第9話 涙

 それはビリーという幼い少年が作り出した小さな波だった。

それが大人を動かし、大きな波となった。カルネの部下は二十人足らず、人数の上では圧倒的に村人の方が多い。

 思わぬ反撃を受けた部下たちは、村人の勢いに負け、手に持っていた武器を構える事すら出来ず、村人が作り出すその波に押し負けようとしていた。

 だが、そんな光景をひとりの男が冷静に観察していた。

 それはこの騒動の仕掛け人、転生者のカルネである。彼は村人を抑える事の出来ない部下たちに苛立ちを覚えつつも、頭の中は冷静だった。自分の野望がこうも簡単に打ち砕かれるとは思ってもみなかったからだ。それもたった一人の子供に。

 人の力と言うのは恐ろしい。だからこそ絶対的な恐怖で支配するしかないのだと、改めて確信する。

 カルネはそう思いながら、手に持っていた神器の引き金に指を掛けた。


「……虫けらが……!」


 次の瞬間、一発の銃声が鳴り響く。

 それと同時に初老の男性が膝から崩れ落ちた。カルネは神器を使い、男性の右足を撃ち抜いたのである。


「ふん……この俺に反乱でも仕掛けたつもりか」


 カルネは撃った男性に一瞥もくれず、続けざま別の村人の銃口を向ける。そして引き金を引いた。放たれた弾丸は村人の肩に命中し、その村人も地面に崩れ落ちた。


「や、やめろ……!」


 その光景を見ていたビリーは声を振り絞る。だがその声が誰の耳にも届く事は無く、カルネは単純作業のように神器の引き金を引き続けた。

 何度も神器から放たれる銃弾を前に、無論村人たちは成す術無く、ひとりひとり確実に傷を負っていった。ある者は肩を撃たれ、足を撃たれ、腹部を撃たれ、不幸な者は頭部を撃ち抜かれた。


「やめろカルネぇぇぇぇぇ!」


 ビリーが動かぬ身体を動かし、カルネの前に立ちはだかった。

 するとカルネは射撃を止め、ビリーの目をじっと見つめた。


「なんだ、俺の部下になる決心でもついたか?」


 暴力による支配、それがどのようなものなのか、ビリーには改めて知った。


「ふん、まあ……そんな事はもうどうでもいい。ここに拠点を置き、首都ベルルーサまで行くつもりだったが予定変更だ。俺に逆らう奴は全員皆殺しにしてやる。恐怖でこの世界を支配するためには、慈悲などかけてはいけないという事が良く分かった」


 ビリーにはカルネの発想がまるで理解出来なかった。

 これまで慈悲などというものが、どこにあったというのだろう。村を荒らし、金品や食糧を奪い、村人のプライドをズタズタに切り裂いたコイツが。

 異世界・地球から来た転生者はどうしてこうも非情に、冷酷に、残虐になれるのだ。

 これが力を手に入れた者の末路というものなのか。

 しかしこれでハッキリした事があった。やはり転生者カルネは根っからの悪人だという事。野望だなんだと大仰に語っていても、結局は力でねじ伏せる事しか出来ない小悪党なのだ。

 こんな男が神の力など持っていてはいけない。


「くっ……!」


 それを考えると、ビリーは今まで我慢して来た涙腺が一気に崩壊した。

 いくら殴られようと蹴られようと、身体の痛みは我慢出来た。人に笑われても、馬鹿にされても、心の痛みも我慢出来た。

 けれど、こればかりは我慢の限界だった。

 幼く未熟なビリーでさえも分かる、この善悪の常識。百人が百人、カルネを悪だと言い切る事が出来るこの凶行。だが、それに足掻こうとも立ち向かおうとも、埋められない埋まらない自分とカルネとの実力差。

 ビリーは地面に握った拳を叩きつけ、涙を流した。

 どうして自分はこんなに弱いのだろうと。


「フハハ。泣いているのか。悔しいか? 悔しいんだろ? だが今更後悔しても遅い。素直に頭を下げていれば良かったものを、お前がそれを拒否したのだからな。お前のクソどうでもいい正義感の影響で村人の心に火を付けた。その結果傷つき、死んでいく。見ろ、これがすべてお前の責任だ」


 それはカルネの言う通りであった。

 自分ではどうする事も出来ないこの状況を生み出したのは、自分。自分さえ出しゃばりさえしなければ村の人たちが傷つく事も無かった。誰かが死ぬことなんて無かった。

 口では村を守ると言っておきながらも、自分の力不足で招いた結果。結果的には村の人たちを焚きつけ、反乱を起こしてしまった張本人、それが自分なのだ。

 しかしそれを収める事も、鎮める事も出来ない、未熟な人間。自分で広げた風呂敷を畳めないままに、この状況を作り出してしまった。こんな中途半端な気持ちではいけなかったのだ。

 夢は、希望は、力ある者だけがみるべきだったのだ。


「うあぁぁぁぁ……あああぁぁぁぁ!」


 ビリーは天を仰ぎ、瞳から大粒の涙を流した。

 中央広場はいつの間にか、地面に倒れる村人の姿で埋め尽くされている。それもこれもすべて自分が招いた種。自分さえカルネに反抗しなければ。自分さえカルネに従っていれば。

自分さえ夢を語らなければ。夢を叶えようとしなければ、誰も死なずに済んだのだ。


「ああああぁぁぁぁ! なんで! なんで! なんでこんなことに!」


 ビリーを襲う自責の想い。

 村の大人たちは正しかった。従うべきだった。力に屈服すべきだった。悔しくても、どんなに悔しくても命を懸けてまでする事ではない。

 村の大人たちは勇気が無かったわけではない。それが無茶だとわかっていたからやらなかったのだ。臆病だったわけではない。今を生きる事を最優先に考えての行動だったのだ。だから敢えてカルネに怯えたふりをして生きていたのだ。この最悪な状況を想定して、それを防ぐために、そうせざるを得なかったのだ。


「うるさいガキだ……。もう興味は失せた。俺はさっさと次の街を目指す事にする」


 カルネはそう言うと再び神器を構え、真っ直ぐにビリーの眉間を捉えた。


「そう言えばお前、村を守って冒険者になると言ったな。安心しろ、もうその夢が叶う事は決してない。ここでお前は死ぬんだからな」

「ば、馬鹿にするな……これ以上僕を馬鹿にするな……」

「だったら、向かってこい。神に選ばれしこの俺を止めてみろ」

「僕の夢は……僕の夢は! お前みたいな悪い奴からこの世界を守ることだ……! 村を守って、冒険者になって……いつか……いつか僕は!」


 ビリーは言葉を吐きつつも、瞳から涙を流す以外にもう手段が無かった。

 殴られ蹴られた事による傷と、魔力消費によって満足に身体も動かせず、指を一本動かすだけで全身に激痛が走る。どこか骨が折れているのかもしれない。それすらわからない程にボロボロだった。

 悔しい。

 ビリーは頭の中がどうにかなってしまう程に悔しかった。


「いつか? いつかっていつだ。所詮、ここは力ある者が支配する世界なんだよ。お前の夢なんてな――」


 ビリーは目を見開き、カルネを睨みつける。

 悔しすぎる。

 それ以外の言葉が浮かんでこない。


「ゴミ屑以下だ」


 カルネはそう言うと神器の引き金にかけた指に力を込めた。

 その場にいた全員がビリーの死を覚悟した瞬間、それは突然現れた。

 カルネの部下たち、傷ついた村人たちの人混みを駆け抜け、物凄い速度で二人に接近し、ギラリと光る何かがカルネが持つ神器の銃口を跳ね上げる。銃口を跳ね上げられた事により、神器から放たれた弾丸は何もない夜空に発射され、その音が中央広場に響く。

 広場に居た全員が我が目を疑い、そして奪われた。


「な、な、な……」


 銃弾を放ったカルネでさえも、それは例外では無かった。


「何者だ、貴様ぁ!」


 突然、目の前に現れたその男にカルネは驚き、神器ピースメイカーを向ける。だが、その男の様相を見た瞬間、カルネは動きを止めた。

 黒いボサボサ頭に、こちらをキッと睨む血のように赤い瞳、幼さを残す子供のような顔立ち、彼は浅葱色の合羽の身にまとい、下には和装の出で立ち。そして右手には刀を握り、左手には鞘を添え、凛としたその姿に、カルネだけじゃない誰しもが目を奪われた。


「俺はアキト。クサナギ・アキト。サムライだ」

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