<7> ひみちーダイエットクッキング特別編
日海花は窓から差し込む朝日と、炎上中のSNSみたいにやかましく囀りあう鳥の声で目を覚ました。
「ふわあ……
あれ、身体が重い……風邪でも引いて……」
のっそりと上体を起こした瞬間、腹の肉が、ぶにゅりと潰れた。
「……………………贅肉」
Xがいくつ付いているか分からないLサイズの寝間着越しに、超重量級の腹の肉を摘まんで、日海花は溜息をついた。
「夢じゃなかったかぁ……」
異世界に来て、三日目の朝。
未だに、東京のアパートの寝室で目覚めるような気がしてしまう。
だがここは異世界の、とある王国の、森の離宮。そして日海花の身体は、この通りだ。
「おはようございます、勇者様」
イケメン執事ならぬ麗しのコーギーが、鳥たちに続いて朝を告げた。
* * *
ここはアンジェリカがかつて使っていたという部屋で、日海花はそれをそのまま受け継いでいる。
王侯貴族といえば、着替えすら使用人にやらせるものだと日海花は思っていたし、実際そうらしいのだが、アンジェリカはあまり人を寄せ付けず自分のことは自分でやっていたようだ。
服装も庶民的……と言うか、堅苦しく着飾ることなど御免と言わんばかりで、ゆったりしたワンピースのような服が何枚もあった。
実際これは日海花にとって助かった。他人に着替えさせられるのも、肉体を服に適合させるため贅肉を揉みしだかれるのも、もう御免だ。
「ちなみに、私が元の世界に帰る方法ってあるの?」
日海花は衝立の陰で着替えつつ、フワレに問う。
話題が話題だけにフワレは、少し躊躇ってから答えた。
「……同じ儀式を向こうで行えば、可能ではあります。
ただ、そのためにはあなたを指定して呼ぶ者が必要で……いえ、そもそも基底世界に魔術師は存在しない筈ですので……」
つまり、無理ということか。
「…………すみません」
「ん……えっと、どう考えればいいか……ちょっと分かんないけど……あの、これって多分少なくとも……フワレちゃんが謝ることじゃない、と、思うから……」
尻尾を巻いてしょげるフワレの姿が、直接見なくても思い浮かんで、日海花は慌ててフォローした。
日海花の意志と無関係に呼び出されたとしても、どうせ死んだ後の話なのだから、どこの世界に居ようが構うまい。
こっちの世界に呼び出されたことよりも、その後の扱いに関して山ほど文句を言いたいが、文句を言う相手はフワレではないだろう。
丁度着替えも終わり、衝立の影から出た日海花は、面食らってびくりと仰け反る。
「これは……」
ワゴンで運んできた朝食を、フワレが部屋のテーブルに並べていたのだ。
朝から鳥の丸焼き。男子小学生ならチャンバラを始めそうなバゲットが二本。白身魚のスープ(壺のようなポット入り)。肉系らしきパイ(ホールケーキサイズ)。何かよく分からないけど上品そうなゼリー状の四角い物体たくさん。クリームチーズらしきものを塗ったクラッカー。
日海花はその、重量級の朝ご飯を、唖然と見つめていた。
「殿下のいつものお食事です。勇者様のお口に合いますと幸いです」
「朝からこの量を?」
「朝なのでこれくらいです」
日海花の脳裏を嵐の如き思考が吹き抜けた。
ディナーの間違いではないか。
いや、夜にたくさん食べるとカロリーを消費する間もなく寝ることになるので、健康を考えるなら夜より朝に食べる方がいいだろう。
だがだとしてもこれは多すぎるし、ティーポットを持つコーギーはとても可愛い。
「……もしかして、食欲がございませんか?」
「あー、えっと、ごめん。先に言った方が良かったか。
私ダイエットするから」
「あの、昨夜も申しておりましたが、ダイエットとは?」
「痩せるの。適量の食事と運動で」
フワレはどうも未だ、ピンとこない様子だった。
健康的に痩せるには、適量の食事と運動。
単純だが難しい話だ。
日海花はかつてのダイエットにおいて、特に食事の構成を大切にした。運動でカロリーを消費しきるのは難しいから、摂取する方を絞ったのだ。
「この食事はどう考えても多すぎるでしょ。一食どころか二日分くらいのカロリー量だわ」
「食べきれないのでしたら、残しても大丈夫ですよ」
「勿体ないじゃない。
今回作っちゃった分はしょうがないから、次から減らしてもらって」
ジャパニーズ・モッタイナイ精神回路が痛んだが、命の問題には替えられない。
日海花は必要と思われる分だけ食べて、大部分を残した。残り物を誰かが食べてくれることを祈りつつ。
* * *
その日の午前中は、昨夜揃えた資料の精査に費やした。
特にアンジェリカが遺した詳細な記録は、とんでもない掘り出し物だ。
健康管理に関しては人一倍知識を持つ日海花だが、流石に、チートパワーによる健康度計測の指標など知らない。だがそれをアンジェリカの記録が補えそうだ。
記録上の食事メニューからカロリーを概算し、重量挙げの記録と付き合わせることで、本当に必要十分なカロリーはどれだけなのか計算していく。厄介なのは、カロリーを多く摂取すれば一時的にチートパワーが増して記録が向上することだ。
本来の必要カロリーと、身体の維持に使われるチートパワーの方程式を割り出せば、身体を損なわずに痩せる基準が見えてくるはずだった。
アンジェリカの記録と日海花の知識を合わせることで、それは始めて可能になる。ダイエットのための地図作り……もしくは羅針盤作りと言うべきか。
己を導く、見えざる手の存在を日海花は感じていた。独りでは迷うはずだった道を、日海花は二人で歩いていた。
「昼食です、勇者様」
「……あら、もうそんな時間?」
作業に没頭しているうち、いつの間にか昼になっていたようだ。
時間を意識した途端、身体は重く、腹の中は空腹のあまり燃えているように感じた。
なにしろ朝食を減らしているので、巨体を支えるチートパワーが足りないのだ。単純に物理的カロリーの面で言っても空腹は必至。ダイエットは空腹との戦いだ。
朝と同じようにフワレが食事のワゴンを運んでくる。
そこに乗っていたのは、朝みたいなフルコースではなかった。だがしかし、ダイエットに適したメニューでもなかった。
「け、けーき?」
昼を通り越して午後三時まで作業してしまったかと思った。
ケーキである。どう足掻いてもケーキである。
ドライフルーツやナッツをふんだんに使い、果実酒に浸したと思われる、湯気立つほかほか焼きたてケーキがそこにあった。
「朝食の際のご要望を、シェフにお伝えしましたところ、このように」
「伝わってない……」
「お気に召しませんでしたか?」
「じゃなくて、分かった、もう直接話すわ。
厨房はどっち?」
超重量級の足音を鳴らし、日海花は動き出した。
* * *
「失礼しま」
ZAAAAAAAAAAAAAAP!!!
「…………ひゃひっ?」
厨房の扉を日海花がくぐろうとした瞬間、白く細いビームが大気を切り裂き、日海花の髪を数本チリにして、背後の壁に突き刺さった。
「どいてろ!
シメる前の
厨房は煉瓦積みの質感をそのまま残した空間で、竈付きの調理台が三列並んでいた。
とは言え、うち二列は覆いがされたり蓋が嵌められ、使われているのは一列だけだ。
そこで料理人が、犬ぐらいの大きさをした巨大カニと格闘していた。
そのカニがハサミの間からビームを放って、流れ弾が日海花に命中しかけたのだ。
「あ!? 殿下……じゃなく、お客人?」
「か、カニが! カニがビームを……」
「大丈夫です、そこまで強い魔物じゃありません。
勇者様が倒した、サンタクロース・カルト過激派の戦闘員でさえ、こいつ三杯分くらい強いです」
「それってカニが弱いの? イカレサンタが強いの?」
果たして、フワレの解説通り。
「おらよ!」
料理人がカニの甲羅の隙間に、何かの電極みたいなものを突っ込むと稲妻が爆ぜ、その一撃でカニは動かなくなる。
何か知らないが、食材をシメるための魔法の道具らしい。それも、一般人が使えるレベルの。
そんな簡単な道具で倒せるのだから、おそらく日海花ならデコピン一発で仕留められるだろう。
「こんな場所に何のご用でしょうか、お客人。
こちとら晩の仕込みをしてるとこなんでさ。
本当ならこいつ、朝から煮込むはずだったんだが、昼のメニューを急に変えなきゃあならなかったもんで、予定がずれこんでましてね」
禿頭の屈強な料理人は、カニの足を折りながら肩越しに日海花の方を見て、あからさまに棘のある言い方をした。
日美華の要望をフワレが彼に伝えた。そして彼の仕事は増えたのだ。
「食欲が無いようでしたんで、一品でご満足いただける食事をと、腕によりを掛けて最高のケーキをお作り致しました。
グラトフス仕込みのもんでしてね、宮廷じゃ皆さんお喜びになるんですが、お口に合いませんでしたか」
どうも、日海花が昼食のメニューにまで注文を付けに来たらしいと、彼は察しているようだ。そして、それは彼にとって許しがたいことであるらしい。
睨み付けられて怯む日海花ではないが、心情的に強くは出にくい。
彼も海花と同じ、王様の勝手な都合に振り回されている同士だ。しかも事情を承知している模様。
とは言え日海花は適切な食事を取って痩せなければ、陰謀か体調不良で死ぬであろう身の上だ。こちらも後には退けない。
「お手間をかけまして申し訳ありません。
それと、お気遣いありがとうございます。
お料理は大変素晴らしく、私には勿体ないほどの美味にございました」
「ふん。ならどうしたってんですかい」
「ダイエットをしようと思うんです」
「だいえっとぉ?」
やはりフワレと同様、彼もピンとこない様子だった。
「食事量を適切にして、痩せるんです」
「あのケーキでも多いってんですかい」
「いえ、問題は量ではなくて栄養構成で……」
「あのねえ。あたしゃグラトフスで修行した料理人なんでさ。
あんたぁ、なんです、エルベディア帰りだとでも言うんです?
こっちは
王侯貴族の贅沢ってものをね」
頭ごなしに見下す調子でそう言われ、流石に日海花も少し、むっとする。
庶民では一生味わえないような贅沢な暮らしをさせてやってるんだから、自分の料理はその一部なのだから、余計なことは言わず感涙にむせびつつ受け取れと。
プロの技には敬意を払う。
自分の世話をしてくれることには感謝する。
だが。それはそれとして日海花にも主張がある。
「私もダイエットのプロです。
そして私は、私の専門分野のお話をしているんです」
ダァン、と激しく音を立て、料理人は包丁をまな板に投げ出した。
「ならば先生に見せていただこうじゃありませんか。
どういう料理なら文句ねえってぇのか。
まさか、口だけ挟んで何もできねえってわけじゃありませんでしょう」
「ちょ、ちょっと二人とも落ち着いて……」
「いいわ」
フワレが割って入ろうとしたが、日海花はそれを押しとどめた。
そして包丁を手にする。
「やらせてくれるなら、ご覧に入れましょう」
台所からの配信も幾度を数えたか。
日海花は凝った料理を作らないが、効率よく調理できるダイエットメニューの構築は経験があった。
そうと決まれば善は急げ。
腹の虫に急かされるまま、日海花は厨房に置いてある食材と調理道具のチェックに入る。
――炭水化物はパンでOK。この量でだいたい300kcalくらいの筈。ケーキが作れるって事は……やっぱり牛乳がある! 乳脂肪とカルシウム!
籠に、金属の壺に、棚。
仕事場をひっかき回されて渋い顔の料理人を尻目に、日海花は厨房を家捜ししつつ、まず頭の中で調理していく。
重要なのはPFCバランス。摂取カロリーに占める、タンパク質・脂質・炭水化物の割合だ。特に炭水化物は全体の50~65%が理想で、多くても少なくても問題を起こすので、まずはそこから量を決める。その上で全体の摂取カロリーを抑えるのだ。
「卵の殻……ああ、卵はケーキに使っちゃったのか」
おがくずを詰めた籠は、おそらく卵をストックしておく場所だろう。
今、卵の籠はカラッポで、代わりにたくさんの殻が屑入れに捨ててあった。
「ええと、タンパク質タンパク質……」
棚の中の麻袋を一つ一つ調べ、日海花はようやく、目的のものを見つけた。
「豆ぇ?」
日海花が引っ張り出した袋には、レンズ豆のような何かがたっぷり入っていた。
異世界特有の種類かも知れない。まあ、何だとしても豆は豆だ。
「そいつは使用人向けのスープに入れるもんですよ?」
「タンパク質は筋肉の源。肉だけでタンパク質を摂取しようとすると脂質過剰になりがちだから、豆を上手く使うの」
「豆が……肉にぃ?」
全く意味が分からない、という顔で、料理人は頭を抱えていた。
そろそろ日海花に対する評価が、『無礼者』から『狂人』に近づいているようだ。
「えーっと、それで……
これ、火打ち石とか使うやつなの?」
「違いますよ、勇者様。
「わお」
竈にどうやって火を付ければいいか分からずに居ると、フワレが横から手を伸ばし、レバーを押し下げた。
すると驚いたことに、竈は勝手に火を噴いた。
「……異世界ナメてたわ。結構な技術力じゃない」
考えてみれば、この離宮はあちこちが、魔法の力で光るクリスタルみたいなものに照らされている。
だったら光だけでなく炎ぐらい出せるだろう。人は、生活を便利に、楽にすることに対しては、とにかく貪欲なのだ。技術があって、人が居るなら、こういう道具が作り出されるのは道理だった。
とにかくこれなら、アパートのガスコンロと大して変わらない感覚で、火を使った調理ができる。
――……でも、この世界には野菜ジュースもサプリも無いよね。その分のビタミンをどうにかして確保しないと……
縄で吊された野菜をもぎ取り、日海花はそれをぶつ切りにして、フライパンに放り込む。
さらに、ゴマに似た香りの油を流し入れた。
油のはぜるいい音と匂いが立ち上り、厨房に染み渡っていった。
――ひとまず緑黄色野菜を植物油で炒めれば、良質な脂質を適量摂取しつつ食事の満足感も高められる。他に何か足りない栄養素を補えるものは……
フライパンを振りながら厨房を見回し……日海花は、厨房の隅っこにあるタライに目を留めた。
血まみれのバラバラ死体がそこにあった。
「あるじゃなぁい、良いレバーが」
「ひっ!?」
「これ、ニワトリよね?」
「待て、おい! 食うのか!? それを!?」
「鉄分足りないと結局痩せないのよ。
それから葉酸も合わせて貧血予防!」
「そりゃ捨てるもんだぞ!」
「それを捨てるなんてとんでもない!」
贅沢にも胸や足の肉だけを取った後の、ニワトリの残骸だった。
内臓は丸々残っている。日海花はそれをむしり取って、炒め物に混ぜた。
それから臭み消しも兼ねて刻みニンニクも投入。
「なんちゃってレバニラ炒めみたいな感じにできるかなー」
「うげええ……」
「化けガニは食うくせに内臓はダメ? この世界じゃ
最初の威勢はどこへやら。料理人は血の気も引いた様子で、恐るべき調理の行く末を観察していた。
説明を求めてフワレを見やると、彼は別に驚いた様子も無い。
ほのかに苦笑しているのは、気のせいではないだろう。
「内臓食は魔物のすることとして、人間の間では忌避されているんです。
もちろん実際には、庶民はそんな贅沢言ってられませんから、なんだかんだ理由を付けて食べられているんですが、正式な場で料理として出されるものではありませんね」
「勿体ない! 栄養あるのよ!」
日海花は用心して、肉類はフライパンの真ん中で念入りに火を通す。
そして最後に塩を一振りと、欲望のままに胡椒を六振り。
……ダイエット食はどうしても脂質を減らす分、味を薄く感じてしまいがちだ。日海花は香辛料で誤魔化すセコい手をよく使っていた。
「よし、完成!
それじゃ……いただきます」
パンを用意し、牛乳をついで……そこで日海花は料理人の視線に気づく。
日海花はいつもの癖でフライパンから直接、立ち食いしようとしていた。洗い物を減らすズボラ技だ。
料理人はもはや化け物を見る目で、日海花の方を見ていた。
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