<5> 『訓練』
かつて絶対王政のフランスでは、王族の生活は公開されるもので、出産すら公開の場でさせられたという。かのマリー・アントワネットもそうだった。
それに比べたら自分はマシかも知れないという思いと、いややっぱこれは酷えよという思いが、日海花の中で交錯していた。
「痛っ、いだだだあだだだだ!?」
「脇腹の肉をもっと詰めて!」
「こっちは限界です!」
明くる日、日海花は、訓練とやらに連れて行かれた。
行き先は街からも離れた、ひたすら広い場所。サイズ感を別にすれば、小学校の校庭のトラックみたいで、特撮ヒーローがバケモノと取っ組み合いして火薬が爆発したりしそうな雰囲気。
『練兵場』とか言っていたから、普段はここで軍事訓練が行われるのだろうが、何やら運動会を見に来た父兄のように、見物人がパラソルなど差しているではないか。
そんな彼らが見守る中で、日海花は訓練用の防具を着付けることになった。
勇者が魔王との戦いで身につける伝説の鎧の、レプリカだ。本物の鎧は代々伝わる大切な品で、勇者候補と言えどおいそれとは持ち出せない。『候補』のうちは、その証しとして、鎧のレプリカを身につけるのだという。
胴部を覆う鎧は、伝説がどうのという話の割りに意外なくらい簡素で、胸まで覆う銀色のゴツいコルセットみたいな外見だ。
実際それはコルセットのように、背中のベルトを締める構造で、ある程度は装備者の体型に合わせる仕組みだった。
問題は日海花の……即ち、このアンジェリカ姫の肉体はとても鎧が合わせきれないサイズだということ。
「入りそうな予感はあるのに……」
「もう上から縛れませんか?」
「ちょっ、待っ、いだだだだ!」
鎧職人らしき男や、よく分からない女官、どういう立ち位置か分からない貴族まで、五人がかりで日海花に鎧を着せようとする。
ところが鎧は入らない。めいっぱいに開いても腹の肉が入りきらず、せいぜい腹の肉をゆるく挟んでいるような状態にしかならない。
そのため、どうにか腹の肉を鎧に収めようと、着付け担当者が五人がかりで日海花の腹の肉を捏ね回すことになった。
しかも最悪なことに、その着付けは、公開だった。
練兵場に設えられた、やたらと広いテントの中で日海花は鎧に着替えさせられたのだが、広さの理由はすぐに分かった。見物人を入れるためだ。
レディース・アンド・ジェントルメンがわらわらと入ってきて、悲鳴を上げる日海花を鑑賞し、クスクスと笑い合っているのだ。
「あらまあ、久しぶりにお出ましかと思えば」
「また随分と酷く肥えたものよな」
花のようなドレスに、飾り付きの帽子を被った貴婦人がたが、品位はあるが品性が備わっているかは微妙な笑いを浮かべつつ、日海花の方を眺めている。
日海花はなるべく見物人から目を逸らそうとしたが、なにしろテントいっぱいに詰めかけて環視しているのだから、もはや上か下を見るしかない。
「団長。何故このように見物の皆様がいらっしゃるのです」
日海花に付き添っているフワレは、ありがたいことに抗議の声を上げてくれた。
もしかしたらこの国は、誰もが着替えを他人に見せる露出狂の国なのかとも思ったが、そうではない。流石にこの状況は、フワレの感覚からしてもおかしいようだ。
「これは奇妙なことをおっしゃいますな、賢者殿。
我が国の擁立する勇者候補です、その現状を、力の程を、誰もが知りたいと思うことでしょう」
完全武装した鎧の騎士は、さて、フルフェイスの兜の中でどんな顔をしているのだろうか。
「…………もうよい! 鎧無しでも訓練はできよう!」
団長なる男がそう言って、鎧の着付けは断念された。
見物人の冷笑とともに。
* * *
結局日海花は『運動用のドレス』とかいう、日海花の感覚からするとどう考えても運動に適さない(しかしよく考えてみれば確かに地味で、飛び出した飾りなども少ない)格好に着替えさせられた。
準備用のテントから出てみれば、見物の衆は広々とした練兵場を取り巻き、運動会を見守る父兄の如くレジャーシート(?)の上にお上品に腰を下ろして、お上品とは言えない顔で日海花の方を見ていた。
なるほど、ここに集まった貴婦人方のドレスに比べたら、日海花が着ているのは確かに運動用だ。彼女らも運動をする時には同じようなドレスを着るのかも知れない。
「では、始めようか」
団長、と呼ばれた騎士が合図をすると、似たような格好をした騎士たちがゾロゾロと姿を現し、日海花と向かい合った。
中には、昨夜、日海花を捕まえていた騎士の姿もあった。
見物の衆はともかくとして、相手の騎士は皆、日海花の事情を知っている者たちだ。
「……異界の者よ。力の使い方は、既に知っているのだな」
団長とやらは日海花の前まで来ると、見物人には聞こえぬだろう大きさの声で問う。
「な、なんだか分からないうちに凄い力が出ただけだけど……」
「それで十分だ」
団長なる男は勿体ぶった調子で、したり顔で頷いた。
「殿下は、ものを食べることで恐るべき力を発揮する『
それは今の貴様にも引き継がれているらしい。
これほど単純な力であるなら、戦いの経験無き貴様であっても扱えよう」
日海花もフワレから既に説明を受けていた。
アンジェリカ姫が勇者候補たるには、理由があったのだ。初代勇者の血を色濃く引く、七王家の王族ゆえに発現した異能だ。
アンジェリカの場合、『食べれば食べるほど強くなる』というある意味恐ろしいものだった。肥満には理由があったのだ、一応。
「その身体では技も速さも望めぬであろうが、敵は時に素早く、時に徒党を組んでやってくる。
故に、それを薙ぎ討つのだ」
「……これで?」
「左様。異能の力あらば、扱えるはずだ」
騎士が三人がかりでえっちらおっちら、とんでもないものを持ってきた。
棍棒……なのだろうとは思うが、丸木の片側を細く削って持ちやすくしただけの物体を、果たして棍棒と呼んでいいのだろうか。打突面には分厚い革が巻き付けられている。訓練用の武器として、攻撃力を下げる工夫だろう。
そして棍棒は、ドシンと大きな音を立て、日海花の前に横たえられる。
流石に日海花は怯んだが、物は試しと持ち上げてみれば、驚いたことに、持ち上がった。
「すごい。持てる」
「ふむ」
試しに素振りを一発。
巨木の棍棒がうなりを上げた。ドラフト一位指名間違いなし。地球に降ってきた小惑星をアルファケンタウリまでホームランできそうだ。
「我らは一斉に打ちかかる。これを防いでみせよ」
「ええ……でも、いくら鎧着てたってこんなのでぶん殴ったら、流石に……」
「かかれ」
号令を出しつつ、団長は、自ら先陣を切った。
五月人形の三倍くらいは重そうな鎧を着ているのに、動作はよどみなく。早回しの映像でも見ているような勢いで距離を詰め、刃を潰した訓練用の剣で日海花に面打ちを決めた。
「痛あ!?」
衝撃が足先まで伝わるようだった。
日海花も一応、防具を着けている。ヘッドギアの出来損ないみたいな帽子で頭を守っているのだが、これに意味があるのかは疑問だった。
刃を潰してあるとは言えど、要するに金棒ではないか。それでぶん殴られれば当然痛い。
「ちょっ、何すんの!」
「戦いの訓練だ、手加減はしている。
我らが敵であったなら、今の一撃で頭が割れていたぞ」
悪びれもせず、躊躇いもせず、団長は次の一撃を狙う。
「っ……このっ……!」
向かってくる騎士たち目がけ、日海花は棍棒一閃。
いきなり殴られれば当然のことだが、一瞬、日海花は怒りと恐怖で我を忘れ、全力でやり返した。そして次の瞬間には、これではまずいかと思って、止まらぬ棍棒を止めようとした。
だが心配無用だった。
丸木の棍棒を騎士たちは、ひらりひらりと回避するではないか。
ある者は一歩飛び退き、ある者は手を突いて乗り越え、ある者は地に伏すほど身を沈めてくぐり抜ける。
――避けた!?
「甘いな」
「づっ……!」
胴薙ぎが二つ、交差する。
ドレスなど防具になるはずも無い。ただの布きれだ。分厚い脂肪に鉄塊がめり込み、日海花は息の塊を吐いた。
――このチートとかいう力ほどじゃないけど……こいつらも人間やめてるじゃん!
明らかに騎士たちは、日海花の常識では不可能な、異常な動きをしている。
確信できるが、こいつらはたぶん、100kgの鎧を着てもバク転ぐらいできるはず。
そんな超人どもが完璧な連携で、多勢に無勢で、日海花目がけて襲いかかってくるのだ。
「そら、呆けるな! 次だ!」
「このっ!」
もはや手加減も無用と、日海花は全力で棍棒を振り回した。
確か日海花は『薙ぎ討て』と言われた。よく考えたら、それが簡単だとは言われていなかった。
果たして日海花の攻撃はことごとくかわされ、一度は五人がかりで受け止められた。
そして、つかず離れず纏わり付いて包囲する騎士どもが、都度カウンターを仕掛けてくる。右を攻撃すれば左から。左を攻撃すれば右から。日海花は当然、戦の素人だ。どう動いたら隙が出来るのかすら分かっていないが、相手はそれを理解している熟練の武人たち。
日海花の『チート』とやらは怪力だけでなく、肉体の強靱さももたらすようだ。
実際、防具など在って無いような状態なのに、まだ生きているのはおかしい。
しかし、もはや心臓が脈打つ度に全身が痛むほどだった。ドレスも裂けて綻び、もはやカーテンでも巻き付けている方がマシだろうという有様。
「あらまあ、姫様も昔はもうちょっと元気がよろしかったのにねえ」
「あのようなお身体になられては、戦うのも大儀でしょう」
「あはは、ご覧になって、あの顎周りのお肉。振り向く度にブルブルと」
しかも見物の貴婦人方からは、容赦の無い失笑と罵倒が飛んでくる。
汗だくの日海花が、肩で息をしながら睨め付けると、それは実に刺激的なアトラクションだったようで、ホラー映画でも見ているような悲鳴、あるいは歓声が上がった。
*
練兵場の物見櫓の上に、ミロス王の姿があった。
見物の衆のように、愉しんで見ているわけではない。ただ、厳めしい顔をして『訓練』を見下ろしていた。
「もうやめましょう、こんなの傭兵団の新人いびりと変わりません!」
供の者の中に居たフワレが、たまりかねて声を上げた。
「『賢者』よ。余に指図するか?」
「……う……」
「あの娘は少し勘違いをしているようだからな。
己の無力を思い知り、何事も思い通りにはならぬのだと知る機会を与えているのだ」
ミロスは眉一つ動かさずに言い放った。
*
「重…………っ!?」
意地になって棍棒を振り回していた日海花だが、唐突に、その重さが百倍になったように感じて棍棒を取り落とした。
そのまま日海花は、踏み荒らされた地面へと無様に突っ伏した。
贅肉がクッションになってあまり痛くなかったのは、良いのか悪いのか。
「……はぁっ…………はぁっ……」
「そこまでだ。異能の力を使い切らせては、また死んでしまうぞ。
既に異能で身体を保たせている状態だ」
騎士たちの攻撃が止んだ。遂に日海花の攻撃を、たった一つも受けぬまま。
もはや息が切れて、声も出せない。
ただ無様に這いつくばったままの日海花の眼前に、鉄のつま先が歩み寄る。
「貴様は殿下より、多少は賢いようだ。
殿下は訓練になどおいでにならなかった」
賢い、という言葉には様々なニュアンスがあるだろうが、この場合は侮蔑以外の何者でもないと、流石にヒミカは気づいた。
そして、団長は去って行く。
そう言えば何の団長なのかまだ知らないなと、どうでもいい考えが日海花の頭に浮かんだ。
「全く、想像以上に酷かったこと」
「使い捨ての異能と知りながら、それを浪費した末路ですわよ」
「見るに堪えぬ無様。役目を終えたら豚小屋に閉じ込めておくべきではございませんの?」
見物の衆も去って行く。
……流石に日海花も、あの王様が何のつもりだったか理解した。最初から、訓練の名目で日海花を見世物にして恥を掻かせるつもりだったのだ。
――あの野郎ぶっ殺してやる……
日海花は踏み荒らされた跡の砂を掴む。
汗が砂地に滴り落ちる。
己の呼吸の音がうるさかった。
「大丈夫ですか、勇者様!」
ぽてぽてと可愛らしい足音で駆け寄ってきたのは、フワレだった。
彼は杖を一振り。何か魔法を掛けたらしく、日海花は少し呼吸が楽になった。
そしてフワレは小さな身体で懸命に、日海花の巨体を助け起こそうとする。石に潰してしまわないか心配になって、日海花はどうにか、自力で起き上がろうと試みた。
「この『力』……使い方を間違ってるわ」
「えっ?」
顔だけ地面から持ち上げて、切れ切れの息の中、日海花はどうにか絞り出して、それだけ言った。
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