巻の四 かいがら

『まったく学のない自分が、出会ってしまったこの気持ちというのは一体何なのでしょうか』

 講義を受けている生徒から受け取ったレポートに、プロフェッサーは口元を緩ませる。

 うつくしの宮、という辺境の、言葉通りにうつくしい星。『月を返すため』艦を動かした艦長にその名前を報告し、副艦長から貰った物語を読む。王宮から届く手紙に、四苦八苦しながら拙い返事を返す。

 辺境の星にいる孤児出身の若き一兵士が送ってきたレポートは、他のどの生徒のレポートよりも、興味深かった。

(この私が羨ましいくらいだ)

 探求心、好奇心、そしてうつくしいものすべて。それら全てと縁遠い一生を送るはずだった青年が、いきなり投げ込まれたうつくしい世界。戸惑いながら、それらを知ろうとする姿。

『……言葉や、名前が、突然自分の方にやってきました』

 音声入力で記された、懺悔室の告解のようなレポート。特段にうつくしくも特徴があるわけでもない、ごくごく普通の青年の声で語られる、不器用だが真摯な言葉。

『ここでは、息をするのと同じようにすべてに名前があります。自分には、読み解くことができませんが』

 うつくしい文が届き、最新のゴーグルを所持していたが為にそれを翻訳し返事を書くことになった。ただそれだけのはずが、この青年はそこに、それ以上の意義を見つけ出してしまったらしい。

『言葉や名前が、この星の全てが、息をしているようで、どうにもそれが、自分をどうかさせてしまう』

(美を識る、か)

 普遍的でありながらも、追い求めると決して追いつかない、時には生涯をかけることになる命題になりえるもの。その一端に触れてしまった青年兵士。灰色の巣から彩り豊かな世界へ飛び出した雛鳥のような彼の人生は、これからどう導かれていくのだろう。

「手紙、か」

 良い資料になりそうな文献を転送してやるのも悪くない。縦書きの文字を持つ辺境の星は他にあっただろうか。

 アレックス・アレキサンダーから送られてきた、流れるような文字が綴られている手紙の画像や写真の端に綴られた文字を眺めて、サミュエル・ヴァニー・エレクシュトリームは楽しげに目を細めた。

 雛鳥を美の世界へ導く一助になってみるのも、悪くはない、と。


*


 気がつくと中庭の上空に視線を投げてしまう。『気もそぞろになる』とはまさにこういうことだろう。そんな姉、實奈子の姿を見て歳助が笑う。

「天女に心を奪われた者のような顔をしていますよ」

「まあ、そうかしら」

「もっとも、天女ではなくあの星の船の『荒草の君』なんでしょうが」

 歳助が口を尖らせる。

「あんな拙い文に……ああ、でも、主上宛にあんな拙い文は届かないから、祐筆の姉上には新鮮なんですかね」

 實奈子が微笑む。

「そうかしら……そうかもしれないけど、本当はそうじゃないのよ。あの手紙を見ると、心が熱くなるの。どうしてかは、わからないけれど」

 歳助が首を傾げる。

「暖かく、ではなく?」

「誰かが何かを知ろうとする情熱は、何にもかえがたいものよ」

「けれど姉上、星の民は、僕達とは違う……」

「いいえ、歳助。わたくしはそうは思わないわ。粗い紙でも、拙い文字でも、月をわたくし達に返してくれて、うつくしい絵巻も送ってくれたもの」

「そういえば、あの妙な羽虫鳥は僕に花を降らせてくれましたが……」

 いつも手紙を持ってきてくれる大きな羽虫のような、鳥のような何かを歳助達は「羽虫鳥」と呼んでいるらしい。

「あれは生き物なんでしょうか。悪いものではないみたいですが」

「わからないことだらけね」

 思わず二人で空を見上げる。


『宙のはたてに、かささぎを見ゆ……』


 先日書き送った手紙の一節を思わず口にしながら、空を見上げる姉の横顔を見て、歳助は息を吐く。

「『荒草の君』、どんな奴なんでしょう」

「今頃、どうしているのかしら。あの羽虫鳥は、文をきちんと届けてくれたかしら。散ってしまっていなければ良いのだけれど……」

 書いた文が途中で散逸することを、實奈子達は『散る』と呼んでいる。

「姉上は心配症だなあ」

 いつも女王の祐筆という仕事に追われているこの姉には、個人的に文をやりとりするような相手もいなかったはずである。時折恋文とおぼしきものを言付けられることがあっても、何故かどれも長続きしないのである。

 女王の手紙や日記を代筆しているというのに、自分からどこかに手紙を出すことが少ないことを、實奈子は時折気にかけていた。

「わたくしがしっかりと経験を積まないと、主上の為のうつくしい文など書けないもの……」

 けれど、今回のそれは、そういったものとは『どこか違う』気がする。歳助は思わず溜息をついて、空を見上げる。遙か彼方に浮かぶ黒い船。そこに住まうらしい『荒草の君』。悪い奴ではないらしいが、それしかわからない。

 文を届ける仕事をしながら生きてきたが、文を届けた相手がどんな人間なのかまるでわからない、ということが今まであっただろうか。

(まあ、いいさ)

 文の仲介をしているのはこの自分である。たった一人の親族でもあるこの姉に何かしらの害をなす文などが来たら、とっとと止めてしまえば良いのだ。

「……返事が来たらまた届けるからさ」

「ありがとう、歳助。もう出仕の時間ね。わたくし、行ってくるわ」

 實奈子が檜扇を手にゆるりと立ち上がる。

「文が来たら、すぐに、ね」

「わかってるよ」

 いそいそと立ち去っていく姉を見て、歳助はもう一度溜息をついた。

 基本的にこの王宮では男性と女性がこうして御簾も几帳も隔てずに話をするのは身内であっても珍しい。ひとえに姉が女王の祐筆であり、自分がその文使いである、という立場があってこそのものだった。そんな歳助もあと数年もすれば元服である。女王の叔母に仕えていた両親は既に流行病で失っており、物心ついた頃から務めていたこの文使いから、正式に王宮に仕える侍従になるのだろう。姉弟二人で気兼ねなく過ごすことができる時間も、残りわずかなのである。

「姉上になんかもっと良い感じの縁談の一つでもあればいいんだけどな」

 呑気に不思議な文に心を寄せている姉の後ろ姿を見送って、歳助は今日三度目の溜息をついた。


*


 プロフェッサー宛てのレポートを送るために、自分がこの星に来てから出会った出来事全てを不慣れな音声入力で記す。

 一方的にこちらが喋るだけのレポート、というのは妙に気恥ずかしくもあったが、喋っているうちに変な熱が篭もってしまった気がする。

 そして、副艦長から貰い受けた物語のデータに聴き入るうちに疲れがたまっていたのか、コクピットで眠ってしまったらしい。

「手紙を……」

 この星では手紙を送る際には必ず、何かしらのうつくしいものが一緒に贈られてくる。

「今度は、どうしたものかな」

 また写真を出力するのが一番手っ取り早い気がしたが、同じものを何度も送ってしまって良いのだろうか。

「二時間、か」

 手紙に同封する、何かしらのうつくしいものを探すのにもちょうど良い時間である。昼間に離艦する許可を申請すると、艦長からメッセージが来た。

『頑張りなさい』

 まるでこっちの意図を読んでいるようである。思わず頭をかいて、アレックスは考える。

(……人の少ない海辺に行こう)

 海、というのは色んな星に存在し、海辺というのはどこの星でも人気の場所だという。行けば何かしらあるだろう。

 艦内の購買ではなく、宮の前に延びている大通りの両脇に展開されている地上の市で何かしら見繕ってみたいが、貨幣は使えない上に、どうやらこの星の貨幣に相当するものは、『実った米と絹の布』らしい。

(どちらも持っていないしな……)

 何も買うことはできなくとも、一度はあの市を見て回ってみたい。今度艦長に相談してみよう。

 そんなことを考えながら、アレックスはすっかり自分の勉強部屋も兼ねてしまった補給船シュトルムのコクピットで一度大きく伸びをしてから、操縦コンソールに手を伸ばした。

 海への座標を入力し、自動運転をオンにする。そして、ゆっくりと発進する船内で、惑星研究プログラムの資料に目を通し、眉根を寄せながら序文を読んでいく。


《惑星研究における文明ある星とは、ここ百年の間で『人知が進み外に開けた星、特に、精神的や物質的に豊かになった状態』を指すようになった。 宗教・道徳・学問・芸術などの精神的文化よりも、技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化に重きが置かれるのが銀河帝国ヴァンモーアにおける惑星研究学である》


 文字を読むのは得意ではないアレックスが、時間をかけながら序文を読んで、そして首をかしげる。技術や機械の発達がなければ、それは文明が発達していないということなのだろうか。


《しかしながら、精神的文化の理解なくして真の惑星研究は成されない。星には星の息吹があり、知性ある生き物が住まう星であれば、何らかの種々様々な『文明』があり、それはどれもがとても尊く尊重されるべきものである、というのが私の考えであり、本講座の意義である。サミュエル・ヴァニー・エレクシュトリーム》


 夜ごと山の神に捧げるあの灯火を、この教授がみたらどんな顔をするだろうか。思わずそんなことを考える。機械がなくとも賑わいを見せる市、うつくしい花と共に送られる手紙、自分はすっかり魅せられてしまっている。きっと昨夜送った、この星に関するレポートもこの教授なら興味深く聞き取ってくれるだろう。2回目の授業は本星との公転軌道が異なっているため、今夜の遅い時間である。それまでに補給の仕事を終わらせ、海辺でうつくしいものを見つけ出さなければならない。

 コクピットの向こうに映る青のグラデーションの水平線に視線を投げる。白い波が何かの生き物のように跳ねて、その上を軽やかに、これまた白い羽の鳥達が羽ばたいていく。

(あれはなんという鳥だろう)

 少なくとも、あの『かささぎ』ではないのだろうが、海を渡っていく鳥がいるのなら、やはり宇宙を渡る鳥もいるはずだ。自分が手紙に書いた事柄に妙な確信を得ながら、アレックスは船を砂浜に降ろしてコクピットから直接、船外へとゆらめくように足を運ぶ。

 踏むと音の鳴る白い砂浜に、いくつかの貝殻が打ち寄せられている。うつくしい形や色をしたものを、ざくり、ざくり、と音を立てて歩み、探し、拾い集めながら、水平線へ再度視線を投げる。

 いつも燃料を海底から採取するためだけの『海』が、こんなにうつくしいものだったことに、いま初めて気付いた気がする。

 言葉や名前が息をしている星、うつくしいものや習慣が息吹く星。それらは『とても尊いもの』だという。勉学と縁遠い自分でも、それは心から理解が出来るものだった。


*


 日が暮れかけた頃、空から羽虫鳥が降りてくる。文と共に、夕日に輝く何かを手にしながら、中庭の上空をぶんぶんと『羽音を立てながら』ぐるぐると回っている。歳助が近寄ると、その顔を覚えていたのか、すっと降りてきて、中庭の木の根元に舞い降りた。

 どこが顔なのかもわからないこの『羽虫鳥』も、自分の顔を覚えることは出来るらしい。いつものように、細くて硬い『腕』を伸ばして、例の拙い紙を差し出してくる。

「ご苦労様だね」

 すると、今度はもう片方の『腕』に持っていた何かを差し出してくる。歳助が首を傾げながらそれを受け取ると、玻璃のように透明な袋の中に、色とりどりの貝殻が詰まっていた。

「ここから海は、随分遠いと聞くけれど……『荒草の君』からかな」

 こんな透明の布など、見たことも聞いたこともなかった。羽虫鳥が空に舞いあがるのを見届けて、思わず足早に歳助は實奈子が住まう局へと駆けていく。

「姉上!」

 御簾が掲げられ、勤めから戻ったばかりの實奈子が顔を出し、いつもの黄色い紙を見てぱあっと笑顔になる。

「返事が来たのね!」

「それより、見てください姉上」

 もう片手に持っていた、貝殻の詰まった袋を差し出した。

「この氷みたいに透き通った袋は何かしら」

「布……とは少し違うような」

 大小様々な貝殻が詰められた、透明の袋。

「主上に見せたら喜ばれそうね」

「貝殻よりも珍しいですしね。すごいな。織り目がない布だなんて………」

 海から戻ったアレックスがアナベル・リー号の艦内購買で買い求めたのは、帝国ではどこの家庭にもあるような、至って普通に売られている透明の『保存袋』だった。

「本当に、見たことも聞いたこともないわ。まるで水を固めて作ったみたい。貝殻を入れるのに、わざわざこんな珍しい袋を使うなんて」

 そして、貝殻に目を落とす。

「『荒草の君』は本当に不思議ね。こんなうつくしい布を持っているのに、綺麗な紙はちっとも持っていないのかしら……」

 實奈子が首を傾げて呟きながら、袋からそっと出した貝殻を手に、

「あら、まだ磯の香りがするわ。海へ行ってらっしゃったのね。この宮からは随分遠いけれど……」

 少し嬉しげに呟く。

「貝殻なんて、その布に比べたら珍しくも何ともありませんよ」

「ふふ、そんなことないわ。磯の香りなんて、幼いとき以来じゃなくって? わたくし、貝殻って好きよ。海が、詰まっているみたいだもの。……こちらの珍しい布は主上に献上しましょう。きっとお喜びになるわ」


 うつくしの宮の王宮に『玻璃のように透き通った縫い目のないうつくしい布』が星の民から王宮の主へと献上された、という噂が広まっていくまでに、さほどの時間はかからなかった。


*


 部屋の片隅に灯りを灯し、文机の前に腰を下ろして、静かに黄色い紙を開く。


『宇宙を わたる かささぎ

もしも 見ること あれば、

あなたに すぐ 教えたい』


 拙いが、熱のある文字。


「宇宙を わたる かささぎ………」

 星の民は、『宙』のことを『宇宙』と表現するらしい。そして、見たことはない、とそっけなく返してもいいところを、あまり得意ではないであろう文字を使って、こうして言葉を選んでくれている。きっと、心優しい人物なのだろう。

 文机の上の貝殻の数々に思わず指を伸ばす。主上に献上した水のように透明な布もうつくしかったが、實奈子にはこの貝の方により心が込められている、何故かそんな風に感じたのである。

 まだ僅かに潮風の香りが残る貝を手に取って、思わず御簾の向こうのほのかな月明かりを眺める。


『あなたの なまえは なんですか』


 宮中に住まう女官であり、女王の覚えもめでたい實奈子には、恋文が届くことも少なくはなかった。洒落た紙が選びぬかれ、紙の色にあった草花が品よく添えられている、よくある恋文。

 しかしながらそれらのほとんどは、文を交わしていくうちに、自分ではなく、女王への取り次ぎを願うような、そんな内容へと変化して行くことがほとんどだった。

(わたくしは主上の祐筆ですもの。それも詮無きこと………)

 どんなに品の良い恋文の、どんなに言葉に長けた一文よりも、ただただ自分の名前を問い、宙を渡る鳥がいたら教えたい、というたったそれだけの事柄が、どうしてこうも胸を踊らすのだろう。實奈子は貝を再び机の上に置いて、静かに、ゆっくりと墨を擦る。

 そして硯の上に夜の帳のように広がる真っ黒な墨を見て、ふと、夜の宙を渡るかささぎがいるのなら、群れを成して今すぐあの星の船まで飛んでいってほしい。思わず暗い空を眺めてそんなことをぼんやりと考える。

(不思議なものね)


『わたくしの 名前は みなこ

「實奈子」と 書きます

うつくしの宮の 女王の 祐筆』


 聞いてみたいことも、書いてみたいことも、それこそ星の数ほどあったはずなのに、筆を手にした途端、それらは夜の闇の中に溶けていってしまったかのように、筆先から隠れていってしまう。

 文章を書き慣れているはずの自分にとって、これははじめての経験でもあった。

 微かに磯の香りがする貝をもう一度手に取り、宙の彼方からこの星にやってきた見も知らぬ誰かが、この文のためにうつくしい貝殻をうつくしい布の袋に入れている姿を想像する。

 星の民からの文のやりとりは、今回がはじめてである。彼らはもしかすると、元々文を書くことすらなかったのかもしれない。

 そんな星の民の誰かが、月を愛する心を理解し、山に灯された灯火に心を寄せて、海辺の貝殻を「うつくしいもの」であると認識している。自分達と同じ『心』を持っているのだ。ならば一体、『荒草の君』は、どんな『目』を持つのだろう。今頃、かささぎを探して夜空を眺めているのだろうか。

 夜空の様に黒い墨に、實奈子は静かに筆を浸す。そして、引き出しから取り出した、海のような青に白の波模様が摺られているうつくしい紙に、静かに書き記した。


『あなたが見ているものを

わたくしも見てみたい』

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