花物語

壱ノ巻 ここ掘れワンワン

 その老人の家に向かう道は、酷く殺風景だった。


 綺麗に整備された並木道のようだが、両脇に植えられている木は全てが枯れている。季節は春。気温は決して寒くはなく、日差しは穏やかで風もあたたかい。しかし、いくら見渡しても花どころか緑もない道は、歩いていて何とも寂しい気持ちになるものだ。


「この先に、おじいさんのおうちがあるんですか?」


 シロは、山菜や野菜が山ほど入った籠を背負い直し、前かがみになって歩いた。彼女が初対面のこの老人と連れ立って歩いているのには、二つの理由がある。


 ひとつは、この籠があまりに重そうだったので自宅まで運んであげようという心遣い。そしてもうひとつは、籠から漂う山の幸の香りで彼女の腹の虫が起きてきて、大音量で騒ぎ出したためだ。そして彼女の有り得ないほど大きな腹の音を聞いた老人は、この籠の中身を鍋にして御馳走すると約束したのだ。


 ちなみに案内本ガイドの事は、彼女の頭からすっぽり抜けている。帯の間に挟んでそれっきりだ。


「もうすぐ着くよ。そうしたら、美味しい鍋を作ってたくさんごちそうするからね」

「やったぁ!」


 シロは籠を背負ったままぴょんと跳ね、老人を追い越して一本道を駆け出した。やがて遠くの方に、茅葺の屋根がいくつか見えてきた。小さな集落のようだ。


「見えてきましたよ! もうすぐですおじいさん!」

「若い子は元気だねぇ」


 老人は、深く刻まれた目元の皺を更に深め、弾んだ足取りに揺れる白い尻尾を追いかけて悠々と歩いた。そうしてほどなく、ふたりは一軒の家の前で立ち止まる。


 広い庭には畑の跡らしきものがあるが、枯れた葉や蔓のようなものが時折落ちているくらいでひとつも芽が出ていなかった。そして庭の隅には枯れ木が一本。何となく寂しそうな表情のシロを見て、老人が苦く笑う。


「昔は豊かな土地だったんだけどね、いつからか芽が出なくなったんだよ。雨が降っても、畑を耕しても、違う種類のものを植えてみても駄目でね。今では私も歳を取ったし、すっかり諦めてしまったのさ」


「そうなんですね……」


 だから老人は、わざわざ川を渡った向こうの山まで山菜を取りに行っているのだろう。シロは老人の苦労を思い、眉を下げて枯れ木を見上げた。あの木が元気なら、どんな葉が茂り、どんな花や実が付くのだろうか。


(おいしそうな実がなるんだろうな)


 ぎゅるるる、とまた腹の虫が鳴った。それを聞いて、老人が笑って入り口の戸を開ける。


「さあ、入りなさい。すぐに作ってあげるよ」

「ありがとうございます! お邪魔します!」


 シロは家に入って、籠を下ろした。広い家はすっきりと片付いていて、あたたかく居心地がいい。靴を脱いで中に入ろうとすると、帯に挟んだ案内本ガイドに指が触れた。


(あ……やばっ!)


 しまった、すっかり返すのを忘れていた。老人と会う前に桃太郎と話した事を次々思い出し、シロは青ざめた。鬼ノ島に向かい、奪われた宝を取り戻すと言っていた桃太郎。案内本ガイドは、そんな彼の唯一の頼りだ。


(怒られるかなぁ)


 勝手に消えて、彼は怒っているだろうか。今すぐ返しに行きたいところだが、台所からは既に山の幸の強い香りが漂ってくる。これを食べずに帰る選択肢は、彼女の中には少しも無い。


(お腹いっぱいになったら、戻って謝ろっと)


 シロは今日の予定をそう決めてひとり頷き、老人の元へ向かった。老人は、奥から大きな鍋を出してきて、籠の中の野菜や山菜をひとつひとつ取り出しているところだった。


「そう言えば、シロさんはどうして旅をしているんだい?」

「旅というか、私家もお金も無いので……その日食べる分だけお仕事して、眠れそうなところで寝てるんです」


 シロは正直に答えた。彼女に家族はいない。実際は仕事もろくにせず食い逃げばかりしているので、そこは少し嘘をついたが。


「そうだったのか。可哀そうに……」

 

 若い娘が家も金もなく苦労しているという話に、老人は同情した。そして、シロの亜麻色の瞳に視線を合わせ、穏やかに微笑む。


「もしよければ、ここで一緒に暮らさないかい? ごらんの通り不作で、食べものは川向こうまで行かないと手に入らないが、雨風は凌げるし家は快適だよ」


「え……そんなの悪いですよ!」


 シロはブンブンと首を振った。普段は食い逃げするほど厚かましいのに、この老人には何故か苦労をかけさせてはいけないような気がするのだ。荒れ放題の畑を見てしまったからかもしれない。


「あ。じゃあ、これからは私が籠を持ちます! そして、一緒に山菜採りに行きましょうよ!」

「それは助かるよ。ありがとう」


 老人は笑い皺をくしゃりと縮めて微笑んだ。その後はふたり並んで鍋の準備を進め、老人は娘が出来たみたいだと終始嬉しそうにしていた。その様子を見て、シロも微笑む。ふたりは本当の親子のように、仲良く鍋を作って食べた。


「ごちそうさまでしたっ!」


 シロは空になった大鍋の前で両手を合わせた。小柄な身体には似合わないその豪快な食べっぷりに、老人は感嘆の息を漏らす。


「良い食べっぷりだね。亡くなった婆さんを思い出すよ」


 老人は、懐かしそうに目を細めて亡き妻との思い出を語った。良く笑い、良く食べ、良く動く豪快な女性の話を、シロは身を乗り出して聞き入った。


 老人には子どもはいないが、もし娘がいたならシロに似ていたに違いないと、老人は目元の皺で瞳が埋まるくらい楽しそうに笑う。


 時は過ぎ、茜色に近づいてきた日差しに気づいてようやく、老人は腰を浮かせた。


「あぁ、話が長くてすまないね。婆さんの話をしたのは久しぶりだから、つい楽しくて」

「とっても楽しいです! また聞かせてくださいね」

「もちろんだとも。庭に埋めた宝物の話とかね」

「宝物!? 何ですか、それ!?」


 興味深い単語に、シロの耳がピンと立った。老人はもう遅いから今度話すと笑ったが、シロが今聞きたいとせがんだので、仕方なさそうに縁側に出た。シロも老人の横で畑を再び眺める。老人には悪いが、死体が埋まっていると言われた方がしっくりくる畑だ。

 

「ここに宝物が?」

 

「婆さんが死ぬ前に、庭に隠し財産を埋めた事があると言っていたんだ。どうやらずっと昔に跡継ぎのいない婆さんの実家が高値で売れて、たくさんのお金が入ったことがあったらしくてね。しかし婆さんは誰にも言わず、その金をこの畑に埋めたらしいんだよ」

 

 老人は、寂しそうに微笑んだ。病気で亡くなった彼の妻は、死に際にそのことを老人に話したらしい。しかし、肝心の場所を教える前にこと切れてしまい、広い庭のどこに宝が埋まっているのかわからずじまい。老人も歳のためか、手あたり次第に掘り返すだけの体力も気力も無かった。


「今でもどこかにそれが埋まっている。お金が欲しいわけではないんだよ。でも、婆さんが見つけるのを待っている気がしてね」


 シロは、亡き妻に思いを馳せる老人の横顔をしばらく見ていた。そして大きな白い犬に変身し、縁側から庭に降りていく。犬は鼻が利くのだ。宝の匂いが、もしかしたらわかるかもしれない。


(土の匂い……元気ない。悲しい匂い……でもこっちは、金。小判? みたいな匂い?)


 シロは広い庭をしばらく探し回り、枯れ木の下が不自然に盛り上がっているのを見つけた。鼻先を近づけると微かな金属の匂いがする。ここかもしれない。そう思って振り向くと、老人はちょうど畑に出る準備をしているところだった。


「おじいさん! ここ! ここ掘ってみて!」


 シロは人の姿に戻り、大声で老人を呼んだ。夕焼けで赤く染まった畑で、老人は自ら土を掘る。


 シロはこれには手を貸さなかった。まだ、夫婦の思い出の中に入っていくほどの関係ではない。宝を掘るのは老人の役目だ。彼もそう思っているようで、シロに助けを求めることなく、額の汗を拭いながら黙って鋤を地面に深く刺していった。


「あった……」

「うわぁ、すごい!」


 やがて見つけたのは、壺いっぱいに入った小判と妻が老人に遺した一通の文。しかし老人は小判には目もくれず、文だけを大切そうに抱えた。シロは飛び跳ねて喜び、重い壺を抱えて縁側から家に入っていく。


 その時、少し離れた畑の隅からその様子をじっと見ている者がいたのだが、老人もシロも、その視線には気がついていなかった。

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