第5話 隊長、焦る

 西大陸から東大陸へ向かうため死線海域デッドラインを渡航する一隻の船。

 王家の紋章をかたどった旗がなびく甲板上では、魔物の襲来によりハチの巣をつついたような騒ぎとなっていた。


「前衛は時間を稼ぐことに専念しろ! 後衛は引き続き魔術詠唱を続けよ!」

「怪我人はいったん船内に退避させろ!」

「船体の修復を頼む!」


 船員はそれぞれに叫びながら、甲板の上を慌ただしく駆けずり回る。

 鍛え抜かれた体に鎧をまとった彼らは航海経験もあるベテラン揃いだが、今まで見たこともないほどの巨体の魔物に、苦戦を強いられていた。

 

 そんな中、平静を保ちながら状況把握に努める男のもとに、一人の兵士が報告する。


「アヴェンス隊長、詠唱の準備が出来ました。いつでもいけます」

「よし。全員、構え!」


 アヴェンスと呼ばれた男の号令と共に、後衛に構えていた部隊は一斉に魔方陣を描きながら詠唱を始める。

 それとほぼ同時に、前衛で戦っていた兵士は一旦魔物との距離を取り、魔法に巻き込まれないように身を伏せる。

 アヴェンスはクラーケンの次の行動を予測しつつ、確実にダメージを与えられるタイミングを計る。


「撃て!!!」


 その瞬間、辺りが赤色の閃光に包まれたかと思うと、灼熱の火炎が魔物に目掛けて降り注ぐ。

 その一斉攻撃はクラーケンの頭部に直撃し、大きな爆発音とともに視界を奪うほどの煙が立ち込める。


「やったか!?」


 手応えを感じた一撃に、兵士一同が期待の目を向けた。

 煙が霧散していき、クラーケンの姿が徐々に見え始める。

 ――しかし、現実は過酷だった。

 クラーケンは多少のよろめきこそあれど、その動きに衰えはなく、逆に舟艇に向かって怒りの籠った目で睨みつける。


「なんて硬さだ、化け物め……」


 そのあまりの耐久力に、アヴェンスは思わず舌打ちをする。

 周りの兵士たちも絶望のあまり一瞬言葉が出ないようであったが、不安に駆られた兵士がアヴェンスに駆け寄る。


「隊長!この相手は分が悪すぎます!ここは一旦引き返しま……」

「バカ野郎!ここで引き返したところで、陸に上がる前に萎びちまうだけだぞ!」

「ですが、このままだと船ごとやられてしまいます!」

「分かっている!」


 弱腰の兵を一喝しながらも、アヴェンスは内心焦っていた。

 彼は若くして隊長にまで上り詰めるほどの実力もある。

 今までに航海の経験も幾度とあり、その度に危険な状況を切り抜けてきた。

 だが、今までの人生の中で、これほど絶望という感情を煽られたことはなかった。

 このまま交戦を続けて、果たして勝利することが出来るのか、まったくビジョンが湧いてこないのだ。

 だからと言って、引き返すという選択肢はすでに除外していた。

 長い船旅で食料も心許ない状況。

 引き返したところで野垂れ死にするのが目に見えていたからだ。

 そもそも格好の獲物を目の前にして、魔物がおいそれと逃がしてくれるはずがない。


「まずいな……せめて皆の士気だけでも保たなければ……」


 兵士は疲労の色が見え始めている中、戦う意志まで消えさってしまえば敗北は確定である。

 アヴェンスは部下たちを奮い立たせる方法を考えるが、なかなか出てこなかった。


「皆さん、諦めてはいけません」


 そんな中、毅然とした態度で前に出る一人の少女。

 声音こそ穏やかだが、力強く、透き通った声で皆を鼓舞する。

 その佇まいや所作は気品に満ち溢れており、一目見ただけで育ちの良さが伝わってくる。


「フィエナ様!」


 周りの兵士たちは、自国の王女が戦場に姿を現したことに驚きの声を上げる。

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