第4話 コメント欄 賛否あるけど 賛少し

 ここは、少しまじめにコメント欄について全体的に俯瞰してみます。

 普段の謎の表現は、ここでは致しません。


 さて、この一連の経緯において様々なコメントがネット上に飛び出しました。

 どこのコメント欄とか、そういう指摘はいちいちしませんが、誰もが書き込めるサイトには、多くのコメント欄が寄せられました。

 それらの意見の個々の内容云々は述べていくときりもありませんし時間と労力が紹介する=書くほうはもとより、読まされる側いとっても無駄なことになりますから、こんなところで述べても仕方ありません。


 これは私の全体を俯瞰してみての感想です。

 東近江市長が、あるいは小椋正清さんがどうこうというより、どうしても、不登校という自称に関しての意見が多くなっていたように思われる。あと、学校に行くことがどうこうと。そうなってしまうのは、仕方ない。

 ここで、おまえら論点を云々と述べてみてもしかたありません。どうしても、その論議は避けて通れないからね。


 全体としては、東近江市長の発言、あくまでも小椋正清さんとしてではなく、東近江市長としての発言ということで話を進めますが、それに対する賛否ということになれば、どうしても、否のほうが多い印象。賛と取れる意見も少なからずあるにはありますが、全体からすれば少ないように思われました。それどころか、否の側の意見には、かなりきついのも入っていましたね。賛のほうはというと、まあ、相も変わらずの、昭和のそれこそ「登校拒否」の時代にでも戻ったかのような書込みもないわけではないが、そこまで当時と同じペースでもないかな、と。

 こんなあたりでも、時代がすでに変わっていることがうかがえます。

 個々の、いま目にしているコメントだけを見ればそのどちらかがきつく出たものであったとしても、多数のコメントの中でのそのコメントという観点で言えば、明らかに小椋氏の主張内容を是とするものは少ないですね。


 先に「緊急出版」した書籍上においても、私は「情勢は市長側にとって極めて悪い」という旨の言葉を何度か入れたくらいでありますが、それはコメント欄全体を俯瞰してみても、やはり、そうであったと言わざるを得ないですね。

 無論、ここで「そんなゴミのような便所の落書きにも劣る戯言の山々」なんか気にしても仕方ないであろうというお声もありましょうから、その点についても少しだけ触れておきますね。


 フリースクールの支援、ここでは既に不登校児童・生徒への支援と言い換えてももはや問題ないと思われますが、それに対して国や地方自治体が対策を打っていかないといけないという認識は、この度公人として発言された政治家と称される各位の発言、どれも共通しております。


 東近江市長が発言された内容については、望ましいものではない。

 多様な学びの場を確保しなければならないが、フリースクールというのはそのための不可欠なピースとなっているのである。


 最大公約数としてまとめれば、おおむねこんなところでしょう。

 それはコメント欄の全体を見ても、同じことが言えます。

 そりゃあ、なかには昭和の盆暗低能がと思わず言いたくなるようなコメントもありますよ。逆に、次の選挙でとっとと・・・、という調子のコメントも。ちょっと毛並みの変わったところでは、「あれはマスコミの「キリトリ」の最たるものであって云々」と、自分は全体像を見ることのできる人間ですよアピールの、その実私に言わせれば中途半端な小賢しさがちらついているだけのコメントも稀ですがありますねぇ。ま、こんな時には決まって出てくる手合いです。


 まあ、これだけあちこちで有名無名の人が意見を言い合える日本という国は、実に素晴らしい国であることだけは間違いありませんね。ここぞとばかりに、これがどこかの国ならとか、まして外国ならといった一般化したようなことは私からは言いませんけど、まさに、そうではありませんか。

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