第11章 エクストラダンジョン ー②

 ミノタウロスは人間の体に牛の頭を持つ怪物で、ミノス王の王妃パーシパエーが生んだ子供である。

 ミノス王が神にささげる予定だった立派な牡牛を、惜しくなって普通の牡牛にすり替えてしまったがために受けた呪いで、王妃はその牡牛にどうしようもない恋慕の情を抱くこととなってしまった。

 その思いを遂げる手伝いをしたのがダイタロスで、彼は中に人が入れる木製の牛を作り、本物の牛の皮を被せた。この人造牛作戦により王妃の思いは遂げられ、生まれたのがミノタウロスである。

 ミノス王はこの牛頭鬼の存在をひた隠しにした。そのためにダイタロスに作らせたのがラビリントスであり、ミノタウロスをその奥へと閉じ込め、ダイタロスとその子イカロスも同じくそこに閉じ込められることとなった。そしてミノタウロスに捧げる生贄として、毎年七人の青年と七人の少女をアテナイに要求していた。

 テセウスの登場によってミノタウロスは倒され、また彼はアリアドネに渡された糸によってラビリントスからも帰還することが出来た。アリアドネは一目でテセウスを深く愛するようになり、ミノタウロス退治成功したら、自分をアテナイに連れて行って妻にして欲しいと頼んでいた。そうして二人はテセウスの仲間たちとともにアテナイに向けて船で出港したものの、なぜか途中で寄った島にアリアドネを置き去りにしていってしまったのだ。所説あるが、その後アリアドネはディオニュソス神に見初められており、幸せに暮らしてはいるが、取り残されたときのアリアドネはいったいどんな気持であっただろうか。



 鏡谷と綾香が迷宮を進むと、ほどなくして二人の女性と出会った。


 一人は月野雫。

 彼女とは道の途中で出会っており、彼女自身の話によれば、鏡谷と同じく、気が付けば石造りの部屋におり、幻覚等は見ていなかった。服装は入院時の患者服である。一度精神的な生死を彷徨った経験から、彼女の感情は起伏を失っており、その影響もあってか、今の状況にさして驚いた様子もなく、とぼとぼと歩いていた。


 もう一人は沢渡衣であった。

 彼女は、綾香と同じく、部屋で幻覚を見せられている状態で、恍惚の表情をしていた。


「彼女は、確か久鎌井くんが助けた学校の先輩だね」

 鏡谷は久鎌井の動向を探っていたため、夢遊状態のときに、彼が沢渡衣という少女を助けていることは調査済みだ。ちなみに彼女の服装も制服だ。


「わたし……あんな感じだったのね」


 衣のよだれを垂らしかけたその顔はまさにとろけそうだ。

「そうだな。早く声を掛けた方がよかろう?」

 見ている内容は想像がつくため、本人からしたら起こして欲しくないのだろうが、あんなにだらしのない顔を他人にさらしていることを思ったら、一刻も早く声を掛けた方が彼女のためだろう。

 雫も、その様子を少し驚いた表情で見つめていた。


「でも、ちょっとだけ待って」

 綾香はそう声を上げると、その場で頭を抱えだした。

「ずいぶん難しそうな顔で考え込んでいるね」

 鏡谷と雫は顔を見合わせた。

「………わたしにはよく分からない」

 後遺症ですっかり感情が乏しくなってしまった雫ではあるが、そんな彼女にも綾香の行動は奇異に見えた。

「これはね、難しい問題なの……でも、よし! 覚悟を決めた。いいよ起こして」

 綾香の決意表明に、鏡谷ら二人は首を傾げたが、何となくこちらが気にしていても仕方がないことと察し、鏡谷が衣に声を掛けようとしたが、その手を止めた。


「やはり、綾香くん、お願いできないだろうか? 状況も状況だから、知らない人間が声を掛けるよりは、知っている人間の方がよいだろう」

「う、いや、そうね。仕方がないわね」

 綾香は軽く咳払いをすると、衣の肩を叩き、名前を呼んだ。


 すると、この迷宮に二回目の断末魔のような叫び声が響き渡った。


 前回を経験済み鏡谷は耳を塞いでおり、雫もまた鏡谷に言われ、同じように耳を塞いでいた。

「え、あれ? 久鎌井くんは? へ、なに? ここは? 綾ちゃん? なんで?」

「先輩、まず落ち着いてくださいね。でも、先輩も白騎士の久鎌井に会って、何やら話も聞いていたみたいだから、ある程度こういった不可思議な状態に理解を示してくれると助かるんだけど」

「うん、え、これは夢? 夢ではないの? それに綾ちゃん?」

 周囲の状況もそうだし、目の前の綾香の様子も、衣の知っている日常とは違っていた。

「夢ではないですし、そう、いろいろと話をしなければいけないと思うので、すいません鏡谷さんと雫さん、少しだけ先輩とわたしだけで話をさせてもらいます」

「ああ、構わないよ」


 鏡谷が頷くと、綾香は衣とともに部屋の片隅に移動した。


 体感で10分くらいが経過したところで、二人が振り返り、戻ってきた。

「なんだかわからないが、二人とも、こぶしで語り合った戦友のような雰囲気になっているね」

「ええ、そうですね」

 綾香が顎先の汗をぬぐいながら答えた。

「そうね。わたしと綾ちゃんはライバルだってことがはっきりしたから。そういうのは初めからわかってた方がもやもやしないものね」

 衣も乱れた髪を整えながら、口元に笑みを浮かべていた。


「でも、綾ちゃんも人が悪い。わたしは今の綾ちゃんの方が好きだよ?」

「いろいろ事情があるんです」

「ま、仲良くしましょうね」

「いつか仲良くできなくなる時が来るかもしれないですけどね」


 二人は固い握手を交わした。


 そんな二人の様子を見て、鏡谷は二人が話した内容をおおむね察した。

 綾香が衣に話した内容は、簡単な状況説明に加えて、大きく二つ。

 一つは綾香自身の性格についてだ。彼女は周囲には上品なお嬢様の姿を見せていたため、衣の中の彼女のイメージもそれだろう。しかし、いまこのよく分からない世界で四人しかいない状況で猫かぶりをしている場合ではない。鏡谷や雫に対してと、衣に対してとで態度を変えていたら面倒臭いことこの上ない。


 もう一つは、久鎌井に対するお互いの好意だ。

 わざわざこれを知らせる必要性は、普通に考えたらないかもしれない。ただ、綾香の方がはっきりさせておきたかったという思惑が強い。

 綾香は衣と久鎌井が最近昼休みに一緒に過ごしているのを知っているし、衣が教室に尋ねてきて、久鎌井がいないと非常に残念そうにしているのを見ている。衣が久鎌井のことを好いていることには確信を持っているし、久鎌井も衣に悪い感情を抱いていないことくらい察している。

 一方綾香自身はすでに告白までしてしまっている状況だ。何となく、お互いの彼に対する気持ちを確認しとかないと、これからの二人の関係がギクシャクしてしまうし、そもそも、この密室に近い状況で気まずい思いをしたくなかったのだ。


「ただ、先輩は久鎌井から多少話を聞いていると思うけど、状況について所々知っているだけだと思うから、アバターとは何かから、今回の事件のことまでの説明は、鏡谷さんに任せたわよ」

「そうだな、任されたが、先ずは自己紹介だな」

 鏡谷は自己紹介に続いて、矢継ぎ早に多くのことについて説明した。


 神秘隠匿組織“パンドラ”について、アバターについて、その所持者である花住綾香と月野雫について、そして久鎌井について。


 “ペルセウス”、“アラクネ”、“ピュグマリオン”、“ナルキッソス”、“エコー”、今回の事件とそれに登場したアバターと所持者たち。


「それでだ。今のこの説明のつかない状況についても、アバターによるものと考えているのだが……まあ、一つ簡単な推論がある。君が今回のアバターの所持者ではないか?」


「わたしが?」


 そう言われ、衣の目が輝く。

「なんで先輩は嬉しそうなのよ?」

「だって、綾ちゃんも、そこにいる雫……ちゃんって呼ばせてもらうわね、雫ちゃんもアバターってのの所持者でしょ? わたしは久鎌井くんの話を聞いてても、なんか疎外感を感じていたの。でもこれでわたしがアバターの所持者になれたのなら、ようやく久鎌井くんに肩を並べた気がするじゃない」


「ただ、その反応を見る限り、たとえアバターの所持者だとしても、自覚はなさそうだから、まだ可能性の段階でしかないな」

 鏡谷は引き続き腕組みをして考え込んでいる。衣は自分が所持者ではないのかと思い、肩を落としている。


「ちなみに、我々はローブを来た何者かとの接触があり、気が付いたらここにいた状況だが、それは君も一緒かな?」

「たぶんそうです。急だったんでうろ覚えですけど、部屋で勉強していて、気配を感じて振り向いたら、そんなのがいた気はします」

「まあ、先輩が所持者かどうかわからないんだったらそれは置いといて、脱出方法が何かないか考えるしかないでしょ」


「あの………」

 雫が遠慮がちに声を上げた。

「ここはラビリントス……なら、ミノタウロスはいるの?」


「おそらく、いると考える方が自然だ。ラビリントスは、ミノタウロスを閉じ込めるもの……そうか、とにかくミノタウロスを探しださなければ話にならない」

「「どういうこと?」」

 綾香と衣の声が重なった。

「ミノタウロスを閉じ込めるためのラビリントスだ。では、ミノタウロスはいったい何なのだろう、あるいは誰なのだろうか。そこがきっと一番の問題だ。そして、このメンバーがそろっている以上、ミノタウロスは……」


「久鎌井よね」

「おそらくな」



 — * — * — * —



 それから四人は迷宮を進み、ミノタウロスを探した。

「ラビリントスであれば、ミノタウロスを閉じ込めるとともに、生贄を送り込むものだから、動き回っていればいつかはミノタウロスのもとに辿り着くはずだ」

 そんな鏡谷の言葉通り、彼女らが辿り着いた一室に、大きな人影を見つけた。身の丈三倍ほどはあり、筋骨隆々、牛頭鬼ミノタウロスがそこにいた。


「見た目は、久鎌井ではないわね」

 綾香が当然の感想を漏らす。

 彼女らは、部屋の入り口から隠れながら除いているだけで、まだ中には入っていない。当然、ミノタウロスからはまだ見つかってはいない。


「でも、あれが久鎌井くんだとして、これからどうすればいいの? 倒す……なんてことはないわよね?」

 衣も、当然の疑問を口にした。


「そうだな、それがわからなければどうしようもないのだが……まず、戦うにしても、念のため聞くが、君たちはアバターの力は使えるのかい?」

 鏡谷が尋ねると、雫と綾香が首を横に振った。


「やろうとしてみたんだけどね」

「わたしも……無理だった」

「そうか。ならば戦ってどうにかするのは無理だな。では、沢渡くんはどうだろう? 自覚は何もないようだが、もし君がアバターの所持者だと仮定して、ミノタウロスを見て何か感じるところはあるかい?」

「いえ、特に何も……」

「ふむ、では神話的な分析から、この状況を打破するために推論を立ててみるしかないな」

 鏡谷が腕を組みながら、「ふうむ」と考え込んだ。


 部屋の中では、ミノタウロスが時折雄叫びを上げながらのしのしと歩いている。

「ゲームのNPCみたいね」

「え、沢渡先輩ゲームするの?」

「人気作品くらいはするはわよ。わたしお兄ちゃんも弟もいるから、ゲームに触れる機会はあるしね。お父さんもするし」

「へぇ、そうなんですね」

「でも、うちの男どもはみんな子供っぽくてさ、お父さんも含めて。それと比べたら久鎌井くんはすごくしっかりしてて、落ち着いてて。そこがいいのよねえ」

 衣の頬がポッと赤くなる。

「この状況でそんな話ですか先輩」

「え、でもこんなことさ、たぶん綾ちゃんにしか言えなくない?」

 なんだか衣は楽しそうだ。

「綾ちゃんは久鎌井くんのどんなところが好きなの?」

「え、あ、ちょっと、そんなこと急に言われても」

「えー、言えないのー?」

「てか、先輩もキャラ変わってません?」

「綾ちゃんに言われたくないわよ。まあいいわ。そうだ。雫ちゃんは久鎌井くんのこと好きなの?」

 突然聞かれて、雫が目を丸くした。

「ちょっとちょっと、先輩! やめといてくださいよ」

「あ、ごめん、ダメだった? 言いたくなかったから言わなくていいよ。ごめんね? でも、このメンバーが集められたんだから、それぞれ久鎌井くんのことをどう思っているのかも重要かなあと思ってね」

「いえ、……いまは、わたし、そういうのよく分からないです。でも久鎌井くんにはとても感謝しています」

「うんうん、そういう素直な言葉っていいね。聞かせてくれてありがとう、雫ちゃん」


「ふむ…。あー、ちょっといいかな」

 女子トークに花が咲いている横で、考えがまとまったのか鏡谷が口を開いた。


「アリアドネの糸のことは、沢渡くんと月野くんも知っているかい?」

「はい、何となくは知っています」

「わたし、最近、本、読んでる」

「なら話は早いね。ラビリントス脱出に不可欠のアリアドネの糸。それは入り口からずっとつながっているはずの糸だ。それを見つけなければないと考える。が、一方で今回の面々を見る限り、久鎌井くんが最重要人物であることは間違いないと考える。で、あるならば、その糸も、彼と関係しているように思うが、どうだろうか?」


「なるほど」

「そうね」

 制服二人が頷く。

「でも、それが何かよね?」

「入口からつながっているはずの糸だ。きっと答えは君たち三人の中にあるのではないか? もう一つ、先も言ったが、これが沢渡くんのアバターでなく、集団の意識から生まれたものだと仮定した場合。三人に共通する思いがあるのかもしれない。だから……」

 鏡谷は三人の少女の顔を順番に見た。


「一度、それぞれの心に問いかけてみてくれ」


「あのミノタウロスが久鎌井と確定したわけじゃないんだけどね」

 そう文句を言いながら、綾香は心の中で自問自答を始めた。

 他の二人も、それぞれに考え始める。

 自分たちが久鎌井を閉じ込めているのだとしたら、一体なぜだろうか?

(そんなの、独り占めしたいからじゃないのかしら?)

 綾香はそう思った。しかし、独り占めだとしたら、ここにこれだけの女子が集められているのはおかしな話である。

(急に彼に会えなくなったから、とにかく会いたかったな……)

 だからこそ、綾香も鏡谷に連絡したのだ。


「あ」

 綾香の声に、他の二人が顔を上げた。


「ねえ、二人はさ、久鎌井の連絡先を知ってる?」

「わたしは知らないわ」

「わたし……も」

「二人とも知りたいよね?」

 綾香の言葉に、二人は大きくうなずいた。

「なるほど、それが君たちと久鎌井くんをつなぐアリアドネの糸か。まあ、可能性は十分あるな」

 話を聞いていた鏡谷も大きく頷いた。

「それが答えかわかんないけど、わたしは何よりも欲しいもの、彼の連絡先。なんでさっさと聞かなかったのか、ずっと後悔してた!」

「SNSのつながりなんて、まさに糸みたいなものね」

「でも…、ミノタウロスが、久鎌井くんだとしても……どうすれば……?」


「ええい、ままよ!」


 いままで、思うまま行動しなかった綾香の人生。ここでしり込みしている場合ではない。

 綾香は自分を奮起し、思い切ってミノタウロスの前に躍り出た。


「綾香くん!!」

 予想外の行動の早さ、鏡谷も思わず大きな声で彼女を止めようとした。

「もう、悩んでいたってしょうがない! 声かけてみる!」

 そうして、綾香は大きな声で久鎌井を呼んだ。


 名前を呼ばれたと思ったからなのか、それとも声がしたからなのか、ミノタウロスが振り返った。

「あなたは、久鎌井なの!? ……って」


 振り返った身の丈三倍のミノタウロスのお腹には、目を閉じた久鎌井の顔がはまっていた。


「久鎌井だあああああ!」


「「「うそおお」」」


 思いもよらない状態に、他の三人も大きな声を上げていた。


「……あ、はあ、え? どうしたのみんな? あれ? ここは?」

 眠っていたのか、目を覚ました様子の久鎌井は、キョロキョロとあたりを見渡した。

「えー、久鎌井くん、状況説明をしようとは思うが……まず、いま君は自分思うとおりに動けるのか?」

「え? えーっと」

 鏡谷の言葉を聞いて、久鎌井はよく分からないまま伸びをしようとすると、ミノタウロスが伸びをしている。久鎌井が寝ていた時はどうか分からないが、今はミノタウロスの体は久鎌井の思うように動くらしい。


 ただ、久鎌井も違和感を覚えたのか、自分の手を見つめた。


 その手は異常に大きく、久鎌井の顔の位置がお腹であるため、やたら頭の上の方から腕が出てきた。というか明らかに自分の腕ではなく、なんだか斧を持っている。


「なんじゃこりゃああああああ」


「まあまあ落ち着き給え。君がその体をコントロールできているのであれば、慌てる必要はないからな」

 鏡谷が久鎌井に歩み寄り、状況の説明を始めた。


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