<20> 体重測定

 心地よく過ごしやすい季節はすぐに過ぎ去り、やがて空を渡る風は、夏とは別の武器を持って人を殺そうとし始める。

 当たり前のようにヒミカのベッドに潜り込んでくる、メルティアの体温がありがたい季節がやってきた。


「うむ」


 ウエスト計測用ロープを、ヒミカは少しずつ塗りつぶしていた。

 このやり方を思いついた日、最初に測った結果の部分で、ヒミカはロープを切った。

 それから毎日ウエストを測り、その結果に墨を付けた。

 既にロープは二割以上が黒く染まっていた。


「痩せたねえ」

「痩せましたとも」


 メルティアは感心した様子で、ロープの黒い部分をちょいちょいひっぱたく。


「すごいよね。

 ワイン袋みたいなお腹だったのに、もう出っ張ってないもん」

「あっはっはー、まだ寸胴もいいとこだけどね」


 未だ残る皮下脂肪と、それ以上に中身を大きく失って余ってしまったお腹の皮を、ヒミカは摘まんで笑った。

 皮余りしたお腹も懐かしい。かつての身体のダイエットでも、終わった後はしばらくこんな感じだった。外見的にみっともなくはあるが、これは激しいダイエットを戦い抜いた者のみが持ちうる勲章でもあるのだ。


「いやー、私の常識だと、半年でここまで痩せるの無理なはずなんだけどね……

 毎日あれだけ歩いて時々ハードに戦闘バトる、アスリートみたいな生活してたらこうもなるか」

「環境が良かったのね」

「良かったって言っていいのかなんなのか」


 この期に及んだ経緯を思えば、苦笑すらも憚られ、ヒミカは引きつった笑顔を浮かべるばかりだ。

 二桁の悪の組織から身を隠し、旅から旅の生活をしつつ、王様の陰謀を打ち砕くための過酷なダイエット。

 まさに生きるか死ぬかで、それは今も変わらない。


「して、体重はいかに」


 ターコイズブルーの鏡面の上で、海鳥と船乗りたちが怒鳴りあい、風は濃密な潮の香りを纏う。


 ヒミカたちは、冷たい波が打ち寄せる港町の、荷揚げ場に来ているのだ。

 目的は、体重計測である。


 体重計として一般に売られている品が無いとしても、どこかに体重を量れるような設備は無いか。

 皆で相談したところ、荷揚げ場の秤を使ってはどうかとセラが閃いた。


 船は長距離輸送の要。

 港には、貨物の重さを計るため、ご家庭のキッチン秤とは比べものにならない大きさの重量計が存在する。

 本来の用途ではないが、それを使えば人間の重さだって計測可能だ。


 ヒミカは港の者に頼み込み、心ばかりのお礼も包んで、荷物用の秤を使わせてもらった。

 巨大で太短いシーソーのような秤だ。貨物の重さに応じて、取り付ける分銅の重さと距離を変え、後は目盛りを見る仕組みなのだという。

 うっかり分銅を落として欠けでもしたら、それだけで仕事が成り立たなくなるからと、ヒミカには触らせもせず港の『量り手』が分銅を付けていく。どういう法則でやっているのかヒミカにはよく分からなかった。


 奇妙なことに、その単位は『キログラム』だった。

 この世界、いろいろなことにヒミカの知る単位が使われている。一日は86400等分されて一秒となる……だがそれさえも、よく考えればおかしい。地球の公転や自転の周期から決まったはずの一秒が、地球ではないこの世界で、何故同じ長さで存在し、人々に使われているのか。

 もしかして自分と同じように過去に召喚された人が持ち込んだのかと思ったが、発祥は諸説ありハッキリしないらしい。

 不気味な話ではあるが、混乱しなくて済んだのでラッキーではあった。


 ともあれ、計量の結果は。


「隠さないでよ!

 痩せたんだからいいじゃん!」

「良くない!

 数字は最高機密! 公開には勇気が必要なの!」

「あんた勇者でしょ! 勇気無いの!?」


 ヒミカは目盛りの部分を手で隠した。詳細は秘す。


「元の数字を省いて結論を言うと、BMIは24だった。

 経験上辛いのって、この辺から更に絞ることなんだわ」

「BMI?」

「BMI は体重(kg)を身長(m)の二乗で割った数字のこと。

 22が適正。正常値は18.5から25。まあ、体脂肪皆無のゴリマッチョとかには適用できない基準ではあるけど、標準的な体型かどうかの指標なのよ」


 人の適正な体重は性別や年齢ではなく、身長によって変化する。

 これは具体的な数字をイメージすると理解しやすいだろう。たとえば、身長160センチの人間が体重80kgだったら筋肉ダルマか肥満のどちらかだろうが、身長200センチの人間が体重80kgだったらスマートな適正体格だ。


 身長と体重の比率から、体重の適性度を調べる一応の基準がBMIである。


「標準値を外れると、統計上の死亡率が上がる。つまり健康ではなくなるということ……」

「じゃ、これで大丈夫ってことじゃん」

「目的が『健康』だけならね……」


 ヒミカは唸る。

 健康になることは、もちろん、第一の目的だった。健康なほどにチートパワーが高まるからだ。その点では確かに問題ないが、まだ足りない。


「私の目的は、第一に健康、第二に美しさ。

 ……悲しいけど世の中、美男美女を正義と勘違いするように出来てて、悲しいけど痩せてる方が一般ウケするんだわ。

 私は、あの顔だけイケオジな性格ブス王から正義を奪い取るため、美しくなるの」

「そ……んな理由で美しくなろうって人、初めて見た」

「てなわけでちょっと余裕を見て、目標はBMI19」


 ここまで来たなら、あと少し。

 だが、その『あと少し』が遠い。


 ダイエットは、痩せれば痩せるほど痩せにくくなる。

 低カロリーの食事に身体が順応して代謝が落ち、単純に身体が軽くなるほど、それを動かすのに必要なエネルギーも少なくなってカロリー消費が減る。

 すると食事量をさらに減らす必要が出るが、痩せる度に食事量を減らしてたら、日々の健康を維持できないラインに達する方が早い。


 王道の解決策は、年単位でじっくり少しずつダイエットすること。

 ただしヒミカにそんな時間は無い。


「……裏技、使うか」

「えっ、何? 何?」

「目の前の平和節までに身体を絞りたいから、ちょっと無茶なやり方するわ。

 短期でビシッと効果出さなきゃ健康を損なうやり方だから、よい子のみんなは用法用量を守って使うんだゾ☆」

「大丈夫。私よい子だけど多分マネしないから」


 * * *


「まず今の食事量を三割減くらいにします」

「絶対マネしないことが決定したわ」


 港町の神殿の厨房にて。


 小さな村から大都会まで、神殿はどこにでもある。そして真っ当な巡礼者なら、基本的に泊まることができる。

 そんなとき、神殿は巡礼者に食事を振る舞ってくれるのが普通なのだが、だんだんとヒミカは厨房を借りて自分で料理を作るようになっていった。

 食事を出してもらうだけでも申し訳ないのに、自分のダイエットの都合でメニューを指定して手間を掛けるのは、やはり気が引けるからだ。


 港町と言えば、やはり魚。

 この季節は、産卵や冬の寒さに備えて脂を蓄えた魚も多い。

 調理台には市場で買い集めた魚が並び、ヒミカはそれを次々おろしていった。


「あ、こいつ卵抱えてる」

「焼いて! 私それ食べたい!」


 メルティアは骨付き状態の魚から肉だけを削ぎ落として、つみれ団子にしていく。

 フワレは自分の魔法で火を出せるのでコンロ担当だ。レバーを下げるだけで火が出る魔法のコンロは、流石にここには無い。フワレの杖から飛び出す炎が、ワタだけ刳り貫いた魚を丸焼きにしていく。皮が焦げて割れて、反り返っていた。


 厨房には美味しそうな魚の匂いが充満していた。

 そんな中で自分の取り分を減らす行為には鋼の意志が必要だったが、ヒミカは涙を呑んで堪えたとされている。


「これが一食分だと基礎代謝スレスレか、多分下回ってるラインだと思う」


 ヒミカは大きな木皿に、スライスバゲット一枚と、二口分くらいの焼き魚切り身、つみれ団子一つと温野菜を盛った。

 これがヒミカのお昼ご飯。隣のメルティアの半分以下の量だ。


「基礎代謝って?」

「人が生きてるだけで消費するエネルギー。一日中ベッドに寝ていてもね。

 実はこれが意外なくらい多いの」

「へええ。じゃ、寝ててもお腹がすくのって普通なんだ。怠け者の証なのかと思ってた」

「本当はダイエット中でも、基礎代謝を下回る食事制限はダメ……なんだけど……」


 ヒミカは言葉尻を濁した。


 配信者時代のヒミカも、リスナーに対しては、摂取カロリーが基礎代謝を下回らないよう厳に戒めてきた。が、ダイエットの終盤で自分自身はこっそりやっていた。

 ダイエット食にすら慣れて適応してしまった身体に、更なる衝撃を与える手段としては効果的なのだ。

 ただし、身体には絶対悪い。だからヒミカがこれを他人に積極的に勧めることは無いし、自分でやる場合も細心の注意をすべきだと思っている。特に今のヒミカは、健康度が強さに直結する。


 ――私の中でこれをする条件は『既に標準圏内まで痩せていること』『運動で筋肉と体力を付けていること』。そして『短期決戦』!

   美しさを求める者の執念を見せてやるわ!


 なお、激しい空腹感には根性で堪えるものとする。


「食事を削るのは構いませんけどね。戦いの方は大丈夫です?」

「実はちょっとした仕掛けがあるので大丈夫です。ただ、できれば事前に戦うタイミングが分かってると嬉しいです」

「了解」


 セラは魔法のような手際でパイ生地を打ち、美しく素朴なフィッシュパイをいくつも準備していた。

 これからじっくり時間を掛けて焼くようだ。お昼ご飯には間に合わないから夕飯用になる。神殿の者たちにも振る舞うのだろう。


 彼女はアイスピックのような鋭い針を、指の間で器用に回して弄ぶ。


「それじゃ、巡礼の締めくくりに飾る花を用意しましょう。

 施錠学派の連中を返り討ちにして、血祭りにしてやろうじゃんか」


 ズガン、と。

 振り下ろされたピックが魚の目を貫いてまな板につき刺さり、鮮やかにシメた。

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