ホストの事情

 にのまえさんは最後の客のホストくんに心得た様子で、マフィンサンドをつくりはじめた。マフィンにはマヨネーズとマスタードを混ぜて、上の面下の面に塗り、その中に薄くスライスしたスモークサーモンにアボガドを挟む。

 私はそれを見ながら、ブラジルコーヒーを淹れる。サイフォンにブラジルコーヒーの豆とお湯をセットして淹れると、すっかりコーヒーの匂いの薄れかけていた店内に、今夜最後のコーヒーの香りが漂う。

 カップに注いで、一さんのマフィンサンドとお盆に載せると、四月一日わたぬきさんがそれを「お待たせしました」と並べた。

 途端にホストくんは、目をパァーっと輝かせて「いただきますっ!」と八重歯の可愛い笑顔で、マフィンサンドにかぶりついた。


「くぅー! 生き返った! やっぱり仕事帰りはここでマフィンサンド食べてかないとやってらんないっすねえ!」

「そんなこと言って。七原ななはらだったら、フレンチでもバーでも好きなとこで食べてきゃいいだろ」


 一さんに茶化され、ホストさん改め七原さんは、ぷくっと頬を膨らませた。ホストというと、色気ムンムンで女性客を喜ばせるものだと思っていたけど、七原さんはどうにも系統が違うような気がする。


「だってぇ、俺。酒弱いんですもん」

「え……だったらどうしてホストを?」


 私が思わず突っ込んでしまうと、七原さんはちらっと私を見て「んー……」と唸った。


「俺、他にできることもないですしねえ。料理が上手かったら料理人とか、コーヒー淹れるのが上手かったらカフェとか、いろいろできますけどぉ、俺の場合はちょーっとばかり女性客に強いくらいですから。他の店だと迷惑かけっぱなしだったので、ホストクラブくらいがちょうどよかったんすよねえ」

「はあ……大変ですねえ」


 なんか前の仕事先でも、そんな人いたなあ。

 本人はただ、普通に女性としゃべっているだけにもかかわらず、あまりにもピンポイントに女性の弱点を突いてしまい、次から次へとたらし込んでしまって、気付けば人間関係がややこしくなってしまう人。見ていてあまりにも胃が痛いから、周囲からは「頼むから早く結婚してくれ」と拝まれるくらいには、勝手に人間関係が複雑骨折していた。

 七原さんの場合も、しゃべりが上手いのは女性客限定だったら、そりゃホストクラブ以外で接客業ついたら、各方面に迷惑かけ通しちゃうんだろうなあと察することができた。

 私の言葉に「わかってくれますかっ!」とカウンター越しにいきなり手を握ってきた。

 思わず「うえぇ……」と声が出る。残念ながら、私は大学以降恋愛はご無沙汰で、いきなりのスキンシップには慣れていない。


「はい、だからここの店は居心地いいんですよぉ。なによりも俺の目が利かないんで誰にも迷惑かけませんし! しかし……」


 七原さんはひくっと鼻を動かすので、私は思わず四月一日さんに助けを求めた。この人が不死者の内のなにかはわからないけれど、もしかしなくっても私が人間だと勘付いたんじゃ。

 私がダラダラと冷や汗を流す中、四月一日さんが「七原くん、そこまで」とぺちこんと手を解いた。


「何度も言っているでしょう。悪気なくとも店内で女性とのスキンシップは禁ずると。あまりにしつこいようでしたら、出禁にしますよ?」

「えー、それは困りますよぉ。ここくらいなんですからねえ、俺の目が利かないひとしかいない店って! ここでくらいしか、俺のんびり食事なんてできないんすからぁ……で、ここのお姉さん。もしかしなくっても人間ですかね?」


 いきなり言われて、一さんは苦笑して助け船を出す。


「おいおい、そりゃ七原が仕事で酒が残ってるせいじゃねえか? 気のせいだ気のせい」

「そりゃそうですよねえ……いや、お姉さんから美味そうな匂いがしたんで」


 美味そうって、なに。もしかしなくっても私、捕食されるのか。とうとう私は一さんの後ろに隠れてしまった。四月一日さんが手厳しく突っ込む。


「はい、これ以上女性にセクハラするようでしたら、食べ終わり次第出禁にしますからね」

「わ、わかりましたっ! お姉さんのことについては詮索しませんっ!」

「よろしい。七原くん、君もそろそろ若手から抜けるんですから、いい加減コントロール方法覚えなさい。残念ですが、我々とは種族が違い過ぎて、教えることはできませんからね」

「はあい……努力しまーす」


 そう背中を丸めながら、しょげつつマフィンサンドを咀嚼しはじめた。金髪がへしゃげてしまうのは、どことなく子犬を思わせる。あれか、彼は色香でお客さんを獲得するタイプではなく、女性の母性本能をくすぐるような頼りなさでお客さんを獲得するタイプか。ホストの儲けというのはよくわからないものの、彼はこちらが思っている以上にやり手なのかもなあと分析することができた。

 食事を終えると、ようやく七原さんは帰る。


「それじゃ、ご馳走様でした! あ、店長。俺出禁にはなりませんよね? ねっ?」


 子犬のような顔をして、そう訴える。これが女性だったら利いただろうに、残念ながら相手は四月一日さんだ。四月一日さんは半眼できっぱりと言う。


「次はありませんからね。七原くん。君が稼いでいるのは知っていますから」

「ほんっとうにありがとうございます! それじゃ、また来まーす!」


 そう元気に手を振って、彼は帰っていった。こちらはどっと汗が噴き出た。


「あの……七原さんはなんだったんですか? 目っていったい……?」

「ああ、彼は吸血鬼なんですよ」

「きゅ!? きゅ!?」


 吸血鬼だったら、いくらなんでも私だってわかる。人間に噛みついて血をすする不死者だ。でも目ってなんだろう。私が知っている話だと、吸血鬼は美女の血を好むとか、そんな話しか知らないんだけど。

 一さんは、溜まりに溜まった食器を洗いながら答えてくれた。


「吸血鬼って捕食対象が言うこと聞くように、魅了の魔眼を持っている場合が多いんだよなあ。七原の場合は吸血鬼の中でも力が強過ぎて、たびたび暴走しては人間関係に亀裂を入れていくから、人間社会で生活する中でも働ける場所が限られてくるんだよなあ」

「そ、そうだったんですね……でも吸血鬼って、弱点とかも多いですよね。にんにくが食べられないとか、こういろいろ」

「まあ弱点だらけだよなあ、あいつも。すぐそこに神社あるけど、あの辺りに出たら最後、あいつじんましんだらけになって店に出られなくなるし。昼間はグロッキーになって全然動けないしな。だから夜にホストとして働くのが一番健康にもいいんだと。まあ、最近の吸血鬼は人間の血を吸わなくってもそこまで問題ないらしいけど」


 話を聞けば聞くほど、あの明朗快活なひとが、人間の健康とは真逆な方向で生きているんだなあとよくわかる。

 まあ吸血鬼として、夜な夜な人を襲うよりはマシなのかな。

 私たちは食器を片付けて、掃除を終えると、ようやく店を閉める準備をはじめる。

 明日のモーニングの材料も、一さんが冷蔵庫に入れてくれた。いっつも店の料理は深夜営業のときに持ち込んできてくれたんだなあと、少しだけ新鮮な気分だった。


「それじゃ、お疲れ様です。しかしどうしますか、八嶋さん。本当に自分も深夜営業まで付き合わせるつもりはなかったんですけど」

「んー……そうですねえ」


 深夜営業のことを思い返す。四月一日さんがてきぱきと店内のことをしてくれて、料理は専ら一さんがしてくれた。私は盛り付けの補助やコーヒーを淹れる役割で、いてもいなくってもいいような気はするけれど。

 でも片付けを私と一さんでこなしたほうが、早く帰れるし、店内の回転もよくなるように思う。

 なによりも。人間とは少し違う、不死者との交流は、少しだけ新鮮だったのだ。

 毎度毎度、七原さんみたいに捕食対象として見られたら困るけれど、それ以外はただただ楽しかった。


「四月一日さんがよろしかったらですけど、私。また深夜で働きたいです」

「本当にいいんですか?」

「はい」


 私が頷く。四月一日さんはすこーし渋い顔をした。それに、一さんが間に入る。


「まあ、いいんじゃないか? 満は考え込み過ぎるし、初穂ちゃんくらいしっかりしてる子と働いて影響されたほうがいいだろ」

「し、しっかりはしてないですかね!?」

「俺からは若いのにしっかりしてるように見えるがねえ」


 そんな孫を見る目で言われても。いや、一さんからしてみれば、私は孫認定なのか。しばらくこちらを眺めていた四月一日さんは、やがて溜息をついた。


「……わかりました。深夜営業はなにかと体力勝負ですから、くれぐれも無理はせずお願いしますね。今晩は比較的温厚な不死者しかいらっしゃいませんでしたが、中には血気盛んなのもおられますから」

「わかりました。よろしくお願いします」


 私は頭を下げ、一さんの車で送ってもらうことになった。

 親切にも、電動自転車も乗せてくれた。


「本当になにからなにまですみません」


 私がペコペコと車を運転する一さんに頭を下げていると、一さんはカラカラと笑う。


「いーやいいって。俺は満が気まぐれ起こしたことが嬉しいんだしなあ」

「四月一日さん、気まぐれですか……?」

「あいつもなかなか死なないからって、待っているひとがいんだよ。今はどこでどうしているのか俺も知らないけどなあ」


 そう言われて、私はドキリとする。

 しゃべってみたら不死者は人間とほとんど変わらないけれど、倫理観とか死生観は、少し人間とずれているような気がする。

 ほとんど人も車もなくなった坂道を、一さんの車が軽やかに走っていく。

 一さんはしみじみと言う。


「俺たちには基本的に寿命はない。でもなあ、寿命がないからこそ、同じことばっかり繰り返していたら飽きが来るんだよ。なにもかも飽きが来た中で生きるには、寿命がない不死者にはきついんだよ。だから一年の半分を眠りこけているのもいるし、隠遁生活を送り続けているのもいるし、俺みたいに普段はずっと修行に明け暮れているのもいる」

「あ、あれ……? でも四月一日さん、店をずっとかまえて……?」

「あいつが夜だけでなく、昼にも店をかまえているのは、フードロスとかの問題もあるけど、基本的には人間にかまいたいからだよ。探しびともその中にいるかもしれないってな」


 その言葉に、私はなんとも言えなかった。

 人間と不死者。その間には、大河が流れているような気がする。似ているけれど違う生き物としての、越えられない大河。

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