第3話 理斗の新しい家

 


 軽トラックは、渋滞にはまる事も無く、東京の郊外までやって来た。周囲に大きな建物はなく、付近は静まり返っている。夕太郎が「此処だよ」と築四十年は経っていそうな木造二階建てのアパートを指さした。外壁が黒かと思ったけれど、近くに来てヘッドライトに照らされたら、薄汚れた白だと分かった。雨樋は割れて、途中から存在していない。アパートの前の砂利の敷き詰められた駐車場に、夕太郎の軽トラックがとめられた。


「くそ、下のじじぃ、また妙なもの植えやがって」

 夕太郎は軽トラックから降りて、車の後部を見てブツブツと文句を言った。アパートの駐車場側の窓の下には、発泡スチロールを植木鉢にした植物が並んでいた。

「まぁ、ちょっと古いけど、此処が俺達のお城だよ。降りて王子様」

 夕太郎が、エスコートするように助手席のドアを開き、僕の膝の上に置かれたコンビニ袋を取った。


 僕は、本当にこの男について行って良いのだろうか。迷いと恐れを抱きながら車から降りた。

 腐食が進んだ鉄骨階段を、夕太郎はガンガンと音を立てて上る。僕は、その後ろから静かに階段を上がった。昔ながらの、円筒型のドアノブに、夕太郎が鍵を差し込んで開けた。

「ただいまぁ」

 部屋は、思っていたよりは綺麗だった。畳は擦り切れているが、床面が物やゴミで埋まってない。玄関直ぐに板張りの台所があり、奥には左右に畳の部屋が二つ広がっていた。

「上がって」

 夕太郎に促され、僕はスニーカーを脱いで、お邪魔しますと言うと、ただいまでしょ、と訂正された。何だか変な気分だ。


「こっちの左の部屋が、歴代の養い主たちのお泊まりしてた部屋だから、今日から理斗の部屋ね。置かれているものは勝手に使って」

 そう言って夕太郎が部屋の電気を付けた。

「うわわ、理斗、やばいね」

「え? わっ」

 僕の白いTシャツは、真っ赤に染まっていた。夕太郎が茶化すように、僕の前をウロウロして血にそまった服を眺めた。

「あっちの押し入れに、服も結構残ってるから、選んで来なよ。お風呂沸かしておくね」

 夕太郎が部屋を出て、台所へと繋がるドアを閉めた。



 僕は部屋の中を、緩慢な動きで見回した。魂が口から出ていきそうだ。

 なんで、僕は、今こんな所に居るんだろう。心を遠くに置いて部屋を眺めた。

 六畳の部屋の正面と左手側には、薄い曇りガラスの窓があった。右手側は襖で、恐らく夕太郎の部屋と仕切られている。襖は年期が入っているけれど、窓に掛かっているレースのカーテンは、真っ白で綺麗だ。部屋の端にはマンホールくらいの円形のテーブルが置いてある。その隣にはカラーボックスが三つ並んでいる。中には、使いかけの化粧品や、ビジネス書などが詰められている。


「……失礼します」

 小声で断りをいれて、ドアの隣の押し入れを開けた。上の段には布団と突っ張り棒に掛けられた、コートや洋服が所狭しと収納されている。半分が女性物で残りが比較的新しい男性物だ。下の段には、半透明の収納ケースが収まっていた。その一番上の段を開けて、衝撃を受けた。

「うわ」

中は、毒々しいまでも派手な色のランジェリーが詰まっていた。罪悪感に苛まれ、すぐに閉めた。気を取り直して開けた下の段には、箱に入ったトランクスやタグの付いた靴下が入っていた。これは使わせて貰えそうだ。

 部屋を家捜ししていると、夕太郎の「お風呂沸いたよ」という声が聞こえてきた。慌ててトランクスの箱と、綺麗に畳まれたTシャツと短パンを手にした。


 洗面所兼、脱衣所に押し込まれ、黄ばんだクリーム色の洗面台の前で服を脱いだ。

「これ……どうしよう」

 血の付いたTシャツを掴んだまま悩み、前を内側にして畳み、洗面台の横に置いてあった青いバケツに入れた。あとで洗濯しよう。

 風呂は、青いタイルの床と壁に、銀色の湯船だった。小さな窓には、外の廊下から中が見えないようにシャワーカーテンが付いている。僕が使ったことが無い、高級そうなシャンプーやトリートメントに化粧落としや、メンズ洗顔も置いてり、どれも半分くらい無くなっていて、妙な罪悪感を感じながら、必要な物を使って入念に洗った。


「……僕、何してるんだろう」

 湯船につかって一息つくと、冷静になった。改めて、今の異常な状況に呆然とする。

「僕が、殺したのかな?」

 手を見下ろすと、爪には、まだ血が入り混んだ形跡がある。

「これから、どうしよう」

 このまま逃げる事には抵抗があった。罪悪感で胸が苦しい。でも、僕が捕まったら、兄の将来は台無しになるし、大事な事を忘れている気がする。まだ捕まりたくない。

「……帰りたいなぁ」

 ポロポロと涙が流れ、歯を噛みしめて嗚咽を我慢した。


 きっと、バイトから帰って来ない僕を、兄さんが心配している。

 あっちこっち連絡して、探し回るはずだ。そうだ、僕のスマホは、何処へ行ってしまったのだろう。見当たらなかっただけで、あの現場の近くにあったらどうしよう。

 

 あの遺体は、いつ見つかってしまうだろうか。あの男性の家族も心配しているかもしれない。僕たちは、母さんが病気でなくなって、たった一人の親を亡くしたけど……もし、あの男性に子供が居たら? 


喉が絞められたように苦しくなり、溺れているような気分になった。


自首して罪を償えば、この苦しさから逃げられるのかな? でも、出来ない。もういっそ、大事な事を思い出したら、僕も……。



「理斗、お風呂あがり赤ちゃんじゃない? 凄い幼く見えるね。で、ご飯食べる?」

 僕がお風呂から出て、台所に顔をだすと、ダイニングチェアに座っている夕太郎がニコニコ笑って声をかけてきた。手元には、缶ビールが握られている。


「大丈夫です」

 全然食欲は無かったから、首を振って断ると、やっぱりね、と夕太郎が頷いた。

「じゃあ、今日は、もう寝ちゃいなよ。お布団敷いておいたよ。添い寝は必要? 腕枕して頭ヨシヨシしてあげよっか?」

 夕太郎が左腕に力瘤をつくり、そこにウサギの人形の頭をのせた。

「いらない、です」

「そう? じゃあ、やめとく」

「ごめんなさい」

「いーの、いーの。俺、プロのヒモだから、養い主さんの要望に全力だから」

「……」

 どんなリアクションをして良いのか困惑していると、夕太郎が「お休み、また明日」と微笑んで手を振った。夕太郎は、笑うと時に歯を見せてニッコリ笑うけれど、どこか力が抜ける感じがする。

「おやすみなさい」

 絶対に眠れないだろうと布団に入ったけど、夕太郎の鼻歌や生活音を聞いているうちに、沈み込むように眠りについた。

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