第4話 紡ぐ物語② 年下男子の物語


 私は本が好き。


 お洒落するより、買い物を楽しむより、そして恋をするより読書が好き。


 だけど、三度の飯より好きな読書に身が入らない時があります。


 スッとカウンターの前を一人の男子学生が通り過ぎ、私はそれをチラリと盗み見る。


 彼だ。


 佐倉つづるさん。


 大学三年生の二つ年下の男の子。


 身長は意外と高く170後半くらい。柔和な顔でちょっと童顔だけど、良く見ると整っていてカッコいい。あまりお洒落にこだわらないようでラフな服装を好む。


 まあ、お洒落に関しては私も他人のこと言えないけど。


 そんな彼が図書館にやって来ると気もそぞろになって、気がつけば目で彼を追っている。


 最初の頃は他の利用者同様に特段意識もしていなかったのに、好きな読書をしていても彼が訪れると集中力が途切れてしまう。



 こんな状態になったきっかけは二ヶ月ほど前……


 その時、私は配架(返却本を所定の棚に戻す作業)をしていた。図書館の書架は高く、私の身長では上の棚に届かない。だから踏台を使うのだけど、それでも背伸びをしてやっと指先が触れる程度。


「でも、脚立きゃたつを持ってくるのも面倒だし……まっ、直すだけなら大丈夫よね」


 脚立は重いし本を棚に差し込むだけなら踏台で事は足りると高をくくったのがいけなかった。


「う、ん……あっ、と……ちょっと――きゃっ!?」


 ガタッ!


 私はバランスを崩して後ろへ倒れてしまった。


(落ちる!)


 ギュッと目を閉じ衝撃に備えたんだけど、何かが背中を支えて倒れずにすんだ。何が起きたかと恐る恐る目を開けると、目に飛び込んできたのは若い男性の顔。


 彼は左腕で私を抱き抱え、右手で本をキャッチしていた。


「◎$★△¥#⭐︎ッ!?」


 あまりの事態に私は悲鳴も上げられず顔が一気に上気した。きっと茹で蛸みたいに真っ赤になっていたと思う。


「……」


 だけど彼はサッと踏台に乗って本を所定の位置へ納めると何も言わずに去って行った。


 その彼が佐倉つづるさん。


 図書館の常連で顔は良く見ていたけれど、それまではその他大勢に過ぎず特に気にも留めていなかった。だけど、それ以来彼の姿をつい目で追ってしまっている。


 この間も書架整理をしていた時の話。


 設置されている返却台に置いてくれれば後で配架するのに、何故か一定数の人は自分で棚へ戻す。


 いや、きちんと元の場所へ戻してくれれば良いんだけど、何故か全然違う場所に置いていくケースがけっこうある。そんな行方不明となった本たちを所定の住処すみかへ帰してあげるのが書架整理という業務。


「もう、また一番上のね」


 良くあるのが一番上の棚に届かず下の棚に直すケース。私はため息を吐いて脚立を取りに戻ろうとした。


 しかし、そこに佐倉さんが通りかかり、私が配架しようとした本を所定の位置に戻したのだ。


「えっ、あ、ありが……」


 私がお礼を述べようとしたけど、彼はやはり黙って立ち去った。


「な、な、な、何なの?」


 私は呆然と彼の背を見送った。


 こんな風に学生時代はよく男性に助けられた事はあったけど……今まで男の人は何かしらしつこく話しかけられて辟易したものだったのに。


(どうして彼は何も話しかけてこないのかしら?)


 どうにも彼の行動は不可能……いえ、今まで私の周りにいた男性の方がおかしかったのだろうか?


「何を考えているのよ私……まるで彼に声をかけてもらいたいみたいじゃない」


 カウンターでこっそり読書をしていたけど、胸がモヤモヤして集中できずふと顔を上げた。


 カウンターの前方のテーブルで問題の佐倉つづるさんが何か文献を読みながらモバイルを操作している。大学の課題でもやっているのかな?


「ちょっと可愛い……かも」


 無意識に呟いた言葉の意味に理解が追いつき私はハッとした。


「な、何言ってんの私!?」


 カァッと顔が熱くなる。


「――ッ!?」


 しかも運悪く彼が顔を上げた。慌てて顔を伏せたけど……今の絶対バッチリ目が合ったわよね?


 そう思うと羞恥から頭に血が上って何だか思考がグルグルしてきた。


(おかしな女って思われなかったかしら?)


 ダメダメダメ!

 考えるのヤメ!


 気持ちを切り替えようと読書を再開することにした。


 私は手にした本を開いて読書を再開した。


『黒鳥の湖』


 この小説は有名なバレエ作品をモチーフにした小説。敵役であった黒鳥コニールを主人公に据えて、大きな流れはそのままに裏話的なストーリーとなっている。


 元のお話は悪魔ロッドバロンの呪いで白鳥にされた美しき姫君コレットが王子ジークと出会い真実の愛によって悪魔とジークを罠に嵌めた悪魔の娘コニールを打ち倒して結ばれるというもの。


 バレエ団によってはバッドエンドやメリバにされている作品もあるけれど、概ねはそんな感じのストーリー。


 ただ、『黒鳥の湖』はそれを斬新な解釈で悪魔ロッドバロンとその娘コニールを善人にした異色作となっている。


 物語はコデットの国が隣国に攻め込まれるところから始まる。


 コデットはとても美しい姫君であったが、その美貌を隣国の暴虐な王ゲバルトに見染められてしまう。残忍なゲバルトの求婚を断ったのだが、彼はそれに怒りコデットの国を攻め滅ぼしてしまった。そしてゲバルトの魔の手がコデットに及ぼうとした時、悪魔ロッドバロンが現れコデットに呪いを掛けてしまう。その呪いを受けたコデットと彼女の侍女たちは白鳥になって飛び去っていった。


 実はロッドバロンがコデットに呪いを掛けたのには理由がある。彼の娘コニールが幼少期よりコデットの親友で、彼女の危機を救おうとコニールが父ロッドバロンに泣いて懇願したのだ。


 しかし、悪魔のロッドバロンにとって『人を助ける』行為は御法度。だが、愛娘の願いを叶えてあげたい。そこでロッドバロンはコデットと侍女たちを救うのではなく呪いによって間接的に救出したのである。


 だから、呪いにも仕掛けをして夜だけは人の姿に戻れるようにもした。だが、やはり呪いは呪い。夜な夜な人の姿になったコデットの無理に笑う姿に胸を痛めたコニールはコデットの呪いを解けないかロッドバロンに相談する。


 コニールは呪いを解く方法が父ロッドバロンの死かコデットが真実の愛を見つけるかの二つしかないと聞かされる。そこでコニールは一計を案じ大国の王子ジークとコデットの仲を取り持つために自ら悪役となって立ち回り、最後は父ロッドバロンと共にジークに討たれて死んでしまう完全メリバもののラブストーリーである。


「何て酷いラストなの!?」


 私は思わず憤ってしまったけど、これは仕方がないと思う。


 コデットの命を救い、彼女の恋を成就させる為に奔走したコニールがあまりに浮かばれない。


 こんなラスト誰だって認められないわ!


「このラストはない――ッて!?」


 その時、急に視界がグニャリと歪んだ。


 しまった!


「異能が発動してる……まずッ! 物語に飲み込まれ――――」


 不憫なコニールに感情移入してしまい物語に入り込む異能が発動してしまったみたい。


 視界が元に戻った時、私は図書館とはまったく違う場所にいた。


「やばい……『黒鳥の湖』の世界に転移しちゃった」


 しかも、自分の服装を見れば黒一色のドレス。


 この服装から今の私は……


「急に黙り込んで、どうした愛する娘コニールよ」


 渋い男性の声に振り向いた私は全てを理解した。


「お父様……」


 そこにいたのは悪魔ロッドバロン……

 やはり私の配役はコニールなのね……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る