アルカシオン精霊記
庵原朔夜
序章-幸夢と悪夢-
秋の実り時期が終わりを迎え、冬の気配が近付いてきた清閑な森の中。
元気いっぱいに木々の間を駆け回る少年の姿が一つ。草木が生い茂り、木の根が張り出した獣道を難なく走る姿はまるで野うさぎのようだ。
少年は太陽がてっぺんにある頃から日が陰るまでの間、冬越しのための食糧を集めていた。人の手が入っていないこの森は色々な木の実やキノコで溢れている。
泥まみれになりながら掘ったり、這ったり、登ったり、と一所懸命食糧を探した。
その甲斐あり、彼が背負う籠には多数の種類の木の実やキノコが山ほど積まれている。それだけ入っていれば重量もそれなりだろう。
けれど、少年の足取りは籠の重さを感じさせないくらいに軽い。野うさぎよりも軽快に獣道を進んでいく。
それだけ少年には楽しみな事が待っていた。
「ただいまー!」
森の中心にある立派な赤い屋根が目印の木造家屋が少年の家。昼からずっと動いていたはずなのに、全く疲れを感じさせない溌剌とした声が家中に響いた。
しばらくすると、手前の部屋からのんびりとエプロンで手を拭きながら母親が出てきた。
「おかえりなさい」と優しい声が少年を迎えてくれて顔がパッと綻ぶ。
自分が背負っていた籠を母親も見やすいようにどかりと床に降ろした。
「今日はたくさんとれたんだよ! ウィンベリーにリンベリーでしょ! それにキノコもこんなにたくさん!」
「ほんと! これだけあれば冬は大丈夫ね」
ふふふ、と嬉しそうに笑う母の様子に少年は誇らしく感じる。
「おや? これはまた、随分と大量じゃないか」
嬉しさから自慢気にあれやこれやと母親に見せつける少年。
その賑やかな様子に執務室に篭もりっきりだった父親も顔を見せた。
父の安心感のある低音にさっきの比ではないぐらい少年の目が輝く。
少年の父親は夜遅くまで執務室でいつも仕事をしている。そのせいで、同じ家にいるはずなのに顔を合わせることが少なかった。
この再会も二、三日間ぶりだ。
久しぶりの父親との邂逅にテンションが上がった少年はここぞとばかりに戦果を自慢する。
あれやこれやと採取物を見せてくる少年の微笑ましい行動に頷いていた父親だが、籠の中にあるキノコをみつけてそれを手に取った。
「そのキノコ赤くてカッコイイでしょ! きっと食べたら強くなれるよ!」
どのキノコよりも大きく、熟れた果実のように赤い。今日一番のシロモノだ。
お父さんにも褒めてほしい!
褒めて貰えると信じて疑わない少年の顔は期待に満ちていた。
「残念だけど、これはムスカリ茸といって強力な毒がある種だ。食べていたら体が動かなくなっただろうね」
予想とは違う厳しい言葉に小さな声が零れ少年の顔から笑顔が消えていく。
表情が陰る少年を気にせず、父親は言葉を続けた。
「知らない事は罪だ。その無知で自分を誰かを傷つけてしまう可能性だってある」
「こーら! イジワルばっか言わないの」
彼の言葉が止まったのは、母親が頭を小突いて叱咤したおかげだ。
母親の指摘で強く言い過ぎた事に気付き、小さく反省をする。
父親は薄っすらと涙を浮かべている少年の頭を撫でながら柔らかく声をかけた。
「けど今日一つ学ぶ事ができた。知識は武器になる。知識があれば誰かを守る事も、自らの力にする事もできるからね」
こくり。と少年は小さく頷く。
だけど、その顔はまだ陰ったまま。父親の言葉は少年にとってまだ少し難しく理解しきれていないのだろう。
困ったように笑った父親は少年の体を持ち上げた。急に宙に浮かんだ少年の目が驚きで丸く見開かれる。
「よーし! 今日は父さんとお風呂に入ろうか!」
「ほんと? やったぁ!!」
「それじゃあ、お風呂から上がったらパーティを始めましょう。なんたって今日はアナタが産まれてきてくれた大切な日だもの!」
父親と母親に囲まれて笑顔溢れる素敵な時間。少年にとって一番幸せな時間。
────暗転
少年の目の前には真紅の海とも思える光景が広がっていた。
爛々と立ち昇る炎は森も彼の大切な家も真っ赤に染め上げている。
広くはない家の中を少年は父親と母親の姿を求め探し回った。熱気と煙で焼ける喉を省みず、必死に父親と母親を探して叫んだ。
全く返事がない。
焦燥感から更に声を張り上げる。
寝室。キッチン。浴室。リビング。
全ての部屋を回ったがそれでも返事はない。
もしかしたら家の外に出たのかもしれない。
少年はそんな願いを込めて玄関の扉を開けた。
「おとうさん! おかあさん!」
願いが通じたのか二人の姿がそこにはあった。
少年が呼びかけるが無反応だ。けど、そんなことは少年にとってどうでもよかった。
大好きな両親が無事だった、それだけが何よりも大事だったから。
だから、玄関先に佇む二人に駆け寄り、抱きつこうと手を伸ばした。
ばたり。
二人に向かって伸ばした手が空を切った。
不思議に思って地面に視線を落とすと、両親の身体が糸が切れた人形のように地面に倒れ込んでいる。
両親の身体を中心に地面が赤く赤く真っ赤に染まっていく。
地面に膝をつきぴくりとも動かない身体を揺さぶった。じんわりと着ている服が赤く染まっていくが少年にはどうでもよかった。
少年は必死に声をかけ続ける。
しかし、それを遮るように影が覆いかぶさった。
「子供がいたのか」
見下ろすように淡々と紡がれた冷ややかな言葉。
少年が声のする方へ恐る恐る視線を向けると真っ黒で大きな人間が立っていた。
顔は何故か靄がかかっていて分からない。
分かるのは、血に濡れた大剣がその手にあること。その剣は両親を殺したモノだということ。
おそらく、自分もそれで殺されるだろうということ。
だからなんだ!
少年は立ち上がる。
恐怖で震える両足を叱咤して地面を強く踏み締めた。
目の前に立っているのは親の仇だ。むざむざと殺されてたまるか。と仇敵に向けて鋭い視線を突き刺す。
幼い少年の殺意など黒の男からしてみればなんて事はないだろう。
少年は声の限り叫んだ。
炎の熱で焼けた喉が痛くて痛くてたまらない。
けど、そんな痛みよりも両親を殺された怒りが少年を支配していた。
おかあさんが魔法を使っていたけど、魔法について教わってはない。だけど、今この場で使わなければ後悔する。
頭の片隅に眠っていた記憶を引っ張りあげる。
少年が唯一知っていた母親の自慢の魔法を渾身の力で放つ。
「──────!!」
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