第11話 想い人Ⅵ

「いや、ミユが居ねーとダメだ」


「なんで?」


「いや、この話は止めよーぜ」


 ゆっくりと首を振るアレクに、口を曲げてみる。


「キッチン行くぞ」


「えっ? うん」


 どうせ俺の不満が伝わらないのは分かっていた。分かっていたが、腹が立つ。

 ぶっきらぼうに返し、ケーキを運ぼうとした。

 僅かに歩調が合わず、アレクが先を行ってしまった。皿が右に傾き、ケーキもバランスを崩していく。


「ちょっ……アレク、右に!」


「ぉおっ?」


 今度は逆に皿を傾けすぎて、対処が間に合わなかった。ケーキは音も立てずに、断面を下にしてギリギリで皿の上に倒れた。上部に乗せられていたホイップクリームが一滴だけテーブルに落ちる。


「アレクのせいだ」


「オマエのせいだろ」


 こうなると収拾がつかなくなるのは自分でも分かっている。大袈裟に溜め息を吐き、気持ちを切り替える。

 このケーキの状態では、これ以上崩れる事は無いだろう。


「キッチンに運ぶんでしょ?」


「あ、あぁ」


 互いに「せーの」と声を掛け、一歩を踏み出す。今度こそ足並みは揃ったので、問題なく扉を通過した。会議室の扉とキッチンの扉は、フレアかアリアが開け放っていてくれたらしい。

 会議室のテーブルの半分ほどの大きさがあるキッチンテーブルにケーキ皿を乗せると、手を止めたフレアに小さな溜め息を吐かれた。


「やっぱり倒したんだね」


「やっぱりってなんだ?」


「良いじゃないですか。味は変わりません」


「良いのかよ……」


 アリアは洗われた皿を拭きながら、「ふふっ」と笑う。

 ケーキを食べる本人に良いと言われたのでは、反論のしようがない。

 俺もアリアに苦笑いしてみる。


「ごめん」


「気になさらないでください」


 このやり取りの裏で、ナイフを取り出したアレクはケーキを四等分に取り分けていく。

 フレアも食器洗いを再開し、アリアに皿を渡した。

 俺もただ待っている訳にはいかない。布巾を引き出しから取り出し、水切りかごに小さく積まれた皿に手を伸ばした。


「それにしても、充実した時間だったね」


「あぁ、そーだな」


 幸せそうな表情で、アレクとフレアは互いの顔も見ずに笑い合う。

 どれだけ今日という日を待ち望んでいただろう。本当に逢えて良かった。

 自然と俺も笑っていたのだろう。アリアがこちらを見てにこっと笑う。


「百年……長かったですね」


「うん」


 今日の出来事が無意識に呼び起こされ、頬が熱を持ち始める。

 花束を受け取ってくれた戸惑った表情のミユ、ケーキを頬張る幸せそうな表情のミユ、花火を見詰めるあどけない表情のミユ――見ていると此方まで感情が引っ張られる。

 あの顔に、また三日後には会えるのだ。百年ぶりのワクワクだ。


「はい、これで最後」


 どれくらいぼーっとしていたのか、フレアは残っていたケーキ皿も洗い終わったらしい。いつの間にかナイフから布巾に持ち替えたアレクが、フレアに変わって皿を持ち上げる。そのまま一気に拭くと、鈍い音を立ててテーブルの上に置いた。

 次に、アレクは四等分されたケーキのうちの一つを手に取り、アリアに差し出す。


「アリア、オマエの分のケーキだ」


「ありがとうございます」


 まるでご飯の前で待てを言い渡された犬のように、アリアはじっとケーキを見詰める。


「これはサラの分だ」


「ありがとう」


「で、こっちはカイルの分だ」


「うん」


 メインディッシュでも乗っていそうな大きさの皿をアレクから受け取る。ずっしりとした重みが腕を伝う。

 空腹でいても、これだけの大きさのケーキを食べる事が出来るだろうか。疑問には思うが、口にはしなかった。


「んじゃ、今日は解散だな」


「また三日後にね」


「うん」


 もう少し、アレクとフレアの二人だけの時間を作ってあげても良いだろう。

 全員が帰宅するのを待っているであろうアリアに「帰るよ」と囁く。アリアも直ぐに状況を理解したようで、深々とお辞儀をすると、振り返ってからワープを終えた。


「今のうちに、ゆっくり休んどけよ」


「分かってる」


 たいして深く考えもせず、大きく頷いてみせる。


 サファイアに帰ると、早速カイルを呼ぼうとドアの方へと振り向いた。


「カイ――」


 その瞬間、息を呑む。誰かに後ろから見られている感じがしたのだ。

 慌てて振り返ってみても、誰も居ない。クローゼット、テーブル、ラック、カーテン――物陰に誰かが隠れていそうな雰囲気も無い。


「クラウ様?」


「カイル」


 声のしたドアの方を再び見てみると、確かにそこにはカイルが居た。では先程、部屋の奥に感じた人の気配は一体――


「どうなさいましたか?」


「この部屋に……誰か居ない?」


「えっ? そんな筈が無いですよ。此処を何処だとお思いですか?」


 確かに、カイルの言う通りなのだ。城から続く階段を一時間かけて上っても、この部屋には辿り着けないだろう。

 俺のただの勘違いだろうか。


「そうだよね、何でもない」


 首を振り、脳裏に過った嫌な予感を払拭する。


「それよりカイル、これ、お土産」


「こんなにですか?」


「うん」


 ケーキをそっと差し出すと、カイルは嬉しそうに目を輝かせた。


「クラウ様も食べませんか?」


「ううん、俺はいっぱい食べてきたから」


「そうですか。では、有難く頂きますね」


 手からケーキ皿が離れ、ようやくケーキの重さから解放された。


「今日はゆっくりお休みください。ミユ様にお会いになった感想は明日聞きますね」


「うん」


 こんな話をされると、嫌でも顔が緩む。

 俺の顔を見て満足したのか、カイルはにっこりと笑うと、ケーキを抱えて部屋から引き揚げていった。

 時計を見てみれば、針は十時を既に回っていた。とは言え寝るにはまだ早い。

 何となく椅子に近付き、そっと腰掛けた。頬杖を付き、テーブルの上の、空のグラスを指で傾ける。

 この日が来て良かった。本当に良かった。

 瞼を閉じ、ミユに逢えた余韻に浸る。

 眠れぬ夜は静かに、優しく過ぎていった。

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