第12話 絡み合う思惑

ある夜、ソヌス王国とは別の隣国の外交官が新任で来たことを歓迎して夜会が王宮で開かれた。ジークフリートがフレデリックの名代として出席し、母親の王妃ヘルミネをエスコートして入場する予定になっていた。だが2人はヘルミネが怠っている王妃としての務めや寵愛が過ぎるアンドレの扱いについて口論した末、ヘルミネはアンドレと入場してしまった。


しかも本来、王妃ヘルミネが外交官と、ジークフリートが外交官夫人と最初に踊る慣例になっているのに、ヘルミネはそんなしきたりなど意に介さず、さっさとアンドレと踊りだし、外交官は一瞬ムッとした顔をした。ジークフリートは、そんな場合に備えてこの国で王妃の次に高貴な女性オルデンブルク公爵夫人に外交官とのファーストダンスを依頼してあった。


パオラも流石にこの時はジークフリートと離れて4人のファーストダンスを見ていた。それが終わった途端、パオラはジークフリートの所に戻って腕を絡めた。ジークフリートはさりげなく腕を離そうとしながら、次に踊る予定のジルヴィアを探すと、ジークフリートに厳しい目線を送るオルデンブルク公爵夫妻が目に入って冷や汗が出てきた。


そんなことも全く気にせず、パオラはジークフリートをジークと馴れ馴れしく呼び、彼に咎められた。婚約者になったら愛称で呼んでいいかと問われ、ジークフリートは、そんな時が来ることは未来永劫ないと思いながら、『どうぞどうぞ』と安請け合いした。そんな彼の返事を聞いてパオラは小躍りし、ダンスに誘った。


「殿下、踊って下さる?」

「済まないが、今日は2番目にトロイ子爵令嬢と踊ることになっているんだ」

「どういうことですか?!いったい誰なんですか、その子爵令嬢って。相手が子爵令嬢なら、伯爵令嬢の私が優先されてもおかしくないですよね?」

「オルデンブルク公爵との約束なんだよ。だから悪いけど、後で踊るから今は勘弁して」

「殿下、そんな…」


そこにちょうどドレスを着て着飾ったジルヴィアが2人に近づいてきた。


「殿下、遅くなりまして失礼しました」

「トロイ子爵令嬢、ちょうどよかった。遅かったね、何をしていたんだ?」

「友人達にちょっと集合命令を、いえ、何でもございません――ツヴァイフェル伯爵令嬢、それでは失礼しますね」

「何よ、貴女!誰かと思ったら、あの子供の侍女じゃないの!」

「パオラ、それはいくらなんでも失礼だ。謝ってほしい」

「どうして私が侍女如きに謝らなくちゃいけないの?!殿下、酷いわ!」

「わかった、わかったよ。ここは勘弁してあげるから、後でね」


ギャーギャー喚きだしたパオラを止められそうもないと思い、ジークフリートは無理矢理話を打ち切ってジルヴィアとホールの中央へ躍り出た。2人は息の合ったダンスを繰り広げながら、傍からは思いもかけないような舌戦を繰り広げていた。


「ツヴァイフェル伯爵令嬢が失礼した。済まない」

「王太子殿下が婚約者でもない令嬢のために婚約者の侍女に謝罪するのですか?」

「これは、これは…トロイ子爵令嬢は手厳しい」

「今日は不敬を承知でお嬢様のためにお尋ねします。どうしてツヴァイフェル伯爵令嬢をお側に置くのですか?」

「理由はまだ言えない。でも浮気ではないことは信じてほしい。彼女とは身体の関係どころかキスすらしたこともない」

「分かりました。それは信じましょう。彼女の前に色々流していた浮名は?」

「それも理由はまだ言えない」

「でも誰とも身体の関係がなかったとは言えないんですね」

「…あっ!」


ジークフリートは珍しくステップを踏み違えた。ジルヴィアはそれを物ともせずジークフリートの体勢をさっと支えて踊り続けた。


「分かりました。お嬢様には、浮気ではないが理由はまだ言えないとだけお話しておきます」

「…ありがとう、と言っておくべきなのかな?」

「どうぞ殿下のご意思のままに」


優雅に踊りながらも何かを話しているらしい2人をパオラは歯ぎしりしながら睨んだ。1曲目が終わるとすかさず2人に近づこうとしたが、ジルヴィアが仕込んでいた令嬢がさっとジークフリートに近づいてダンスの相手を奪ってしまった。それが何度か続き、パオラがジークフリートに近づけたのはジルヴィアを入れて6人目の令嬢が踊り終わってからだった。ジークフリートは、最後のダンス相手から解放された時、額に汗が浮かんで疲労の色を隠せなかった。


「パオラ、悪い。6曲連続はさすがに疲れた。喉も渇いたし、ダンスは後にしてくれないか」

「残念ですけど、殿下もお疲れですものね。それより汗をかいてますわ。飲み物を飲みながらテラスで涼みましょう」

「んー、そうだな」


ジークフリートは会場にいるルプレヒトに目で合図を送った。


会場の明かりが薄っすらと漏れるだけの暗いテラスや庭園、会場から離れた休憩室はカップルの逢引場所としてよく使われる。ジークフリートはパオラに声をかける前、色々な男女と2人きりでそういう場所に行ったが、パオラとは2人きりにならないように気を付けていた。だからパオラはジークフリートを思ったより簡単にテラスに誘い出すことができて単純に喜んだ。


薄暗いテラスには誰も先客がおらず、パオラはうれしくなった。


「殿下…お慕いしてます」


パオラはジークフリートに抱き着き、背伸びをしてキスをしようとしたが、ジークフリートは反射的に背を反らして顔を遠ざけた。ちょうどその時、2人の顔の間にルプレヒトが炭酸水の入ったグラスをにゅっと差し出した。


「お~っと、失礼します!喉が渇いていらっしゃるでしょう?どうぞ」


鼻先に突然グラスを差し出されたパオラはぎょっとして叫んだ。


「ひっ!――ちょっと!驚かせないでよ!とんだ邪魔よ!せっかくいい雰囲気だったのに!」

「えー、これが?殿下のあってなけなしの貞操の危機でしたよ」

「何失礼なこと言ってるのよ!」

「いつも通り失礼だな、ルプレヒト。でも助かったよ、ありがとう。喉がすごく渇いていたんだ」

「殿下、ひどい。『助かった』だなんて」

「喉がカラカラだったって先に言ってたでしょう?恵みの水だ」


ジークフリートはそう言って水を一気に呷った。普通だったら先に毒見させるが、ルプレヒトがジークフリートに持ってくるものはルプレヒト自身がいつも毒見している。


「君が僕と踊りたくないなら、今晩は疲れたからもう帰るね」

「えっ?!お待ちになって!」


パオラは会場に戻るジークフリートを慌てて追い、ようやく1曲一緒に踊ってもらった。もう1曲続けて踊ってもらおうと頼んだが、本当に疲れているからとジークフリートはパオラに詫びてさっさと帰ってしまった。

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