第十九話 馬大臣エクリシア

 皇太子殿下はアクロード様に良く似た碧色の瞳を不審げに細めて仰った。


「なんだこれは……。馬とは何の事だ」


 私は自分で作成した書類を並べて、水色の目を輝かせながら説明する。


「私は牧場関係の知り合いが多いのです。それと、社交でも馬に関する事を色々調べました。その結果、帝国軍は馬の扱いに改善の余地がある事が分かったのです!」


 馬は非常に重要な戦略物資であるのだけど、同時に壮大な物資の消費者でもある。


 何しろ馬は生き物だからね。ご飯も食べれば排泄もするし、疲れれば休養も必要だし、怪我や病気は治してあげなければいけない。


 今回の戦役では馬は七千頭くらい動員されているらしい。もの凄い数だ。この馬たちの面倒を見ることは非常に重要な事の筈なんだけど、私が調べた範囲ではこの馬への補給や面倒についての計画が実に杜撰で不足のあるものだったのだ。多分、帝国軍や政府官僚の皆様に馬の専門家がいなかったせいだろうね。


 例えば、馬の飼料についての項目に、平気で「現地調達のこと」と書いてあったりするのだ。それは確かに馬は道端の草だって食べられますよ? でも一カ所に数百頭から馬が集まって、足りるほど草が生えている所など何処にあるのだろうか。馬糞の処理も適当で陣営外に処理とか書いてあるけど、一日に出る馬糞の量はちゃんと考えたのだろうか?


 馬が病気や怪我をした場合の後送についても何の規定も無い。これでは現地で使えないと判断された馬は片っ端から処分されて仕舞いかねない。馬が重要な財産だという事が考慮されていないのだ。


 今回の戦場は国境近くだとはいえ、帝国の国内になりそうだという。そうであれば、ちゃんと計画さえ立てておけば、無駄に馬を失うことを避けることは容易な筈だ。私は一枚の書類を皇太子殿下に示した。


「既に戦地の近くのハイジェーン伯爵、サイブ子爵とは話を付けて、牧場全体で支援してくれる事になっております。ここで前線で故障した馬を受け入れて治療してくれる事になっております。帝都から馬医者を送り込んでここで待機、治療をして貰います」


 言わば馬の野戦病院だ。前線近くに病院があれば怪我や病気をした馬が助かる確率は格段に上がるはずである。


 そして馬の飼料だ。馬の餌は大麦、豆、そして干し草である。干し草は安いけど容量が大きくて中々輸送コストが掛かるのよね。大麦や豆は高価だけど輸送効率は良い。この輸送コストがくせ者で、馬の餌を運ぶ馬車を引く馬にも餌が必要なのだ。沢山の飼料を運ぶには沢山の馬が必要で、その馬たちには大量の飼料がまた必要で、とドンドン必要コストが増えてしまうのである。おそらくそれを嫌って現地調達せよ、なんていういい加減な事になっているんだと思うけど、そんなの私は許さない。


 私は馬の野戦病院とは別に、馬の飼料を蓄積する基地をルガーン子爵、ザイザンツ伯爵に頼んで牧場に作り、そこへ近隣の領地からドンドン馬の飼料を運び込んで蓄積する事にした。戦場近くに蓄積しておけば、必要な所に必要な分だけ届けることによって輸送コストを圧縮出来る。場合によっては馬を休養がてらこれらの牧場に一度戻し、そして戦場に戻る時には飼料を担がせて戻せれば、飼料を輸送に関わる馬を減らすことが出来る。


 そして馬に飼料を食べさせる時に使う餌袋だ。これはどうやらどこかの国で発明された物らしいのだけど、馬の口にすっぽり袋を被せ、袋の中に決められた量の馬の餌を入れる。すると馬はその餌を食べるという代物だった。これにより、飼い葉桶で喰わせるよりも一回分の餌の量が把握しやすいし、餌が無駄になりにくいのだという。どうも戦場では大きな桶に餌を入れ、複数の馬に同時に餌を食べさせたりするらしいのだけど、これでは強い馬ばかりが食べて弱い馬は餌が食べられまい。私はこの餌袋を帝都の職人に大量に発注して戦場に届けさせる事にした。


 これらの事を私は皇太子殿下にバーッと一気に説明した。皇太子殿下は目を白黒していたわね。


「なんだこれは。そんなに馬の事ばかり考えてどうする。戦うのは人なのだぞ?」


「まぁ、皇太子殿下! 馬だって戦います。馬だって重要な兵士なのですよ! 馬の事をちゃんと考えないなんて、帝国は戦う者の半分しか考えていないという事ではありませんか」


 人と馬は持ちつ持たれつ。馬と共同作業する場合、人の事だけ考えても馬の事だけ考えても上手く行く筈が無い。そして戦争は壮大な馬と人との共同作業だ。馬がいなければ戦争は出来ないのである。ならば馬の事をちゃんと考えた者の方が勝つ。当たり前の事よね。


「それと、皇太子殿下。戦場では逃げ出した敵の馬を捕らえたら、ドンドン後方の牧場に回して下さいませ。馴致して、帝国の馬として再生しますから」


 馬病院や飼料集積場に私は大量に牧夫を送り込む事にしていた。どうせ各地の牧場では馬が減って牧夫と牧童は暇になっている。これを雇って前線近くの牧場で待機させ、戦闘その他で放馬した馬を持ち込み、調教して帝国の馬として再び戦場に送り込む計画だ。そうすれば帝国は損耗した馬を敵の馬で補充出来るようになるだろう。


「そんな面倒な事は出来ぬぞ。軍隊は戦う為に行くのだからな」


「あら、アクロード様は請け負って下さいましたよ。戦場では逃げ出した敵の馬の処理は結構面倒な問題だと伺いました。放置すると邪魔になるし、殺すにしても手間が掛かると」


 私は場合によっては馬に慣れた牧夫たちだけで、そういうはぐれ馬を回収する部隊を編成しても良いんじゃ無いかと思うのよね。馬は高価な財産だもの。敵のはぐれ馬を回収するだけでも相当な戦費の節約になるわ。だって、戦後の賠償ではしばしば戦闘で失われた自軍の分の敵の馬を要求するじゃない?


「それと、現状の通信部隊とは別に、ランニングホースで編成された早馬で戦場と帝都を結ぼうと考えています」


 これはジョッキークラブの皆様と話し合って生まれた案だった。ランニングホースは戦場には向かないけど、その速度と持久力は他の品種の追随を許さない。これを大いに生かすには、伝令の早馬が最も最適だろうと結論されたのだ。それで、中継点にジョッキークラブのメンバーの牧場や現地屋敷を設定して、前線から帝都まで、普通の早馬なら十日掛かるところを七日で結ぶ通信網を整備することにした。


 早馬は早ければ早いほど良いに決まっている。三日も短縮出来るのであれば、十分役に立つと思う。ジョッキークラブの思惑では、これでランニングホースがただの競馬にしか役に立たない高い馬という認識から、軍事的にも有用な品種であると認識され、導入や育成への理解が深まれば、という事だった。


 あまりに矢継ぎ早に打ち出される私の馬についての施策に、皇太子殿下は頭を抱えてしまった。


「私は忙しいのだ。兵員や人員の手配で手一杯で、とても馬にまで関わっている余裕はないぞ?」


「ご安心下さいませ。何もかも、全て、全部、この私がやります。次期公妃権限で何もかも面倒見ます。皇太子殿下は私を任命してくれるだけで良いのです」


「任命?」


「馬大臣とでもしましょうか? 戦時の臨時の大臣に任命して下さいませ」


 戦時に何か大きな権限を与える事が必要になった場合、臨時の司令官や大臣を設定してこれに充てる事は良くある事である。あんまり女性がそれに就任したという話は聞かないけれど、私以外に適任はいないと思うし、私は皇族なんだから良いでしょう。


 恐らく、この時の皇太子殿下はお疲れだったのだろう。本当に忙しかったのだと思うのよ。今回の戦役はかなり大規模だったから。慣例で帝国軍総司令官をお務めの皇太子殿下は寝る間も惜しんで職務に精励されていたと後で聞いた。


 そこへ私がたかが馬の事で面倒な話を持ち込んだものだから、皇太子殿下は呆れ、さりとてそれなりに有効な施策だとも思えて、しかし真剣に検討する時間も無いということで。


「……分かった。其方を軍馬取り扱いの臨時大臣に任命する。帝国軍の軍馬に関わる一切を其方に任せる。良きに計らえ」


 と思わず丸投げしてしまったらしい。


 私はニンマリと笑った。


「ありがとうございます! 皇太子殿下! このエクリシア! きっと殿下のご期待にお応えして見せますわ!」


  ◇◇◇


 ちなみに、皇族とはいえ女性が臨時大臣に任命されたのは帝国史上初だったとか。大体、正確に言えば皇太子殿下は帝国軍総司令官だったのであり、臨時大臣任命の権限は本来無いのだ。


 しかし、戦時中で混乱していた事もあり、皇太子殿下が発行した任命書はなんだかよく分からない内に皇帝陛下の御璽も押されてしまい、正式に効力を発効してしまった。こうして私は通称「馬大臣」に成り仰せたのだった。


 これで私は軍馬に関わる全ての事に関わる権限を得たことになる。私は張り切って仕事に掛かった。


 まずは計画通り馬の野戦病院と飼料集積所、そして馬を休養させる放牧所を開設した。これは事前に当地に所領を持つ貴族と話を付けてあったので実行するだけだ。最初は公爵家の予算からお金を出そうと思っていたのだけど、大臣になったのだから国庫から費用を出すことが出来た。遠慮なく戦時の臨時予算から費用をぶんどり、そのお金で国内に残る馬を徴用して集積基地に飼料をどんどこ送り込む。季節が春だった事もあり、冬越しのために蓄えていた干し草や大麦などが各地の牧場には残っていた。それを送り込み、そろそろ生えてきた草を刈ってそれも干して飼料にする。


 公爵領の港町ノラーブに使者を出し、貿易商から馬の飼料用の大麦を大量に買い付け、帝都に送らせて、それを集積基地に転送する。このルートは人間用とは違う道路を使って混乱を避けた。人間用の補給の邪魔をすると本末転倒になるからね。


 人間もそうだけど、馬だって普段と違う場所に連れて行かれればストレスが溜まって病気になる。そういう馬は馬大臣の権限で必ず後方の馬病院に送ること、と厳命した。これまではそのまま無理に使うか殺処分して食べてしまっていたのだ。私は何度も何度も前線の司令官に命令したので馬は些細な病気や怪我でもちゃんと後送されるようになり、終いには「兵士よりも馬の方が大事にされているのではないか」と兵士から苦情が出たほどだったそうだ。


 戦闘が起これば、弾丸に当たったり矢を受けたり、不整地を走り回るせいで脚を挫いたり蹄を痛めたりする馬も出る。そういう馬も後送させて治療して、また前線に送り込む。馬には可哀想だけど、馬は重要な戦力だ。それに、一度戦傷を負った馬は気性が荒くなってより軍馬に向くようになるのだとか。


 馬の餌袋もどんどん支給した。最初は面倒だと思われていた餌袋だったが、馬の餌やりが簡単になった事と、これを付けて馬に餌をやると馬が大人しくなるために段々と重宝されるようになり、その戦い以降は帝国軍の標準装備の一つになる事になる。


 私はとにかく飼料を大量に輸送して馬に餌が行き渡るように心を配ったので。前線では馬の飼料について全く困らなかったそうだ。むしろ暫く戦闘が無いと馬が肥えてしまったり、人間の食料支給が滞った時に、馬の飼料の大麦や豆を兵士が食べられて助かった、などの笑い話があったらしい。餌を沢山食べれば馬は元気になるし、病気の馬や怪我した馬を無理に使わなければ馬の使用効率は上がる。お陰で帝国軍の馬は戦闘でも輸送でも敵のそれを圧倒したそうだ。


 ランニングホースでの通信も非常に好評だった。何しろ速かったので。当初七日の試算だった所要時間は、馬主達が互いに速さを競うようになってしまった(流石は競馬の馬主だ)こともあり、段々短縮され、遂には五日間にまでなった。これは普通の早馬の半分の所要時間であり、帝国中にランニングホースの優秀さを知らしめる大きな宣伝効果があったのだった。もちろん、これにはマロンドおじ様達ジョッキークラブの方々が、私財を擲って早馬の走る道路を整備して、ランニングホースが走り易いように心を配った効果である事も忘れてはいけない。


 こうして馬の稼働効率が上がった帝国軍は輸送も戦闘行動も順調になり、フローバル王国軍に対して優位を築く事が出来たのである。もっとも、私は帝都周辺にいたからあまり前線での出来事は知らないんだけどね。


  ◇◇◇


 私は次期公妃として社交に出て帝国軍の支援のために高位貴族に様々な要請を出した。これまで、高位貴族は帝国軍には勿論協力してくれてはいたんだけど、それは物資や資金や馬や兵員の供出に偏っていたのだ。私はそれに加えて人的なネットワークによる協力も依頼したのだった。


 きっかけはジョッキークラブの皆様と話していた時に聞いた事だった。マロンドおじ様はなど北の王国からかなり頻繁に馬を輸入している。そのため、北の王国の貴族や王族に知り合いが多いのだ。それで聞いてみると、その知り合いの貴族の皆様からフローバル王国の情報を得ている事が分かった。帝国には伝わらない情報でも、貿易相手の北の王国には分かってしまう事情があるらしい。物資や馬の輸入状況や、人口が近年減りつつある事など。それは皇帝陛下も知らない重要な情報だった。


 私はそれをヒントに、社交でお会いする貴婦人の皆様から、領地でお付き合いのアル隣国経由で伝わったフローバル王国の情報を集めて、皇帝陛下に報告した。これには皇帝陛下はかなり喜んで下さった。やはり帝国の諜報機関で集められる情報には限界があるそうで、私の集めた情報は結構有用なモノがあったようだ。


 これに加えて馬についての様々な改革を行った私は、今や皇帝陛下にも皇太子殿下にも最優先で会えるくらいの政治的な重要人物になっていたのだった。私はクラーリアを駆って帝都近郊を駆け回り、挙げ句にそのまま帝宮に乗り込んで男装の乗馬服姿で皇帝陛下の前に出て行ったりしたから、なんとも非常識でとんでもない女がいるということで、随分な噂になったようだった。私自身は気にしなかったけどね。


 私は帝国軍の馬の事と、アクロード様をお助けすることしか考えていなかった。ただひたすらにそれしか考えていなかったのである。


 皇太子殿下などは後で仰ったものだ。


「馬ぐるいとは聞いていたけれど、想像以上の馬ぐるいだった。なるほど、あのアクロードが普通の令嬢を嫁に貰うわけがなかったのだ」


 褒め言葉と受け取っておきましょう。馬については私はこの後もかなりのことを皇太子殿下に丸投げされたので、それはつまり私の事を馬については信用して下さったという事なんだろうからね。


 そうこうしているうちに、帝国軍とフローバル王国の準備は着々と進み、小競り合いの頻度は増えて、いよいよ決戦の時が近付いているのが感じられた。既にアクロード様は一軍を率いて大活躍しているとの事だったわね。アクロード様もガーナモントも元気で無事なようだった。


 そしてアクロード様が出征して二ヶ月後。帝国軍とフローバル王国軍はサンドレイルの平原で激突したのだった。私はその知らせを視察に出ていた牧場で、クラーリアの馬上で受けた。

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