第22話 不穏

王都でコレラが蔓延した後、深刻な不作で農業中心のアレンスブルク王国の税収は落ち込み、食糧不足も起きて以前から王国が苦しんでいた財政難がますます悪化した。領主によっては何の対策もせずに単に税率を上げ、民衆の怒りは徐々に高まっていき、王国の治安はどんどん悪くなっていった。


重税を課した領主の中にナッサウ公爵、つまりフレデリックの異母弟アウグストがいた。最も本人は宰相として王都にずっといたので、領地のことは夫人に丸投げしていた。王国歴452年、その領地で暴動が起き、暴徒がナッサウ公爵家のカントリーハウスになだれ込んで夫人と息子を嬲り殺した。同じような暴動が王国中に広まり、王都も不穏な情勢になりつつあったが、地方に比べればまだましであった。なので、用心深いアウグストは、家族の訃報を聞いても自分の身の安全を優先させて領地に行かず、葬儀を領地の執事に任せて王都に留まった。


公爵夫人親子が暴動で殺害されたことにアマーリエは驚いた。女子大生アメリーの知っていた史実では、ナッサウ公爵夫人と息子は、ジークフリート心中後に立太子されたアウグストと共に暗殺された。タイムパラドックスが既に起きていると思わざるを得ない。


アウグストは、自分や王政を批判した新聞を発行禁止にし、発行を許した新聞でも記事の内容を検閲して市民革命が起きた外国の状況や王政の批判、自由主義の賛美を報道させないようにした。だが、ブルジョワに支えられて秘密裡に発行され続けている地下新聞は、しきりに自由主義の良さとアレンスブルク王国の政治の欠点を伝え続けた。


地方ではそのような地下新聞はあまり回ってこず、文字を読める人も王都よりも少なかったが、王都では教育のある市民の間に密かに広がっていった。とうとう人々はアウグストの宰相辞任や憲法の制定、普通選挙の実施など、表立って自由主義的改革を要求して王都でデモを行うようになり、ドロテアの死の翌年にはそれが新聞を読まないような労働者階級にも飛び火して暴動に収集がつかなくなってきた。


アウグストはもちろん宰相辞任を拒否し、他に頼れる者がいない国王フレデリックも彼の決断を支持した。アウグストは反政府運動を弾圧し、人々は彼を憎んで抗議し、また弾圧が行われ、その無限の繰り返しで弾圧を許す王政への反発も広まっていった。


その頃、危機に陥ったアウグストにソヌス出身のアンドレ・ド・ロレーヌがうまい話を持ち掛けてきた。


「ド・ロレーヌ殿、何の用だ?」

「ナッサウ公爵閣下、そんなに冷たくしないで下さい。いいお話があるのですよ」

「怪しい話には乗らんぞ」

「陛下がのほほんとしている間に閣下はこんなに苦労されている。でも閣下は王弟殿下とはいえ、宰相は所詮、国王陛下の臣下。次期国王はジークフリート殿下と決まっている」

「何が言いたい?」

「はっきり言いましょう。王国の一番上にのし上がりたくありませんか?」


以前だったら、慎重なアウグストはここまで言われてもすぐに話を聞かずに追い返していただろう。でも自らそう仕掛けたとは言っても、異母兄の国王は自分に頼り切りで、王宮の外では自分を非難する民衆が増え、アウグストは追い詰められ、割に合わないと不満を募らせていた。


「…どうやってやるって言うんだ。君が今言った通り、ジークフリートが王位継承権1位だ」

「私の計画に邪魔な者はのみです。陛下は閣下のご意見をからはいいとして、1は御しにくいですね。私にいただければ閣下に悪いことはありません」

「任せたとして君に何の利益がある?ただで動くほど君だって馬鹿でないだろう?」

「もちろんです。私をソヌス王国との同盟担当大臣に任命して下さい」

「それが大それたことをする代償か?小さすぎないか?」

「ご存知のように私はヘルミネ様を愛しています。彼女の隣にふさわしい男になりたいだけですよ」

「愛は偉大か?私はそんなロマンチストを信じるつもりはない」

「それが本当なんですよ。彼女の夫がいなくなれば、私は彼女と結婚できるし、祖国ソヌス王国との繋がりができて捨ててしまった事業も家も取り戻せるでしょう」

「君にとって利益があることは理解できた。だが国同士の利益はどうだ?確かにソヌス王国は王妃陛下の祖国だが、同盟と言うほど関係が深いわけではない。それにあちらも我が国と同じように自由主義運動が大きくなっていると聞いている。同盟が我が国に利益をもたらすとは思えないし、先方にも利益がないだろう?」

「だからこそです。協力して食料危機を乗り越え、暴動を抑えるのです」

「具体的にどうやって?!」


アウグストはアンドレの話に夢中になっていった。


一方、ヘルミネはアンドレの同盟担当大臣就任に機嫌が悪くなった。ヘルミネは実家のソヌス王家と仲が悪く、なるべく関わり合いたくないからだ。


「アンドレ、どうしてソヌスとの同盟担当大臣になんてなったのよ」

「僕の出世を喜んでくれないの?」

「私がソヌス王家との関わりを嫌ってるのは知っているでしょう?」

「ねえ、大嫌いなご両親と兄上、姉上をぎゃふんと言わせたくない?」

「それは…もちろんそうだけど…いったいどうやって?」

「僕を信じて。僕達の計画が成功すれば、君はアレンスブルク王国の王妃だけじゃない。ソヌス王国の女王にもなれるんだよ。君の兄上は王位を逃して地団太踏んで悔しがるだろうね」

「本当にそうなれば素敵ね。私は何をすればいいのかしら?」

「そうこなくちゃ。頼もしい貴女は本当に素敵だよ」


アンドレはヘルミネを抱きしめて唇を重ねたが、その瞳には何の感情も灯っていなかった。

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