冬原沙耶香

週末の土曜日。

夏から秋に変わる時期特有の乾いた心地よい空気を感じながら、僕は区役所併設の文化小劇場の前の円柱に持たれながら腕時計を確認していた。

まだ待ち合わせには10分ほどある。


水曜の仕事中、外回りの最中に坂口加奈子から誘われたのだ。

彼女は市民劇団や、まだそれほど知名度の無い役者による舞台を見るのが好きらしく、今度の土曜日に彼女が最近ご贔屓にしている劇団の公演があるらしい。

「無名ですけど、今度主演する女優さんがとにかく華やかなんですよ。彼女、絶対出てくると思うんで見てみません?」

演劇を見る趣味はないし、まして失礼な言い方だけどマイナーな舞台のために休みを使うのか・・・と思い返答を躊躇していたが、坂口さんに頼み込まれて内心渋々引き受けた。


「お待たせしました。おっ、私服中々お洒落じゃないですか?」

「そうか?家にある奴を適当に着てきただけだけど」

「いやいや、中々いい感じです。スーツ姿しか見てないから新鮮ですよ」

「坂口さんこそ秋らしい色合いで似合ってるよ」

「え?!あ・・・そんなお世辞言われても何も出ないですよ」

お礼のつもりで言ったのだが、予想以上に慌てているようでこちらも焦る。

「あ、そんな訳じゃないよ。・・・所で今日は誘ってくれて有り難う。いい気晴らしになったよ」

それは本心だった。

引き受けた当初は気が進まなかったけど、当日に来てみると爽やかな秋空とその空気は気持ちいいし、小劇場を訪れるお客であろう人たちの熱の籠もった会話や雰囲気は見ているこちらも気分が浮き立って来る。

「何というか・・・お祭りに来てるみたいでいいね」

「えっ、嬉しい!そうなんです。マイナーな劇団だからこそお付き合いで・・・って言う人たちも多いけど、本当に好きで来る人も多いです。それらも含めたこういう雰囲気は小劇場の感激でこそですよ」

「本当に演劇、好きなんだね」

「はい。演劇もミュージカルも大好きです。何より、江口先輩の気晴らしになったなら何より」

「そうだね。ずっと土日は家に籠もってたから、新鮮だ」

「なら良かった。さ、行きましょうか。今日の作品はおすすめですよ!前も言ったけど、主演女優をぜひ注目して下さい」


受付でチケットを出すと、代わりに配役と簡単なあらすじ、演出家や出演者のコメントのかかれたパンフレットをもらい、席に座った。

文化小劇場と言えど、天井の幾何学的なデザインや劇場内のどこか静謐さを感じる雰囲気は馬鹿に出来ないな、と感心しながら見回した。

周囲からに座る人たちからは、演劇に関する技術論や別の舞台や劇団についての情報交換らしい会話が聞こえてきて、なるほど劇団同士の「お付き合い」もあるんだな・・・と思わされた。

坂口さんがお手洗いに立ったので、何気なくパンフレットを眺める。

彼女は主演女優をかなり押していたので、名前を見ると当然ながら聞いたことも無い女性だった。

だが、僕の目は主演女優の3人ほど下に書かれている出演者の所で止まった。

「冬原 早耶香(ふゆはら さやか)」と書かれていたその名前がサヤを連想させたのだ。いいおっさんが・・・まるでストーカーだな。

苦笑いをしながらパンフレットを閉じた所で、坂口さんが戻ってきた。

「あ~もう、ホント女子のお手洗いの少なさって社会問題ですよね。毎回役所に苦情入れてやろうか、って思っちゃいます」

「ホントにやるなよ」

「分からないですよ。あ、所で主演女優見ました?」

「ああ、見たけど」

「この人演じる平凡な主婦とその友人3人のサスペンスなんですけど、複雑な関係性もまたいいんです」

なるほど。

あらためてパンフレットを見て、冬原早耶香の配役を確認すると、彼女は主人公演じる主婦の友人らしい。

主要キャストって奴か。

そこまで確認したところでブザーが鳴り、館内の照明が落ちた。

館内放送がかかり、幕が開く。


早速、主人公らしき主婦が現れる。

しばらく彼女とその夫役が出ずっぱりでやり取りをしていたが、坂口さんが押しているだけあって、中々引き込まれる演技だった。

そして、ぼんやりと見ていたが友人二名が現れたがそのうちの1人、冬原早耶香の役を見たとき一気に目が覚めた。

あれは・・・

髪型も派手な茶髪にしていて、服装も派手だったが見間違うはずが無い。

彼女はどう見てもサヤだった。 

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