第11話 お世話になります



 ここでは何だからと、場所を談話室へ移すことになった。

 イリゼは肩にかかった上着をナギに返そうとしたが、「女の子が寝着姿でいるのはダメ」と言われ受け取ってはくれなかった。

 そんなのまったく気にしないのにと思いながら、そういえばこの寝着は誰が着せてくれたのだろうと頭の隅で考える。


「クゥ〜ン」


 一人用のソファに腰を下ろしたイリゼの膝には、当たり前のように時の神獣が鎮座している。

 イリゼはというと、自分が座る家具に対して萎縮していた。

 目覚めたばかりのときはそこまで気が回らなかったけれど、この屋敷の家具はひとつひとつが芸術品のように高貴さに溢れている。

 もしここがザルハン領主城の中なら、座った罰で鞭に打たれていたことだろう。


(場違い感がすごいわ)


 財力を知るには、装飾や調度品の程度でわかるというが、ここは相当である。


「クゥン?」


 そわそわするイリゼを気にしてか、時の神獣が振り返って首を傾げた。散々な目に遭ったけれど、こうして見ればとても愛らしい。


(小さくなったり大きくなったり、なんでもありね……)


 時間を操ることができる神獣。

 ダヴィデによれば、十中八九イリゼの声が出るようになったのも、時の神獣の力らしい。

 どのタイミングで力が発動したのかは曖昧だが、時の神獣は無意識のうちにイリゼの喉を声が奪われる前の状態に戻したのだ。


(でも、それは感謝しないと。おかげで声を出せるようになったんだから)


「クゥ〜ン」


 目の前の毛玉を撫でると、甘えた子供のような鳴き声が返ってきた。


「随分と懐いてるみてぇだなぁ。挙動や反応からして、まだ精神は幼いようだが……」


 時の神獣を観察していたダヴィデが言った。彼はテーブルを挟んだ正面の長椅子に座っている。

 イリゼから見て右側にある革の一人掛けソファには、レドが脚と腕の両方を組んで座っていた。その付近にはナギが控えて立っている。


「本当に、時の神獣は誰が主なのかをすでに見極めているみたいですね」

「……チッ」


 ナギの言葉にレドは目つきを鋭くさせた。舌打ち付きで。


「ナギ、いつまでも面白がってんじゃねぇ。それよりお嬢ちゃん、いままで時の神獣を見たことはなかったのか?」

「……はい、ありません」

「なら、オフィーリ……いや、お嬢ちゃんの母親が、神獣に関してなにか知っていたりは?」

「……それも、ないです」


 母は指輪を肌身離さず大切に持ってはいたけれど、それがどんな物なのかはわからなかった。自分の名前以外の記憶がなかったのだから、知りようがない。


「あの……私が天空領主の血筋かもしれないって、どういうことですか?」


 ダヴィデに尋ねれば、彼は少しばかり言いづらそうに首裏を掻く。


「さっきも少し話したが、神獣を使役できるのは天空領主と、それに準ずる後継者だけと決まっている。時間を司る時の神獣、空間を司る空の神獣。二体とも例外はなくな」

「空間……?」

「ああ、その話はしてなかったか。本来神獣ってのは対になる存在でな、天空領主はその二体を同時に使役できる。ここまではいいか?」

「なんとなく」


 頭に叩き込むだけで精一杯だけれど。


「ついてこれりゃ上出来だ。で、見た限りお嬢ちゃんがそのうちの片方の主になっている。だから、天空領主の血筋の可能性がある……いや、ほぼ確実にそうだとは思ってる」


 天空領主の血筋と聞いて、まずイリゼが考えたのは父親の存在である。


(お母さまは記憶がなくて、お父さまが誰なのかわからなかった。でもそれが、やっとわかるかもしれない)


「しっかし……報告によれば、お嬢ちゃんはあのベクマンってやつの娘だって聞いてたんだがなぁ。色々と話が違うじゃねぇか」


 不可解そうな様子でダヴィデはナギに目を向けた。


「ボスと俺は容態の悪いこの子を連れて先に屋敷に戻りましたし、報告といっても城に残った他の連中が使用人から聞き出した情報を出発前に軽く耳にしたぐらいです。信憑性には欠けますね」

「ああ、そうか。ザルハン領からここまで距離があるからな。色々と確かな情報を持って帰るのは……明日か、明後日ぐらいか」

「はい。ただ、ベクマンは嘘を吐き慣れている様子でしたから、そう簡単に彼の発言を信じるべきではないかと」


 その会話を聞いていたイリゼは驚いた。

 大人びているといっても、ナギは十五やそこらの少年に見える。だというのに、話し方や振る舞い、考えは大人そのものだ。

 そしてここで、イリゼははっきりと告げる。


「私は領主さまと血の繋がりはありません。もし、私が妾の子という話を聞いていたのなら、それも違います」


 このことは伏せられていた事実なので、彼らが勘違いをしてしまうのも仕方がないことだが。


「なら、どうしてお嬢ちゃんはあの城にいたんだ?」

「もともとあの人が、ひと目でお母さまを気に入って保護して……領主城に居座らせたんです。お腹に私がいると知ったのはそのあとで、そのまま……」

「保護?」

「はい、記憶がなかったお母さまは、ザルハン領の浜辺で気を失っていたところを助けられたから。お母さまが亡くなったあとは、私も使用人として……?」


 その時、イリゼは室内の異変に気がつく。

 話を聞いていたダヴィデやナギの驚いた反応以上に、レドの瞳が動揺の色を浮かべていた。


「記憶が、なかった?」

「え? はい」


 あまりにも呆気に取られたレドの様子に、イリゼはこくりと素直に頷いてしまう。


「いや待て、その前に。なんだそれ……亡くなった? はは……それは、どういう意味だ」


 まさか、知らなかったのだろうか。

 てっきりイリゼは彼らがオフィーリアの事情をある程度は把握しているものだと思っていた。

 だけど実際は、イリゼの言葉に耳を疑っている様子である。


(私はずっと寝ていて、このふたりは私を連れてすぐに領主城を出たって言っていたから……本当に、知らないんだ)


「あの女は……本当に、死んだっていうのか?」


 レドのその声が、少しだけ震えているような気がした。


「三年前に、病気で」

「……っ!」


 イリゼが答えた瞬間、レドは素早く立ち上がった。

 誰かが声をかける暇もなく、無言のまま談話室を出ていってしまう。

 その後ろ姿をイリゼは呆然としながら見送っていた。


「"オフィーリアはここにいない"……ベクマンはそう言っただけだったんだ。なにか隠している様子ではあったけど、まさか死んでいるとは思わなかったな。……あの野郎、いい度胸してる」

 

 ナギは冷ややかな目をしながらも、口元にはうっすら笑みをたたえている。その様子に、背筋がぞくりと粟立つのをイリゼは感じた。


「ああ、ちくしょう。なんか変な気がしてたんだ。自分の子の体がこんなひどい状態だってのに、あのオフィーリアが放っておくはずがねぇ」


 知ったような口ぶりに、イリゼはダヴィデを見つめる。


「ダヴィデ……さんも、お母さまと会ったことが?」

「俺だけじゃねぇ、天空領にいる守護者連中もそうだ。それと、ナギもな」


 ダヴィデはナギのほうへ顎をしゃくる。

 こんなにもオフィーリアのことを知る人物がいるなんて。余計にオフィーリアが天空領土にいたときのことを聞きたくなった。

 しかし、まずイリゼが尋ねたのは父親のことである。


「私の父は、誰なんですか?」


 いまだオフィーリアの死に動揺するふたりは、お互いなんとも言いがたい顔を見合わせた。そして、ダヴィデが口を開く。


「おそらく、前天空領主の嫡子。それか……レドだ」

(……なんで、ふたり?)


 湧き出る疑問と、もしかしたらあの男レドが父親かもしれないという可能性に頭痛がしそうだった。

 レドのオフィーリアに対する発言で、なにかあるとは予測がついたものの、複雑である。


「父親についてはこっちでもう一度詳しく調べる。……それでどうだろう、お嬢ちゃん。しばらく俺たちと一緒にここにいないか?」

「私がここに? だけど……」


 正直、よく知りもしない人たちがいる場所に身を置くのは躊躇われる。

 相手が天空人ともなれば余計に。


「そういえば、君はどこかに行こうとしていたのかな。荷物は少なかったけど、服装が旅をする格好のように見えたから」


 迷っていたイリゼに、ナギはそれとなく聞いてきた。


「領主城から逃げようとしていました。これ以上、あそこにいるのは限界だったし、それに……」


 イリゼが旅の決意をしたいちばんの理由である、女児好きオッサムダのことを話せば、二人は表情を引き攣らせた。

 ダヴィデに至っては「胸糞悪ぃやつもいたもんだ」と怒っている。


「それならなおさら君は、しばらくここに滞在したほうがいいんじゃないかな。違う土地に行くにしても体力がなければやっていけないだろうからね。少しの間、体調を整えるためにも休んだほうがいい」

「たしかに、そうですね」


 その通りだったので、イリゼは小さく首を縦に動かした。


「神獣についても戸惑うことが多いだろうし、なにより君はオフィーリアさんについて知りたそうにしているだろう? ダヴィデさんなら話せることもあるから、ここにいる間に聞いたらいいさ」


 そう言って、ナギは「ねえ、ダヴィデさん」と話を振る。


「俺が教えられる範囲でなら、天空領にいた頃のオフィーリアのことを話そう。その代わり、お嬢ちゃんに懐いてる時の神獣を調べさせてくれねぇか」


 神獣は天空領主が使役しているもの。その片方がイリゼを主と認めているのは、彼らにとって不都合なことのようだ。

 イリゼもなぜ時の神獣が自分を主としているのか気になるし、そもそも手に余る問題だ。

 そして滞在中にオフィーリアのことが聞けるのは願ってもないことで、その辺りは利害が一致する。


「調べるのは、痛いこととかはないですよね」

「ああ、もちろんだ。少し触れさせてくれりゃあいい。その間、お嬢ちゃんは時の神獣を撫でるなりして落ち着かせてくれたらありがたい」


 それを聞いてイリゼはほっとした。

 よくわからない生物でも、実験まがいな扱いをされるのは嫌だったからだ。


「あ、だけど。あの人は反対するんじゃ?」


 無言で出ていったレドのことを思い出し、イリゼは表情を曇らせた。


「ボスには俺から言っとくから心配すんな。あんな態度だけどよ、気を失ったお嬢ちゃんの状態を見てすぐに治せって言ってきたり、根は悪いやつじゃねぇんだ」

「……そうですかね」


 名前を貶されたことは許せないし、オフィーリアについても好き勝手言っていた。

 苦手なことには変わりないが、ここに滞在する以上は避けられない人物である。


(体もまだ重くて、頼れそうな人もほかにいない。そう考えると、いまはここにいるのが、いいと思うし)


 まだイリゼには知り得ていないことが多くある。

 それを屋敷にいる期間中に知れたら、自分にとっても新しい転機になるかもしれない。

 そしてなにも思い出せずに亡くなったオフィーリアにも、本当ならあるべき記憶を手向けにできる。


「あの、それじゃあ……少しだけ、ここでお世話になります」


 こうしてイリゼは、この天空人の屋敷でしばらくの間お世話になることになったのだった。


「それじゃあ改めて、俺の名前はナギ。天空領ではボスの側近としてこき使われているよ。どうぞよろしく、お嬢さん」


 ナギはさりげなく手を差し出して握手を求めてくる。


「……よろしくお願いします、ナギさん」


 イリゼはいそいそとその手を握った。

 このときはまだ、彼との出会いが、世界の運命を変える始まりであることなど、イリゼにはわかりようもなかった。



 ――ここは女神の寵愛により、祝福を授けられた天空の大地と、地上とで分かれた世界。

 地上人は空を見上げ、そこを楽園と呼ぶ。


『君の目覚めを、俺はここでずっと待ってる……イリゼ』


 地上で冷遇されていた少女が、天空領主の娘と知り、大規模ファミリアの継承者となり、恋をして、愛する人を見つけ、楽園を築いていく物語。



『ナギ、いつも守ってくれてありがとう。こんな主で、ごめんなさい。それでも――この楽園は、私が守る』


 これはその、小さなはじまりだった。




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こちらは【世界を変える運命の恋】中編コンテストの応募作品です。

この段階では地上編前半、出会いと環境下が変わって終了したあたりになります。

前半後半でだいたいひとつの大きなエピソードが終わるくらいなので、ひとまず応募はここで区切らせていただきました。(だいぶ序盤ですみません…)


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