#5 労働で学ぶ罪悪感

 控えめに言って、頑張りすぎたな。今までの人生で一番頑張ったと言っても、過言ではないだろう。一日の疲労って意味じゃ、受験勉強の比じゃないと思う。

 今の俺の背中は、他者からどのように映っているだろうか。ちゃんと、一仕事終えた男の背中として映っているだろうか。それとも、リストラされたけど家に帰れず、夕方までブランコをこいでいる男の背中として映っているのか。


「お疲れっ」

「ひゃんっ」


 彼女なりの労いのつもりなのか、急に肩を揉まれる。

 油断していたのもあったが、妙に気持ち良かったせいで、非常に気持ち悪い声が漏れ出てしまった。書店員より、マッサージの方が向いてるんじゃないか?


「お疲れ様です。天馬さん」


 相手の顔を見ずに労うのは失礼に値すると、重々承知しているが、俺は決して振り返らない。赤面しているかもしれないので、絶対に振り返らない。


「キミめっちゃ働いてたね、疲れてない?」


 本当に気遣いができる人だな。疲れる原因を作りだしたのは、紛れもなくアンタだけど。


「疲れはありますけど、でも……なんか爽快感みたいなのがあります」

「へぇ、なんかいいね。そういうの」


 何を言っているのだろうか、俺は。仕事なんざ、しなくてもいいなら絶対にしない派の人間だったはずだ。

 それなのに妙に楽しかったというか、なんというか。心地よい疲労感とは少し違う気もするが、悪い気はしない。

 もう一日やりたいかって言われたら、断固拒否するけどな!

 給料をくれるなら考えるけど、ボランティアは最初で最後にしてほしい。やりがい搾取などという、悪しき風習は根絶せねばならない。


(でも俺、近いことやってたんだよな……)


 そうだよな、ネカマで貢がせるって、やりがい搾取となんら変わらないよな。奴隷呼ばわりしてたし。

 今日の仕事が時給千円だとしたら、一万円にも満たない給料。下心が原動力とはいえ、身を削る覚悟で貢いでくれてたんだな。あれ、急に罪悪感が押し寄せてきたぞ。

 詐欺師とか転売ヤーも、なんかの拍子に罪悪感に苛まれたりするのかね。


「進次郎君?」

「あっ、いえ。仕事って大変なんだなって」


 性根を叩きなおすためのボランティアか。体よく使われただけだと思っていたが、本当に俺のことをおもんばかってのことだったんだな。

 でも、それとこれとは話が別だ。無給で働かせるってのはスジが違う。下手に礼を言えば、今後もボランティアに駆り出される恐れがあるし、感謝は俺の心の中だけにとどめておこう。


「どうせ、時間終了まで適当にやり過ごすんだろうなぁって、思ってたんだけど、滅茶苦茶、真剣だったじゃんキミ」

「やるときゃ、やりますよ」

「やるときが頻繁にくればいいね」


 失礼な言い方ではあるが、正直なところ俺も驚いている。ずさんな経営に耐えられなかったのか? それともこの人に良いところを見せたかった? いや、さすがに後者はないか。

 なんであんなに頑張ったんだろ。俺って実は、真面目なタイプなのか? でも、ネカマで詐欺を……。


「私と二人っきりで疲れなかったか?」


 先ほどとは打って変わって、心配そうな表情で問いかけてくる。

 なにか思うところでもあるのか?


「え? なぜです?」


 こんな退屈な仕事、一人の方がよっぽど疲れるだろう。

 気疲れって意味で言ってるのはわかるけど、一緒にいて胃が痛くなるタイプでもないし、気にしないでほしい。気にされる方が、よっぽど気疲れする。


「風夏みたいに明るくて美人な子の方が楽しいだろ? 女の私でもそう思うし、スケベなキミなら、なおさらだろ?」


 スケベ要素を見せた覚えはないんだが、その質問は媚び抜きで否定したい。


「スケベかどうかは知りませんが、俺は天馬さんの方が一緒にいて安心しますよ」


 まあ、あのギャルといるのが苦痛ってのもあるけど、それ抜きにしても安心感がある。妙な言い回しになるが、この人は頼れないけど頼りがいがある。

 少年漫画でもよくいるよな? 戦闘力的にはインフレについていけてないけど、精神的支柱としての役割を果たす人。師匠ポジションに多い気がする。


「それは……私が男っぽいからかい?」


 それも理由の一つに違いないのだが、言わない方がいいだろう。

 こういうタイプに嘘はまずそうなので、サラッと処理しよう。


「安心感っていうか、変に気を遣わないでもいいっていうか」

「アラサーだからかい?」


 どんだけ歳を気にしとんねん。

 なんだ? 俺に失言させて殴ろうとしてるのか? 必殺の〝面積小さいパンチ〟をぶちこみたいのか? 本当に痛いんだからな。


「頼りがいと親しみやすさが兼ね備わってる的な? 大人だけど純粋さを忘れてないっていうか」


 変なところで子供っぽい気がするけど、それは言わんでおこう。下手に喋らないというのも、立派なコミュニケーションなんだよ。


「……」


 黙り込んじゃったよ。しかもまた帽子を深くかぶってる。それは、どういうときに取るリアクションなんだ? どういう感情のときに取るんだ?


「続けてくれ」


 顔を隠したまま、話の続きを催促してくる。

 満更でもないのかよ。そして、まだ語らせるのかよ。そんなに話すネタがねーよ。


「なんかこう、義理人情に厚い江戸っ子感っていうか、姉御肌っていうか、感情的だけど理知的? なんて言えばいいんでしょ」


 思い付きで喋っているので、自分でも何を言いたいかわからなくなってきた。俺は生涯、女性を口説けないんだろうな。口説く気もないけどさ。


「でもネチネチと愚痴ったりしたし」


 そうだっただろうか? そういえば居酒屋で年齢確認がどうとか、スカートめくりされたことがないだの、なんか色々言っていたような。

 あんな小さなことを気にしてたのか? 意外と気にしいなんだな。

 竹を割ったような性格に見えて、実は繊細。大人っぽいように見えて、考え方が、どこか幼い。本当にわからん人だ。


「愚痴ぐらい誰だって言いますし、不快感なかったですよ? なぜかは説明できないですけど」


 愚痴ばっかり言うヤツは鬱陶しいけど、不思議と天馬さんの愚痴は不快感がないんだよな。まあ、ずっと聞いてられるかって言われたら無理なんだろうけど。

 ん? 待てよ?


「そうだ、今夜あいてませんか?」


 そうだよ、この人にも今夜の地獄の飲み会に来てもらおう。この人がいれば、多少なりとも胃のダメージが減るはずだよ。


「な、なんで?」


 何を焦っているのだろうか。そして、いつまで帽子で目を隠しているんだろう。心なしか、さっきよりも深く被ってる気がするし。


「激安居酒屋で申し訳ないんですけど、飲みに行きませんか?」


 大学生御用達の店だが、アラサーなら逆にアリかもしれない。失礼な話だが、そんなに金を持ってるようにも見えないし。いや、でも、ゲーミングパソコン持ってるんだよな。服とか化粧に金を使わない分、そっちに使ってるのかな?

 今日のお礼とか言って奢ってきそうな気もするが、さすがにそれだけは断ろう。

 逆に、男が奢れみたいな暴論を言ってきた場合も、断固拒否しよう。さすがに言わないと思うけどさ。


「もしもし?」


 なぜ黙り込む? 明日は土曜日だが、仕事でもあるのだろうか。

 それとも、酒が好きじゃない? 居酒屋がどうとか言ってた気がするけど、別に好きじゃないのか?

 もしくは、身分証明書の類を持ち歩いてない? いや、アラサーだし、さすがに持ち歩いているだろ。


「いや、まあ別に無理にとは……」


 俺はアルハラ反対派だから、嫌がる相手の首根っこ掴んでまで飲ませたくない。

 アルハラ賛成派の人間が存在するかは知らんがな。


「行く……」


 声ちっさ! 嫌なの? 行きたくないけど気を遣ってるの?


「用事があるならいいんですよ? 俺の都合っていうか、気持ちですし」

「……気持ち? それは無下にできないな」


 姉御肌すぎるだろ。っていうか帽子脱いでくださいよ姉御。俺と目を合わせてくださいよ。どんな表情で了承したんですか。

 結局のところ閉店作業中、姉御は一切目を合わせてくれなかった。

 本当に大丈夫か? 連れて行っても本当に大丈夫か?

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