第8話 始まり


 P.M.1:30 東京都渋谷区 渋谷駅構内


『……言葉を話す【マキナ】?』マーダー01の声が無線から聞こえる。感情の起伏が薄い彼女だが、流石にその新情報には困惑の色が見えた。


『マジかよ』マーダー02は唖然としていた。


 二体の未確認個体が飛び去り、残りの『ソルジャー』も倒壊したビルの下敷きとなり、いっときの平穏が訪れた渋谷。


 リハナは青年と共に駅の構内に足を運んでいた。あれだけ雨宿りのように集まっていた人々が、今では幻のように消えていた。駅を通り、緊急避難指定地に辿り着いているといいが、と彼女は祈るようだった。

 二人が訪れたのは構内営業をしているコンビニだった。入店したところで従業員も避難済みなので買い物はできない。それ以前に、入るのも一苦労な状態と化していた。窓が割れていて、破片が中に飛び散っていた。商品棚が倒れ、床が品物で散らかっていた。店内に隠れていた人を見つけた『マキナ』が暴れたのだろう。転倒している商品棚と床の間から手が伸びていて、リハナはふつふつと激情が湧き上がってくるのを自覚した。


 そんな惨状が垣間見える店舗を訪れた理由は、そこで売られている包帯を買うためだった。斬撃の魔法を操る『マキナ』との戦闘において、彼女は怪我を負った。それの応急処置をするためだった。


「この非常事態なんだから、金なんか気にしなくていいだろ」という言い分の青年を押しのけて、彼女はレジに包帯の料金を置いた。「すみません。勝手に買わせていただきます」


 今は包帯を巻きながら、仲間のマーダー小隊と無線でやり取りをしているところだった。


「皆さんの反応から察するに、あの二体は皆さんのところに行ったわけではないんですね」


『うん。流石にそんな特徴的な【マキナ】が来たら、記憶に残らないわけがないしぃ。でも、おかしいなぁ』


『何がだよ、マーダー03』


『だってぇ、私達は包囲網を突破してきた【マキナ】の対処をさっきまでしていたんだよ? なのに、マーダー04が見た個体を目撃してないなんておかしくない?』


『確かに……』マーダーo1は神妙な声を出した。『マーダー04、喋る【マキナ】の大きさは二十メートルぐらいだったんだよね?』


「はい。正確には、私が戦った個体が二十で、後に現れた個体は十五メートルほどと推定されます」


『どちらにせよ、戦いながらでも見逃すような大きさじゃない』


『けどよ、そいつらだって【世界の扉ミラージュゲート】を通ってきたわけだろ。なんでオレらが気付かなかったんだよ』


 何やらキナ臭い話になってきた。リハナは顔をしかめ、進めていた応急処置の作業を止めた。


 他の異世界への入り口、『世界の扉ミラージュゲート』は鹿野山の中腹部に、突如として出現した。その存在は未だ謎に満ちており、どんな話も憶測の域を出ないが、少なくとも異世界からの侵略者は例外なくその扉から侵入していた。


『……どうやら、今回の防衛戦は一筋縄じゃいかなそう』


「そう、ですね……」


『だけど、それは私達が考えることじゃない。私達、【派遣ビーファ】の成すべきことはこの世界から脅威を守り抜くこと。それは以前と変わらない。難しいことは上にポイすればいい』


「……はい!」マーダー01の揺るがぬ意思に、リハナは元気よく返事した。


 ――クレハさんはやっぱり凄いなあ。


 新兵時代からずっと憧れを抱いていた先輩騎士の凛とした後ろ姿を思い浮かべながら、リハナは決して油断できない状況と解りながらも、心が暖かくなるのを抑えきれなかった。


『そういうわけだから、マーダー04――これからは再び小隊として行動しようと思う。一度どこかで合流しよう』


「え?」しかし途端、その気持ちが飛ばされるぐらいの冷や汗が彼女の額から流れた。


『合流場所はそうだねぇ……解散する前に言ってたヒカリエでどうだろう?』


『そうだな。あそこならデカイから解りやすい』


「……あのぅ、話をまとまりそうなところ申し訳ないんですけど」


『どうしたの、リハナ?』


 異変を察知したのか、咄嗟に呼び方をコールサインから本名に変えたマーダー01。


「せっかくの申し出なんですけど、私はこのまま別行動することになると思います」


『え?』

『は?』

『へぇ』


 三人の素っ頓狂な驚きが無線から飛んでくる。リハナは申し訳なくなる。当然だ。彼女も本心で言えば、今すぐにでも彼女達と合流したかった。


『単独行動を継続する、ってどういうことだよリハナ!』マーダー02の責めるような声色が胸に刺さる。


 しかし、仕方のないことだった。こればっかりは、彼女の信念に関わる話だった。これを放ってしまっては、彼女が彼女である意味がなくなってしまう。

 だから、チームの連携を乱す行為だと自覚しながらも、リハナは単独行動を続ける理由を説明するしかなかった。


『……………………』一通り説明した後、無線からの応答は暫くなかった。ただ、『解った』とマーダー01の返答が最初に飛んできた。


「……! クレハさん……!」


『リハナがそうしたい以上、ここで止めるのは野暮。それに、【派遣ビーファ】としてもその人を無視できないのは事実』


『適当なシェルターに連れていけばいいだけだと思うけどな』

『右に同じ』


『でも、保護してからその人が無断で行動する可能性は捨て切れないし、むしろその可能性のほうが高いと思う。この非常事態の中、戦っていたリハナを助けに行くなんて、普通はできることじゃないから』


 リハナはパアッと顔色が輝くのが自分でも解った。


『だけど、それを一人でしようとするのは納得できない。小隊全員じゃなくても、誰か一人を一緒に連れていったほうが安全』


「いえ、私のほうは心配しないでください。それよりも、皆さんには取り逃した『ソルジャー』の後始末をしてほしいんです」


『取り逃した?』


「恐らく、渋谷に降りた『マキナ』の数はこんなものではないはずです。逃げる民間人を追って、または駅以外に降りた『マキナ』がいてもおかしくありません」


『それなら、尚のことリハナのほうが適任だろ。雑魚ならお前だって倒せる』


『アイーシャ、デリカシー』


「いいですよ、ミデアさん。事実ですから」


 身体能力に難があるリハナでは、どうしても戦闘力に限界がある。先ほどの戦闘にしても、最大火力であるマグナムが通用しないようではどうしようもない。必然的に、彼女は銃弾が効く『ソルジャー』を相手取る他なかった。


「私もアイーシャさんの言う通りだと思います。適材適所でいきたいんですけど……クレハさん」


『なに?』


「私が接触した未知の個体を除いて、目撃されているのは『ソルジャー』だけです。それが少し、引っ掛かります」


『……他の区域にランクB以上が密集している、ってこと?』


「もしかしたら、日本こちらにとって重要な施設を優先的に襲っているのかもしれません」


『はあ!? そんなことが有り得るのかよ!』マーダー02が信じられないとばかりに声を上げた。『それじゃあ、まるでアイツらが計画的に今回の騒動を起こしたみたいな……あ、そっか』


「そうなんです」


 今までの『マキナ』の行動パターンは、とにかく目の前の獲物を死ぬまで狙う、野性的な面しかなかった。多少知能の高い個体もいるにはいたが、それでも精々が罠を張るぐらいの狡猾さだった。


 しかし、今回は事情が異なるのかもしれない。その根拠は、リハナが接触した喋る『マキナ』。数が多いだけの『ソルジャー』に考える頭がなくても、彼らはその数の多さを効率的に利用する可能性も否定できなかった。


「人語を話す存在が敵にいる以上、これまでの戦いと変わってくるのは必然です。警戒するに越したことはない。もちろん、奴らがこちらの内情を把握しているとも思えませんが」


『事情は解った。なら、私達は近くの政治的施設や研究施設を順番に調査してみる。リハナはその男の人を当該地まで護衛する。それでいい?』


「はい、お願いします」


『でも、リハナだって安全なわけじゃない。ランクB以上に出くわしたら撤退を図ること。解った?』


「……解りました」


 リハナは無線を切り、ふうと息をついた。ひとまず、自分の出せる情報はすべて伝えたつもりだ。


 ――皆さんなら、きっとなんとかしてくれる。


 『ヘルミナス王国』で騎士をしていた時代から、ずっと憧れていた三人だった。女性でありながら、前線で活躍する実力者。まさか、その小隊に自分が仲間入りするとは思いもよらず、足を引っ張っていないだろうかという不安がいつもあった。


 マーダー小隊の真骨頂は、三人だからこそ発揮できる。リハナはそう信じていた。


 ――さて、私も私がやれることをやらないと!


 そう意気込み、発破をかけるように頬を叩くと、リハナは自分が別行動する原因となった男の姿を探そうとした。


 しかし、無線のやり取りを聞かれないように離れた処置も虚しく、彼は目の前まで近寄って来ていた。


「なっ……!」


「なんだよ、なかなか帰ってこないと思ったら、まだ包帯巻けてねえじゃんか」


 青年と距離を置くとき、彼女は「服の下も巻くから」と理由をつけて物陰に移動した。だから、なかなか戻ってこない彼女を心配して、青年は様子を見に来たようだった。


「す、すみません。少し手こずってしまって」相手は民間人とはいえ、無線の会話が漏洩するのは不味い。リハナは取り繕うように喋った。「す、すぐに施しますから、向こうで待っていてください!」


「…………」しかし、青年は怪訝な目つきを向けたまま、足を動かす気配がなかった。包帯を巻くために地べたに座っている彼女を見下ろしている。「ったく」と呟いた。


 彼は片膝を地べたに着けると、彼女と同じ目線にまで腰を下げた。そして、有無を言わさない動作で、彼女が着ている軍服の裾を捲った。


「え、えぇ!?」リハナの顔は瞬時に赤く染まった。「な、ななな、何してるんですか!?」


「ったく。一人じゃできないなら正直に言えよな、ヤセ我慢。そうやって、何回抱え込もうとしたら解んだ。無理だと思ったらちゃんと他人を頼れ」


「で、できますから! ちゃんと一人で巻けますから。だから、それ以上は……!」


 リハナは服を捲ってくる手を振り払おうとするも、羞恥心のせいか上手く力が入らなかった。青年はその様子を意地を張っているとでも思ったのか、面白くもなさそうにそのまま作業を続けた。


 無線を使うために包帯での口実を作った彼女だったが、実際にも脇腹がガラスの破片で傷付き、今も止まることなく流血してはいた。リハナの発言はあながち嘘でもなかったのだ。

 青年もそれが解っていたので、彼女の意図を疑わず、大人しく待っていたのだが、一向に戻ってくる気配がなく、『マキナ』が襲ってきた可能性も懸念して、様子を見に来てくれたのだ。


 つまり、青年に下心といった要素はなく、リハナも一方的に断ることができなかった。


「うーん、やっぱ服が邪魔だな」


「ひぅ」露わになった腹に包帯を一周させる青年の手が、脇腹の弱いところに触れ、反射的に変な声が出てしまう。


「悪いけど、自分で服の裾を上げといてもらえねえか。ただ捲っただけだとすぐにずり落ちてくるんだよ。両手で固定しておいてくれよ」


「…………」百パーセント親切心の彼を麁雑そざつに扱えず、彼女は素直に従った。


 リハナはそのとき、初めて青年の顔を観察した。黒髪のくせっ毛で、毛先がところどころ跳ねていた。瞳は鋭さがあり、高い身長も加わってそれなり迫力があるだろう。特徴というほど特徴はなかったが、その無さが寧ろ顔立ちが整っていることを証明していた。


「腹部は動きやすいから、傷口を抉らないように固定するほうがいいんだけどな。応急処置だし仕方がねえ。まあ、幸いにも傷口はそこまで深くねえし、螺旋巻きでどうにかなるだろ」


「……詳しいんですね」


「これでも応急手当普及員の資格は取ってるんでね。AEDまでなら使い方は解る。まあ、実用したことねえけど」


「…………」


「やっぱ、珍しいか?」


「え?」


「こういうの」青年は作業を進めながら言うが、その表情はどこか物悲しそうでもあった。「異世界人のアンタらはやっぱり、『魔法』を使って傷を治すのか。回復魔法みたいなの。確か、『フーバ皇国』に有名なのがあったよな」


「『』ですか」


 『フーバ皇国』の人々は、『獣人デュミオン』のように身体を強化するのではなく、『魔力マナ』を一定の形に練ってひとつの効果を生み出す技術力を有していた。みなが想像する、オーソドックスな『魔法』に最も近いだろう。『』はその中でも基本的な魔法で、習えばリハナにも使えないこともなかった。


「そうそれ。万能だよなあ、魔法ってのは。こんなことをしなくたって、一発で完治させちまうんだから」


「万能というほどではありませんけどね」


「…………」


「…………」


「……こういうことでしか治せない地球人って、やっぱ無力だよなあ」


 こういうこと、が今自分に施されている行為そのものを指すことは理解できた。


「地球人全員が魔法を使えれば、こんな事態だってどうにかできたかもしれねえのに。なんで、地球人は『魔力マナ』を持ってねえんだろうな?」


 地球人は魔力マナを持たない。それは、『コネクト時代』に突入した直後に発覚した事実だった。魔法という空想が実在し、科学の衰退が危惧された矢先、判明したことだった。魔法を行使するには魔力マナを操作しなければならないが、そもそも地球人は魔力マナを知覚することもできなかった。


 反して、地球はどうやら魔力マナの宝庫らしかった。魔力マナの滞在場所は二つ。魔法を使う者の身体。そして、世界の空気中、だった。つまり、地球人が気付いていないだけで、魔力マナはすぐ傍にあったということになる。その真実が明らかになったのは、魔力マナを扱うことができる異世界人と接点ができたからだった。


「魔法が使えれば、こんな傷すぐに治せる。拳銃なんかより威力の高いモンをバンバン撃てる。異世界人から見れば、あまりにも原始的に見えるだろうな。地球人の細やかな抵抗ってのは」


「……そんなことはありませんよ」


「別に否定しなくてもいいさ」青年は肩を竦めた。不思議とその様子から悲観的な雰囲気は感じられなかった。「不便なのは事実だからな。事実を突きつけられたところで、俺は怯みもしねえ。それが、俺達だからだ。馬鹿にするのも嘲笑うのもアンタらの自由さ」


 地球人の非力さを自虐的に語るも、彼はそれを情けなくも恥ずかしくも思わず、あるがままを包み隠さずひけらかしていた。その堂々とした口ぶりは、誇ってすらいるようにリハナの眼には映った。笑いたければ笑えばいい。何千年も積み上げてきた結晶が、どれだけ小さく脆弱だったとしても、地球人が地球人なりに作り上げた輝きが絶えることは決してない。


 しかし、リハナはだからこそ、思うことがあった。「……馬鹿にするわけないじゃないですか」


「ん?」


「人の努力を、その末に完成された結果を、笑う権利なんて誰にもありません! ましてや、地球人が他より劣っているだなんて有り得ないです。……だって、こんなにも思いやりが詰まっているじゃないですか」


「……!」


 リハナは包帯を巻く青年の手を見る。「傷口を優しく包む生地に、それを扱う優しい手つき。人を助けたい、苦しみから救いたい、という思いがなければどれも生まれない技術です。これに限った話じゃない。この世界には、人々を幸せにするための要素がたくさんあります。戦争を失くそうとする志だって、他の世界にはないのですから。笑うところなんてひとつもありませんよ」


 リハナは怒っていた。地球の美徳は地球人にしか解らない、と言わんばかりの口調で話す青年に、彼女はそんなことはないと言ってやりたかった。


「私はこの世界が大好きです。この世界で生まれた要素、すべてを愛しています。この世界のおかげで、今も私は立ち向かえるんです」


「……そうか」青年は薄くはにかんだ。「だったら、誇らしい地球の技術で、アンタのことも早く治してやらねえとな」


「うぅ……」


 そこで彼女は、自分が置かれている状況を思い出した。


 青年の手際はよかった。話しながらも、瞬く間に包帯を腹部に巻いていき、ミスや迷いもなく、また激しい動きにも外れないように、限度はあるものの、工夫した巻き方をしていた。


 これなら任せても大丈夫そうではあったが、しかし技術面は信頼できても、やはり初対面の男性に自分の身体を触らせるという行為から、安心して身を委ねることまではできなかった。両手で両裾を持ち上げ傷口が見えやすくしているのだが、もう少し手を上にやれば、付けている下着まで見えてしまいそうなギリギリのラインだった。そういう状況ではないとはいえ、お嬢様育ちだった彼女は頬が赤くなるのを抑えられなかった。


「うぅ……」


「なにうーうー言ってんだ」


「だ、だって、緊急事態とはいえ、こんな状況初めてで……」


「自衛隊の仕事してるんだったら、周り男だらけだろ。なに今さら照れてんだよ」


「そんな簡単に肌を触らせるわけないじゃないですか!」


 実のところ、リハナは職場で男衆とそこまで絡んだことがなかった。必要最低限の会話はするが、殆どはマーダー小隊の彼女達に同行していることが多かった。新兵時代も、彼女が名家の娘ということもあって、周囲からは距離を置かれていた節があった。


「いくら『騎士団アルスマン』は大人の男性が多いといっても、私はまだうら若き乙女なわけで、あまり殿方と……そうした交際も経験してませんから……こういうとき、どんな反応をすればよく解らなくて……」


「はは。なに言ってんだ。お前だって、百歳越えてるんだろ?」








「………………………………………………………………………は?」








「『獣人デュミオン』って確か、平均寿命二百歳ぐらいなんだろ? だったら、見た目だけ若いアンタも、こっちのジジババよりも遥かに年上の可能性が高い。俺はまだ25だし、単純計算で75年下の男に欲情するとか普通に引くぞ。俺だって、百越えたババアは恋愛対象に入んねえし」


 話ながら淡々と作業する青年は、今のリハナがどんな表情をしているのか確認する気もなかった。


 二つの包帯を使い切り、最後にテープでお尻の部分をくっつけると、青年は大して流れてもいない額の汗を拭い、「ほら、終わったぞ」と顔を上げたところ――顔面に靴裏が飛び込んできた。


 後ろに飛ばされる青年。


 リハナは顔を赤くしたまま、目元に涙を溜め、大きな耳をピクピクとさせながら、「わ、私はまだ21です!」


 『獣人デュミオン』は20を越えてから老いるまでの期間が長いので、見た目だけでは何年生きたかを判断することは難しかった。


 なので、普通に高い年齢を言われると機嫌を損ねるのも別に珍しいことではなかった。




 P.M.13:40 同所


「えー……コホン」リハナはわざとらしく咳払いをした。「それでは私達も、行動に移るとしましょうか」


「巻いてやったのにこの始末……巻いてやったのにこの始末……巻いてやったのにこの始末……」


「うっ……そう何度も言わないでくださいよ。ちゃんと謝ったじゃないですか……!」


 青年の顔面には、リハナが付けた靴底の後が残っていた。彼女も意図的にやったわけではない。感情的に思わずやってしまったのだ。だから悪くない、と主張するつもりはなく、懇切丁寧に頭を下げて謝罪したのだが、それでも一向に変わらず暗くされては話も進めづらくなってしまう。


「この不行儀は後に必ずなんらかの形でお詫びしますから、今は私達のやれることをまっとうしましょうよ」


「……ホントだろうな?」


「ええ、約束します」


「じゃあ、デート一回」


「わかり……ええっ!?」


 デート、という言葉に馴染みがなく、すぐにどういった行為かを脳内で変換することができなかったが、それが、日本の言葉で男女が二人きりで遊びに出かけることだと気付いたときには、顔がまた真っ赤に染まった。


「よおし、そういうことならやる気が出てきた。さあ、パッパと終わらせて、さっさとお楽しみタイムといこうか」


「……解りました。それで許してもらえるなら、もうそれでいいです。私が悪いので、なんでも従います」リハナは諦めた。というより、一々オーバーに反応するのも疲れてしまった、という感じだった。「それよりも……こう言ってはなんですが、やっぱり近くのシェルターに避難する選択肢はないんですか」


「ない」


 青年はきっぱりと断言した。


「俺が目指すのは創明大学一択しかない。幼馴染がそこで俺を待ってるんでな、こんな場所でくすぶってる暇はねえんだよ」


「でも、この非常事態なんですよ? いくら会う約束をしてたからって、わざわざ二駅も離れた地区にまで歩いて行くだなんて」


「この非常事態だからこそ、なんだよ」青年はスマホを取り出すと、少し画面を見つめてからまた話し出した。「こういう事態じゃ電波は繋がりにくいからな。家族や友人の安否が確認できない不安と恐怖に勝るものなし、だ。なら、一緒にいてやったほうが何倍も心に余裕が生まれるだろ」


「それはそうですけど……」言い分は正しいと思いながらも、リハナはどこか違和感を拭えなかった。「それなら、ご両親の元に行ったほうがいいんじゃ」


「安心しろ。俺に家族はいねえから」


「あ……」


「ま、どっちにしろ、創明大学は緊急避難指定地に入ってるわけだろ。人捜しで街彷徨うろつきたいわけじゃない。民間人として間違った行動をしているわけじゃねえだろ?」


「……解りました」リハナはため息をついた。正直、今の確認は玉砕覚悟で言ってみただけだった。この問答は、無線で仲間達と連絡を取り合う前に何度も行っていたことだった。説得が通じないのはハナから悟っていた。「それでは、私は貴方を無事に創明大学まで送り届けましょう」


「ああ、頼むよ。……ああ、そうだ」思い出したかのように青年が彼女を見た。「神宮寺じんぐうじ玲旺れお


「……?」


「俺の名前。いつまでも貴方呼びじゃ、仲は進展しないからな」


「……リハナ・アレクトルアです」


「リハナか。まあ、短い期間だが、よろしく頼むな」


「はい、こちらこそ」

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