第34話 ぜんぶ

 仕事を定時で切り上げて電車に乗り、莉帆は佳織と待ち合わせた駅へ行った。飲み屋街が近いけれど、平日なのでどちらかといえば家路を急ぐ人のほうが多い。

「莉帆ー! こっち!」

 呼ばれたほうを見ると、普段よりお洒落をしている佳織が手を振っていた。

「服、こんなんで良いんかなぁ? 派手すぎん?」

「ううん、良いと思う! 私もだいぶ悩んだけど……勝平が、好きな色で良い、って」

「それなら良いんやけど……警察ばっかって緊張するなぁ」

「確かに……それはあるなぁ」

 莉帆はバーベキューのときに顔を合わせているけれど、あの日は全員がカジュアルな服装で、今日はおそらくほとんどが黒だ。

 地図を見ながら歩き、繁華街とは少し離れたところにある店を目指した。莉帆も佳織もどちらかというとお洒落をしているので、に何度も捕まってしまった。無視しても、急いでも、すぐにまた捕まってしまう。

「こら、そこ、何してんの?」

「──ちっ」

 強そうな声とヒールの足音が背後から聞こえた。途端に黒服は人混みに逃げていき、ヒールの足音が近づいてきた。

「大丈夫? このへんまだキャッチ多いから気をつけてね」

「はい、ありがとうござ──加奈子さん!」

「うん、さっきから後ろにいたんやけど、なかなか距離が縮まらんかって……」

 加奈子は仕事帰りなのか、スーツにベージュのコートを着ていた。普段は来ないエリアなので、黒服にも顔は知られていなかったらしい。

 加奈子と佳織は簡単に挨拶をして、それから三人で店を目指した。ようやく黒服はいなくなり、代わりに出てきたのは莉帆も見覚えのある勝平の同期たちだ。

「あっ、莉帆ちゃん、久しぶり。勝平と仲良くやってる?」

「はい……」

 聞いてきたのはバーベキューで出会った勝平の一つ年上の男性だ。あの頃から少し苦手なタイプだったけれど、彼は全く変わっていないらしい。

 メンバーは十人程で全員が一つの島のようで、悠斗と勝平は既に中央に座っていた。他は特に決まっていないようなので莉帆は佳織と並び、加奈子と他の女性にも近くに座ってもらった。

「佳織ちゃん、緊張せんと普段通りで良いからね」

 ドリンクを待っている間に加奈子が佳織に話しかけていた。

「はい。……お酒入ったら大丈夫かなぁ」

「ははっ! あ──莉帆ちゃんは飲みすぎんようにな?」

「もしかして……聞いたんですか?」

「うん、岩倉君からやけど」

 勝平が悠斗との予定をキャンセルした理由を、悠斗は加奈子に簡単に話したらしい。その悠斗は同期たちに囲まれて楽しそうで、隣で勝平は莉帆のことを気にしながら同じく同期たちと盛り上がっていた。

 幹事が乾杯の音頭を取ってから、あとは普通の飲み会と同じだった。男性陣は悠斗の話題で盛り上がったり、上司の不満を言ったりしている。

 緊張していた佳織もお酒の力を借りたようで、加奈子や他の女性たちとずいぶん打ち解けていた。

「加奈子さん、莉帆のことよろしくお願いします」

「うん、任せて。もし高梨君が悪いことしたら、すぐ怒るから。まぁ──ないやろうけど」

「そんなに──優しいんですか? 勝平さんって」

「そうやなぁ、莉帆ちゃんには特に……。最初、高梨君をふった、って聞いたときビックリしたもん」

「ですよね! あんな……ねぇ」

 三人の会話が勝平にも聞こえたようで、視線を感じて佳織は言葉を濁した。あんなイケメンで非の打ち所がない人に告白されて断る意味が分からないらしい。

「だって、あのときは……決めてなかったから……」

「ああ、そっか。寂しくなるなぁ……悠斗さんいなくなったら……」

 佳織が悠斗を見ていると、気づいた悠斗がグラスを持って移動してきた。

「佳織ちゃん、今日はわざわざありがとう」

「いえ、こちらこそ。良かったんですか? 莉帆のこと」

「えっ? ちょっ、佳織」

「はは! ──そう言われたら、良いとは言い切られへんけど……出会った頃から向こう行くことは決まってたし、勝平にはだいぶ助けられてきたから恩返しみたいな感じかな」

「恩返し?」

「俺が莉帆ちゃんのこと気になってたのは事実やし、本気であいつと勝負したかったけど……同じくらい、俺がこっちにいる間に彼女つくって欲しかった。だから、発破かけてた」

 なるほど、と納得する佳織の隣で莉帆は少しずつ小さくなっていった。加奈子に勝平とのことを羨ましがられ、悠斗にも本気だったと言われ、視界の隅に入っていた勝平が近づいてくるのが見えて行き場を無くしてしまう。

「お久しぶりです。勝平さん、莉帆のこといろいろお世話してくれてるみたいで」

「そうやな……世話やな。今日は飲みすぎんなよ。明日も仕事やろ?」

「はい……」

 佳織が勝平に莉帆のことをお願いしている隣で莉帆はまた小さくなっていく。気を取り直して飲み物を──と手に取ったグラスが空だったので、従業員を呼んで梅酒を注文した。言ってるそばから、と勝平は笑うけれど、最初に飲んだのは烏龍茶だったので莉帆はいま全く酔っていない。

「あっ、高梨君、あかんやん、莉帆ちゃんと佳織ちゃん、二人だけでこっち歩かしたら。につつかれてたで。追っ払ったけど」

「あ──悪い。何もなかった?」

 勝平が心配するのには佳織が、後ろを歩いていた加奈子が格好良く助けてくれた、と話した。

 悠斗は男性陣から呼ばれてもとの席に戻り、しばらくして勝平も渋々戻っていった。あとは残った料理を食べながら、女同士の話で盛り上がる。男性陣も同じように、悠斗を中心に何だか楽しそうだ。

「加奈子さん、あれから……良い人に出会いましたか?」

「ううん、まだ。仕事してたら出会いなんかないからなぁ」

 だから勝平に選ばれた莉帆に、絶対に手放すな、と念を押してくる。

「加奈子さぁ、今度、合コンしようよ」

 提案するのは隣に座る独身の女性だ。

「高校の先輩で私のこと警察って知ってる奴がいて、セッティング頼まれてるんやけど。仕事は、何やったかな……大手やで」

「行く! 絶対行く!」

 加奈子は前のめりになって、合コンの話を詳しく聞いていた。莉帆は佳織と笑いながら、楽しく料理を食べた。

 終宴が近づいた頃、全員の料理が無くなったのを確認してから悠斗は挨拶をした。

 学生時代に出会った勝平の影響で警察官を目指したこと、十年も働かずに辞めることになったけれど、後悔はしていないこと。同期たちに恵まれたこと、様々なことを勉強したこと、強くなれたこと。ウィーンには音楽を勉強しに行き、何年か後には戻ってきたいこと。

「去年、下見を兼ねて勝平と行った旅行で、今日来てくれた二人に出会って──」

 悠斗は一瞬、勝平を見たけれど、勝平の反応はない。

「良い思い出もあるし、頑張ってこれそうです。笑顔で行くから、帰ってきたとき──みんな、元気でおってな?」

「みんな、町の安全もやけど、自分も大事やからな」

 それはそうだと笑いながら、メンバーたちは悠斗に視線を戻す。

「今日はほんまにありがとう。まぁ、まだ今年は仕事するし、遊びにも行くけど。で──俺の挨拶は終わるけど──勝平から大事な話が」

 騒いでいた男性陣はしんとなり、莉帆も、なんだろう、と彼に注目した。佳織や加奈子が『何か知ってる?』と聞いてきたけれど、何も聞いていない。勝平はしばらく宙を見上げてから黙って立ち上がり、そのまま莉帆の隣まで来て、正座して目線を合わせた。

「莉帆」

「ん? なに?」

「ストレートに言うわ。結婚しよう」

 開いた口が塞がらなかった。

 莉帆が何も言わないので、同期たちも騒ぎたいのを我慢していた。この事は本当に、勝平と悠斗しか知らなかったらしい。

「何年かしたら、あいつ出てくるやろ。そのときも──んのが一番やけど──俺に、守らせてくれ」

 勝平はポケットから指輪ケースを取り出して、莉帆の前で開けた。テレビでしか見たことのない輝きが手の中にいっぱいだった。

 ようやく莉帆は口を閉じ、勝平と向き合って正座し、彼を見つめた。

「……よろしくお願いします」

 歓声が沸き起こり、莉帆は佳織と顔を見合わせて笑い、照れた。勝平はケースから指輪を取り出して、莉帆の指につけた。

「おめでとう! 良いなぁ莉帆ちゃん……羨ましすぎる」

「やるなぁ、勝平!」

「俺いまの、男やけど惚れたわ」

 莉帆と元彼と勝平の関係は全員が知っている。

 想定外の出来事に莉帆は何も言えず、ただ成り行きに身を任せていた。いつの間にか泣いていたことも、勝平に抱きしめられていたことも、はやされたことも、あれも、これも、ぜんぶ夢の中だ。

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