第14話 両手にハチミツ

「赤坂さん、新年会は行けへんの?」

 会社の正月休みが明けてから数日後、新年会の案内があった。ほとんどの同僚たちは参加の方向で話を進めていたけれど、出欠の最終確認のときに莉帆が出した答えは欠席だった。

 聞いてきたのは、それを知った先輩女性たちだ。莉帆が元彼から逃げて引っ越したことも、その頃から夜の外出が恐くなったことも、既に話してある。

「お店までみんな一緒に行くし、大丈夫やで? 帰りも駅までも着いていってあげるし、マンション近いんやろ?」

 そう言ってくれたけれど、莉帆の気持ちは変わらなかった。

「もしかしてその日、デートか?」

「いえ、違います……」

「良い感じの人がおるとか言うてたよなぁ。どうなったん?」

「……どうもなってないです」

 少しは仲良くなっているけれど、本当にそれだけだ。付き合ってほしいと改めて言われたけれど、莉帆はその気持ちに応えることは出来なかった。

「あの人は関係なくて──こないだ、元彼に見つかって、連れて行かれそうになったんです」

「ええっ? 大丈夫やったん?」

「はい……人が多いとこやったから、周りの人も助けてくれて、警察も呼んでもらって……」

 それが勝平だったことは、いまは秘密だ。

「でも、元彼には逃げられたから、また会うかもしれんと思ったら怖くて……」

 元彼が捕まった、という情報はまだ入っていない。勝平には元彼確保に繋がりそうなことを全て伝えたけれど、部屋に来てくれてから連絡は全くない。

 考え出すと本当に恐くなって、出勤するだけで精一杯だった。窓の外に立っている気がしてカーテンが開けられず、街路樹に隠れている気がして道も長くは歩けなかった。

 本当は同僚たちと新年会に行きたいけれど、今の莉帆はそれどころではない。

(あのとき、いってれば良かった……)

 勝平がマンションから帰ろうとしていたとき、莉帆は本当は彼に触れたかった。そうしていれば、勇気を貰える気がしていた。けれど彼のほうが最初に下心はないと言っていたし、悠斗のことが気になっているのも本当だった。そんな状態で安易に動いても、勝平が困るだろうと思ってやめた。気になる二人のうち一人が悠斗だとは気づいているはずだ。

「じゃあさぁ、赤坂さん──その──良い感じの人と付き合うことになったら言うてな? お祝いせなあかん。あっ、もちろん、元彼のことも解決してからにするで?」

 それは今の莉帆の願いとも重なる。元彼が捕まったとわかれば外出もしやすいし、みんなと楽しい時間を過ごしたい。そのとき恋人ができていれば尚良しだ。

 会社の新年会の日、莉帆は同僚たちとはビルの入り口で別れた。彼らが向かう居酒屋は駅とは反対側だ。

「莉帆ちゃん」

「え……?」

 穏やかな声に呼ばれ、振り向くと悠斗がいた。彼は居酒屋へ向かう同僚たちを見ていたので、少し前からここにいたのだろうか。

「一緒に行けへんの?」

「はい……そんな気分じゃなくて」

「なるほどね……。勝平から聞いたよ、あれから何もない?」

「あ──悠斗さんも、……同じ仕事なんですよね」

「うん。黙っててごめんな」

「いえ……。悠斗さんは帰りですか?」

「そうそう、莉帆ちゃん見かけたらご飯行こうかなぁ、と思ってたんやけど、どう?」

 悠斗は笑顔で聞いてきたけれど、莉帆はいろんな意味で笑えない。本音を言えば行きたいけれど、彼にはまだ自分の気持ちを伝えていない。もしかすると、彼女がいるのかもしれない。もしいるのなら、彼女に申し訳ない。

「悠斗さんて、彼女は……? クリスマスのとき先に帰ったから」

「ああ、はは、おらんで。あのときは、勝平と莉帆ちゃんを二人きりにさせたかっただけ」

「え?」

「あいつ落ち込んでたから、元気出るかなぁと思ったんやけど……迷惑やった?」

「迷惑ではないですけど……悠斗さんとも行きたかったです」

「はは、じゃあ今から行こうよ。いろいろ話したいし」

 悠斗は近くに車を停めていたようで、食後は莉帆をマンションまで送ってくれることになった。勝平のときより距離は短いけれど、それでも安全が確保されているのはありがたい。

 莉帆も悠斗も翌日は休みだったけれど、悠斗は車を運転しているし、莉帆もそこまでお酒が好きなわけではないのでソフトドリンクにした。

「あんまり素面しらふでこんな話したことないんやけど、莉帆ちゃん──俺と勝平、どっちがタイプ?」

「ええっ?」

 質問が直球すぎて、莉帆は口を開けたまま固まってしまった。本気で聞いているのか冗談なのか、判断に困ってしまった。

「今けっこう、マジで聞いてる」

 店の半個室に案内され、二人はテーブルの角を挟んで隣に座っていた。思わず見つめてしまった悠斗は、ものすごく真剣な目をしていた。

「勝平からは、莉帆ちゃんと何話してるかとかは聞いてないけど、付き合ってない、とは聞いてる。選ぶなら、どっちにする?」

 困る莉帆の目の前で悠斗も譲らない。イケメンはどんな表情になってもやはりイケメンで、悠斗のほうが良い、と言いたくなってしまう。

「俺って言ってくれたら嬉しいけど、勝平やったら──」

「何かあるんですか……?」

 距離を置くとか、振り向かせてみせるとか言うと思ったけれど。

「全力で応援するわ」

 予想外の言葉に莉帆は拍子抜けた。

「悔しいけど、莉帆ちゃんが決めることやし。勝平とはずっと一緒にやってきたから裏切りたくないし。あいつとは年齢は一緒やけど、警察官としては尊敬してるから」

 だから何かあれば一番に勝平に相談するし、プライベートでも一緒に出掛けることも多いらしい。

「前は話してて私服刑事になりたいってよく聞いたけど、今は、莉帆ちゃんの事件あってから、言わんようになった。それくらい、あいつの中で莉帆ちゃんの存在が大きいんやと思うわ」

「こないだ……勝平さんから、付き合ってって言われました」

 莉帆が言うと悠斗は、『マジか、早いな』、と悔しそうに笑った。

「でも、断りました」

「えっ、なんで? 無理やった?」

「さっきの質問──悠斗さんと勝平さんと、選べないです。二人とも良いなと思ってるから……。過ごした時間は勝平さんのほうが長いけど、悠斗さんも助けてくれてるし。二人とも、それぞれ良いとこあって、決めれないです。それに、今日だって──悠斗さん、偶然みたいに言ってたけど、私のこと心配して来てくれたんじゃないんですか?」

 悠斗が勤務する交番は勝平のところとは違い、莉帆の職場に近いと聞いていた。勝平が悠斗に事件のことを話しているときに、時間があれば見に行くようにと頼んだ気がしていた。莉帆を悠斗に守らせているあたり、勝平も悠斗を公私ともに信頼しているようだ。

「……お見通しやな。早く上がれたから、気になって近くで見てた。みんなで出てきたから一緒に行くんかと思ったけど、そうじゃ無さそうやったから声かけた。あと、勝平からも頼まれたわ。あいつ、莉帆ちゃんのこと好きなくせに、よく俺に頼むよなぁ。俺も莉帆ちゃん好きなんやけどなぁ」

 悠斗は笑いながら莉帆を見つめていた。

「はは……、信頼されてるんじゃないですか?」

「そうやと思う。できれば俺にもチャンス欲しいけど──、勝平のことは、俺が保証する。莉帆ちゃんがあいつを選んだら、ほんまに応援する。俺がこんなこと言うのもおかしいけどな……」

 莉帆の恋人候補は、既に三人から二人になっていた。

 どちらを選ぶかは決めかねていたけれど、悠斗と話しているうちに、なんとなく答えが出た。

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