第5話 秋桜

 アキトは仮宿である酒場から離れ村を出た。そして村の東にあるというとある場所を目指した。

 先ほどまで照らしていた太陽は岩山の奥へ消え、陽の光を失ったことで大地は冷えつつあった。そこに時折乾いた風が吹く。水分を含まぬその風は、地面から温度を徐々に奪う。

 寒く、冷たい夜の到来である。

 アキトは昨日までの野営で、荒野の夜の厳しさはある程度分かっていた。

 本来ならば今の時間、無暗に動く事はせず、落ち着ける場所を探して焚火を行い、奪われる体温を少しでも抑えなければならない。しかし今のアキトには行かなければならない場所があった。

 そこにたどり着ける保証はない。村の外れにある東の洞窟と言うことだけしか知らないのだから。しかし田舎育ちなので、視力には自信があるし、星を見れば方角ぐらいはわかる。

 それに後ろを振り返れば、村にある家の灯りが見えた。迷ったらそこを目指せばいい。

 そんな彼をあざ笑うかのように、強く冷たい風が渇いた大地に吹き荒れた。


「さみィ」


 アキトは白い息を吐いて少し愚痴った。

 空を見上げると小さな月が、アキトを照らし、彼の周りの岩山を明るく照らしていた。

 見渡す限り続く岩山は比較的小さく、登る事自体は容易だった。しかし小高を登りきると冷たい風がアキトを襲う。村を出る際に祖父が持たせてくれた合羽が無ければ、震えあがってしまう程の寒さだ。

 アキトが装備している服装は勿論、頭に被っている三度笠、合羽はヒノクニの人間が旅に出る際に、必ず身に着ける旅の装備一式である。

 三度笠は竹で造られている帽子で、頭に被り顎紐で固定する旅の必需品だ。風が吹いても飛ばされる事は無いし、日中の日差しからも夜の冷たい風からも頭を守ってくれる。

 合羽にしても同じであった。旅服の上から羽織る外套で、長さは腰ぐらいの物を着用。これ一枚で防寒防雨を担ってくれる。袖を通す種類のものではない為、どのような服を着ていても、動きが阻害されないように造られており、合羽を着たままでも刀を抜く事も可能である。こちらも三度笠と同じように、雨風から上半身を守ってくれる。

 ヒノクニ以外の人間がこれらを着ている事は無いが、故郷が大好きだったし、それに誇りを持っているため、この二つの旅装備は彼のお気に入りだった。


「もうちょっと詳しい場所を聞いておくべきだったかなァ」


 アキトは少しだけ後悔したものの、何とかなるだろうと思い、一歩一歩歩みを進めた。


「お?」


 岩山に入って一時間程が経過した頃、岩山の中腹が明るくなっている事に気づく。

 遠目で見ればただの岩山だったが、むき出しの岩肌にいくつかの焚火のような光が周囲を照らしている。


「居た。あれがそうか」


 焚火の周りには数人の男たちの姿と馬車が二台。焚火で何かの調理をしているのか、アキトが居る場所が風下だったため、風が吹いたときには肉の焼ける匂いがこちらにも薫ってきている。

 とりあえず近づかなければ、あれが目的の場所かどうかも分からない。アキトはそう思うと焚火の方向へ歩き出す。

少しずつ距離が近づくと男たちの装いがハッキリと見えるようになった。

 どの男たちも先ほど酒場で出会った人間たちとさほど変わらない恰好をしている。頭には鍔の広い茶色の帽子を被り、砂で汚れたシャツ、ベストやコートを羽織り、腰には細身の剣やガンベルトを巻いた男たちの姿。どう見ても普通の人間じゃない。

 その姿を見て、アキトはニヤリと笑った。

 そしてアキトは彼らの一挙手一投足を観察しながら、ゆっくりと近づく。気配を消す必要はないが、変に気づかせる事も無い。彼らは焚火を囲んでおり、自分の存在にまだ気づいてはいない。どの男も焼きあがった肉や温めた食材を口に頬張っている。

 そんな中、ようやくひとりの男がアキトの存在に気づき、彼の居る方へ振り向いた。


「……ん? なんだ?」

「どうした? 何か居るのか?」


 ひとりが気づくと、連鎖的に周りの連中がアキトに気づく。それでもアキトは近づく事を止めない。月の明かりが彼を照らす。


「飯の最中に申し訳ねェ。ちょっと聞きたいんだけどよ」


 三度笠をクイッと持ち上げ、アキトは男たちに顔を見せてそう言った。


「な、なんだてめえは!」


 ひとりの男が立ちあがり、ガンベルトの銃に手をかけた。

 それに連鎖するかのように、周りに居た男たちも立ち上がり、それぞれ自分の武器に手をかける。


「カルネって奴に会いに来たんだが、どこに居る」


 アキトがカルネの名を口にすると、身構えていた男たちが一瞬ビクッと震えた。


「どっから来やがった、このクソガキ!」

「う、うちのボスに何の用事だ!」


 男たちは明らかに動揺していた。

 アキトはニヤリと笑い、ここがカルネのアジトである事を確信した。


「大した用事じゃねェよ。俺の気まぐれってやつ」

「……はぁ? 小僧、お前一体何を言っている!」


 一対多数、ひとりの少年と多数の大人。それは誰の目にも明らかだった。

不利な状況においてもアキトは一歩もひるむことなく、どっしりと構え真っ直ぐ男たちの目を見つめる。

そんな時だった、男のひとりが何かに気づき口を開いた。


「お、おい……。アイツの恰好。昼間村から帰って来た奴等が言っていたガキじゃないのか?」

「あー、それたぶん俺の――」


 男の言葉に応えようとするアキトの言葉をある音が遮った。それは銃の撃鉄を起こす音だった。


「おっと、動くんじゃねえ……。変な格好をした田舎者のガキ、ありゃお前の事だったのか」

「ああ、それは俺の事だねェ」

「なにしに来やがった……、要件次第じゃ脳天に鉛玉を食らう事になるぜ。今更謝りにできも来たっていうのか? アン?」

「ニヒヒ、そんなわけねェだろ。さっきも言ったけどさ、俺はカルネって奴に会いに来たんだよ」


 アキトがそう言うと周囲の男たちが武器を構えた。


「会ってどうするつもりなんだ?」

「ニヒヒ」

「何がおかしい? てめえ、この銃が見えないのか!」


 アキトは一歩も動かずに、ゆっくりと銃口を突きつける男の方向へ向く。


「動くなって言ってんだろうが!」


 男は額に冷や汗を垂らしながら、アキトの顔面に銃口を突きつける。

 既に引き金には男の指がかかっており、それに少し力を加えるだけでアキトの脳天は吹っ飛んでしまうだろう。しかしアキトはそれに全く臆することなく、ただジッと男の目を睨みつけた。


「無粋だねェ」

「……は? てめえ、何を言ってやがる――」

「銃ってやつは、簡単に人の命を奪えるんだ。じゃあその逆も然りだよなァ」


 アキトはそう言うと、男に向かって右足を一歩強く踏み込む。

 銃口を突きつけられて、動くなんて正気の沙汰ではない。男はそう思いつつも、必死に狙いを定める。しかしアキトの素早い動きにその照準が合わず、引き金を躊躇った。

 次の瞬間、アキトの腰からキラリと何かが光る。

 それが腰に差した武器だという事に、男はすぐに気づく事が出来なかった。それは無理もない。武器は抜き身にして初めて威力を発揮するもの。それが銃であれ剣であれ、抜いてもいない状態から、攻撃など出来るはずがない。

 男はそう思っていた。

 しかし男はその目でハッキリと見た。

 目の前の子供の身体が流れるような動作と、目にも留まらぬ速さで、それを成し遂げた事を。

 蹴り出した右足に、あり得ない速度で捻られた腰の動き、外套の隙間から見える左腰に提げられた細身の剣、その鞘を握る左手、そして吸い寄せられるかのように添えられた右手。

 戦闘経験の少ない男であっても、こう目の前で見せられれば、それが如何に物凄い事であるかがわかる。

 このガキは只者ではない、と。


 次の瞬間、男と目の前にいる子供との間に何か赤いものが舞った。

 一瞬、雨かとも思えたが、そうではない。雨は赤くない。これ何度も見た事がある。少し黒みがかった赤、そして鼻孔に感じる鉄臭い香り。そう、これは血だ。

 この血は一体誰が? 目の前にいる子供が流したのだろうか。いや、そんなはずはない。

 男はゆっくりと舞った血が噴き出す方向へと目線を向ける。

 それはすぐに見つかった。自分の右手、それも腕の部分がパックリと割れていたのである。


「……‼」


 男は言葉を失っていた。

 斬られた事を実感し遅れて来た激痛に、膝がガクッと崩れ、握りしめていた銃を落とし、左手で右手を抑える。右手の腕からは尋常ではない程の出血量。傷口を手で覆ってもドクドクと流れ出す自分の血液を留めておくことが出来ない。地面はすぐさま真っ赤に染まり、それは小さな水溜りのように、赤く、赤く、乾いた大地を染め上げた。


「クサナギ流剣術、秋桜。ニヒヒ、綺麗な血の花が咲いたな」


 アキトはそう言いながら、右手に持った刀をヒュンと回し付着した血を払う。


「あ、ああああああ……!」

「大袈裟だなァ。ちょっと軽く斬っただけじゃん。その程度じゃ致命傷にはならねェって。でもアンタが悪いんだぞ。人に銃を突き付けておいて、無事で済むと思ったら大間違いだ」


 それは一瞬の出来事だった。

 まさに瞬きをするほどの刹那の瞬間。引き金よりも速く、腕を斬られたのだ。


「ジョ……ジョージ!」


 その光景を目の前で見ていた男たちは、一瞬呆気にとられていた。しかし我に返った男たちはアキトに銃口を向け、右腕を斬られた男の名を叫ぶ。


「て、てめえ! 何をしやがった!」


 周りの男たちが再びアキトの銃口や武器を構えた。


「うーん、しょうがないなァ。大人しくカルネに会わせてくれれば、無駄に危害を加えるつもりはなかったんだけど」

「な、仲間がやられて黙っていられると思っているのか!」

「うん、まあ。それもそうか」


 アキトはそう言うと、右手に持った刀をギュッと握りしめた。


「なら、もう少し咲かせてやるよ。血の花ってやつを」

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