第 28 話 強者の余裕


 翌日 A.M.10:45 創明大学


「ふう」欝河うつかわ未月空みるくは軽く息をついた。異世界人相手にも泰然自若に言葉を吐き出し、確固たる信念をもって行動を起こせる数少ない日本人である彼女も、流石さすがにこの忙しない激動の日々には疲れの色を見せていた。


 ずっと働きっぱなしなのだろう、目の下には隈ができており、化粧は『マキナ』の襲来以降から塗り直してはいないだろう。生来の強気な性質が、かろうじて彼女から精気を保たせているような感じだった。


 創明大学の一室を借りていた。彼女の前には一台のノートパソコンが置かれていた。画面には何も映っておらず、強いて言えば、目の前に座る欝河未月空の姿が反射して映っていた。


「フーバ皇国お手製の、魔力マナ入りのリモート会議用パソコンか」


 そう言ったのは、この部屋にいるうちのもう一人だった。

 その人物は、反対する欝河未月空に怯まず、同室で『へルミナス王国代表外交官』とのリモート会議を聞いていた、書類上では一般人となる男――神宮寺じんぐうじ玲旺れおだった。


 またの名を『禁忌の人物史アカシックエラー』――日本が抱える異世界に対する最後の切り札である。


「聞いたことがあるぜ。確か、『フーバ皇国』は魔法の開発に他の異神世界よりも入れ込んでて、外交に必要な『言語解析魔法』も無償で提供してくれているんだろ」


「よくご存知ですね」


「唯一の腐れ縁が、何故なぜか『フーバ皇国』にご執心でね。ソイツから耳に胼胝たこができるくらい聞かされてる」そう肩を竦める神宮寺。


 フーバ皇国は、他の異神世界と比べて『魔法』に対する文明レベルが一段上をいっていた。フーバ皇国の住人――『氏子うじ』と呼ばれる彼らは、自身に宿る魔力マナではなく、空中に漂う世界の魔力マナで『魔法』を構築する。


 すると、何ができるか。


 誰でも使える流通された『魔法』が誕生する。


 通常、生物に宿る魔力マナに似通ったものはあっても全くの同一はない。それは人間の指紋と同じで例外はない。異世界人が体内の魔力マナから魔法を行使しようとしたとき、魔力マナは自動的に独自の働きを行う。その魔力マナにとって最適で馴染みのある形を取ろうとするのだ。


 しかし、そこを世界に漂う魔力マナに置き換える。そうすれば、その人独自のものではなく、誰もが使える魔法が出来上がるという寸法だった。


 もっとも、そこに魔力マナすら感知できない地球人は勘定に含まれていないが。


「フーバの奴らは始めっから戦う発想がなくて、開発する魔法にも攻撃系はないって話だ。隣人に優しくすべき、っつー昔ながらの考えを地球人より再現してやがる。ソイツらがいなければ、俺達は交流もできずして詰んでたな」


「あら、何も意志疎通は言語だけではありませんよ。要は感情さえ伝われば、どうとでもなる場面は幾らでもあります。もちろん、会議などでは仇になる場合のほうが多いですけど」


「そこんところは、日本と外国の関係性とあんま変わんねえな」


「まあ、言葉が解るが故の苦労もありますけどね」と彼女は黒い画面に映る自分に向けてため息をついた。


 言葉の裏側、表面に隠された本音を勘繰かんぐってしまうのは、性格というよりは人間の本質に近く、痒いところがあれば掻いてしまったり、見るなと言われれば余計気になってしまうようなものと同じ、自然な反応なのだろう。特に理性ある言葉というのは、目の前にそびえる城壁のようなもので、その向こう側にある建造物や景色を頭の中で想像してしまうのはどうしようもないことだった。

 別にそれが悪いわけではない。そうした疑りを敷くことは大事なことだ。言葉をそのまま呑み込むだけでは、オレオレ詐欺のような上辺だけの言葉に次々と騙される羽目になるのは眼に見えている。知恵とは、進化する人類が防衛のために育てたひとつの武器なのだ。しかし、その武器があまりにも流通しすぎて、如何いかなる状況であっても思考が働いてしまい無駄なエネルギーを消費しているのも事実だった。


「へルミナス側はどんな反応だった?」


「何も。というか、貴方はすぐそばで聞いていたでしょう?」


「まあな。だが、事実確認ってのも大事だろ?」


 ヌケヌケと言ってくれる。欝河未月空はいぶかった。あるいは、この男は、重荷を孤独に背負う異世界と対立する自分に気を遣ってくれているのかもしれない。背負おうとしている重荷を一緒に持とうとしているのではないか。


 ――なんて。それは少し、この男に夢想しすぎか。


 とはいえ、重すぎる責務に肩が悲鳴をあげていたのは事実。欝河未月空のハードルも多少は麻痺してきていたのかもしれない。


「『へルミナス王国』の意見は」と語り出す。「一貫して今回の裏切り行為の関わりを否認しています」


「まあ、そうだろうな」神宮寺は頷く。「本当だとしても認めるわけがねえ」


「事の真偽は置いといて、実際納得できる材料はあるんですよね。裏切ったのがマーダー小隊の皆さんだけですから」


 『首相官邸奪還作戦』の翌日、明日にバトンを渡された者達のやるべきことは山積みだったが、何より確認を取らなければならなかったのが、『へルミナス王国』の落としどころだった。現在、彼らには容疑がかかっている。それも、袋小路に追いやられ、逃げることもままならないような疑いだ。有罪の決まった裁判のようなものだった。


 マーダー小隊の裏切り。

 それは、作戦に参加していた自衛隊長格の男から報告された。


 経緯を細かく説明するとこうなる。

 彼らは特攻を勤める彼女達からの連絡が来るまで官邸の付近で待機していた。魔力マナという努力では埋められない差がある以上、内部の一掃は彼女達に任せる他なかった。しかし、一、二時間経ってもなかなか連絡はこない。本計画には、先行のマーダー小隊が全滅した際のプランも用意されていた。そのプランを実行するかの決断を迫られていたというとき、無線に着信が入ったと思いきや、無線の向こうにいる少女はこう言ってきた。


『首相は私達が預かっています。返して欲しければ、後日私達が指定する場所に【禁忌の人物史】アカシックエラーを連れてきて』


 現場は騒然となった。混乱が蔓延はびこる事態となった。

 ただ。解ることと言えば、この数時間ものの空白は、彼女達が追っ手が届かない範囲まで首相を連れて逃げるための時間だった、というだけだった。


 『首相官邸奪還作戦』は成功とも失敗ともつかない、なんとも言えない結果に終わった。


 現場の代表者は、首相は無事であり今も危機に晒されている事実を、首相代理である欝河未月空に報告する以外に選択肢はなかった。


「おい、言い方を誤るなよ」神宮寺は眼を細めて言った。「マーダー小隊の三人だけ、が裏切っただろ?」


「……そうでした。失念していました」


 異変に気付いた隊員たちが官邸に突入し発見できたのは、機能停止して亡骸だけをそのままに残した『マキナ』のソルジャー個体と、それらに怯えながらも外を目指していた逃げ遅れた官僚や長官などの生存者。


 そして、気を失っていたリハナ・アレクトルアただ一人だった。


 隊員達は、生存者はもちろんのこと、気絶したリハナのことも避難車に乗せて創明大学まで運び込んだ。


 それは、先の無線で、こんなことも追加で言われていたからだった。


『中で倒れている『獣人デュミオン』は私達とは無関係。丁重に扱ってあげて。乱暴に働きでもしたら交渉の余地なく首相を始末する』


 無関係と言われて、はいそうですか、と信じるわけにもいかなかったが、相手は未知の多い異世界人。不当に扱った彼女を遠隔で察知する術がないとも限らなかった。


 だからといって、避難者集まる施設で角が出るほど優待するわけにもいかず、現在は彼女が最初に目が覚めたあの個室に、療養という名の軟禁をしている状態だった。


「あのとき、神宮寺さんは言ってましたよね。彼女達は敵ではない、と」


「敵ではない、とは言ってないぞ。信じてる、と言ったんだ」


「同じことでしょう? 実際、あの方々がまさか裏切るとは思ってなかったのですから」


「まあな」神宮寺はバツが悪そうに頭を掻いた。


「あ、別にそのことをネチネチと言うつもりはないわよ」


 今このタイミングでそう言われても、かえって嫌味たらしく聞こえてしまうものだが、欝河未月空のばっさりとした性格を知っている神宮寺は、それが本音からくるものだとはなから理解していた。


「けど、なんでそう思えたのかなと思ってね。だって、あの人達とはほぼ初対面でしょ?」いつの間にか砕けた口調に変わっていた。「そういう『魔法』もあるの?」


「別に、魔法とかそういうのじゃねえよ」神宮寺は微かに面倒くさそうながらも口を開いた。「ただの直感。あるだろ、そういうの。あ、この人は良い人だな、悪そうな人だな、とか。そういう種類と同じだよ」


「解らないでもないわね」欝河未月空の異世界人に対する姿勢などまさにそうだった。フーバ皇国提供の言語解析魔法が普及される前は、彼女は日本語をさも当然という風に使っていた。すると、自然と伝わった。「物事ってのは、スイッチを押せば電気がつくぐらい単純にできてるのよ。それを複雑にさせてるのは、結局は人の思考で、複雑にさせるのが美徳というような風潮もあるのが度し難いのよね」


「政治に関わる人間の発言とは思えねえな」


「それで、貴方はまだあの娘のことを信じてるの?」


「あの娘?」


「リハナさんのことよ。あの娘は、マーダー小隊の所属歴も浅く、他の仲間との繋がりも比較的なかったと考えられるわ。だから、あの娘だけが今回のことを何も知らされていない可能性もある。だけど、大半の意見が、彼女も首相誘拐に加担している、と一致させているわ」


 大半の意見とは、『緊急異世界災害特設対策本部』の面々や今回の作戦に参加した自衛隊員達のことを言っているのだろう。客観的に見れば、確かにマーダー小隊の三人が裏切りに走り、残りの一人だけが無関係と判じることは難しかった。


「それでも、貴方はまだ信じられる?」


「当たり前だろ」神宮寺は即答した。「つーか、勘違いしてもらっちゃ困るが、俺はリハナだけじゃなくて、あの三人に対する思いも変わっちゃいねえぞ」


「え、どうして?」予想外の回答に欝河未月空は眼を丸くした。


「そもそも、なんか違和感があるんだよなあ」


「違和感?」


 欝河未月空には、神宮寺の神妙そうな呟きの意味していることは解らなかった。


「当の本人はどうしてるんだ?」


「当の本人とは?」


「リハナだよ。アイツは個室で今回の怪我を治してる最中なんだろうが、だからって話をかないわけにもいかない。昨日から何人かは尋問しに行ってるんだろ?」


「尋問という言い方は気になるが、その通りです」リハナはこれ以上ないほどの重要参考人だ。首相官邸で何が起こったのか、知っているとすれば彼女しかいない。「しかし」と彼女は首を振った。「昨日からずっと、口を閉ざしています。作戦遂行中のことは話してくれません」


 憧れの先輩に裏切られたことがよほどショックなのか、或いは……。それもまた、リハナの疑惑を一方に傾かせている要素でもあった。


「なるほど」神宮寺は考える素振りを見せた。が、端から答えは出ていたと言わんばかりに態度を急変させ、「よし」と声をあげた。「なあ、未月空ちゃん」


「未月空ちゃんはやめてください」多少は心を許しても、そこだけは認められない未月空ちゃん。


「リハナとの話し合い、今度は俺がさせてもらえねえかな」


「貴方が?」


「どうせ、一般市民は立ち入り禁止とか、そういうことを言うつもりなんだろうが、今回はそうはいかねえぞ。ダメと言われようが俺は会いに行くからな」


「そもそも、貴方がダメと言われてその通りにしたことのほうが少ないでしょうに」


 頑なな調子を見せる神宮寺。その我が道を行く姿勢は何も今に始まったことではなく、まるで新しい一面を見せるかのような口振りに、欝河未月空は空気が抜けるような呆れを覚えた。


「ですが、そうですね……解りました。許可しましょう」


「いいのか?」神宮寺が意外そうに言った。頑な神宮寺ではあるものの、頑固さで言えば欝河未月空も負けていない。決まり事にうるさい彼女があっさりと了承したことに不意を突かれたようだった。


「私は別にあの娘を大罪人にしたいわけじゃありません。でも、話せることは話してもらわなければこちらも困りますから。現在取っている手段がかんばしくないのであれば、別のアプローチをかけるのは当然では?」ただ、と彼女は濁すように言った。「一昨日知り合ったばかりの貴方がどうにかできるとは、正直なところひとつも思えません。何か作戦でもあるんですか?」


「作戦? そんなのあるわけねえだろ。というか、そんな物々しい話でもねえよ」神宮寺は不敵に笑った。「俺はただ、友達の見舞いに行くだけなんだからな」


 欝河未月空も同じように笑みを返した。「なんですか、そのドヤ顔は。かっこつけたつもりですか?」


 実際、雰囲気作りをした素振りはあった。威風堂々と自信満々に、我が行く末に一抹の不安も感じられない神宮寺の在り方は、強者の表れのように感じられた。


 思い立ったが即行動。そう言わんばかりの勢いで神宮寺は椅子から腰をあげた。欝河未月空からの許可を貰い、たとえ貰わなくとも行ってただろうが、『首相官邸奪還作戦の乱』にて重要参考人であるリハナの元へ訪れようと部屋を後にしようとした。


「あ、そうだ」と部屋を出る直前に彼は立ち止まった。「未月空ちゃんに調べてほしいことがあったんだ」


「私に?」やるべきことが数多に残っているというのに、追加で訳も解らない頼み事をされようとしている。しかし、彼女はその億劫さよりも興味が湧いた。「貴方がですか?」


 神宮寺は再び彼女の傍に近寄ると、外の人間に一応聞こえないような慎重さで、囁き声にも似た声量で言った。


 欝河未月空は信じられないような眼を彼に差し向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る