第7話 乱入者


 逃亡計画といっても特別壮大なものではない。

 狙うは夜、周りの意識が散乱する時間帯。警備がひとつの空間に集中する舞踏会の最中がいいだろう。


 兵士の巡回時間はイリゼの頭に入っていた。

 お腹を満たすためとはいえ、下町の酒場に通っていてよかった。下手を踏まなければ城の外へは簡単に出られるはずだ。


(あとは日持ちする食糧と、暖の取れる外套……毛布でもあればいい。もともと他にかさばる私物もない)


 問題なのは指輪だ。

 城を出ていくまでにエティナから取り戻す必要がある。

 不幸中の幸い、日に何度も下される命令でエティナと接触する機会はあった。

 彼女の手元に指輪があるかは五分五分だが、まったく関わらないよりは好機を窺いやすい。

 と、考えてはいたものの――。



 舞踏会当日の夜。

 逃亡の日を迎えてもイリゼは指輪を取り戻すことができないでいた。

 そもそもの話、算段が甘すぎた。エティナのことはそれなりに理解していたはずなのに。


 彼女は新しく手に入った宝石や衣類を見せびらかすため、飽きるまで手元に置いておく癖がある。


 それは指輪も例外ではなかった。

 エティナは嫌がらせよろしく今夜の舞踏会にも指輪を持ち出していた。わざわざ細工を施し、首飾りとして身につけていたのだ。

 オフィーリアの墓石には花を添え旅立ちの挨拶は済ませてある。あとは指輪さえ手にすれば準備万端だというのに。


(舞踏会場は温室近くの第三棟。指輪を取り返したら、庭園にある抜け穴をくぐって逃げればいけるはず)


 事前の調べによると、エティナは会場内にある一階テラス付近を招待している子女たちとの談笑スペースとして用意する予定だった。

 変更がない限り、会場の外を回ってテラスに入り込めば、あまり人と接触せずにエティナに近づける。

 正攻法ではないけれど、もうなりふり構ってはいられない。

 

(やるしかないわ)


 支度を整え終えていたイリゼは、両手をぐっと握りしめて舞踏会場へ向かった。

 体が妙に重く感じて、息を吸うと喉に痛みが残った。



 会場近くにやって来れば、弦楽器の艶やかな音色が聞こえてきた。

 壁に身を寄せて気配を消しながら、イリゼは一歩、また一歩と暖色の明かりが灯るテラスに近づいていく。

 テラス屋根の柱に身を隠したところで、ちょうどエティナの声がした。


「ああ、この指輪? サイズが合わないから首飾りにしてるの」

「とても素敵です〜! 見たこともない宝石ですが、さすがはエティナ様です。珍しくて綺麗な品をお持ちなのですね」

「エティナ様に似合わないものなんてありませんものね」

「わたくしも母の指輪をこうして首にかけていますの。お守りとして身につける方も多いようですわね」

「お守り? これが? 違うわよ、そろそろ飽きていたところだから、捨てようと思っていたんだけど」


 おべっかばかりで地獄のような空間だと思っていれば、聞き捨てならない台詞にイリゼの体が強ばった。


(この……)


 体を半分ひねってうまいことテラスの様子を窺う──気づけばイリゼは大きく身を乗り出していた。

 

「きゃああ!」

「エティナ様、後ろ……!」


 高い悲鳴が複数あがる。

 子女たちの混乱もお構いなしにイリゼはこちらに背を向けるエティナの腕を掴んだ。


「あんた!」


 エティナは目を見張り、イリゼの姿を映すと忌々しく唇を噛む。

 イリゼが会場に乗り込んでくるとは、万が一にも思っていなかったようである。


「……っ」


 声が出せないというのは、本当に不便だ。

 代わりに片手を前に突き出して「返せ」というポーズをとる。いつになく険しい顔をしたイリゼを前に、エティナは少しだけ余裕を見せ始めた。


「誰か! 早く来てちょうだい!」


 多くの人が集うメインホールに顔を向けたエティナは、声を張り上げて助けを呼んだ。

 そして、もう一度イリゼに視線を戻すと、指をさして言い放った。


「この子がまたわたくしの指輪を盗ろうとしたのよ! なんて図々しいの! 呼んでもいないのに会場にまで来るなんてっ」


 イリゼの声が出ないのをいいことに、エティナはさらに続ける。


「これはわたくしのだと何度言ったらわかるのよ。本当に、私生児はやることも下賎なのね」


 エティナは指輪を手のひらに載せて見せびらかす。

 あからさまな態度にイリゼの心には苛立ちが積もっていく。


(たった今、捨てると言ったくせに。どうせ返す気なんてないくせに――この、性悪め)


 もう時間がない。

 そろそろ騒ぎを聞きつけたベクマン侯爵や給仕がイリゼを取り抑えようとテラスに到着してしまうだろう。


(ここはもう、はっ倒そう)


 一気に頭の中が鮮明になる。

 エティナをはっ倒し、指輪を奪い、逃亡。

 イリゼの計画に変更はない。今なら飛び蹴りだってやれるかもしれない。

 それなりに血が昇っているので、多少の無茶なら問題なく実行するつもりだ。

 ──と、イリゼがとうに決めた覚悟を持ってエティナに向かおうとしていたときである。


 舞踏会場に、新たな悲鳴がこだましたのは。

 こうして、イリゼは乱入者と対峙することになったのだった。



 ***



 混乱の波が会場中に行き渡る中、二人の間にそんな音は入っていないのか沈黙が降り続けている。

 七色眼の男はイリゼの伸びきった前髪を捲りあげ、晒した素顔を食い入るように凝視していた。


(……お母さまのことを、知っている人?)


『……オフィーリア』


 消え入りそうな声音でそう言った男の瞳は、多くの感情が入り乱れていた。

 一見顔色に変化はないが、目の前にいるイリゼにはわかる。男は動揺しているのだと。


「一体何事だ!」


 近づいてきた足音にはっとする。いよいよベクマン侯爵のお出ました。

 加えて後ろには兵士を引き連れている。エティナから指輪を取り返し、さっさと城を出ていくというイリゼの予定が崩れていくのがわかった。


(ここであきらめたら全部が台無しだわ)


 イリゼは内心でそう鼓舞すると、前髪に触れる男の手を払い除ける。

 そして、ぽかんと口を開け呆然と立ち尽くしたエティナに近づいた。


(これはあなたが持っていいものじゃない)


 垂れ下がった腕に力なく握られる指輪を、イリゼはチェーンごと引っ張り奪う。


「ちょっと、返しなさいよ! こんなことしてただで済むと思ってるの!?」


 この場に乱入者が加わったことで状況を飲み込めていないエティナから指輪を取るのは容易いものだった。


(ただで済むとは思っていないから、さっさと逃げ……)


 母の指輪と、目の前の男が知っているかもしれない生前の母の情報。

 どちらにとってもイリゼには重要なことだった。

 天秤にはかけたくなかったものの、今逃げなければ捕まってしまう。


 イリゼはようやく手に入った指輪を持ち替える暇もなく、チェーンの部分。握りしめたまま今度こそテラスから立ち去ろうとするが、


「待て」

「っ!」


 すぐ後ろから低い声がして――イリゼはひょいと、いとも簡単に首根っこを掴まれた。


(は・な・し・て〜〜!)


 足場が不安定になり、言葉に出すことはできないけれど「下ろせ」という意思表示を全身を使って伝える。

 けれど離されることはなく、イリゼは捕らわれた猫のように床の上をぶらぶらと揺れていた。

 いっそ勢いのまま蹴りでも入れてやろうかと企むが、実行してみても掠って届くことはなかった。


「……」


 七色眼の男はなにも話さないが、イリゼに用があることだけはよくわかった。

 そうしている間にもテラスに駆けつけたベクマン侯爵が足音を響かせてやってくる。


「デアテゾーラの天空領主とお見受けする。我が城にどのような要件が」

「このガキ」

「は?」

「こいつは、お前の子か?」


 問いかけには一切応答せず、七色眼の男はイリゼの顔がベクマン侯爵に見えるように前髪をあげるとまた尋ねた。

 

「お前の子かって聞いてるんだ」

(ああああっ)

 

 内心、イリゼはとてつもなく荒ぶっていた。

 あろうことか七色眼の男は、イリゼの素顔をベクマン侯爵に晒したのである。


「そ、その子は……!?」


 ベクマン侯爵は案の定な反応をしてみせた。

 驚愕した様子で口ごもり、イリゼの顔に釘付けになっている。


(この不審者! なんてことをするの!)


 七色眼の男を横目で鋭く睨みつけたイリゼだったが、相手にはまったく効いていないようだ。

 イリゼの顔立ちは、母であるオフィーリアにとてもよく似ていた。

 最近では綺麗な鏡を見る機会はなかったけれど、オフィーリアが生きていた頃は彼女の私物の手鏡で自分の顔を確認していた。


 ベクマン侯爵は、オフィーリアに並々ならぬ執着を持っていた。

 だからこそ万が一にも似た顔のイリゼに彼の関心が向かないように、レディナ夫人とエティナは前髪を伸ばすことを強要していたのだ。


 ベクマン侯爵は、イリゼの顔を一度たりとも見たことがない。

 そんな男がもしも固執していた女性の面影を持ったイリゼを真正面から見てしまえば、


「ああ、私の子だ」


 このような事態になってしまうことは、目に見えていた。

 今までイリゼをいないものとしていたベクマン侯爵の目が、よからぬ思惑を剥き出しにしたようにギラつく。


「こいつを産んだ者の名前は?」


 間髪入れずに七色眼の男は問う。

 普段のベクマン侯爵ならば、このような問答「なぜ教えなければいけない」と跳ね除けていたに違いない。

 しかし、彼がそんな態度に出られなかったのは。


「名を言え」

「な、名前、は」


 ベクマン侯爵がイリゼを自分の子だと明言させてから、七色眼の男が纏う空気が重くなったのが原因だった。

 有無を言わさず、従わせる威圧感。

 この土地の領主という立場にあるベクマン侯爵が思わず後ずさってしまうほど、絶対的な空気を放っている。


「オ、オフィーリア……」


 極限にまで喉を干上がらせ、無理やり絞り出したような声だった。

 それでもベクマン侯爵がしっかりとオフィーリアの名を口にすれば、七色眼の男は愉快そうに笑った。


「……はっ、そうか。ふ、ははは」

 

 次の瞬間、イリゼの体はぐらりと揺れる。

 投げ飛ばされるような感覚に身を固くすれば、すぐに別の誰かに優しく抱き抱えられていた。


「ナギ」

「はい、ボス」


 イリゼの頭上から耳触りの良い声がする。そちらに顔を向けると、青みのある薄紫の視線とかち合う。


(……だれ)


 イリゼを抱えるのは、若い青年だった。

 彼がこちらを見下ろせば銀の髪が柔らかく揺れ、薄く形の良い唇がにっこりと弧を描く。


(この人)


 恐ろしく美しい青年だ。

 会場に現れてから周囲の視線をすべて惹き付けた七色眼の男にも引けを取らないほどに。


 そして、なによりもイリゼが見入ってしまったのは。

 見知らぬ青年が、どういうわけかこの一瞬だけ母オフィーリアと重なって見えてしまったからだった。

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