第10章 ザ・ラストバトル ー④

 それは滑稽な光景であった。


 花にしてはど太い茎が絡まりあって、四階建のビルのごとき大木になったその先端に、それはそれは大きなスイセンの花が咲いている。

 その少し下、スイセンの花が顔だとしたら喉元あたりに、日比野の上半身が生えている。


「くくくっ、かはははっ…かは」


 日比野が奇妙な笑い声をあげると、大木のいたるところから蔦が現れて、荒れ狂う鞭の嵐となって久鎌井に襲い掛かった。

 熊手剣を薙ぎ払って応戦するものの、それでは捌ききれず、融合している盾とかぎ爪剣を分離させ、盾の力で身を守った。


「くっ」


 台風の強風に伴う、たたきつけるような雨を傘で防いでいるような光景であった。実際、久鎌井にもその振動が伝わってくる。

 今まで“アイギスの盾”で何かしらの攻撃を受けるとき、久鎌井は衝撃など感じることはなかったが、いまはそうではなかった。

 それほどまで、日比野のアバターとしての思いが、力が強くなっている。

 だが、久鎌井が防ぐことが出来ている以上、膠着状態でしかなかった。


 ふいに、日比野の攻撃がやんだ。


 巨大な“ナルキッソス”から生えている日比野の体に、矢が刺さっていた。

「………なんだこれは」

 蚊に刺されたほどでもなく、服の上の誇りを取るかのように、その矢を引きぬいた。

 刺さっていた部分からは血も出ず、突き刺さった穴も内側から盛り上げるようにして消えた。


 抜けた矢は、日比野の手の中で、ノートに変わった。


「花住さんか!」

 矢が飛んできた方向を見ると、屋上に立つ、一人の女性のシルエットが見えた。


 全身が黒に包まれ、ライダースーツを着ているように見えたそれは、花住綾香のアバターの同調状態の力を解放した姿だった。


 顔もフルフェイスのヘルメットのようなものに覆われており、一般生徒からはそれが花住綾香だとは分からない。

 手には能力によって作り出した洋弓を持ち、リュックサックから適当なものを取り出しては矢に変え、日比野に放った。

「くっ、ダメか……」

 刺さっても全く気にした様子もなく、綾香が悔し気に声を上げた。


 次の瞬間、日比野の上半身が千切れ飛んだ。


 久鎌井が“ヘルメスの靴”の力で跳躍すると、再度融合させた熊手剣で切り払ったのだ。

「やった!」

 綾香が声を上げた次の瞬間。ちょうど飛び上がった久鎌井の足元あたりから人の手が生え、久鎌井の足首をつかんだ。


「この体も、“ナルキッソス”の一部にすぎないんだよ!」


 そのまま上半身が生えてくると、久鎌井を地面に向けて投げつけた。

 久鎌井は“ヘルメスの靴”の力を使いながら空中で体勢を整えると、足から地面に着地した。


 しかし、それを叩き潰すように“ナルキッソス”の丸太のような腕が襲い掛かった。


 それでも、再び熊手剣を分離させ“アイギスの盾”を左手に宿すと、その攻撃を受けた。


「お前の殺る気は伝わってきたが……つまらねえ、これじゃあ決着がつかねえじゃねえか」


 苛立った口調の日比野だが、久鎌井を圧し潰そうとしながらも冷静にどうしたらいいかと次の手に考えを巡らせていた。

 一方久鎌井は、相手の攻撃を受けながらも、どうしたら“ナルキッソス”を抑えられるのか、その力を失わせ、この場を守ることが出来るのか、考えても答えが出ずに焦っていた。


「そうだ。いいことを思いついた」


 日比野が久鎌井を圧し潰すのをやめると、彼はその人間の手を大きく上に掲げた。するとその両手がそれぞれ大木のようになり、ねじりあって、驚異的な大きさのこん棒となった。


「久鎌井を狙っていても埒があかねえからな。だから、これでこの学校を叩き壊してやる」

「な、なにを……」

「この学校が守れなかったらお前の負けだ……そうら!」


 轟音とともに、長距離トラックのごときサイズのこん棒が振り回された。

 久鎌井は咄嗟に飛び出し、“アイギスの盾”を構えてこん棒に体当たりをした。

 それでこん棒ははじかれた。しかし、日比野の顔が楽し気に歪む。


「さあ、あと何回耐えられるのかなあ!」


 再び振り下ろされたこん棒に、久鎌井も再度、“盾”を構え、“靴”の力で飛翔し、体当たりをする。

 この攻防が幾度となく行われ、こん棒が振るわれるたびに校舎から悲鳴が上がる。

 振るわれる力は、回数を重ねるたびにその勢いを増していくように見えた。しかし、守る側の表情は、疲労と焦りを隠しきれなくなっていた。


「……どうすれば」

 二人のアバターの力が強大すぎて、綾香に付け入る隙はなく、ただ見守りしかできなくなっていた。


 そのとき、視界の外から突然に黒い影が現れ、“ナルキッソス”に近寄ると、その全長を覆い隠すほど黒い布のようなものを投げかけた。


「あれは、“アラクネ”!?」

 現れたのは黒い蜘蛛と、それに乗った二人の女性。

 月野雫と鏡谷望であった。

 巨大な黒い布のようなものは、“ナルキッソス”の体に巻き付くと、なにやら奴の動きが大人しくなった。

「よし、急いで久鎌井くんのもとへ」

 彼女らはそのまま久鎌井の近くへと降りたった。

 綾香も気になって屋上から飛び降り、三人のもとに急いだ。

「説明は後だ、久鎌井くん」

 月野雫の姿に驚いている久鎌井を、鏡谷が制した。その声は駆け付けた綾香の耳にも入った。


「あの布は、月野くんが“アラクネ”の力で織ったものだ。我々には黒い布にしか見えていないが、日比野には何かしらの幻が見えているはずだ」

 鏡谷の説明に雫が頷く。

「わたしも、久鎌井くんの力に、なりたいから……でも、長く持たないと思う」

 雫の発語の、若干の不器用さが気になっていたが、それもまた今は気にしている場合ではないのだろうと、久鎌井も綾香も自分に言い聞かせた。

「でも、このままじゃ久鎌井がもたないよ!」

 綾香が心配そうに久鎌井を見る。久鎌井は悔しそうにこぶしを強く握りながら、額に汗をにじませていた。


「いや、久鎌井くん。君の力が“ペルセウス”なのであればあるはずだ。あの力が。見るものすべてを石にする、“メデューサの首”が!」


 久鎌井がはっと顔を上げた。

 ペルセウスについて調べた時、自問自答したことを思い出した。

 もしも、家族が危険な目にあっていたとき、人の命を奪ってまでも家族を救おうとするか否か。その答えに、その時も、今も、迷いはなかった。


 今この場に家族はいない。しかし、“ナルキッソス”は何の罪もない不特定多数の人間の命を奪おうとしている。しかもそれは、久鎌井に対する憎しみからの行動であり、久鎌井を打ち倒すための手段であった。

 自分の存在が、周囲を危険にさらしているとなればなおさら、久鎌井に迷いなどあろうはずがない。


「……何なんだ、これは」


 幻惑の力が薄らいだのか、日比野がその巨体の至ることろから生やした蔦で、“アラクネの織布”を引き裂きつつはがした。

 “アラクネ”はその巧みな技術で、布に幻影を織り込むことが出来る。さまざまな幻を見せることが出来るのだが、今は時間稼ぎのために美しい星空を映し出していたのだ。

 稼いだ時間は僅かだが、それで充分であった。


「あ、何だ。増えてやがる。はっ、あんたたち生きてたのか。どうでもいいが」

 日比野がつぶやきながら再びその大木のような両手を絡ませていく。

「てめえら、全員まとめて潰れちまえ!」

 四人が、“ナルキッソス”の姿を見上げた。

「みんな、俺の後ろに」

 そういう久鎌井の言葉は決意に満ち触れている。

 雫と綾香は、言われるがままに一歩下がった。

 しかし、鏡谷だけは一歩踏み出し、そっと彼の肩に触れた。


「彼の命を奪ったとしても、それは君の罪にはならない。もし罪だというのならば、それはわたしが背負う。だから………わたしの義弟を止めてくれ」


「ああ!」


「何がたがた言ってんだ!」

 日比野はその腕を振り下ろした。


 久鎌井は飛び出して、盾で迎え撃った。


 大きくはじかれる“ナルキッソスの腕”。しかし、日比野は気にもせずもう一度振り下ろそうとする。やることは変わらないのだ。久鎌井が倒れるまで、校舎が粉々になるまで、この腕を振り続けるのだ。腕の防ぐたびに久鎌井は疲労していったが、日比野はむしろ高揚し、力がみなぎってくるようだった。


「もっと、もっとだ、すべてを砕いてやる!」


 そんな日比野の様子を、久鎌井は見ていないかのようだった。

 盾を掲げた姿のまま、空中にとどまり、何かを呟いていた。


「俺のアバターが“ペルセウス”だというのなら、俺の思いが『人を守りたい』というものならば、“メデューサの首”を。俺は守りたい。みんなを。その思いが俺のもとに集っているというのならば、今その力を見せてくれ、今しかない。やるしかない」


 小さな声がだんだんと大きくなる。


「“メデューサの首”をここに!」


 薄い光が盾から放射され、半透明の女性の姿が、盾ではなく、その前の空間に投影された。


 黄金の長髪に包まれ、柔らかに瞳を閉じた女性が、そこに浮かんでいた。


「何のつもりだ? 下らん」

 日比野が、その像を消し去ろうと、腕を振り下ろした。


 しかし、その動きが止まる。


「な、なんだ?」

 女性の目が、開かれようとしていた。


「メデューサ! 頼む、あいつを止めてくれ!」


「動かない、体が……!」


 “ナルキッソス”の体の色が少しずつ変わり始めた。自分の体の異変に、日比野が苦悶の声を上げる。


「く、くそ」

 植物の色が、失われ、灰色に変わっていく。

「く、くがまいいいいいいいいいいい!」

 メデューサの目が完全に開かれると同時に。眩い光が放たれ、日比野を包み込んだ。



(何が違うというのかしらね)

 光の中、日比野の頭に女性の声が響いた。

(メデゥーサの声か……)

 意識が薄れようとする中、日比野にはそう認識できた。

(わたしだって……化け物になりたくてなったわけじゃない。ただ、静かに暮らしたかっただけ。でもペルセウスはわたしを殺し、その首をもって自らの願いを叶えた。

 あいつのやることは自分の守りたい人を助けるだけ。ただのわがままよ。

 別に、あなたと変わりないというのに……)

 メデューサの言葉に、うるさいと言いたくても、日比野にはもうその力は残されていなかった。

(結局、ただの運よ。同じ境遇に置かれれば、彼はあなただったかもしれないし、あなたは彼だったかもしれない。

 ただ、わたしはあいつを許さない。わたしはあいつの勝手に殺されて、盾に封印されたのだから。

 だから、わたしはこれからずっとあいつを恨んでいく。あなたの分も恨んでおくわ)

(……俺は、もう恨んではいない。あいつは、俺を殺したんだ。これで絶対に俺のことを忘れない)

(そう、それで満足なのね)

 日比野を包んでいた光が消えると、女性の姿も霧のように消え、巨大な石の彫刻になり果てた“ナルキッソス”だけが残された。



「………」

 久鎌井は無言で巨大な石の花となった日比野を見ていた。

「久鎌井くん……どうかしたか?」

 鏡谷が歩み寄り、何やら中空を眺めている久鎌井に尋ねた。

「……メデューサの声と、日比野の声が聞こえました」

「わたしには聞こえなかったが?」

「そうなんですね。“ペルセウス”である俺にだけ、聞こえた声なんでしょうね」


(そんなことは、言われなくても分かっているよ。メデューサ)


 久鎌井は心の中で言い返した。

 今まで、アバターの力を使ってきて、“ペルセウス”の力は強大だということは、久鎌井にも分かっていた。

 久鎌井のもとに集まった思いが、「人を守りたい」という思いであることは間違いないのであろう。しかし、どんなに目的が崇高であろうと、誰かを守るために、誰かの命を奪っているのであれば、それは良いことなのだろうか。それに、メデューサの立場から見れば、ひどい話だ。

 いま、久鎌井の耳に届いた言葉は、そんな犠牲者たちの言葉といえる。


(それは背負っていくしかない)


 久鎌井は振り返った。そこには校舎があるが、窓からは多くの生徒がこちらを見ている。

 “ナルキッソス”が石となり、その動きを止めた今なお、安堵の声は上がらず、ただ目の前で起きていたことが理解できず、戸惑っている生徒たちばかりだ。

 しかし、そんな彼らでも、久鎌井と同じクラスと部活の生徒くらいは、超常的な力で戦っていたのが彼であったことは認識していたであろうし、今こちらを見ている生徒は、久鎌井の顔を覚えたであろう。


(もう、今まで通りの日常は、俺にはやってこないかもしれないな)


 もう、学校には通えない。

 それについて、後悔はなかった。

 みんなを守りたかった。だから守った。


(その思いも、傲慢なのかもしれない)


 それは、堂々巡りでしかないかもしれないが、これから自分の胸に抱き続けていかなければいけない疑問なのだろう。

 ただ、家族を養うために医療職に就こうと勉強を頑張っていたわけだから、学校に行けないのは困る。しかし、まとまった収入が得られるようになればそれでよいのだから……


(鏡谷さんに相談するしかないよな)


 きっと秘密隠匿組織パンドラが動くことになるだろう。そして、自分の処遇もその一つのはずだと、久鎌井は冷静に分析していた。


ゴゴゴゴゴゴゴ――


 地響きが聞こえ始めた。

「“ナルキッソス”崩れ始めた」

 各所にヒビが入り、崩れていくが、それらは粉々になっていく過程で光の粒となって消えていく。もともとがアバターの思いで作られた姿。本来物理的に存在するものではない。


 日比野の思いが、集った思いが消えていく。


「鏡谷さん」

 久鎌井は鏡谷に声を掛けた。

 彼女は雫に校舎全体を“アラクネの織布”で包んで欲しいと依頼しているところだった。

「あいつはあいつで満足したみたいですよ。納得のいかない理屈だけど」

「そうなのか……」

「俺に殺されたかったから、それで満足だと。これで、俺は自分のことを忘れないはずだと」

「……悲しいな。あいつのことを忘れないのは、久鎌井だけではないのに」

「ええ、それに気が付けないのは、つらいですね」


 二人は沈黙し、崩れていく“ナルキッソス”を眺めていた。

 そこに、雫と綾香も歩み寄る。“アラクネの織布”で校舎が覆われ、他生徒の目がなくなったため、綾香も同調状態を解除し、素顔を見せていた。


 久鎌井は三人の顔を順番に眺め、最後に再び“ナルキッソス”に視線を戻すと、光は失せ、一人取り分の量の、砕けた石のかけらが残された。これは、集った思いが消えて残った日比野自身の砕けた身体なのだろう。


 すべてが終わった。その実感はあるのに、久鎌井の心は虚しさを感じていた。

「どこにでもある話ですよね」

 いじめをきっかけに心を閉ざした少女の話も、

 自由に生きることをあきらめた少女の話も、

 誰かに認められたくてこじれた男の話も、

 過去の失態から自分の役割を規定した男の話も。


 しかし、それらの話が絡まりあって生まれた物語は、他にはない話なのかもしれない。


 ただ、結末にある男の死が、やはり久鎌井の心にどこか暗い影を落としてしまう。


「わたしは、君に礼を言うよ。日比野を止めてくれてありがとう。そして、彼が満足したというのなら、君は彼を救ってもくれたのだと思う」

「鏡谷さん……」

「わたし、も……久鎌井くんがいたから、わたしはいま、ここにいる」

「月野さん……」

「ちょっと、わたしだって、わたしだって、その……」

「君は、昨日の時点で言いたいことはすべて言ったんじゃないか? それとももう一度この場で言うのかい?」

「こんな場所では言わないわよ!」

 鏡谷と綾香のやり取りに、久鎌井は笑った。


 ここにいる人たちと心が通い合ったこと、久鎌井にとってそれはかけがえのない収穫だった。


 それに、日比野の物語はこれで終焉を迎えたが、それ以外の物語は、次の段階へ進もうとしている。だとすれば、久鎌井の心にも希望の光が指す。


(それがどんな結末になるか、まだ分からないけど)


 不意に久鎌井の意識が遠のき、その場でくずおれた。

 それは、“メデューサの首”の力を使った代償だった。

「「「久鎌井!!!」」」

 三人の女性の声が重なるが、久鎌井の耳には届いていなかった。


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