第 10 話 阿諛追従


 教室や階段の影に潜んでいた『ソルジャー』を、リハナは先手必勝でその機体に単機関銃サブマシンガンを叩き込んでいった。一匹につき発射した弾丸の数は、引き金を振り絞る時間一秒間分。ちゃんと魔力マナ核となる『瞳』を狙えば、それほどの消費に抑えることができる。ゲームに登場するゾンビよりも格段に脆い。


 奴らの真なる脅威とは、虫のように無数に近く生まれるところだ。比喩でも教訓でもなく、一匹いれば周囲に百匹はいると思ったほうがいい。一人では対処しきれないほどにまで囲まれてしまえば、その時点で死を覚悟したほうがいい。それが奴らの恐ろしさだからだ。


 なので、リハナは自前の知覚能力を使って、まだこちらを発見していない『ソルジャー』に奇襲を仕掛けていた。こちらの敗因は包囲されることなので、敵意があろうがなかろうが関係なく、索敵範囲に入れば始末する。気配という曖昧模糊としたを聞き分けられる彼女は、こういった限られた空間での戦闘が得意だった。


「すご……」篠原亜子はリハナの動きに感嘆した。


 キャンパス内の案内役を担う彼女だが、移動の際はリハナと神宮寺じんぐうじの間を歩いてもらっていた。流石さすがに民間人を先頭にするわけにもいかず、何かあれば守りやすい位置からカーナビのようにルートを促してもらうことにした。


「大したことはしてませんよ」仕留めた『ソルジャー』の生死を確認してから、リハナは謙遜するように言った。「少し、人より耳がいいだけです」


「いや、耳がいいってレベルじゃねえだろ」神宮寺は呆れた顔で言った。「どんだけ聴覚よければ、上の階の『マキナ』とか解るんだよ。薄板のボロアパートじゃねえんだぞ。『獣人デュミオン』ってのはみんなそうなのか」


「こういう空間内での行動は、マーダー小隊の皆さんだともう少し慎重に進みますね。身を隠しながら前方を確認したり、罠の有無とかを調べたり」


「リハナみたいに片っ端から見つけては焼き払う脳筋なまはげスタイルは珍しいわけか」


「そうですね……って誰が脳筋なまはげですか!」


「あ、次のところを右です」


 言われるがままにキャンパス内の廊下を進んでいく三人。通りに面していない有陣大学は、周囲に都心のような高層ビルが立っておらず、外壁の七割を占める窓からは眩しい日差しを放つ広大な青空が見渡せた。澄み切った気温、花々を揺らすそよ風、雅な歌が聞こえてきてもおかしくない雰囲気を醸し出す風景だった。

 しかし、その下を見れば現実が重石のように戻ってくる。復活した『マキナ』の襲来、不明な被害者数、蹂躙される渋谷の街――それらを踏まえると、誰もいない大学の廊下というのも、生き残りが自分達だけと錯覚してしまいそうな不気味な観念を伴っていた。


「普通の学校風景にデカイ蜘蛛がいる、っつーのはゾッとしないな。その蜘蛛が、その学校の教師生徒を食べ尽くしたとなると、尚更なおさらな」神宮寺はこの期に及んで不謹慎なことを言った。


「だから、そういう不吉なことを言わないでくださいよ」


「不吉も何も、事実を言ったまでだ。だって、普通に考えりゃ、奴らの根城で教師生徒全員が助かってるほうが不気味だろ。それとも何か。絶対生きてる、って気休めを吐いたほうがよかったか?」


「そ、それはそうですけど」神宮寺の言い分は、幾度に渡って『マキナ』と戦ってきたリハナだからこそ、痛いほど理解できた。しかし、時と場合によっては、真実を言い当てる必要性を求められることがあることも、理解していた。


「まあ、血痕や死体を見かけないから、おしなべて生存している可能性もあるにはあるが、あんま希望は持たねえようにな」教室の中や中庭を眺めていた神宮寺だったが、不意に篠原亜子へ顔を向けた。「なあ、これは純粋な疑問だけど、なんでアンタらは避難しなかったんだ?」


「え……?」


「渋谷駅にいたよな、確か。ユウカって友達と一緒に。こんな騒動が起きたのに、避難指定地に行かなかったのはなんでなんだ」


「それは、えっと……この有陣大学で友達と会う約束をしてから……」


「この非常事態に会う約束を優先したのか」


「それは貴方もでしょうが」


 全くなんで地球の民間人は素直に避難しないんですか、と危険をかえりみない身勝手な助けなければならない人々に対する不満を募らせるリハナ。


「ユウカって友達も一緒に来たのか」


「はい。……あの、だから何度も言っている通り、ユウカは他の逃げ遅れた人達と一緒に『マキナ』に捕まってるんです。私はなんとか逃げ出せたから、そこの『派遣ビーファ』の人にみんなを助けてもらおうと思っただけなんです」


「『マキナ』の巣の中をか? まあ、確かに見た目は普通っぽいが」


「入り口から入っていきなり廊下から始まるのが普通なんですか……?」


 リハナはもっともすぎる疑問を口にしたが、日本の教育制度にあまり詳しくなかったため、あまり強くは言えなかった。


 校門から有陣大学の敷地内に足を踏み入れた三人は、舗装されたルートを辿り、正面玄関と思われる門戸を潜った。硝子張りの扉の奥には昇降口が見えたが、入った途端、景色がパッと変化し、気付いたときには二階のキャンパス内の廊下だった。窓から見える景色の高さからそれは判断できた。明らかにおかしい事象が起きているのだが、篠原亜子からはして動揺した様子は見えなかった。


「私も大学を出たときは二階の廊下からでした。いつもなら図書室に繋がっている扉なんですけど」


「……時空が歪んでる、っつーのか」


「いえ。奴らにそんな高等な魔法は使えません。これが『ネームド』が作る巣の特徴なんです」


「ランクBに指定されている『マキナ』のことだな」


「はい」リハナは頷いた。「『ネームド』の使う魔法は、ずばり『糸』です。体内に流れる魔力マナを練り上げ、丈夫で粘着力のある糸を生成します」


「蜘蛛の糸そのものだな」


「しかし、昆虫の蜘蛛との最大の相違点があります」リハナは講師になった気分で指をひとつ立てた。


 この間も、『ソルジャー』から奇襲されないように、空間の隅々にまで聴覚を行き渡らせていた。隠れる、という考えがない『ソルジャー』ならば、片手間に話しながらでも察知できる。


 ――それにしたって、『ソルジャー』が大人しすぎるような気もしますが。


「……それでですね、『ネームド』の糸と蜘蛛の糸の違いなんですが――一言で言うと『擬態』です」


「擬態?」


「張り巡らされた糸は、そのまま糸としての見た目や性質を維持するのではなく、周囲の環境と違和感がないように変容させます。今回の場合は、大学の建築材ですね。なので、一見だけでは、それが『ネームド』の糸だとは気付くことができません」


「じゃあ、このなんも変わっていないように見える校内も……」


「実際は糸が張り巡らされている可能性は大いに有り得ます」


 神宮寺が口の両端を引きらせた。自分の触った壁や足元が、蜘蛛の巣のような白くねちょねちょとしたものだという想像をしてしまったのだろう。


「糸の性質は『ネームド』の任意で変えることができます。なので、私達が歩いている硬い床が突然、本来の糸としての性質に戻ることも有り得ます」


「本物か偽物か解ったりしねえのか」


「それを解りづらくするための擬態なんです。『ネームド』が獲物を巣に誘い込んで有利な立場を作るのは常套手段です。馴染みのある場所が実は糸だらけ、という事態は珍しくありません」


「じゃあ、いきなり廊下から入ったのも、そういう生態が絡んでるわけか」


 『ネームド』は基本的に相手を油断させる方法を取る傾向が多い。それこそ、獲物にとって見ても違和感のない、心が落ち着ける場所を擬態して罠に嵌める。そういう習性の持ち主なのだ。しかし、機械生命体に人の心理が解るはずもなく、今回は、大学内でも数や面積が多い廊下や教室を選んだのかもしれない。この場所なら相手の隙をつける、と。


「玄関入ってすぐに廊下だったら、かえって警戒されるに決まってますけどね。まあ、結局そこはその程度の知能ということです」


「あ、あの部屋です!」篠原亜子が先走るように前方を指さした。「あの、『視聴覚室』という表札がある……」


 先頭のリハナから十メートル離れた、連絡通路の傍らの部屋だった。スライドドアの上部に白い表札が刺さっており、黒い字で『視聴覚室』と書いてあった。


 ただ、リハナは日本語の勉強はしているものの、まだ文字の読み取りは半端で、なんと書いてあるか解らず、視聴覚室という言葉も馴染みがなく、視覚を拡張させる実験室のような場所が頭の中で展開されていた。


「視聴覚室、ねえ」扉の前までやってきて、神宮寺は眉をひそめながら言った。「けど、視聴覚室そのままに繋がっているとも限らないんだよな」


「そうですね。最悪、入った瞬間に襲われる可能性もあります」


「つーか、ここから来たってんなら、この奥がどうなってんのか解ってんじゃねえのか、アンタは」


「は、はい……えっと……中庭にある植物庭園だったと思います」


「そんなのあんのかよ」今度は別の意味で顔をしかめる神宮寺。


「そこに、生徒や先生達が囚われているんですね」


「は、はい……!」


 なら、行かない手はない。この先が罠だとして、足を踏み入れたが直後動きを封じられようとも、何が待ち受けていようが関係ない。リハナは躊躇いなくドアを開いた。


 ただ、無策というわけでもなく、『ソルジャー』が扉の先にいないことは確認済みだった。


 扉の奥は篠原亜子の言う通り、視聴覚室などではなく植物庭園だった。ドーム状のガラス屋根で空間を包み、その中に様々な種類の花が咲いていた。規模としては小さいものの、緑に囲まれたその部屋は、東京の一部であることを忘れさせる自然の美しさに満ちていた。


 色とりどりの花や樹木が植えられているものの、肝心の被災者、そして『マキナ』の姿も確認できなかった。


「見た感じ、何もなさそうだが」


「ですが、油断しないでください。眼に映る景色がそのままとは限りません」


 警戒を微塵も怠らぬまま、リハナと神宮寺は慎重に中を進んでいった。本当は民間人である彼についてきてほしくはなかったが、言ったところで聞かないのは経験則から悟っていた。


 庭園内の道は二つに分かれており、そのどちらも最後にはもうひとつの扉に行き着く仕組みになっているようだった。真ん中は広く敷地を取っているようで、ゆっくりと美しき花々を眺められるようにベンチが設置されていた。


 二人がそのベンチのところまで辿り着いたときだった。


「……ふふ」


「篠原さん……?」


 突然、笑い声が聞こえたかと思いきや、声のするほうは篠原亜子が立っていた。


「ふふふ……あははっ」笑い声は段々と大きくなる。「あはははははははははははははははははははははははははははははははは!!!」


 精神を磨耗した末の狂的なそれが部屋中に響き渡る。植物がゆらゆらと揺れていた。まるで、彼女の笑い声に同調して一緒に笑っているようだった。


「篠原さん……?」リハナは金属に擦り合うようにも聞こえる音を発する彼女の豹変ぶりに唖然とする。


「…………」対し、神宮寺は顔になんの感情も浮かばせず、静かにその様子を眺めていた。


「さあ!」笑いが収まると、篠原亜子は両手を広げ言葉を紡ぎ始めた。「貴方の言う通り、『生け贄』をここに連れてきました! これで私だけでも助けてくれるんですよね!? そういう約束ですもんね!?」


「一体、何を言って……」


「お願いします! もうあんな痛い目に逢うのは嫌なんです! 私だけでも見逃してください! 他の人なんてもうどうでもいい! だから、ちゃんと私の代わりを連れてきましたから……!」


 先程まで篠原亜子が顔に浮かべていた笑みは嬉々だった。しかし、今は少し違う。頬を引き攣らせ、笑っているという体裁を整えることで自己を統制させているように見えた。その必死な形相から伝わるのは、何か黒いものから逃げようとする悲痛さだけだった。


「だから、お願い……! 早くこのを解いて!!」


 その直後、彼女の身体全体から色が抜け始めた。いや、正確には違う。篠原亜子という身体に纏わりついていた何かが実体を持ち始めたのだ。白紙のような色は、その何かの元の色だった。


 そして、その『何か』の正体は、ついさっき話を聞いたばかりのはずだ。


「『ネームド』の糸!」


 ――ずっと彼女の全身に巻きついてたっていうの!?


 人体に擬態する糸など、リハナは今までの戦いで見たこともなかった。だが、理屈はおかしくない。人の身体を模様として捉えれば、糸がその細かい色彩を再現することは可能なはずだ。


 ただ、驚愕に値する問題点はそこではない。そんな戦術を取る『ネームド』を、彼女が初めて見たことだった。予想もしていなかった行動に対応が出遅れてしまう。


「ああ……!」篠原亜子に巻ついていた糸は、本来の姿を現すと彼女の身体から徐々に離れていく。頭部から爪先まで、本当に余すことなく覆っていたようで、息の出来ない水底から這い上がってきたかのような恍惚とした声が彼女から漏れ出ていた。

 糸はまるで意思を持つかのように彼女を解放していく――が、二つの部分だけは未だに糸が絡み付いていた。


 それは、彼女の両手首である。


「え……」篠原亜子は次の瞬間、何が起こったか解らなかった。


 両手首に巻きついたままだった糸が急にピンと張りを見せると――乱暴に強さで勢いよく彼女の身体が後ろに引っ張られた。


「いっ……!」あまりの強さに彼女の腕は脱臼したかもしれない。


 しかし、糸は構わず彼女の両手に巻きついたまま、その身体もろとも美しい草花へと引きずっていく。

 まるで、植物たちが餌を求めて蔓を伸ばしているようにも見える光景だが――もちろん、その先に待っているのは植物などではない。


 色とりどりの花々に変化が起き始めていた。見るだけで楽しいカラフルさを失くし、篠原亜子が纏っていた糸と同じ物質へ変容した。つまり、あの綺麗に植えられていた草花も擬態だったのだ。


 そして、その下に現れたのは――――


「ひっ……!」


 花壇一面を埋め尽くす無数の『マキナ』だった。


 ランクC、『ソルジャー』。


 さらに、リハナの耳が遅まきながらも『ソルジャー』の気配を察知した。花壇に隠れていた分ではない。硝子の外壁、天井、樹木や他の花壇――リハナと神宮寺が立つ場所以外の至るところから『ソルジャー』がいつの間にか湧いていた。


 ――そして、篠原亜子はそんな『ソルジャー』の団子に連れていかれようとしていた。


「いや! いやああああぁぁあぁああ!!! 助けて! 助けてぇっ!!」


「っ……!」


 篠原亜子の助けを呼ぶ声で茫然自失からよみがえったリハナは、糸に引っ張られている彼女を助けようと地面を蹴ろうとした。


 しかし、


「え……?」


 突然の浮遊感。

 彼女は下を見た。

 すると――彼女が立つ足元だけぽっかりと穴が空いていた。彼女を中心に、半径五センチあるかも怪しい小さな穴だった。狙い打ちをしてきたとしか思えない。


 有無を言わさず、というより言う僅かな時間もなく、リハナは穴を潜り下のフロアへ落下することとなった。


 ――糸を操って私だけ落とされた!

 ――クソ! 完全に罠に嵌められた!


 恐らく、篠原亜子の助かりたい気持ちを利用した『ネームド』が、どういった方法で疎通を図ったかまでは解らないが、外の人を連れてくれば見逃してやると甘言を弄したのだろう。フィールド、数的有利、 一挙両得を何が何でも実現させるそのやり方は、『ネームド』のスタイルそのものだった。


 しかし、疑問点もある。何故、リハナだけが穴に落とされたのか。


 呼び水役の篠原亜子が案内先に指定したことからも、この植物庭園が奴の作った巣の中心地であることは間違いない。そこまで餌を誘き寄せ、『ソルジャー』の大群で抵抗する暇もなく殺す。そういう算段だろう。


 にも拘らず、彼女だけが中心地から遠ざけられようとしている。

 実は、既に彼女はその答えが思い浮かんでいた。


 ――植物庭園に来るまでの道のり!

 ――途中の『ソルジャー』がヤケに大人しく感じたけど。

 ――私達の実力を確かめるためだったんだ!


 『ネームド』は相手が無力な民間人でも、優勢を絶対的に取ろうとするほどの慎重派だ。そこに、リハナのような厄介な相手を発見すれば、何か特別な処置を施すのもおかしくない。


 おかしいのは、そんな『ネームド』の行動すべてだった。


 ――人の気持ちを利用したり、様子見したり、厄介な敵を孤立させたり……今までの『ネームド』からは観測されていない行動ばかり。

 ――どうしてこんなことが……。


 脳裏に浮かんだのは、渋谷駅で出くわした、人語を介す謎の『マキナ』の姿だった。


 ――奴らが何か関係している……?


 いくら考えても答えが出ない疑問ではあった。

 空中ではリハナの秀でた知覚能力もどうにもならない。


 真っ逆さまに落ちたリハナはどうこうすることもできず、罠と解りながらも、『ネームド』の策略にまんまと嵌まる他なかった。


「クソ……!」神宮寺は彼女が落ちていった穴に駆け出した。


 しかし、一足遅く穴は塞がってしまった。塞がった後には、先ほどと変わらない植物庭園の舗装された道があるだけだった。


 カサカサ、カサカサ――――


 周囲からおびただしい量の『ソルジャー』が音を立て、残された神宮寺に近付いてくるのが解る。


 奴らの真なる脅威とは、虫のように無数に近く生まれるところだ。比喩でも教訓でもなく、一匹いれば周囲に百匹はいると思ったほうがいい。一人では対処しきれないほどにまで囲まれてしまえば、その時点で死を覚悟したほうがいい。


 神宮寺は自然と顔が引き攣った。




 リハナが落ちた先は、有陣大学の正面玄関だった。

 穴をくぐってもすぐに地面とはならず、リハナは空中に投げ出されていた。


 有陣大学の入り口はホール状の吹き抜け構造となっており、一階から最上階の四階の廊下を見渡せるようになっていた。開放感のある建築は豊かな教育制度を育み、生徒の社交性や自主性を上昇させるという迷信を鵜呑みにした創設者が、狭い敷地の中、見栄を張って無理やり広い空間を作った、という噂が生徒の間でにわか蔓延はびこっていたのだが、その真偽は定かではない。


 リハナは落ちながら、自分がくぐった穴が塞がっていくのを確認する。


 ――やっぱり、私だけを狙って落とした。

 ――神宮寺さんや篠原さんはまだ上。

 ――早く助けに行かないと!


 とは言うものの、まずは自分がこのピンチを打破しなければならない。吹き抜けの天井から落下が始まり、地上までの距離は四階分以上。周囲に眼を走らせる。落下速度を抑えられそうな代物を探した。螺旋状の階段があったが、十メートル以上離れていた。以前のようなパラシュートはない。


 しかも、体勢も運が悪かった。リハナは落ちるにつれ、空中で頭が下になり、足が上のような姿勢になってしまっていた。これでは取れる行動も限られ、運良く軽傷で済む、というような幸運もなさそうだった。


 ――これは、相当運が良くないと助からないな。


 しかし、リハナは自分の行動に迷いがなかった。

 頭上――つまりは、今向かっている地面対し、短機関銃サブマシンガンを構えた。そして、躊躇いなく引き金をひいた。 『ソルジャー』のときよりも格段に多く銃弾を使っていた。


 高速で連続発射された銃弾は、有陣大学の硬い床を襲う。本来ならば、連射力に特化した短機関銃サブマシンガンでは、硬いコンクリートを貫くことは不可能であり、直撃する角度によっては跳弾して撃った本人に返ってくることも有り得なくはなかったが、今回はそうならず、というより物理法則を無視して、コンクリートの床になんと銃弾がめり込んでいった。そして、それが契機となり、床から色が抜け始めていく。


 ――ラッキー!

 ――やっぱり、床に擬態した糸だった!


 糸は擬態している間は、その擬態元となった物質の性質を模倣する。コンクリートに擬態したのならば、コンクリートの硬さを真似るのだ。


 ただ、それはイコールに変換するのではなく、擬態は飽くまで擬態であり、外部から刺激を与えれば解除することができた。経験上リハナはそれを知っていたので、イチかバチか、自分が着地する部分に向かって銃を放ち、糸にダメージを負わせることによって、コンクリートよりかは生地が柔らかい糸で落下の衝撃を抑制しようと考えたのだ。


 もちろん、下がただのコンクリートだったらジ・エンドだった。


 糸の感触は、粘りがありオマケに引っ付きやすく、力任せに剥がそうとすれば服を持っていかれるので、なるべく全身に付着するようなことはしたくなかったが、今回は仕方ない。慎重にゆっくりと、自分の身体と糸を剥がしていった。


 無事に着地に成功した。「っと……ここは……」


 改めて周囲を見回し、その場所が侵入する前にガラス越しに見た、有陣大学のロビーだということを知る。


 ――私だけ別の空間に落としたから、てっきり私特攻の策を弄しているものかと思ったんだけど。

 ――何もない?


 だとすれば、早々に上へ戻ることができれば、まだ二人を助けられるかもしれない。

 そう判断したリハナは、どうやってあの部屋に戻るか考えようとしたが――――




 彼女の耳が違和感を聞き分けた。




「…………」リハナは常に仕込んでいた警戒度をさらに引き上げた。


 そして、耳が感じ取った方角に顔を向けた。


 大きさは二メートルぐらいだろうか。二足方向で立つ人型の生物がいた。身体は複雑な構造をしており、一目でこうだ、という目測が立てられないような見た目をしていたが、人類ではないのは、その生物のお尻が飛び出している床までどっしりと伸びている尻尾のようなパーツが物語っていた。そして、本来顔があるはずの部位には、大きな瞳のような魔力マナの核が真っ直ぐこちらを捉えていた。


「ランクB――『ネームド』……」


 過去の戦い、それに準じた資料などで、幾度も見た怪物の姿だった。


 『ソルジャー』とは比べ物にならないほどの気配。それでも今まで気付かなかったのは、自身の糸で身を隠していたからだろうか。


 リハナは、短機関銃サブマシンガンで部屋中を片っ端から撃ち抜かなかったことを後悔した。


 ――いや、どうせ短機関銃サブマシンガン程度じゃ壊れないか。


「……なるほどね。『ソルジャー』がダメなら自分が行くしかない、というわけか」


 『マキナ』に返答を求めたわけではなかったが、それでもリハナは言葉を紡いだ。


「でも、そこが『お前達』の弱いところ。完全な気配遮断ができるなら、事が終わるまで、厄介な私達は見送ったほうが生存率は上がる」


 こんなことを言っているが、彼女の頭の中にあったのは、マーダー01に言われた言葉だった。


『ランクB以上に出くわしたら撤退を図ること。解った?』


 神宮寺と篠原亜子の安否が不明。その上、逃げ遅れた生徒や教師が生きている可能性もある。


 撤退など、できるわけがなかった。


「わざわざ生存率の少ないほうを選ぶだなんて――頭が足りていない証拠ですね」

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