雪物語
壱ノ巻 遊ぶときも全力で
――ザク、ザク、ザク
三人分の足跡が、山道に降り積もった新雪の上に真っ直ぐ続いている。桃太郎は冷たい両手に白い息を吹きかけて、どこまで続くかわからない一本道の先を見た。
「やべ。迷ったか?」
「いや、
すぐ隣を歩いている猿衛門が、
「この付近には誰もいなさそうです」
「だろうな」
桃太郎は返事をしながら、通ってきた道を振り返った。後ろにも延々と三人の足跡だけが続いている。おそらくここらに人はいない。分かりきっている事だ。
「進むしかないか」
「そうで御座るな」
「お腹すいたー」
「お前はそればっかりだな」
先程この山の麓で調達した握り飯を食べたばかりだというのに、シロの腹の虫は大音量で鳴り響いている。最近分かったというか以前から薄々は分かっていたことだが、シロはかなりの大食いだ。胃袋の底が抜けているのではないかと思うほどに、彼女は食べる。
「だっておにぎり五個しか食べられなかったんですよ」
「文無しの癖に五個も食っといて文句言うか」
「だって食べれるときにたくさん食べとかないと、次いつ食べられるかわかんないんですもん」
「食える時に食ってんだから食えない時に騒ぐな」
「食べられない時だってお腹すくんだもん!」
「最悪だな」
「まぁまぁふたりとも。落ち着くで御座るよ」
そのまま
「桃太郎殿。この先なのだが……」
「おぉ。何が書いてあるんだ?」
桃太郎は猿衛門の開いた
――バシッ
「やった! 命中っ!」
「…………」
桃太郎は無言で頬に手を当て、雪を払った。痛みはそれほどでもないが冷たい。ただでさえ寒さで皮膚が割れそうだった耳の辺りは特に、感覚を失うほどに凍り付いている。
雪玉が飛んできた方を見ると、シロが得意げに笑っていた。
「……お前……」
「スキだらけですっ!」
「ふざけんな!」
「桃太郎殿……」
「止めるな」
首を振る猿衛門の忠告を聞かず、桃太郎は雪を両手で掬った。ザクリと音がして指が沈み、雪の塊が両手に載る。それをギュッと固めると、拳大の雪玉が出来上がった。流石に暴力はいけないのではと、猿衛門が再度声をかける。
「相手はか弱い女子で御座るよ」
「あいつはか弱くなんか……うっ!!」
話の途中で視界が真っ白になり、桃太郎はよろめいた。顔面への
「ほどほどにするで御座るよ」
「嫌だね。徹底的に叩きのめしてやる」
「キャー! ……痛ぁっ! 桃太郎さんの鬼!」
「お前が仕掛けてきたんだろうが!」
――バシッ ドゴッ パァン
激しく飛び交う雪玉。一応桃太郎に手加減している様子はあるが、両者一歩も引かない激戦だ。暫く眺めていた猿衛門だったが、桃太郎の投げた雪玉のひとつが自分に向かって来るのを見ると慌てて飛んで、近くの木の枝に手をかけてくるんと回る。
バシンと激しい音を立てて雪玉が崩れていった。木の幹に残された白い跡を見て、桃太郎は残念そうに肩を竦めた。
「何だよ。顔面狙ったのに」
「……仕方ないで御座るな」
これは仲間に入れという合図だろうと猿衛門は解釈した。慣れた様子で木から降りるとあっという間に特大の雪玉を作り、桃太郎を見てにやりと笑う。
「シロ殿。助太刀するで御座るよ」
「やったぁ! 仲間っ!」
「うわっ、お前裏切ったな!」
「覚悟っ!」
……それから数十分の後。すっかり荒れた雪の上で、三人は仰向けに寝転がって苦しそうに息を吐いていた。
「はぁ……っ、お前……なかなかやるな」
「と……年甲斐もなく……はしゃいで、しまったで御座る……」
「も、もぉだめ……動いたら……もっとおなかすいた……」
「お前はこんな時まで……あ」
肩で大きく息をしながらシロのいる方に目を向けようと首を動かした桃太郎の視界に、小さく人の影が映った。勢いよく飛び起きた彼を見て、シロと猿衛門も怠そうに起きあがる。
「どうしたで御座るか」
「寒さで頭やられました?」
「うるせぇ、見ろ。人が……」
「大丈夫ですか!?」
ザクザクと足音が大きくなり、ひとりの老人が慌てた様子で近づいてきた。まさか良い大人が雪合戦ではしゃいでいたとは言い辛く、桃太郎は咳払いで誤魔化した。
「……何でもない。歩き疲れたので、少し休んでいただけだ」
「それなら良かったです。この辺りは時折、冬眠から目覚めてしまったクマが出る事がありますから」
老人はほっとした様子で頷いた。三人が倒れていたのと周りの雪の荒れ具合から、クマにやられたのかと思ったようだ。その後少しの立ち話を経て、三人はともに老人の家に向かう。
「こんなところに家が……」
老人の家は、山の中腹に一軒だけでぽつりとあった。彼は引退した元猟師で、今は家の周りにいくつか罠を仕掛けて自分達が食べる分だけの動物を捕って生活しているとの事。
老人が玄関を開けると、品の良さそうな老婦人が出迎えてくれた。囲炉裏の火が弾け、あたたかい鍋の匂いがシロの腹を盛大に鳴らす。
「まあ。お腹が空いてるのね。粗末なもので悪いけど、よろしかったらおあがりなさい」
「やった! いっただっきまーす!」
「全部食うなよ」
「……ワカッテマスヨ」
「わかってねぇな」
食い意地のはったシロと牽制する桃太郎。熱々の鍋を前にしてもいつも通りの二人を横目に見て、猿衛門は老婦人と話し始めた。
「かたじけない。代わりに何か手伝えることはないだろうか」
「いいえ、大丈夫よ。あなたもお座りなさいな」
老婦人はにこやかに首を振った。しかしただでご馳走になるわけにはいかないと、猿衛門は交渉する。大きな椀に三杯もお代わりをしたシロの腹が満たされる頃には、猿衛門は周囲に張り巡らされた罠を見て回る代わりに、ここに一泊お世話になる事を決めていた。
「では、拙者は早速罠を見てくるで御座るよ」
「俺も行く」
「あ! 私も……」
「お前は留守番」
「えー」
ひとり残されるのは嫌だと主張するシロ。話し合いの末、罠は老人と猿衛門が見て回り、桃太郎とシロは老婦人と夕飯の仕込みを行うことになった。
「気をつけてな」
「行ってらっしゃーい」
「では行ってくるよ。婆さんをよろしく頼む」
「すぐ戻るで御座る」
ひらりと手を振り、猿衛門は老人と罠を見て回った。雪の中に隠されている数か所の罠は、場所を知らなければうっかり自分が罠にかかってしまいそうなほどに自然だ。
「随分と巧妙で御座るな」
「最近は動物たちも賢くなってきたからね。上手く隠さないと、すぐに見破られてしまうんだよ」
老人はそう言って、前方を指した。大きな木と木の間で、罠にかかった猪が暴れている。老人は鉄砲を構え、慣れた動作で一発撃った。
――ダーン
煙と火薬の匂いが辺りを包み、猪が倒れた。一切の無駄のない手際に、猿衛門は感心した様子でそれを見る。
「見事だ」
「年の功というやつだよ。年数だけは一人前でね」
老人は笑い皺を深めて言った。その後もいくつか残った罠を確認し、最後のひとつを残すのみとなった時。老人と猿衛門は、深い雪の下に隠してあった最後の罠に片足を取られ、バタバタと羽を動かして藻掻いている一羽の鶴を見た。
「鶴か。珍しいな」
老人が驚いた表情で鶴の方へ向かうのを見ながら、猿衛門は
(『鶴の恩返し』……やはり、鶴がいたで御座るな)
事前に
自分の時と同じように、おそらく概ねその通りに進むのであろう。そう思って見守る姿勢でいた猿衛門は、老人の次の言葉に固まった。
「汁物にでもするか」
「…………ちょ、ちょっと! 待つで御座るよ!」
のんびり見守っている場合ではなかった。これから美しい娘に変身するはずの鶴を助けるために、猿衛門は急いで、老人の元へと走っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます