第2話

 事務所の鍵は開いていて、所長の板垣いたがき天玄と秘書兼助手の佐野剣人けんとが窓から離れて立っていた。

「青柳くん、お茶を頼んでもよかね」

 天玄が微笑んだ。青ざめた妙子で事態を察した。剣人がソファーまで案内し、宇門が茶の準備に取りかかった。衛生上、事務所には出がらしを保存していないので、一番茶を湯で薄めた。妙子は薄い緑茶を好んでいた。

 一瞬、剣人と視線がかち合い、宇門に鼻を鳴らしたことに癇が障った。それでも宇門がやり過ごせたのは、妙子の好みを把握しているという優越感のおかげだった。

 しかし妙子は宇門に対して「ありがとう」が消えかかっていた。それほど深刻な事態が妙子を蝕んでいた。

 宇門は剣人と並び立ち、天玄の側で耳を傾けた。妙子が運営し擁護する施設の子どもが二人行方知れずとのことだった。

 先の七月、夏休みに入った直後、子どもたちだけの集団で友人宅へ出かけた。集団を構成した性別、学年はバラバラなので、当然ながら友人宅への行き先も分かれる。帰宅時、共通の通路で落ち合い施設へ戻るが、その場で一時間待っても、二人だけ現れなかった。

 門限を過ぎた子どもたちを、妙子は珍しく叱った。しかし理由を聞くと顔面が真っ青になり、施設を夜勤スタッフに任せて、子どもたちと一緒に警察署へ向かった。警察は子どもたちの捜索まで手が回らないようで、すぐに動くのが難しかった。また同じ施設出身の宇門を署内で見かけなかったことで、それ以上警察に頼ることもできなかった。考えた末、妙子は探偵事務所を探すことにした。最終的に、宇門の勤務先である「ながさきみなと探偵事務所」へたどり着いた。

「諸石さんのご依頼、引き受けましょう。青柳くん、異論はなかね?」

 天玄が曇った表情で言った。宇門に聞くまでもなく、天玄は依頼を引き受けるつもりだった。

「青柳くんなら、子どもたちの行動範囲とか想定しやすかけん。それに私は青柳くんの腕ば信用しとる。佐野くん、今回は私よりも彼女のサポートに入ってくれんやろか」

 剣人が一瞬両目を見開いたが、宇門が気づくと切れ長の細目に戻っていた。

 かち合う視線で感じ取った心の声は、妙子が出ていくと早速具現化した。

「青柳、せいぜい俺の足ば引っ張らんごとせろしろ

「そっちこそ、所長の右腕やけんって調子に乗らんごとのらないように

 宇門は鼻で笑った。剣人が嫌う自分を補佐するよう命じられた屈辱が、宇門には愉快で仕方がなかった。今回に限り、宇門は剣人を手中で動かすことができる。前職では得られなかった快感だ。

 宇門は天玄を除く男性への勝利を至上としている。ことあるごとに絡んでくる剣人も、宇門が伏せさせるべき対象だ。

こがんとこういうのは勝ち負けではなかとばってかなぁ。何歳いくつになったら分からすとやろうか」

 天玄には疑似兄妹喧嘩にしか見えなかった。

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