巻の十 あらし

「………予想外に早いが、致し方在るまい。来るぞ!!」

 警戒音とほぼ同時に、爆発音が響き渡る。後ろによろめいたヘレネ副艦長を片腕で支えて、艦長が言う。

「皆は」

「中央区画に」

「宜しい。航空レーダーを広げたおかげで早く動けて本当によかった。ヘレネ君、英断だったよ」

「これも……アレックスが知らせてくれたおかげです」

 腕の中のヘレネが息を整えなおしながら答え、立ち上がる。

「かの教授にも贈答品がいるようじゃな。しかし………この艦にはレーザーでも焼けぬコーティングが幾重にも施してあるが、実弾で穴を開けて艦壁を焼き切る気かもしれん」

「小型戦闘機、十機です。皆、型番が違います。西域に配備された帝国製の機体も混ざっています」

「帝国軍からもぎ取ったんじゃろうな」

「昨夜、レジスタンス軍に動きがあり、と情報部から返答がありました」

「こちらもじゃよ」

 そこに、アレックスとハドソン整備班長が駆け込んでくる。

「そう、我々は確かにこの星を『接収』してはいる。攻める理由などいくらでもある。それに、この星は資源も豊かだ。それは……アレックス、おぬしが一番よく知っていることだろう」

「ですが艦長は」

「まあ話し合いでわかる相手でもなかろうが、どうしたものか」

「どうか皆と一緒に避難を」

「艦長が逃げてどうするね。ヘレネ君、連中と通信は可能かね」

「え、ええ、しばしお待ちを」

「……アレックス。兵站補給船に本艦クルー全員を乗せて、地上のどこかに隠すように。今から5分の間、砲門を開いてレジスタンス軍を左舷側に引き寄せる。その間にだ。おぬしが惑星研究で培ったデータと一緒に隠れていなさい。いざという時きっと役に立つ」

 ハドソン整備班長が声を上げる。

「私も残りますよ。護衛くらいなら……」

「いや、ハドソン、おぬしは補給船で避難するように。どうせアナベル・リー号も多少は傷付く。おぬしがいないと後で補修もできぬでな」

「ですが」

「まあこれも艦長命令じゃよ。諦めて………」

 そこに、一隻の小型艦艇が飛び込んでくる。アナベル・リー号の下を高速で潜り抜け、眼下斜め下の王宮へとそのまま直行する。

「ミナ……!」

 アレックスが息を呑む。

「王宮に行くつもりか連中は」

「………あの王宮の皆は、俺達とレジスタンスを区別できないかもしれない。中にいるのは、ほとんどが女性だ。警護がいても、銃はない」

「………それはいかん」

「作戦の変更を申請します、サー。………自分は、あそこで何かが起きるのを、黙ってみてはいられません」

 艦長と副艦長の二人が目を見交わす。

「この星の地形ならシュトルムは全て把握しています。なので自動運転でも十分運べます。ハドソン整備班長、頼みます」

「あそこにゃ惚れた女がいるんだろ、任せとけ。それと、気球じゃあれには追いつけねえ。9番ハッチに船外活動用のジェットパックがある。燃料は片道分だが後で俺達の誰かが迎えに行ってやるから急げ」

 艦長が一瞬唇を噛んでから、アレックスに言った。

「………この船の戦闘員などおぬししかいない。必要なものがあれば何でも持っていきなさい」

「ありがとうございます」

 艦長と整備班長が顔を見合わせる。

「そうだ、整備班長。例のあれを貸してくれんかね」

「あれですか? ただのこけおどしですよ」

「まあなんとかなるじゃろ。わしの特技は口八丁じゃよ」

「そうでしたね」

 ハドソン整備班長がポケットから何かを取り出して艦長に渡す。

「ヘレネ君、どうせそのうちこの船を砲撃しにくる輩が来る。王宮の市街地の上からアナベル・リー号を移動させておくように。下に住む住民に何かがあってはいかんからな。対空シールドは船体下部へ。船は多少撃たれても平気じゃが、落下する破片で住民が傷ついてはならんからな」

「かしこまりました」

「それと、移動用小型艦艇の機動準備。交渉に出向く。十中八九話が通じない相手だが、どこかの誰かさんの手紙と違って言葉は通じるでのう」

 艦長が目を細めて、いつもより重々しい声で皆に告げた。

「我が艦はいつも通り、この星との友誼を最優先にする。各々、成すべきことを成すように」


*


「羽虫鳥は来ているかしら」

 祐筆の仕事の合間に、御簾の合間から金の筒を差し出して空を見上げるのがすっかり癖になってしまった。そんな實奈子が自分の局の御簾を掲げて、思わず首を傾げて呟いた。

「あれは、何でしょう………」

 突如として大きな鷲のような形の見慣れない赤い船が空に現れる。そして、いつもの大きい船が僅かに移動しはじめた。金の筒を手に、實奈子が首を傾げる。

「主上に、お伝えしたほうがいいのかしら。それに………」

 雷のような轟音が響き、大きい船から微かに煙が上がる。思わず筒を取り落としかけた實奈子が振り返ると

「歳助! 急いでこっちに来てちょうだい」

 局の入口で手紙を整理していた歳助に声を投げる。

「姉上、今の音は……」

「様子がおかしい気がするの。見てちょうだい」

「星の船が、増えてますが……何があったんです?」

「『荒草の君』がいるのは、あの黒い船のはず………」

 その黒い船にまとわりつくように、いつの間にやら現れた小さな船がいくつもただよっている。

「様子が変だと思わない?」

「いやまって、あれは………?」

 漂っている小さな船の合間を縫うように、大きな鳥の様な何かが轟音を立てて近づいてくる。

「『荒草の君』じゃない」

 歳助が、宴の時に見た小さな気球を思い出して硬直する。

「違う何かだ、それも、たぶん、よくないものだ。姉上、僕は警固の者に連絡を………!!」

 次の瞬間、凄まじい音を立てて庭の池に大きな鉄で出来ている鳥のような乗り物が着水した。局から飛び出してきた女房達が仰天して悲鳴を上げる。

 不可思議な音と共に乗り物の扉が開き、中から『星の民』によく似た人物らが列を成して降りてくる。

「……帽子が、違う。沓も、履いたままだ、僕は教えたんです。もしかして……」

「女房達を皆、避難させます。主上の元に集うように、と」

 實奈子が頷いた。

「『荒草の君』なら、来る前にきちんと文を送ってくれるはずだもの。たしかに、様子が違うわ」

 あれだけ穏やかな交流を丹念に積み重ねてきたはずの今、突然謎の乗り物に乗って庭の池に着水するような真似はしないはずだ。

 歳助が上空を見ると、何度も大きな音が響き、大きなあの船から僅かに煙が上がっている。

「歳助!」

「わかりました姉上!」

 歳助が警固の詰所へ駆け出し、實奈子もまた金色の筒を握りしめたまま廊下へと飛び出した。


*


 駆け込んだ9番ハッチでジェットパックを装着し、アレックスはハッチの重いハンドルを回す。青い空が見え、強風で一気に吸い出されそうになる。

 ヘルメットを被り直すと、腰から下げた装備を一瞥し、ジェットの出力ダイヤルを最大限にすると、迷わずに王宮へ向かい飛び降りた。

(何でレジスタンスが、よりによってこんな時に……突然来たんだ!!)

 思わず歯噛みする。そして、ふと通信講座の初日に言われた言葉を思い出す。


『占領地』


 自分達にとってはそうでなくても、レジスタンスにとってはそう見えるのだろう。そして、言い訳などできない、という艦長の言葉もまた事実であるということも。

 悔しさの中に、一抹の哀しさまでが滲むが、


『最近は帝国よりもレジスタンスのほうが荒々しくもある。特に傭兵。あれは良くないものだ』


 プロフェッサーが言っていた言葉が頭を過る。レジスタンスの正規軍なら話は通じるのか。それはないだろう、とアレックスは唇を噛み締める。傭兵部隊となれば更に通じないに等しいのだろう。

「ミナ」

 星の向こうから来る民を区別できるかどうかはわからないが、どうか今は安全な場所にいてほしい。胸元のベルトのダイヤルを回し、アレックスは出力を上げて王宮の庭へと飛び降りていった。


*


 突如として庭の池に乱雑に着水し、船から降りてくる男達を、刀や長刀を持った白装束の男達が取り囲む。反射的にレジスタンス側も銃を構えるも、

「どうする、帝国兵ではなさそうだが」

「言葉も通じないぞ。共用語が通じないとはさすが辺境だな」

「……やるか?」

 その一方で、宮の警固の白装束の男達もまた、自分達に向けられている『光る筒』が危険なものである、と察したのか、立ち往生している。

 あんな細長く心もとない武器でレジスタンス達をどうこうできるものではない。

 先日招かれたばかりの、あの夜の宴のうつくしい一幕を思い出し、アレックスは空中で思わず唇をぎり、と噛む。あの庭の池はもっとうつくしい場所であるべきだ。艦艇を着水させるなんて論外である。

 アレックスは迷いなく空中で靴を脱ぎ、それを力の限りレジスタンスに投げつけ、銀河共用語で叫んだ。

「来い!」

 ぎょっとした白装束の男達とレジスタンス側の双方が宙を見上げ、声をあげる。

「帝国兵だ!!」

 ちらりと門の方に視線を投げると、小型の飛空艇が既に横付けされていた。

(塞がれているな………)

 上空からのこの邸の見取り図を思い出す。このままではこの邸の中央の、女王陛下のいる一番大きな部屋まで、あっという間に到達されてしまう。

(それは駄目だ。廊下で、なんとか食いとめなければ)

 こちらは一人しかいないのだ。空中にこのまま漂っていれば蜂の巣にされてしまうだけである。レーザー銃の甲高い音と、白衣の男達の怯えにも似た声が上がる。

「その人達を撃つな!! 俺はここだ!!」

 自分もまた宙に向かってこちらもレーザー銃を放ち、アレックスは裸足のまま広くうつくしい庭へ転がり落ちるように着地すると、ジェットパックを素早く肩から捨て去り、そのまま駆けだした。そして、廊下へと跳び上がる。

 追ってくるレジスタンス達が踏み倒したうつくしい紙製の仕切りは『屏風』だ。何にでも名前があり、名前すらあってなかったような自分を、自分たらしめたうつくしい星のうつくしい王宮。

 くるり、と体を反転させて、銃を構えたレジスタンスの胸元に瞬時に飛び込む。

「ここは、大事な場所だ。帰れ」

 廊下に叩きつけたレジスタンスの手から銃を蹴り飛ばす。うつくしく磨き上げられた廊下の彼方に銃が滑っていった。更に背後に迫るもう一人を、そのまま身をかがめて肘で殴り上げ、庭の方へと投げ飛ばす。

 あの宴では様々な花や得も言われぬ香りの香、うつくしい衣装の男女達が花や扇を手に歓談していたうつくしい庭と廊下。そんな場所で争う日が来ようとは。

 次は日が明るいうちに来たい、などと夢みていたはずのうつくしい王宮。

「帰れ! 帰らないと………」

 やっと、やっとここまで来たのだ。それだというのに、自分も彼らと同じように、このうつくしい王宮を荒らすのか。振り返り廊下の柱の陰から飛び出したものの、そんな考えがふと頭を過る。レジスタンス達のブーツの泥が美しく磨かれた廊下に飛び散る様が、何故かスローモーションめいて見えた。腰から引き抜いたブラスター銃の引鉄を弾く指が一瞬緩んだその瞬間、

「撃て!」

 凄まじい衝撃が脇腹を突き抜けていった。衝撃で後ろによろめき、御簾を踏んで体勢を崩す。同時に、何発かの銃弾が頭を掠め、縁の下に潜んでいた複数の兵士が自分に組みかかってくる。

「やめろ。ここを、荒らすな」

 この先にあるのは『最も大事な部屋』である。ぼたり、とうつくしく磨かれた廊下と、靴を脱ぎ捨てた自分の素足に自分の血が滴って広がる。

「変だな、戦闘員はひとりしかいないのか?」

「入口近くにいた白い男達とは違うんだろう?」

 レジスタンス達が廊下に立てられていたうつくしい屏風を蹴り倒し、御簾を乱暴に開けていく。後ろに隠れていた女達が、恐ろしさに震え上がり、独特の長い衣服の裾をなびかせ、まろびでるように奥の部屋へと逃げていく。

「女がいる」

「そういうのは後だぞ」

 そんな声が微かに聞こえて、血液が逆流しそうな怒りが湧き上がる。

「あっちに広い部屋がある。部屋の中に変なテントがあるぞ」

「だめだ、そこは……」

 この王宮の女王陛下の部屋である。ミナが敬愛してやまない女王。月を、夜の月を『返す』為にアナベル・リー号を移動させたあの日を思い出す。

 組みかかってくる兵士達をやっとのことで投げ飛ばし、反射的に立ちふさがろうとし、足元の己の血で滑って、正方形の細かな模様で構成されている木製の格子のドアを蹴倒しながら、

(ここで、俺は、撃てない)

 脇腹の激痛と血が抜ける感覚。死を前に判断を誤っているのだろうか。それでも、ここで自分が積み上げてきた穏やかな何かを自分で崩すことを、アレックスは是としたくなかった。

 血まみれの銃を思い切って廊下に投げ捨て、部屋に土足で踏み込もうとする兵士達に猛然と飛びかかる。揉み合うたびに脇腹から激痛が走り、頭から血の気が抜けていく。揉み合う内に腹に重い一撃を入れられ、胃液までもが逆流する。

「その、部屋に……入るな」

 それでもふらりと立ち上がって、両手を広げ、レジスタンスの一隊を睨み返す。

「仲間が隠れているのか」

「ここにいるのは俺だけだ。この部屋は、だめだ。だいじな、へやだ……」

 アレックスの様子に、レジスタンス達が思わず顔を見合わせる。

「帝国の奴らめ。あそこに高価な宝でも隠したのか」

「ちがう。ここは………」

 せり上がってくる血をごぼり、と吐いて、立ち上がろうとし、そのまま後ろに身体が崩れていく。がたん、と木と布で出来たうつくしい格子の敷居が倒れ、奥から女達の悲鳴が上がる。

「すまない」

 血で汚したくはないのに、この場で血を流しているのは自分だけだというのが悔しくて仕方がない。

 不意にヘルメットが飛ばされて、真後ろから髪を乱暴に掴まれた。レジスタンスのリーダーだろうか。装備が格段に違っている。おそらくは帝国の戦闘で得たのだろう装備品も身につけた男が、怪訝な顔で自分に問いかける。

「お前は帝国の戦闘員なのだろう」

「……そうだ」

「じゃあ、そこの女達はお前のものか」

「ちがう」

「それなら何故抗う」

 自分は間違いなく帝国の戦闘員であり、ただの一兵卒にすぎない。それだというのに、この王宮に侵入者が入ろうとするのをこうも拒んでいる姿は、不思議に思うのが当たり前なのだろう。

 それでもアレックスは、怪訝な瞳で自分を見つめるレジスタンスのリーダーを、負けじと真っ直ぐ見据える。

「……とうとい、ものだ、俺に、とって、すべてが」

 怪訝な顔の男が

「尊い、だと。自分達で占領しておいて何を言う」

 がちり、と音を立てて自分の頭に銃を突き付ける。額に当たる冷ややかな感覚。

 ふと、惑星研究プログラムのプロフェッサーの顔が浮かぶ。もしもこの星にこなければ、きっと自分は戦闘員のままどこかの星の戦闘に従事し、こういったレジスタンスと相対し、いつかはそのままどこかで一生を終えていく、そういうよくある人生だったに違いない。

 それが今ここで来ただけのこと、のはずが、自分の心はどうもそういう人生の幕切れを納得してはくれないらしい。

 ぐっと唇を噛み締め、掌を突き出して銃を弾き飛ばす。弾みで引かれた引き金から、装飾豊かな天井に、数発の銃弾がめり込んだ。

「リーダー!」

「土足で、入るな。ここは、女王の間だ………」

「何だと」

 吐く息がどんどん荒くなる。霞む視界の向こうに、いくつもの光る銃口が見える。重い両腕を広げて、ゆっくり首を振る。

「お前は、一体何なのだ」

「この王宮の………友だ」

 意識が途切れかけて、がくりと膝から崩れ落ちる。もしも自分がここで死んだ場合、文の向こうにいるミナは、それを知る手立てはあるのだろうか。暗い中で一度だけ相まみえた、柔らかい水のように流れるあのうつくしい文字の主は自分の死を知ることなく、文の返事を待ち、かささぎを共に見る日を待ち続けることになるのだろうか。

 息を詰めて、口からごぼりと湧き出る血を手の甲で拭い言う。

「土足で入るなと言っただろう。女達を害すな。そんなことをしてみろ、俺は……」

「ご忠告痛み入るが、お前みたいな一兵卒に何ができるんだ」

 傷口にねじ込まれるような拳の一撃で、目の前に火花が散る。それでも反射的に、相手が殴ってきた方の腕を脇の下に挟み込み、床へ捻じ倒そうと試みる。

「しぶといな。たったひとりか。それにしては見上げた根性だ」

 怪我をした身体ではままならないアレックスからの反撃を軽くかわして、リーダーらしき男が笑う。

「支配下地域を友と呼ぶのは帝国では許されているのか?」

「知った………ことか。俺と……アナベル・リー号は、そうしているだけだ………」

「つまりお友達ごっこというわけだ。甘っちょろい奴はどうせ生き残れはしないぞ。あの船も俺達が沈める。ここで死んでおけ」

 泥にまみれたブーツに、傭兵ならではの紋章が見える。アレックスが笑う。

「傭兵のくせに………命を賭けてもいいような友を持ったことがないのか。じゃあ、なんのために生きているんだ」

 自分でもびっくりするような言葉が口から付いて出る。

「黙らせますかリーダー、永遠に」

「後で俺がやる。馬鹿を楽に死なせる慈悲はない。縛り上げろ。俺達の艦まで連行する」

 背中に衝撃が走り、床に顎ごと乱暴に叩きつけられる。女達のあげる恐怖の悲鳴が聞こえるところから察するに、鼓膜はまだ無事らしい。

 そしてレジスタンス、しかも傭兵部隊の隊長らしき男の後ろから、大型の最新式通訳機を抱えた兵士達が奥へと入っていく。飛び飛びになる意識の向こう側で、そんな彼らが電子音声を使い挨拶を試みているのが妙に滑稽で、笑いの代わりに口の端から血が流れていく。そんな自分を、レジスタンスの傭兵部隊が三人がかりで縛り上げようとする。


『……我らレジスタンス一同、この星を虐げる銀河帝国の悪辣な支配、拘束を解放し、自由で安寧に満ちた……』


 定型文なのだろうか。朗々とした電子音声が響くが、女達の顔には怯えた表情が張り付いたままである。しばらくして、部屋の中央に一段高く造られている布張りのうつくしい小部屋の奥から、凜として堂々たる声が響きわたった。


「吾が宮に知った顔で踏みいるあさましき者はみな敵ぞ!」


 困惑する傭兵部隊達の集うこの部屋に、乱暴に連れてこられたのはガードナー艦長だった。

「アレックス!」

 拘束されている艦長が声を上げる、自分の惨状を見て顔から血の気を引き、拘束を解こうと反射的に身をよじる。すると、数秒の間の後、


「あれくさの……きみ……?」


 部屋の隅で真っ青になって震えている『女官』の中から、ひとりの女がするりと立ち上がる。手にしているのは、以前この王宮に贈ったあの望遠鏡だった。素っ気ない黒い筒を、プレゼント用にと塗料でうつくしく金色に塗ってもらったのが遠い遠い日のように思える。


「ミナ」


 アナベル・リー号が砲撃される音が虚ろに頭の奥まで響く。どうか持ち堪えてほしい。地上に隠したシュトルムは、整備班長に託したクルー達は無事だろうか。ぼんやりと霞がかかっていく中で、電子音声とはまるで異なる、うつくしく朗々とした声が響く。


「この者らは吾に月を返した。うつくしい星見筒も贈って寄越した。吾の宮と星を繋ぐ鵲鳥(かささぎどり)よ。それを害して勝手に縄で括るなど、あるまじき事。その者を置いて静かに去ね。吾の宮は吾以外誰のものでもない」


 かささぎこそは地上と星の架け橋、今のあなたであり、自分達にとっても最も尊い鳥である、とミナが書いてきたのはいつだったろうか。

 レジスタンス達が顔を見合わせ困惑を隠せないでいるその隙に、決して男達の前では顔を見せないはずのこの王宮の女官の一人が、駆けてくる。

 木の扇を床に取り落とす音が響き、この星の女官ならではの長く黒い髪と、忘れがたいうつくしい木と花の入り交じったような香り、暗闇の中でわずかに垣間見ただけの赤い紅を塗った唇が、震える。


「………ミナ?」

「あなた、なんですね」

「わたしの なまえは アレックス・アレキサンダー」

「ええ、ええ、知っていてよ。ずっと前から、あなたのことを」


 刀を手に駆け込んできた歳助と、駆けつけた白い装束の男達が足を止めてぎょっとする。


「歳助! ありったけの新しい布を持ってきなさい。お湯を沸かして。すぐにです!!」


 撃たれて横たわれる自分を見て真っ青になってから、一瞬その場でたたらをふみ、そして素早く踵を返した少年もまた、あの宴の時に案内して貰った、ミナの弟サイスケである。

 そして、思わず後ずさる傭兵達をかき分けるように駆けてきた女性が、床の血で衣の裾が汚れるのも気にせず、アレックスに覆いかぶさるように取り縋り、血まみれの手を取った。


「いやです、いや………やっとこうして逢えたのに、儚くなるのは、いや」


 どうやらこの星では『死ぬ』という言葉を『儚くなる』と表現するらしい。プロフェッサーなら興味深く話を聞いてくれるだろう。ミナ、と呼んでいた女性と視線がぼんやり合わさる。手の甲にぽとりと感じる水のような感触は、彼女が流した涙だろうか。それとも、いつもの浜辺の波しぶきだろうか。思考回路がゆらゆらと定まらない。


「あなたと、もっと、はなしたい」

「ええ、ええ、わたくしも、わたくしもです。この宮よりも広い宙からきたのに、つゆほどのことも、ゆかしがるひと」


 「ゆかしがる」とはなんだろうか。頭の真横に転がっているヘルメットのゴーグルのAIが帝国内データベースを検索する音が耳元で僅かに響く。どうやら機能は破損してはいないらしい。今そんなことを考えるのは少しばかり不粋だな、と思わず変な笑いが漏れる。

 その血塗れのパイロットスーツの胸ポケットから、折り畳まれたいつものレポート用紙がぽとりと落ちた。


『あなたに 逢えた それだけで うれしい』


 實奈子の見開かれた目から、大粒の涙がとめどなく滴り落ちる。泣かせてしまうつもりなどなかったのに、とアレックスはその頬に手を伸ばす。

 何故か涙は、海に似ている様な気がした。

 そうだ。海辺で花を摘んで、手紙に添えねば。まだこの手紙は、未完成なのだから。


「吾のうつくしい筆よ。筆は泪を湛えては返事の文も書けぬぞ」


 うつくしい布で囲まれた高御座の、幾重もの布で出来た入口が開き、うつくしい女が進み出る。震えていたはずの女官達が驚く顔と共に平伏する。この王宮の、そしてこの星を治める女王陛下たる人物なのだろう。

 咳き込んで血を吐き出し、それでもアレックスは僅かに腕を胸へと動かして、敬礼しようとする。


「つゆほどのこともゆかしがる吾らが荒草。檀紙(だんし)一枚持たぬ星の文びと、若き鵲鳥よ。だが、汝のつたなき文、そしてこれまでの数々の心尽くしなくば、吾は汝らを信ずることはなかった。皆の者。醫師(いし)、薬師、祈祷の者らを呼んで参れ」


 女王陛下の視線が、自分と實奈子に注がれている。何か、礼の言葉を述べなければ。震える手でゴーグルに手を伸ばすも、かろうじて「医者」という言葉が聞き取れたところで、アレックスの意識はとうとう緩やかに落ちていった。

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