第8話 エンゲージブレイク

 絶・真空絶対陣アブソリュート・エアリアルヴォイド


 それは悪役令嬢カーマの必殺技。

 真空をぶつける――のではない。

 敵のいる場所そのものを、真空にしてしまう結界魔法だった。


「ほーっほっほっほっほ!!! これで終わりですわ、どれだけの攻撃を避けられようと、耐えられようと!! 存在する空間そのものを真空にしてしまえば!! 呼吸すらできず――終わりですわ!!!!」


 真空の中では、水は常温で沸騰し、生物は爆ぜて死ぬと言われている。

 そうでなくとも、呼吸が出来ず生きていられない。

 そんな真空の絶対圏を、この地下に展開する気だ、あの女は!


「くっ!」


 ユーリは後方に跳躍し、距離をとる。

 だが真空の絶対圏は、地面を砕き壁をえぐり、広がっていく。


「真空――でも、それだったら彼女もすぐに窒息――」

「いや、そうじゃない!」


 ユーリの言葉に、俺は言う。


「見ろ――」

「っ!!」


 カーマの繰り出した真空の絶対圏。その周囲は破壊の嵐とともに砂塵が舞っているが、その中は舞っていない。当たり前だ、真空なのだから。

 そして、カーマの頭上――そこには舞っていた。

 ドーム状の真空、その中心から天空に向かい、柱のように。

 つまり、空気穴というわけだ。


「つまり、そこが弱点――」

「いや、違う。落ち着け」


 俺は言う。

 だって――あからさますぎるのだ。

 あれはまるで、ここには空気がある、攻撃するにはここだぞ、と言っているようなものだ。


「罠だ。飛び込んだら最後……」

「迎撃必至、かぁ……すごいねフィーグ君。よく見てる」

「観察なら得意だからな」


 どれだけ女の顔色うかがって生きてきたと思っている。いや全然自慢にならないが。

 しかしどうする。

 このままでは拡大する真空に飲み込まれて終わりだ。


 どうする――!?


「よし。我慢して飛び込む!」

「脳筋だな!」


 ユーリは無茶を言い出す。


「てや、待てよ――」


 確かに真空中でも、動物は数分間は生きていられる。

 確かに空気がない以上。呼吸は出来ない。

 だが、真空中で水は常温で沸騰し、生物は爆ぜて死ぬと言われているのは、単なる俗説にすぎない。


「少しなら、耐えられるか……いや、しかし」


 逆に言うと、少ししか耐えられないだろう。果たしてカーマの所まで真空の中を進み、戦うことが出来るのか?


 そう思った俺に、ユーリは……


「フィーグ君。――……」


 そんな事を言い出した。

 確かに、それなら可能性はある。


 だが――


「うん、これは君にも危険がある。だから、無理強いは出来ない、

 断られたら、ボクが一人で――」

「いや、やる」


 俺は答えた。


「ユーリ、お前の作戦で行こう」

「いいの?」

「ああ――どのみち、このままだと潰される。だったら――」


 死中に活を求める、という奴だ。そもそもあの時、カーマに逆らった時点で俺の運命は決まった。潰されるか潰すかの二択しかない。

 そしてこの女が、ユーリが現れなければ、俺は確実に潰されていた。


 だったら――


「やってやるよ」


 やるしかない。


「……わかった、行くよ、ついてきて!」


 そしてユーリは走る。俺もその後に続いた。

 ユーリは真っすぐ、一直線に真空の壁に突っ込む!


「くっ!」


 真空の障壁がユーリを阻む。

 だがユーリはそんな抵抗を強引に押しきり、突き進む。

 そして俺もそれに続くが――


(く……やはりきつい!)


 体が悲鳴を上げる。体中がきしむようだ。


「――はっ! 馬鹿ですのね、真空の中に飛び込むなどと!

 この距離では息は――」


 だが、カーマの笑いが止まり、驚愕の色に染まる。


「なっ――!?」


 俺とユーリは、真空の世界の中で口づけを交わしていた。

 別に、敗北を悟り、最後の口づけを交わしていたとかそういうことてはない。


 循環呼吸。


 水中に取り残された人間の命を繋ぐために行われる人工呼吸と同じだ。

 これで――時間を稼ぐことができる。


 この真空の領域を突き進み、突破できるだけの時間が!


「なんて――破廉恥な!」


 鎌鼬令嬢が叫ぶ。

 わかってるよ、こんな状況でもなければこんなことしたくない。


 カーマは抱き合う俺たちに攻撃をしようとするが、意味がない。

 彼女の真空の刃は、空気中だからこそ刃となる。真空の世界の中では、カマイタチは発生しない。


 俺たちは口づけを交わしたまま、ダンスを踊るかのように、回転しながら真空の世界を、鎌鼬令嬢に向かって一直線に走る。


「っ――!」


 そして俺達は、真空を――突破した。


「いけっ――!」

「うん――!!」


 カーマの眼前に肉薄するユーリ。

 腰を落とし、剣を下段に構えた。


「はああああああ!」


 気合一閃。

 ユーリの剣が、カーマの胴を薙ぐ。


「――――ッッッッ!!」


 カーマは慌てて、真空の障壁を張るが――ユーリの剣は、


「令嬢スキル――」


 その障壁ごと、カーマを吹き飛ばした。


「叛逆の――セレスティアルバースト!!!」


 衝撃波が走り、カーマの体が吹き飛ぶ。

 カーマはそのまま、石壁に大きなクレーターを穿ち、叩きつけられた。

 そして、カーマの着ていたドレスが切り裂かれ、破壊される。


 エンゲージブレイク……。


「クルスファート王立魔法学園校則第一条。ドレスを破壊された悪役令嬢は、婚約破棄となる」


 勝負、ありだ。


 ユーリは剣を払う。光の粒が舞う。

 天井から降り注ぐ光に照らされたその姿は、何処までも凛々しく、そして――美しいと感じた。


(これが、最初の悪役令嬢……)


 その姿に、俺は――


(素晴らしい……いける、いけるじゃないかこれは!)


 興奮を――湧き上がる笑いを、押さえきれなかった。


 勝てる。

 勝てるのだ、この女が、ユーリがいれば。

 この世界に。この国に。悪役令嬢達に、勝てるのだ。

 理不尽も絶望も何もかもを、ぶち壊せる……!


(一時は絶望しかけたが、やっと俺にも運が向いて来た。

 俺の復讐は、ここからだ――)


 俺は確信していた。この女なら――ユーリさえいれば、この世界を変えられると。

 そして俺の復讐はここから始まるのだと。



 ◇


「うわあ……」


 崩れた地下から出たユーリは、外の景色に声を上げた。

 夕日だ。赤い夕日が、世界を染め上げていた。

 周囲に人はいない。こんな状況なのに――いやこんな状況だからか?

 まあそれは有り難いが。


「……変わらないな。世界は、綺麗だ」


 ユーリは空を見上げ、そう呟いていた。

 その表情には、先ほどまでの凛とした雰囲気はどこにもない。

 年相応の少女らしい、どこかあどけない表情だった。


「俺は、そう思ったことは無いけどな」


 あの日から、俺の世界は色あせていた。復讐の色に塗りつぶされていた。


「そうなの?」

「ああ。世界は残酷で、理不尽で、悪意と絶望、そして……欲望に満ちている」


 この世界には、美しいものなどもう何もない。

 ただただ醜い……そう思っていた。

 美しいもの。それはあの日に奪われ、俺自身も醜く堕ちた。


「ふ~ん」


 ユーリは俺の言葉を興味深そうに聞いていた。そして、


「……それってさ。じゃあ後は……綺麗になるだけってことだね」


 そんな事を言ってきた。

 なるほど。そういう考えもあるか。


「……ふっ」

「あー、何がおかしいんだよ」

「いや、悪い。お前の言う通りだ。

 ああ、醜いものを壊しに行こう。汚いものを壊しに行こう。この理不尽が溢れる世界を、美しいものに作り変えてみせようじゃないか」


 俺はユーリに手を差し伸べる。そしてユーリはその手を笑いながら取る。


「いいね、そういうの好きだよ、ボク」


 ユーリがそう言った時――


 ぱあっ、彼女のドレスが光った。


「えっ」


 そして、彼女のドレスが霧散し、全裸になる。


 戦いが終わり変身解除されたのだろう。しかし元々彼女は裸だったから、変身が解けたら必然そうなるわけで――

 そして、


「きゃああああっ!」


 ユーリは、そう言って顔を真っ赤にしてうずくまった。

 ……急にどうした。


「おい、腹でも痛いのか?」

「は、恥ずかしいんだよぉ……っ」

「いや、何を恥ずかしがっているんだ、お前石から戻った時全裸で普通にしてたじゃないか」


 俺の言葉に、ユーリは顔を赤くしたまま言った。


「い、いやだって……あの時はさ、君がピンチだったし、敵っぼいのいるしで、かっこつけないと……って……」


 ……。

 もしかして必死に耐えてかっこつけてたのか。

 いや……なんというか、この悪役令嬢は思っていたより面白い奴なのかもしれない。


 しかし……。


「……」


 俺は彼女を見る。

 全裸だが、しかし俺にとって女の裸というものは、気持ち悪い肉の塊でしかない。

 下卑た表情を張り付かせて俺に迫るぶよぶよとした汚肉に、俺は笑顔の裏で吐き気をこらえる日々だった。

 そのはずだった。


 しかし、顔を真っ赤にしてうずくまり、身体を隠して震えて唸っているユーリを見ると……。


「……!」


 俺の股間に異変が起きた。

 身体の奥からこみ上げるこの感覚。


 ……これは。


 ちんちん勃っちまった。


 ……俺はいわゆる勃起不全の性的不能という奴だ。しかしちんちん魔法こと生殖器励起魔法エレクチオールによって、勃起させることが出来る。

 しかしそこに俺自身の性的な欲求、興奮は全く介在していない。それはそうだ、俺は女が嫌いであり、女体など吐き気を催す醜い肉塊としか思えない。

 だというのに。

 目の前で恥じらうこの少女を見て――俺は。


 めっちゃ興奮していた。

 比喩でなく、人生初の性的興奮による勃起だった。

 下手したら――このまま発射してしまいそうなほどに、俺の下半身はすごいことになっていた。


(俺はいったい――どうしてしまったというんだ!)


 俺はユーリに、近くにあった園芸用の布を羽織らせながら、必死に俺自身を落ち着かせていた。


 落ち着け、俺。

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