静まり返り、

皆の視線が一点に、事務所入り口の扉を潜って現れた異質で小さな人影に集中する。

 

 前で合わせた淡い色合いの生地を色鮮やかな帯びで巻き、その上から陸路を使う商人達が使うような外套で包み込んでいる。外套から覗く足元も自分たちの編んで作った厚手の靴下とは違い、薄い布を縫い合わせて作ったものなのか、白くて清潔そうな靴下と枯草を編んで作った履き物で、ちょこちょこと小股で足音一つ立てず滑るように歩く子供くらいの背丈しかない風変わりな来訪者に港湾都市テュルセル港湾組合管理事務所の空気はしんと静まり返った。


 物音一つ立てる事が憚られそうな静寂の中を、ちょうど開いている受付と思しきカウンターに近づき、目深に被った外套を後ろに下げて顔を出し、手が空いたばかりの受付嬢に


「すみません。お手隙のようでしたら港の使用手続きをお願いしたいのですが宜いでしょうか?」


そう尋ねるその顔はどう見ても異国情緒あふれる美少女、しかも同性から見ても

とびっきりの美少女。しかし、その髪は透けて向こうが見えそうなほど薄く表面が虹色の反射を帯た薄荷色、やや大きめの丸い瞳も同じ薄荷色で真っ直ぐに受付嬢の口元を見据えている。

はて、今自分の目の前にいる少女は果たして御伽話の妖精か穢れなきお姫様か、それとも悪魔か、あまりに現実離れした事態にでくわし、軽い目眩をなんとか職務的根性で抑え込み、毅然とした口調で、「ようこそテュルセル港湾管理事務所へ。お客様。どちらか他所のお国からお越しになったのでしょうか?お国では商、工、運送いずれか商工組合に属しておいででしょうか?」と規約に則った約束事の確認から始めようとすると、外套を外して全貌が露わになった美少女に、潮の匂いが筋肉に染みついたような野郎どもが横からちょっかいをかけてくる。

「なんだ、お嬢ちゃん他所の国の子か?船乗りにゃ見えないちんまい体でお手伝いか、偉いねぇ」

などと気安く話しかけてくる。受付嬢は内心、「おいおい、そりゃあたしンだぞ、壁際でマスでもかいてろ潮漬け筋肉」と悪態ついて、声をかけてきた船員風の男をジロリと睨み付ける。


 「すみません、此方へは東から海を越えて来ましたので此方のしきたりや作法など一切合切分からないのです。沖の方に船を停泊させたいのですが、航路のお邪魔になるやもしれませんので、船着場に空きがあれば使わせて頂きたいのです。」


と筋肉の横槍に目もくれず、しっかりと、はっきりした口調で要件を述べる異国の美人ちゃん。出来れば邪魔の入らない奥の執務室に連れ込んで、ゆっくりじっくりお茶でも飲みながらお話ししたいところだけど、下手すりゃ新規加入になるやもしれないので、ここは所長にお伺い立てた方が良かろうと隣の受付係の同僚に所長案件であることを伝え、所長室に行ってもらう。


ちょと大きな声を出せば十分所長の所まで届くのだけど、目前の育ちの良いお嬢様然とした異国の美人さんの前では、はしたないマネは出来ないと思い、隣の子に頼んだのだが、直接自分でエスコートすればよかったなどと考えていると、所長のヴォロディ・メイピックが足早にやって来た。ゆったりした幅広の燻んだ青いのズボン、白地に茶色の縁取りがついたヘンリーネックのシャツを着た、白髪混じりの短髪で頑強な男が見慣れぬ少女に近づき、

「初めまして。私はテュルセル自由貿易都市海運商工会議兼港湾組合管理事務所、所長のヴォロディ・メイピックと申します。遠路遥々ようこそおいで下さいました。私がご用件をお伺い致しますのでどうぞ奥の応接室へ」と隈の浮かんだ疲れた顔で緊張気味に早口に述べると、対照的に落ち着いた静かな口調で


「ご丁寧な対応を頂き誠に恐縮です。僕はシズリ ミヒロと申しまして東の最果ての地アマノ=モリから海を越えてやってまいりました。どうぞ宜しくお願い致します」


 と言い終えると同時に足の前で手を重ね、腰からほぼ90度体を曲げて深々と頭を下げた。


 「僕」という事言葉に反応したのか、先程から一部始終を見守っていた受付嬢は端正な顔を歓喜に歪ませて、


「え……?いま『僕』っつった??『僕』?って事は男の子か!うっそだろありえねぇぇぇっ!アマノ=モリっつうとこのカミサマは美人の女の子にちんちんくっつけんのかよわかってるじゃねぇか、今すぐ信仰してやっからそこの美人ちゃん抱かせろ!!」


などと実にけしからんよからぬ妄想に暴走していた。


「どうしたね、ツェツィリア君?あぁ、そうか、昼も近いし、今日は甘味の付く日だったな。すまないがお茶とお茶菓子を頼む」


にやけて歪んで弛んだ受付嬢、ツェツィリアの顔を訝しみながら、昼食後に出されるデザートの甘いチーズに顔が綻んだのだろうと解釈し、うまくすれば未知の国との取引になるかもしれないとの期待を胸に組合長ボロディ・メイピックは応接室のドアを開けた。

  

 低めの大きなテーブルに向かい合い、テュルセル港湾組合管理事務所、所長ボロディ・メイピックと白地に薄青と薄紫色の涼しげな色合いの衣装に身を包んだ少女?少年?が額を付き合わせるほどの距離でテーブルに置かれた砂が敷かれた平たい盆を凝視していた。


 建物の裏手に面した窓から入る風に涼を求めつつ「マジか……」少年机上の砂が入った盆に描いたのはテュルセルを中心としてかなり広い範囲の地図で、彼の知る限り精密ではないが正確な地図だった。


今では所長として椅子でズボンの尻をすり減らす毎日だが、彼とて元は船乗り。ここら一体の地形など海岸線の形だけで判断出来ると言うものだが、驚く事に少年の描いた地図にはほとんど足を向けない方面の地図まで描かれていた。


更には彼が、いや、組合に加入している誰もが行った事のないところまでサラサラと、書き直す事なく、一筆で描いた事に、驚きとまだ見ぬ海域への興奮があった。額に当てていた手を下ろし、受付嬢が運んできたお茶を一口煽り


「信じられん……、私の知ってる範囲では全て正確だ。東の万年暴風域まで越えてきたなんて……」


「あの所長、モイチさん呼んできましょうか?」


所長の当惑っぷりに興味を引かれ、お茶を運んだ後、やや離れた所から様子を伺っていた受付嬢が所長に声を掛けるも、


「いや、これをアイツに見せたらとんでもない事になる。他の誰より私自身がこの地図を十分正しいものだと保証出来る」


「なんだ冷てぇじゃねぇか、俺っちの出番なしかよ」開けっぱなしの窓から声がする。慌てて受付嬢が窓際に駆け寄り窓を閉めようとしたところ、

「あ、どっこいせっと。邪魔するぜ」と一際大柄な体躯が軽々と窓枠を飛び越える。


「内緒話なら窓は閉めておくもんだぜ」


白い歯を大きくの覗かせてにっこりと笑顔を向けて言い放った。


「おいおいモイチ、お客人の前で失礼だろうが。我々の品位が疑われるようなマネは謹んでくれ」


「なぁにが『我々の品位』だよ。同じ海の男だろうが、隠し事はなしにしようや」


「ん……男……?いや、女か?これまたとんでもないべっぴんさんじゃねぇか……それもまだ子供じゃねぇか、こんなんが東の海を越えて来たって?おいメイピック!この海図はなんだ?俺の海図よりも広いじゃねぇか!!これはお嬢ちゃんの船が通った航路か!すげぇなこんな航路取れる船なんて本当にあるのか、ぜひ俺っちも嬢ちゃんの船に乗せてくれよ!」


と嵐のように一方的に捲し立てつつグローブのような厳つい手で『異国のお嬢ちゃん』の体を挟むようにガッチリと掴みバシバシ叩くと、着物の合わせがずれ始め、鎖骨と細い肩の線が僅かばかり現れ始めると、おい、いい加減にしろよと立ち上がるメイピックを手のひらを向けてまぁまぁと宥める少女のような少年。


徐々に前で合わせた着物がずれて胸の中心あたりの白い肌が顕になってくる。


『ええぞ ええぞモイチっつぁん。もうちょっと、あと少し、もうすこおぉし』


などと欲望に逆らえず心の中で声援を送る受付嬢。しかし、そうは世の中上手くは行かず、

「いい加減に……して下さい」と異国のお嬢ちゃんが口にするのと同時にモイチの巨体が仰向けで床に叩き付けられる。一瞬。ほんの一瞬で体を捻ってモイチの懐に滑り込み、腰が落ちてる状態からの一本背負いで豪快に宙を舞い、豪快に床に叩きつけられ、大の字になってひっくり返る大男。

 

 なんだどうした?とノックもなしに応接室に雪崩れ込んでくる船乗りと剣と盾で武装した警備職員を「なんでもない」と手で制すメイピック。


「いや、みっともない所をお見せしてしまい申し訳ない。この男はモイチと言いまして、わがテュルセルの誇る一等航海士なのですが、新しい航路や陸地を探すのに人一倍熱心な男なのです。シズリ殿の海図を見て興奮してしまったのでしょう。どうか気を悪くしないで頂けませんか?」


私の方からキツく言い聞かせておきますので、と付け加えメイピックは砂でに描かれた海図を人目に触れぬようテーブルクロスで覆い隠す。

「いえいえ、全く気にしておりません。それより、こちらこそ投げ飛ばしてしまって申し訳ありません。ああも景気良く他人に触られるのに慣れておりませんのでつい体が動いてしまいました」


「いや実にお見事。あの男投げ飛ばせる者などそうそうおりませんよ。戦士としても腕の立つ男ですから」


 などと床に大の字で伸びている大男を他所目に呑気に話し込んでいると、開けっぱなしのドアから野次馬どもが覗き込んで「なんだ所長がキレたのか」だの「モイチが伸びてるとかウソだろ!?」「すげぇもん見ちまったあのモイチが大の字とか何があったんだ?」とかざわざわと騒ぎだし、


ちょっと場所を変えましょうとメイピックが促しミヒロを連れ立って事務所ロビーを抜けて外へと行ってしまった。その腹癒せの如く受付嬢ツェツィリアは大の字に横たわるモイチの脇腹を一発蹴り飛ばした。


爽やかな日差しと潮風の匂いを感じながらメイピックの後ろをスタスタと歩く。草履を通して足に伝わる感触はコンクリートに似たザラついた感触であったが、船着場と思しき所から遠ざかると木道のような木の柱に板材を止めた程度の簡素な作りの場所に来た。ちょうど目の前に古い木造二階建ての建物があり、大きな入り口には彫刻の施されたスイングドアがあり、中からは僅かな話声とまな板と包丁が刻む軽やかなリズムが聞こえる。


「おや、いらっしゃい。あんたが美少女と同伴なんてどうした風の吹き回しだい?……」


入り口正面、カウンターの向こうから落ち着いたよく響く声でこの店の女将らしき人物がフライパンと柄杓を手に声をかける。


「モイチが事務所の応接室で伸びちまってる。所内も暫く騒がしくなりそうなんで避難して来た。それに腹ペコだ」


「あいよー!ちょっと待ってな。っそっちのお嬢ちゃんは何がいい?」


「あー、ベルナデッタ。こちらの方は男性で東の海を越えて来た大事なお客様だ。相応の対応を頼む。さっきモイチがやらかしたばかりなんだ。夜にはテュルセル中で噂になっちまうだろうから俺の口から言っておくが……」


「それ以上の事は突っ込むなって事かい。オーケー拝聴しようじゃないか。」


と、先ほどのミヒロにじゃれついた筋骨隆々で陽気なラテン系の顔立ちをした一等航海士モイチがいかにして床事務所の床で大の字になって気絶したかを詳らかに話し終える頃には皿に盛られた二人分の昼食がカウンターに置かれる。


「はいお待ちっと。ミヒロちゃんにはお姉さんからリンゴのサービスだ」


「わぁ、有り難う御座います。」


カウンターに置かれた皿を手元に運びつつ、顔を左右に動かして視線でテーブル、カウンターの順に見渡し、カトラリーの類がないことを確認しつつ、出された料理に目を落とすと、頭を落とした魚の揚げ物と煮込んだ豆、それと小さめのナイフが一本皿に乗っている。横を見ればメイピックはそれと同じナイフで魚の揚げ物を適度な大きさに切り分け、ナイフで刺して口に運んでいる。自分も同じようにしようかとナイフを手に取り、刃の表面を観察する。


「ミヒロちゃんの所じゃナイフは使わないのかい?」


なかなか料理に手をつけないので、もしかして気に入らなかったかな?と気を配っていたが、どうにも違うらしい。ひとまず安堵しつつ声をかけては見たものの、今度は別の事に気付き、少々ばつが悪く少しばかり引いてしまった。

(まったぁぁぁっ「ちゃん」はないよねぇ、馴れ馴れしいとか思われないかねぇ、でも見た目どう贔屓目に見ても子供だしねぇ……)


「いいえ、肉料理でナイフも使いますが、普段はこれを使います」


と左手の広口の袖に右手を入れて中から細い長方形の木箱を取り出すと、中から2本の細い棒を取り出し、これは「箸」と言いまして、僕のところでは標準的な食器です。2本の棒を器用に閉じたり開いたりしながら皿の上の魚を両端から摘んだり上から押さえつけて切れ目を入れた所から棒の先で開いたりして一口サイズに切り分けると。小さく畳んだ布を開いた手のひらにのせ、切り分けた魚がカウンターにこぼれ落ちないように口元に運ぶ魚の下側の添えるように食べる所作に『この歳ですんごい気の使いようだけど、よっぽど厳しい躾を受けるうような上流階級か、それとも王族とかのやんごとなき家系の出なのか?』と興味は尽きないのだが、先ほど念を押されたばかりで根掘り葉掘り問いかけるのは失礼だろうと意識を目に戻せば、白身魚の揚げ物は欠片残さず綺麗に平らげ、豆を一粒一粒ハシの先端で挟んではひょいひょいと口元に運んでいた。


器用というよりは習慣の賜物だろう。ちょっとマネして肉を焼く鉄串を見様見真似で真似してみたものの、豆ひとつ掴むのに悪戦苦闘する。

あ、リンゴは刺して食べるのか、と極めて簡単な使い方を見てまずは基本からだねぇ、とハシを使いこなしてみようと身構えるベルナデッタだった。

ちなみにメイピックの方は魚はナイフで刺して口に運んでいたが、豆はナイフで皿の端に寄せ集め、そのまま一気にかっこんだ。少しは行儀ってもんを見習えメイピック。

 

まさか唐突に食事に出るとは思わず、最初は面食らったが、事務所へ戻る際にとても魚が美味しかった事、オマケで貰ったりんごが蜜たっぷりでとても美味しかった事を伝えると、ベルナデッタは


「気に入ったのならまたおいで、今度はオレンジを用意しとくよ」


と気持ちの良い笑みを浮かべて送ってくれた。


 事務所に帰る際、テュルセルでは、というか、ここら一帯は一日2食、朝は軽く黒いパンとコーヒー、正午過ぎに昼食。仕事によってはこのあたりで1日の仕事が終わり、陽が落ちた頃に夕食になる。

家族がある者は家で家族と軽めの食事をとり、独身の船乗りや港湾労働者たちは先のベルナデッタの食堂兼酒場でで食事を摂り、酒を引っ掛けて各々塒へと帰ってゆく。


 夜はベルナデッタの所にゃ近づかないようにしてくれよ、と注意を促される。なんんでも女の股ぐらよりも男の、それも可愛らしい少年の尻が好きな連中(金がなくて女に相手にされないこともあるが)が暗がりに引き摺り込んで暴力で無理矢理事に勤しむ不愉快極まりない連中もいるから、夜は必ず一人で出歩かないようにする事。

などこの港湾都市で生きていくやり方をメイピックは「頼むから本当にやめてくれ」と念を押してミヒロに語った。


「別の世界でも情欲の醜さは変わらないんですねぇ、船のみんなにも伝えます」


とだけ答えるにとどまった。


 海運商工会議所兼港湾組合管理事務所のドアを開けてロビーに入ると、中央付近に大勢が集まって、よく言えば活気に溢れた、正直やかましいほどの喧騒に沸いていた。 人だかりの中心ではモイチが投げ飛ばされた過程を笑いながら実演を交えて実況していた。


「いやもう、すげぇわありゃ。こう、ふわっと体が浮いたと思ったらいきなり天地がひっくり返って床にズドンだろ、何をどうするも出来ねぇよ、どんな技なのかわからんが、今度喰らったら受け身位はとってみせるぜわっはっはっ!」


 周りの船乗りよりも一回り大きな体躯と、頭の左右を短く刈り込んだソフトモヒカン、ラテン系と思しき陽気な笑い顔に周りの船乗りたちから「無理だろ!」とか「やめとけやめとけ」だの好き勝手な野次が飛ぶ。そんな人だかりを避けて回り込み、2階へ向かう階段を登り、会議用の長机が置かれるスペースを通り抜け、二階部分の廊下を進んだ突き当たり、ちょうど応接室の上になる位置にメイピックの執務室がある。

 

 執務室内に入って入り口のドアを閉めるとロビーの喧騒も聞こえなくなる。窮屈で申し訳ないが、と執務室の中央にある小さなテーブルを挟んで向かい合う一人掛の椅子をミヒロ勧め、本棚から資料と思しき羊皮紙の束とインク壷を持って向かいに座る。


「では、改めて、フリストス同盟テュルセル自由貿易都市港湾管理事務所・所長のヴォロディ・メイピックだ。もう一人クリメント・ワインサップってテュルセル市長がいるんだが、今はちょっと別件で出払ってる。簡単に言えば俺が港の面倒を見て、ワインサップが街の面倒を見てる。

 さて、アマノ・モリからやってきたシズリ・ミヒロ殿、貴殿がお尋ねの港の使用料だが、これは船の大きさで1日あたりの使用料が決まる。貴殿の船の大きさはどのくらいかな?ただ、フリストス同盟に加入するのなら割引やクレーン使用料の免除が受けられる。商いとしての係留でなく海上運送としての船舶運用なら個人商船としての登録が必要になる。そこで事業の規模を大きくして、個人商会の登録をすれば税金としての徴用も可能で、そうなれば港の使用料はタダになる。漁を行う漁船の場合も収穫の何%かを税として徴収することで港の使用料はタダになる。金を貯めて土地を買ってそこに船を置くってのもアリで現に大きな商会が商会専用の区画を持つこともある。その場合は俺でなくワインサップの管轄だ。実はずっと気になってたんだが、貴殿の国の通貨はどうなっているのかな?ベルナデッタの店で見た金貨が主流かな?

金、銀、銅であれば同じ重さでフリストス同盟の通貨に換金できてここら一帯で使えるし、よその港湾都市での換金も楽だ。同盟なんつってもせいぜいお互いの足引っ張らないようにうまいこと商売しましょうってだけの事だから特に同盟の庇護とか有利な条件とかはないからその辺はこれに書いてあるから目を通しておいてくれると俺の仕事が省けて助かる。こっちの文字はどうだ、読めるかな。うん結構!あとはこの紙束に目を通し終わったら最後の紙に署名してくれ。ざっとこんなものなんだが、特に細かい事はないから一度貴殿の仲間と話し合って決めてくれ。あ、その紙束は次に来るときに持ってきてくれれば今日の所は持って帰ってもいいよ。さて、質問はあるかな?え、ここに来るのに連絡用ボート一隻桟橋に留めてる?どの辺だ。あぁ、なら良い。そこは外部商船仮停泊場所だから1日程度なら別に構わんよ。というか、ちょっとその船見せてくれ」

長々と、何度かお茶で喉を湿らせつつ、ごく初歩的な要項を捲し立てる。


「はい。ではそろそろお暇いたしたく存じますのでご一緒にいかがですか」


と、傾き始めた陽を見やりながら羊皮紙の束を纏めて袂に仕舞い込み、


「では明日、書類に署名してお持ちいたします。本日はご多忙の中、色々とありがとう御座いました」


「いやこちらこそ有意義な一日になってよかったよ。受付には伝えておくので明日は直接こちらへ来ると良い」


 執務室を出ると数名の船乗りが慌てた様子で背を向けてバタバタ走り去り、扉を開けた際に目が合ったモイチと受付嬢なんぞはモップを手に床掃除の真似事をしつつ、油の切れた蝶番のようなギギギイと音をたてながら後ろを向いて硬い動きで立ち去ろうとするも、メイピックに肩を叩かれ「お前も来い」と声をかけられて四人一塊で階段を降りて管理事務所を出て船着場へゾロゾロと歩いて行く。

 港の端の方に木製の柱を組み上げて平板を並べた水面から高さのある木製の桟橋の端っこに、灰色で小型の丸太船に傾斜のついた見張り窓のある小屋が乗っかっているような、内海で漁師が使う小型船程度の大きさの船が船尾を桟橋に向けて係留されていた。木造の桟橋を進んでゆくと陽が落ちる寸前の赤い空を背景に幾つかの黒い影がゆらゆらと動いているのが見えてきた。影は人の形には見えるのだが、その姿が鎧を着込んだ騎士であると確認できる頃、そいつらの方から声をかけてきた。


「おいメイピック!所属不明のボートだ!わざわざ貴重な時間と重要な任務を傍に置いて見張っておいてやったんだから日当払え!それと職務怠慢だ!罰としてこの船は俺たちコシェル騎士団が徴用する!文句はねぇよなぁ、あぁん!?」


とどこぞのチンピラ丸出しの口調で船の柵にだらしなくもたれかかった格好で身勝手な要求をほざいてきた。その足元、後部甲板に座り込んで小さめのリンゴに齧り付く者、剣の柄頭で施錠されたドアノブ、ガラス窓を叩き壊そうとしている者が車上荒らしのような破壊行為を行なっている。傷だらけで汚れのこびり付いた兜、胴当て、籠手と脛当て程度の軽装備騎士のようには一応見えるがどれも個人装備にしてはどうも大きさがチグハグで収まりの悪いだらしない格好にで騎士と言うよりは盗賊、山賊の風体だ。


 リンゴに齧り付いてる髭面の男は、髭も口元もりんごから溢れる汁で髭も口元もベタベタだ。鎧の下の衣服も所々黄ばみと汚れが混ざり合って不潔極まりないし、何より潮風に彼らの発する悪臭がひどくて口元と鼻を押さえたくなる。


 ここが外部から来た、または初見の来客が手続きを終えるまで一時的に停泊できる場所なのはここにいる誰もが、テュルセル市民であれば子供でも知っている事だ。おまけに商売と財産の保護から他人の船に断りなく乗り込んで占拠するのは罰則はないが同盟規約に反する行為である。更に見回り当番が桟橋とボートの隙間に浮かんでいる事からこいつらは全て分かってやっていることであって、

おおかた持ち主が来たら因縁ふっかけてボートを強奪しようという魂胆なのだろう。


 吊り上がった細い目、やたらエラの張り出た顔つきから、強盗窃盗強請集りは当たり前の「癇煩」(かんばん)呼ばれる大陸東の半島から領土を求めて攻めてきた匈奴にくっ付いてきた奴隷民だ。銀鉱脈を奪って独占したことで調子に乗って好き放題やっているが、テュルセルを始め、付近一体の国家や商業都市からは蛇蝎の如く嫌われている。


 メイピックが一歩踏み出しチンピラ騎士どもに意見しようとするのを制し、ミヒロが一歩先に立つ。


「あなた方そこで何をしているのですか!ここは同盟加入前の商人が一時係留できる場所で所属の如何なく使えるはずです!おまけにそのだらしない有様はなんですか!騎士を名乗るならきちんとなさいっ!」


毅然とした態度で叱りつけると、後部甲板の手摺にもたれかかってりんごを齧っていた髭面の男が齧りかけのリンゴをミヒロに投げつけ、

「うるせーんだよ、お嬢ちゃん。この船が気に入ったから俺に寄越せっつってんだよ。おい、そのご立派なお嬢ちゃんを連れてこい、2度と生意気な口聞けないように尻の穴から仕込んでやる」

そう言い放ち、座り込んでいた別のチンピラがニタニタ笑いながら、口元に溢れる涎を手で拭い腰をあげる。

投げられたリンゴはミヒロの胸に当たって桟橋に転がり落ちた。

 

 制服のポケットから手拭いを取り出し、食べカスと汁でも服についていようものならとんでもないことだツィツェリアが駆け寄り、着古したボロ布で拭い取ろうとはしたものの、間近で見るミヒロの服はきめの細かい細い糸で織られて意図そのものが光沢を放ち白が銀色の輝きを放っている柔らかくてコシのあるお貴族さまでもこんなに上等な布地で仕立てられた服は着てはいないだろうと思わせるほどに生地に目を取られていると、

 

「Заведи  машину《エンジンスタート》」

 

小声で呟くミヒロの声を聞くと、目前の船から16リッターV8ディーゼルエンジンが低い唸り声を響かせる。声につられてちらっと顔を覗き見た際に、薄荷色の眼が一瞬ぼんやりとした紅い光を帯びたのは夕日のせいだろうか。


「おいっ!中に誰かいるのかっ!1?」


と後部甲板でだらけていたチンピラどもが騒ぎ出す。


「誰もいねぇよぉっ!いやしねぇよぉっ!!」

 

 返答と言うよりはほとんど叫び声で答える。船室の窓から中を覗くと、それまで灯一つなかった室内に複数の明るく小さな光が壁や机のような所に浮かび上がり、船首の甲板から少し下、前方に傾いた平行四辺形のスリットが開き、八角形に刻まれた複眼が現れスリットに沿って白い光がはしる。


 船室の天板に捕まって窓を蹴破ろうとする者、初めて耳にする低く唸る音と振動に恐れ慄いて手摺にしがみつく者、「連れてこい」と言われて腰を上げた男なんぞは驚きのあまり腰が抜けたように座り込んで手摺にしがみついている。


「あ、ちょと下がってくださーい」


と後方に固まる事務所からついてきた野次馬どもを少し下がらせると、また小声で


「Максимальный выход《出力最大》」


「Избавься от этого《振り落とせ》」

と呟くと、大型家畜の首を絞めあげたような空気が千切れそうな音と共に船尾と桟橋の隙間から大きな水柱が上がり、ツィツェリアとミヒロに大波のように降りかかりそうになる、身をこわばらせて竦み上がるも、ミヒロのきていた外套が頭から被せられ、降り注ぐ水に濡れることはなかった。そしてすぐ隣にいたミヒロの姿がない。まさか流されたかと後ろを振り向くと、頭の上の腕を上げて水飛沫を防ごうとする人だかりしか見えず、どこに消えたかと前と後ろを見回すと、桟橋の下から


「すみませぇ〜〜んどなたか手を貸してくださいませんかぁ〜」


とおそらくあのチンピラ騎士共に殺された港湾管理事務所の亡骸を抱えたミヒロが桟橋の足に掴まっていた。それを見たメイピックがすぐさま海に飛び込み、モイチは桟橋に腹ばいになって手を伸ばして亡骸を桟橋の上に引き上げる。

 

 桟橋に横たえられた亡骸はひどい有様でその場の一同が目を背ける中、膝をつき、手を合わせて神に祈り捧げるような姿勢のミヒロがいた。モイチ、メイピックと続き、目を背けていた一同が亡骸を囲むように膝をつき、この勇敢な若者の魂に安らぎがあらんことをと冥福を祈る。


厳かな時をブチ壊さんばかりの叫び声に目を向けると、風を受ける帆も、水を掻く櫂もない、それでも見たことのない速さで船尾から水飛沫を上げ船がひっくり返りそうになる程船首を上に上げて猛然と進む船がいきなり速度を落とし今度は船尾を跳ね上げる。

 

 チンピラ騎士共は何かしら掴める物にしがみ付くのがやっとで足を中でバタつかせてみっともない絶叫を上げている。するうち、今度は甲板を水面近くまで傾けて右へ左へと船体を真横に滑らせるように急旋回を始める。少々大きめの波が来ると真正面から勢いを付けて波に飛び込み、波をジャンプ台のように使って船体を宙に浮かせ、腹から着水し、その衝撃でチンピラ騎士共が手を離し、一人、また一人と甲板を転がり海に落ちてゆく。


「ミヒロちゃんよぉ、あれは本当に船か?魔物が取り憑いてたりしないか?祭りの暴れ牛の方が可愛く見えるぜ」


モイチは故郷の祭りで行われる暴走する牛にどれだけ長く跨っていられるかを競う競技を思い浮かべて、走りだした途端振り落とされたトラウマに恐怖しつつ率直な疑問を投げかけた。


「いえ、フツーの船ですよ,ちょっと弄ってるんでピーキーすぎるきらいはありますけど。あ、漁に使うような網ってありせんか?もし近くにありましたら貸していただきたいのですけど」


 エクストリームでクレイジーなロデオのライディングブルじみた狂宴に夢中で、なんで誰も乗ってないのに自分勝手に動くんだ?といった疑問は誰も口にしなかった。マジで魔物でも憑いてたら夢にみそうだ。何より船首の目のような窪みに時折流れる光は獲物でも探しているんじゃなかろうか、波を切り裂く船首がいつ牙を備えた口を大きく開いて襲いかかっってくるんじゃなかろうかと不安になる。野っ原で縦横無尽にはしゃぎ回る獣の方がまだ可愛く感じてしまう。何より


「助けてくれぇぇぇぇっっっ!」「とまれぇぇぇぇっっっ!」


と、わめき散らす傍若無人なチンピラどもの叫び声が肉食獣にいいように遊ばれている小動物じみて滑稽で笑える。


 一通り暴れ回って満足したのか、主人の命令通り一人残さずチンピラを海に叩き込んだからか、灰色の小舟はその舳先を主に向け真っ直ぐに戻ってくると桟橋にぶつかる直前で急停止する。舳先の左右から水飛沫が高く上がるが、主の左右に並ぶ有象無象は盛大に頭から水をかぶるが、主だけは雫一滴もかからない。

 白く細い手を伸ばして舳先を撫でながら


「はーい、よくやったね、ご苦労様。後で綺麗にするからもうちょっと手伝ってねー」


 まるで労役後の馬か牛を労うかのような口ぶりと、海面を泡立ててその場で船体を回し船尾を向ける際にわずかに細くなった船首側面の吊り上がった眼のような凹みを見て


 この船マジで俺たちの知らない常識外の魔獣かなんかじゃねえの?と疑念で後退りするモイチだったのだが、ちょうどそこへ「おーい、網借りてきたぞー」と野次馬の一人が桟橋を走って来た。「おう、ありがとよ」と丸まった網を受け取り、「ありがとう御座います」と一礼する海尋に網を渡すとそのまま後部甲板に投げ込むや、船尾から突き出た隙間だらけの鉄板に慣れた足取りで桟橋から飛び乗って、軽い足取りで甲板に登り、手摺りの間を渡る鎖を外して道を開け、「手伝うぜ」と鉄板に足をかけたモイチを甲板に上げる。正直怖かったのだが、船乗りの矜持と得体の知れない怪物かも知れない船への興味がそれに優った。

 

 靴底から伝わる硬い感触は木でもなく石でもなく、騎士の鎧を踏みつけた時に近い感じだった。


おまけに気を抜くと足を滑らせそうだ。海尋も同じような縄を編んだようなサンダル履きなのによっぽど慣れているのかスタスタと軽い足取りで甲板を歩き回っていると言うのに、何かこう、釈然としない気分になる。甲板をぐるり一周回ってきた海尋にこの網をどうするのか聞いたところ、


「ゴミを海に捨てちゃぁ駄目ですよねぇ」


と少しばかり口の端を歪ませて妖しげな笑みを浮かべた。すでに陽は落ち銀色の月の光が海を照らし、上空の空、雲路利も高い位置に緑色に光カーテンが現れ始める。ホントはこいつも魔物の類なんじゃなかろうか、

こいつもこの船も、俺たちがあずかり知らない魔窟の底から抜け出してきた、俺たち人間なんかが近寄っちゃぁいけないナニカじゃないんだろうと心の奥底で恐怖が湧き上がってはくるものの、目の前に佇む人の形をしたナニカを美しいとしか感じとれず、背中を伝う冷たい汗がとともに妙な妄想が流れ落ちた。


 頭に湧き出た嫌な考えを振り払い、妙に明るい月明かりが海面を照らしている。よく見れば、光が海面を、道端に落とした小銭を探す視線のようにあちこちに動いており、船はゆっくりと沖へ向かって波間を滑るように進み、船室の屋根にある脚のついた円形の手すりに捕まり沖を凝視している海尋が

「なんであいつら沖に向かって逃げるんでしょうか?反対岸まで泳い逃げるつもりなんでしょうか?朝まで泳いでもつける距離じゃないでしょうに」と疑問を投げかけ


「いやいや、このまま岸に上がりゃぁ多勢に無勢、囲まれてリンチが待ってるだけだ。そうなりゃ反対側に逃げるわな」モイチが返す。


 「武器持った騎士が船乗りに負けるんですか!?みなさん良い体躯してましたし、…………あ、いたいた。さて、囲んでキッチリカタつけさて貰いましょう。браконьер〈ポーチャー》、окружность《サークル》」


 今度はゆっくりハッキリと聞こえる声で異国の言葉で意味のわからぬ呪文を紡ぐ。すると、今まで真っ直ぐ進んでいた船は左前方で一塊になってバチャバチャ泳ぐ騎士の格好したゴミの周りを、水飛沫を引っかけながら囲うように回り出す。まるで獲物を追い立てる猟犬のようだ。 ここでようやく網の使い道がわかった。モイチは丸めた網を持ち上げると、少しほぐしてからなんとかこの獰猛な海の獣から逃れようと死に物狂いでばちゃばちゃ暴れるゴミに向かって放り投げると網は少し歪に広がってゴミどもの頭から覆い被さるように落ちる。

 「うわ、綺麗に纏めて一網打尽だ!すごいですね、モイチさん!」

  

素直な驚嘆と称賛の声に若干気恥ずかしく思いながら、


「おうよ、ガキの頃、親父の手伝いで散々やってたからよ、お前さんはどうよ?」


しまった、つい気が緩んで軽口叩いちまった。単身こんなところまで一人で来るんだからなんかしら事情があるんだろうが、細かい詮索をしないのが船乗りの鉄則であり、ましてや今日見知ったばかりとは言え問いかけた先はなんとも怪しい美人の子供だ。


疑い始めればずんじゃかよからぬことが頭をよぎる。だからと言って嫌味を言うような真似は、良い大人がなんと恥ずかしい真似を明日んだかと己を叱責するも、帰って来た答えは辛辣どころか土下座して詫び入れにゃぁこちらの気が済まん所の話を遥かに凌駕するほど重苦しい答えだった。


 「いやー、僕父親いませんのでお仕事手伝った事ないんですよねー、家捨てた母親もどこで僕を作ったんだか、「お家」の「後継ぎ」として祖母に売りつけたっきりなんで父も母も顔見た事ないんですよねー」


あははーと、さも大した事じゃありませんよと言わんばかりに風に乱れた薄緑の髪をかきあげ、怒りも悲しみもない、ただ平然と、こちらを見つめる凪の海のように穏やかな薄緑の瞳に神々し慈悲深い神の姿を模した彫刻を重ね……。いやいや、そうじゃねぇよ!と分厚い両の手の平を下げた顔の前でバチン!と合わせ


「すまねぇっ!とんでもねぇ事聞いちまったっ!この通りだ、ほんっとうにすまねぇっ!」拝むように頭を下げ詫びを入れる。

「あ、いえ、つまらない事お聞かせしてしまい申し訳ありません。ただの戯言だと思って忘れてください。」


とそこで終わってくれればこの後戦争じみた事態にならなかったのかも知れない。

桟橋への戻りがてら、海尋はモイチの投げた網に閉じ込められてもがくことも出来ず、波間を引きずられてゆくゴミ共に視線を投げて、

「これ、港についたらどうなるんでしょうか?」


と問うた。


「どうなるって、そりゃ檻に入れられて教会前の広場で晒者にした後見物人に石投げられて私刑の上、樽に詰められて蟲のエサだわなぁ」


「蟲のエサぁっ!? 裁きもなしに罪を償わせることもさせず蟲のえさとか人の尊厳もナニもないじゃぁないですかっ!いくらなんでも酷すぎまよっ!」


先ほどまでの穏やかな表情から、突然雷でも落ちたかのような、叫び声にも近い大声に驚きながらも、歴然とした口調の答えは冷たいものだった。。

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