涙流るる古城の街で歌姫は夜空に祈りを捧ぐ

Meeka

プロローグ

 闇は極まり、そこら中の建物や木々といったものの輪郭が夜空に溶け込む時間帯となった。街から人の気配は消え、ほとんどすべての住民が寝静まっている。

 ここ、シュヴァルツェンベルク市は連日の雪に覆われ、樺色かばいろ弁柄色べんがらいろが主体の街並みに、白色が華やかさを加えるようにも見える時節だった。


 思わず見上げてしまうような小高い丘のふもとで暮らすある住民が、こごえるような寒さに追い打ちをかけるように雪が降る中、背景にも馴染む白い息をしきりに吐きながら、慌ただしく玄関から飛び出してくる。

 しかし、男は急に足を止めては振り返った——小高い丘の上を。


 小高い丘の上には、かつてこの地をべていた貴族が住んでいたアイヒベルガー城がある。アイヒベルガー城は今となってはいわゆる「古城」、そして廃墟となった城だ。

 それでも、その美しさや荘厳さゆえだろうか、この市に住む人々は口を揃えて言う——「精霊の棲む古城」だと。


 この男は、最近シュヴァルツェンベルク市にやってきたところだ。夜中に出歩くなど、今日が初めてだった。

「精霊の棲む……、……古城…………」

 その名は、東に隣接する市に住んでいた頃に聞いたことがあった。彼は白い息の塊をぼわっと出しながら呟き、それから口を固く閉じ、ギッと奥歯を鳴らした。


 どうやら、雪は男の心を駆り立てるようだ。目に雪が入ったのを機に、彼は用事を思い出したかのようにハッとしては走り出した。

 彼は、この街では珍しい黒色と青色のチェック柄の手袋をはめて、可愛らしい建物が両側に並び、夜闇にも勝る陰を成した狭い路地を、凍結している路面で時折滑りながらも、ただ奥へ奥へと走っていってしまった。

 人々が寝静まったこんな夜中に、この男が向かった先など、誰も見ることはなかった。

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