第16話 大胆不敵あるいは軽率

 歌姫。

 ユウが一部の候補生からそう呼ばれ始めているのを私が知ったのは、神樹の森に冬が訪れて一ヶ月が経とうとする時期だった。


 私たち二人が神彫院にやって来てから数えると、ちょうど二ヶ月が過ぎた頃合いだ。三回目の課題彫刻の結果が発表され、初回に引き続きユウは二回目も二位の位置にその作品を並べられていたが、三回目にしてついに一位の座を獲得した頃でもあった。


「ユウさんの作品が一度や二度きりの奇跡の産物ではなく、努力と才能に裏付けされた実力で造られていると、上の人たちもやっと認めたのよ。二位以下と一線を画すとね」


 講評会が午前中にあり、昼食を挟んで、エルダが私とユウの部屋を訪れていた。彼女の訪問、そして三人での語らいはすっかり日常になっている。


「エルダさん、まるで最初からユウの実力を見抜いていた口ぶりだね」

「貴女がそうしないから代わりによ」


 ベッド脇に椅子を持ってきて腰掛けているエルダが、寒そうに手を擦り合わせ、そこに息をはぁと吐く。


 部屋を閉め切り、屋内用の防寒着を身につけているおかげでその吐息は白く染まりはしない。それに彼女の防寒着は、私やユウが冬の訪れに合わせて神彫院から貸し与えられているものより上質なのだ。


「本音を言うと、信じられないわ。今そうやって、貴女にくっつくことで暖をとりながら昼寝をしている子が、あんな作品を生み出すなんてね」


 私とユウはユウのベッドの上に座って一枚の毛布に二人でくるまっていた。

 ユウは寝息を立てて私に体をあずけている。私はミカエラにとっての揺り椅子になった気分だ。眠る彼女がこうも間近にいることにずいぶんと慣れてしまっている。


「しかも歌姫、か」


 まるでおとぎ話だ。

 いくつもある作業室にて一人で歌いながら彫っていたユウを、候補生の誰かが発見したのがきっかけ。

 そして瞬く間に院内で噂となり、その光景と生み出される作品をして、単なる歌い手ではなく姫とあだ名されたわけだ。


「エルダさんはまだユウが彫る姿、それに歌うのを目にしていないんだよね」

「ええ。だから、他の候補生がユウさんを歌姫と評したのはてっきり、超絶技巧の鑿使いが歌にでも聞こえるのだと思ったわ。でも、違うのよね?」

「うん。真相を知りたいなら、実際に見て、聞くのがいいよ」

「本当? そう言うわりには、お勧めはしないって顔に書いてあるわ」


 くすりと笑ったエルダがその長い髪、彼女から見て左側に、竪琴を奏でるかのように触れる。彼女の癖だ。木彫りしている間はかっちりと結ばれて彼女の視界と動きを妨げないその金色は、作業時以外は彼女に頻繁に愛でられている。


 それに対して――と私は横目で黒髪の少女をうかがう。

 この子の髪ときたら、本人よりも私に世話されている気がする。やめようと思えばいつでもやめられると言い聞かせては、この夜色を蓄えた髪の艶と触り心地を維持しようと躍起になっている私だ。


「貴女って、他の誰かにユウさんを深く知られるのが嫌なの?」

「え? どうしたのいきなり。そんなふうに思ったことないよ」

「だって、今度は急にユウさんを愛しげに見つめているんだもの。さっきの表情と合わせて考えれば、おかしくない帰結よ」


 そう言って次は右側。エルダの髪を上下する指先。愛撫を繰り返される度、音なく床に落ちていくであろうその金色を彼女が拾った試しはない。

 私は彼女が導いた帰結というのはよくわからなかったが、歌姫に関しては少し気がかりだった。


「……ユウを歌姫と呼んでいる子たちって、他に何か言っていなかった?」

「たとえば?」

「彫る自信がなくなった、みたいな」


 私がそう言うとエルダは手の動きを止めた。つい私が視線を下へと向けると、そこに金色の髪なんて落ちていなかった。


「リラさん……私ね、ここに来た頃は当然、一番を目指していたわ。神樹の彫り人に選ばれるのは自分しかいないと信じ込んでいたぐらいよ」

「今はそうじゃない?」


 おそるおそる視線を上げた先にあった顔は微笑んでいる。


「完全に諦めたわけではないわ。近い未来、選出課題がはじまる日を迎え、ようやく神樹を彫れるその日が来た時に、私の中で培われてきたすべてが咲き開く……それを信じることまではやめていないの」

「そう、なんだね」


 上手い返事が思いつかなかった。

 こんな話をしたいのではなかったはずだ。ユウを歌姫と呼んだ人たちが、私のように彼女を畏怖したかどうかを知りたかった、それだけ。


「もうっ、そんな顔していたらユウさんが起きた時に心配するわ。貴女、二回目では二列目の末席に入って、三回目……ついさっきは私と隣り合わせだったのよ?」


 励ましてくれているのがわかった。


「誇れとは言わないわ。けれど貴女の試行錯誤は成果に繋がっている、その事実を成長と呼んでもいいと思う。それを貴女自身が認めてあげなさいよ」


 たしかにエルダの言うとおりだ。

 ユウには及ばずとも、私の作品は講評会の順位を基にするなら、どんどん上出来な仕上がりとなっている。


 でも、自分の心根まで騙せない。


 まだ、自分の作品に納得ができていない。理想には程遠い。こんなこと、エルダに言ったらどう返ってくるか察しがつく。


 これもまた傲りなのだろう。

 たった数年程度の鍛錬と修行をして完璧な木彫り職人になろうだなんて、傲慢が過ぎる。頭ではそうわかっているのだ……。


 エルダの心遣いに、その場しのぎの感謝を述べようとしたその時、ユウが私の左耳を甘噛みしてきた。

 突然の感触に声にならない叫びを上げて、彼女と距離をとる。


「んがっ。…………あれ、もう朝?」


 私は噛まれた耳を庇いながらその寝ぼけた声を聞いた。彼女が耳朶に残していった唾液よりもさらに生ぬるい声色だ。


「まだ昼過ぎだよ。どんな夢を見ていたの」

「んー……? 忘れちゃった」

「とりあえず今夜からこっちのベッドに入ってくるの禁止」


 耳を齧り取られてからでは遅い。

 もちろん、鼻や眼でもいけない。ましてや利き手を噛まれるのは御免だ。


「え、なに、どういうこと。ねぇ、リラ? なんで? ねぇ、エルダ、知ってる?」


 ユウの慌てぶりにエルダがとうとう失笑する。あまり声を立てて笑わない彼女がその綺麗な歯並びを覗かせたのだった。




 私とユウにとって四回目の課題は、神樹の里で催される新年祭で用いられる木彫りだった。人々が木彫りを台座に固定し、それを担いで里中を練り歩くそうだ。


 制作する木彫りは古代スクルトラ神話に登場する九頭の聖獣――局地的に浸透しているのみで国民たちに膾炙されていると言えない伝承だ――であるそうで、完成サイズは大きめに指定されている。

 せっかく担ぎ上げて進むのだから立派で見応えのある作品を、ということらしい。


「年内最後の日にすべての作品を里へと運び、そのうち九体を里側が選ぶみたいね」


 識字が乏しいユウに代わって私が掲示板の内容を伝える。

 外部が関わるためか、過去三回に比べて指示が細かい。九体いずれもが絵はなく言葉でその姿が説明されている。ただ、神彫院内の資料室には神話にまつわる挿絵付きの本や過去の図案があるとも記されていた。


「あら、歌姫さんは聖獣を彫るおつもり?」


 不意に聞き慣れない声が後方からして、掲示板の前に立っていた私たち二人は揃って振り向く。近くにいた私たち以外の候補生もどこか見守るような気配を醸し出した。


 四人が群れて立っていたが、話しかけてきたのは一番手前にいる少女だと思われる。

 その短髪は茶色と金色の中間をしている。切れ長の目に、細い眉。その厚い唇が再び動くより先にユウが反応した。


「カルメンは彫らないの?」


 ああ、そうだ。そんな名前だった。

 

 四人の名前それぞれを覚えていなくても、どういった人たちかは知っている。

 講評会で常に上位にいる人たち。所属工房は違えど、全員が同じ講師のもとで既に四年間も神彫院で修行してきていると聞く。

 最有力候補の派閥で、カルメンはその中でのまとめ役だ。


 ユウに何度か接触してきているが、エルダのような関係には至っていない。たぶん、これからも。


「そうねぇ……ここに何年もいる私たちからすると毎年の恒例行事で、少々飽きているのよね。里の人たちはかつてと比べて木彫りへの理解を失って久しく、彫り甲斐がないのだわ。ああ、ご存知? あの里が神樹の名を冠しているのは何も近場だからというだけではなくて……」

「あっ、そうだ! 頑張って九頭分、ぜんぶ彫ってみようかな。ねぇ、どう?」


 カルメンのねっとりとした話しぶりを聞き流して、ユウが私に訊いてきた。

 

 どうって……おかれている状況を鑑みるに、悪い予感がする。果たしてカルメンの眉が吊り上がった。


「歌姫さん? 今の発言はつまりこういうこと? あなたは私たち、他の候補生全員を差し置いて里の人たちに選ばれる新年祭の聖獣、そのすべてを彫る気だと? ――わかったわ、これって一種の宣戦布告ね」 

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