<3> 賢者フワレ

 戦いの場からしばし離れたところで着陸し、森の端を二人は歩いていた。

 世界の重力が変わったのではないか、というほどに日海花の身体は重い。

 まだ歩き始めたばかりだというのに、息は弾み、だぶついた肉のひだに汗が滲んでいた。


「私、フワレは、このセラニア王国にて『賢者』の位を賜っております魔術師の一人です」


 コーギーの魔法使いは、フワレと名乗った。

 彼の掲げる杖は、幻想的な光を放ち、二人の足下を照らしていた。


 ここは地球ではない場所。

 遠く離れた場所ですら無く、ロケットでもUFOでも辿り着けない、異世界。

 そこに日海花は呼び出された。それは何故かという話だ。


「新たな魔王出現の予兆があり、七王家は『勇者選定の儀』を準備しています。

 勇者とは、魔王を討伐すべき英雄。

 このセラニア王国からはアンジェリカ王女殿下が立候補する予定だったのですが……先日、王女殿下はお亡くなりになりました。

 ……端的に申し上げますと、食べ過ぎで内蔵を患って」

「は、はあ」


 フワレは明らかに日本語でも英語でもない、日海花の知らない言語で喋っていたが、何故か日海花にはそれが理解でき、かつ自分も自然に受け答えできた。妙な感覚だった。


 生活習慣病の総合商社みたいな肉体を見下ろし、お悔やみを言うべきなのか日海花は迷う。なにしろ、その死んだ姫様の肉体を、他ならぬ日海花自身が被っているわけで。

 こんな時にどんな言い回しをすれば良いかは、くそったれマナー講師ですら思いつかないに違いない。


「勇者候補を出せないとなると、七王家の名折れ。

 国王陛下は『勇者召喚の儀』によって、異界から勇者の魂を呼び寄せて、王女殿下のご遺体に宿すことで、替え玉……いや、生きているように見せかける……ええと、とにかく誤魔化すことにしたのです。

 それが……今のあなたです」


 フワレは実に複雑な、本物の犬ならこんな表情はできないだろうという苦い顔をしていた。

 彼は、起きたことを誠実にそのまま全部説明している様子だが、同時にそれがどれほど無茶苦茶をしているかも分かっているようだった。


「本来は儀式の中で、勇者に相応しい御方に呼びかけ、こちらにお呼びするはずでした。ですが、サンタクロース・カルトの過激派が……」

「待って私の耳か頭か、両方が悪いのかも知れない。なんて言った?」

「サンタクロース・カルト過激派」


 誰が襲ってきたかはまた別の話だろうから、日海花は深くつっこむのを避けた。

 どこの世界にも頭のおかしい奴は居るらしい。


「彼らが儀式を襲撃し、私はやむを得ず、呼べる方を無理やりにお呼びしてしまいました……ちょうど、あの瞬間に、基底世界で死んだ人を、強制的に……」


 そこでフワレは遂にたまりかねた様子で、キツネ色のフカフカ頭を掻きむしり、日海花の前に跪いて頭を垂れた。


「申し訳ありません!

 こちらの都合に……あなたを巻き込んでしまったんです!」


 そのお辞儀をした頭の上で、ふわふわの耳がピクピク動いているのを見て、日海花も、たまりかねた。


「…………もう我慢できない。

 モフモフしていい?」

「も…………モフ?」

「そのフカフカの胸毛を撫で上げさせて柔らかい三角形の耳を揉ませて後頭部を吸引させろって言ってるの!

 私、犬が飼いたかったの! でも姉貴が酷い犬アレルギーで無理だったの! 犬カフェに寄っただけで残り毛で悶絶するからそれさえ禁じられてたの!」

「えあ!? うわああ!」


 日海花はフワレに襲いかかった。

 耳の先まで計っても身長100センチあるか無いかという、フワレの小さな身体を抱きかかえると、有無を言わさず撫でさする。


「あー、ふっかふかぁ……しかも油っけ無くて……石鹸と……乾いた犬の香り……最高」

「んぶっ、えうっ、あばわわわわ」

「……ぷっはー! あー、良かった。

 あれ、それで何の話だったっけ」

「ほひゃらぁ~」


 目を白黒させながら痙攣していたフワレは、解放されるなり一回転してへたり込んだ。


 日海花は溜息をついて幸福を噛みしめ、そして、今し方の話を反芻する。


「つまり、話を総合すると、殺されそうだったから私を呼んで戦わせたってことなのね」

「わ、私だけならば殺されようと構いませんが、姫様のご遺体を奴らに奪われて、クリスマスツリーにされるわけにはいきませんでしたから……」

「なら良かった!

 つまり私がここに来なければ、フワレちゃんが殺されてたってことじゃない。そんなの許せないわ」


 別にフワレが日海花を殺したわけでもないのだ。

 事故死(?)した自分が第二の命を与えられ、可愛いコーギーを守る機会を与えられたのだとしたら、それはあまりにも素晴らしいことではないか。

 それは日海花にとってとても単純で、議論の余地すら無い話だったのだけれど、フワレは驚きに目を見開いて、それから肉球で目頭を押さえた。


「どしたの?」

「すみません、一つだけ訂正させてください……

 あなたは、勇者の器です……間違いなく……」

「ふーん?」


 ちょっと大げさじゃないかと日海花は思ったが、コーギーに感謝されるのは素晴らしいことなので何も言わなかった。


 だが、その幸せに水を差す無粋な足音が、二人の行く手から近づいてくる。

 地に落ちた枝葉を踏み割る、日海花とは別の意味で重量級の足音が。


 殺人サンタどもではない。

 威圧的な金属音を立てながら現れたのは、白銀の重厚な全身鎧で武装した男たちだった。

 コスプレではない。ハリボテでもない。

 本物の鎧だ。

 腰に提げた剣も、きっと本物で、人間からコンニャクまでなんでもすっぱり斬れるはず。


「今度は正月同好会か何か?」

「警備の騎士の皆さんです」


 騎士たちが、あんまりにも物騒な気配を漂わせているので日海花は最初、新手の敵かと思った。

 そして、その日海花の勘は、結果的に正しかった。

 騎士たちは無言で日海花に近づいてくると、四人がかりで問答無用で掴みかかって、後ろ手に拘束したのだ。


「ちょっ、何!? 離して!」

「おやめください、勇者様に何を!」

「陛下がお越しです」


 これで理解できただろう、異議も質問も許さぬと言わんばかりの高圧的な言い草だった。

 しかし、流石にそれでは話が通じないと思い直したか、騎士は付け足す。


「この娘はもはやアンジェリカ殿下にあらず。

 連れてくるように、と仰せでしたので」


 命令を拡大解釈している、とかではなく、おそらく『陛下』の考え通りに騎士たちは動いているのだと、日海花はなんとなく察した。

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