第31話 家族

 神彫院別館二階での演奏会中断事件は、候補生たちの間に噂となって広まりはしなかった。ベルナルディ嬢の交友関係が限定されていたのに加え、彼女がヴァイオリンの代償をユウに求めていない事実、とどのつまりあの事件をなかったことにしたい意思を尊重した結果だ。


 エルダ経由で聞いた話によれば、ベルナルディ嬢はあんな曲を作った自分に落ち度があると自責の念を口にしたそうだ。エルダが彼女に優しく接して、その包容力を存分に発揮しているのは想像に易い。


 なお、ヴァイオリンの残骸は私たちによって回収され、職員たちにも何一つ報告されずにいる。


 三日経ってまだベルナルディ嬢とユウは面と向かって話していない。私もまた、エルダの「任せておいて」の言葉に甘えている現状だ。


 そんな中、例の課題すなわち「冬の夜の夢」について、私の夢想兎はほとんど完成し、後は提出期限ぎりぎりまで細かい修正をしていく段階に至っている。

 ユウのほうは一足先に完成させたということで、約束どおりに私はその作品と対面し、感想を述べることとなった。私とユウが寝泊まりする部屋で二人きりの場だ。


「私とは方向性が真逆ね」


 ユウが彫り上げたのは、端的に言うなら踊る花だった。

 喚起されるイメージは眠りというよりも覚醒で、輝きだ。陰鬱さを込めた私の作品にはない楽しげな造りとなっている。


 今回、私は彫刻用材の中でも硬く、彫り進めていく中で何度も刃の調整が必須になるような木を敢えて選択した。それはこれまで代表的な木材の中からしか選んでこなかった私にとって挑戦だった。その素材の硬さと木目、そして深みのある暗さを出せる色合いであるからこそ下絵にしたものを理想的に立体として表現できると信じたのだ。


 翻って、ユウが選んだのは明るさがあって比較的柔らかい用材だった。並みの木彫り師であれば、細い茎や薄い花弁、しかも捻じ曲がっている姿を彫ることはできない。

 別の見方をすれば、こうした一目で花が踊っていると思わせるには素材そのものに柔軟性がなければならず、それを理解したうえでの選択に他ならない。ユウの場合、理解ではなく木に導かれてと言うべきか。


「冬の夜ってだけならね、くらーい感じでもいいかなぁって思ったんだけど、夢はそうでなくてもいいよね?」

「たしかに」


 その発想がなかったと言えば嘘になる。

 一部の地域を除いて四季の移り変わりがくっきりとしているスクルトラにおいて、冬は春の前の季節だ。凍える夜の夢の中で暖かな春の到来、そこにある芽吹きや開花を想う木彫り師はこれまでだっていただろうし、詩人や画家たちもいたに違いない。


「登っていく太陽のような輝きがありながらも、眺めているうちにまさしく夢見心地になるような木彫り。この前、ユウは私が彫る動物に生命力が宿っているふうに言ってくれたけれども、あなたが彫る動植物には、そういうはじまりと終わりが決められたものを超える、枠をはみ出す力がある」


 その力をたとえば「神聖」と一語で片付けてはもったいない。


「褒めてくれてる?」

「思ったことを口にしてみただけ」

「そっか。うん、わかった。それでいいよ、リラは。わたしが彫ったものには、素直に感じたことを言ってくれればいいの。けどね……」


 ユウがそこまで言って静かになったので、私は花から目を逸らして、それを彫った彼女自身へと向けた。


「なに?」

「わたしにはもーっと優しくしていいよ?」

「そう言われても……」


 近頃のユウが私に求めているのは、いわゆる母性なのかもしれない。


 私にとってユウは初めての友達であり、そして私たちが友達になった時に、彼女にとっても私が初めての同年代の友達だと言っていたはずだ。半年以上にわたって寝食を共にしていれば、家族めいてくるのもうなずける。


 ミカエラ。そうだ、私は自分の師匠との付き合いでそれを実感しているのだ。

 あの人は私を愛娘のように可愛がってはいないが、けれど彼女の木彫りに対する信念を私へ見せてくれ、そして私の気持ちにも応えてくれた。この神彫院にいるのが何よりの証である。


 会いたい、そしてもう一度、彼女の彫る様を目にしたい。


「……ユウはダフネに会いたいって思うことある? えっと、会って新年祭の夜の真相を突き止めたいっていうのとは別に」

「当たり前だよ。ダフネはわたしのたった一人の家族だもん。あっ、リラってば誤魔化しんだね。わたしにもっと優しくするって、そういう話だったのに」


 するとは言っていないが、とりあえず不機嫌な顔つきになった彼女の頭を撫でる。


「うー……。嬉しいけど、子ども扱いしていない?」

「していないよ。そういえば言っておかないといけないことがあったんだ」


 それは今日、私がカシラギのもとへと行くのに関係している。ここ数日、ユウに言うか否かで迷ってはいたが、言わずにいるのは薄情を通り越して非情だと考えた。


「なあに?」

「私、カシラギ先生からダフネさんの話を聞いているんだ」

「え……? どういうこと?」

「二人は同じ時期にここの候補生だった」

「それは知っているよ。でも、それだけ。ダフネはあんまり教えてくれなかった。友達だったってだけ」

「うん。その友達だった時の話を聞いているの。少しずつ」

「ふうん……ねぇ、リラはあの人と友達になったの?」


 撫でていた私の手をとって、両手で包み込んだユウが訊いてくる。


「なっていない。ええと、特殊な形の師匠と弟子って雰囲気」

「わたしが、もう二人きりで会わないでって言ってもダメなんだよね。リラはリラの信じることをするんだから。そういうところが好きなんだもん」

「ありがとう」


 そう返してから一呼吸置く。


「でも、いずれダフネさんの……あの右手の理由まで聞くことになるかもって言ったら、許してくれる?」


 そこまで話が進むかはまだわからない。

 カシラギは本人曰く彼女自身のために、私に彼女たちの過去を話すのを決心した。その終着点がどこにあるのかは彼女しか知り得ないのだ。


「ねぇ、もしもわたしが、そんなの許さない、聞かないでって言ったらそうする?」

「うん。だから今、話したんだ。その時になって迷わないように。ユウがダフネさんとした約束事なんだよね」


 失われた右手に関しては話題にしない。そこに本人がいようといまいと。それが約束。


 今日に至るまで、私はエルダからその件を聞き直すこともなかった。

 出会ったばかりならともかく、今のエルダに教えてくれるよう頼んでも、彼女はユウを想って、秘密にするのを選ぶに違いない。


「――――いいよ、リラなら」


 それはユウが私の手を愛しげに彼女の頰に当ててから数十秒ほどしてから発された。

許しの言葉だ、そうだとわかった。私は聞き返さずに肯く。


 そして時間となり、私は完成間近の夢想兎を抱えて、カシラギの部屋へと一人で向かうのだった。




 相変わらずお茶の一つも出ない。

 いや、別に構わないのだけれど、エルダのお茶会に慣れると、どことなく口寂しい気持ちがあったりなかったりする。

 かと言って、急にカシラギにもてなされてもそれはそれで違うか。


「前はどこまで話したか覚えているか」


 私の作品への助言が手短に終わると、彼女はそう訊いてきた。私への確認であって、カシラギはしかと記憶している様子だ。


「三人が友達になる前までです。ダフネさんはソレイユさんとの勝負に負けたんですよね?」


 そうでなかったらソレイユは神彫院を出て、三人は決して友情を育まなかったはずだから。


「誤解を恐れずに言えば、勝負にならなかった。ソレイユの作品が、他の候補生を寄せ付けない領域にあるのは誰の目にも明らかだったからだ」


 あのユウでさえも、最初の二回の講評会で一位ではなかった。しかし当時のソレイユは、最初に参加した課題から派閥どうこうを無視して、むしろそんなものを度外視せざる得ない木彫りを造ってみせたのだという。


「それで私たちは彼女の入学が意味するところを悟った。神彫院側は十九歳を目前にした

彼女が神樹の彫り人になれずとも、門を開くのを拒めなかったのだとな」

「……ダフネさんは負けた場合に何か賭けていたのですか」


 いくつも浮かんだ質問のうちの一つを私は口にする。


「言っていなかったか。事前にいくつかダフネから提案したが、ソレイユがすべて断っていたんだ」

「なぜですか。その頃のソレイユさんは、唾を吐き捨てるほどに貴族を憎悪していた、それならダフネさんを懲らしめるような条件を出しそうなものですが」


 私の問いにカシラギは微かに口角を上げた。そう見えた。


「ダフネ自身が負けた後で同じことを言っていたな。ソレイユは嘲笑って、しかし清々しく答えた。『私たちは純潔で清廉でないといけないのよ。ここにいる間はね』と」

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