第36話 密会
「……はぁ。なんでこんなことになってんのかね」
騎士団の団長であるグランは、自身が普段使うものよりも一回り大きな調度品が並ぶ部屋を見渡し、大きく息を吐く。
グランは今、魔族の国──コルディア連邦を訪れていた。しかも彼が今立つ場所は、リザードマンの代表を務めるキードレッチの屋敷の一室。
リザードマンの身長の平均は2メートルを超えており、自然、部屋も調度品も大きくなる。そんな部屋で長時間待たせれているグランは、辟易とした様子で小さく呟く。
「……ほんと、嫌になるな」
グランには、アスベルのように力でリザードマンを斬り伏せる膂力はない。というかグランは、戦闘が得意ではなかった。だから今、観察するような目でこちらを見るリザードマンたちが襲いかかってくれば、抵抗すらできずに殺されるだろう。
グランはとても緊張していた。そんなグランを励ますように、1人の男が声をかける。
「いや、無理言ってごめんね? 今回は非公式での会談だから、護衛の人選も慎重にならないといけないんだよ。……騎士団の中にも、バルシュタイン卿の息がかかっている者は少なくないからね」
グランの正面の椅子に座った貴族の男──ライは、特に悪びれる様子もなく笑う。
「分かってはいますけどね。ただ僕は、兄貴やアスベルみたいに、戦闘は得意じゃないんですよ。だからいざって時に、守り切れる自信はないですからね?」
「そんなに心配しなくても大丈夫。体面上、護衛が必要だったってだけで、戦うつもりはないから。キードレッチ卿は、そんな考えなしな行動はしない。……そんなに分かりやすい奴なら、私がわざわざ足を運ぶ理由もない」
「……それならいいんですけどね」
アスベルが脱走してからはや1ヶ月。未だに彼の捜索は行われているが、その足取りは掴めていない。というより、騎士団もそちらに人員を割く余裕がなくなりつつあった。
戦争の英雄が実は魔族だった。
そしてそんな魔族であるアスベルを、同じ魔族であるリリアーナが助けた。民衆からも貴族からも騎士団への批判は多く集まり、グランはしばらくその対応に追われていた。
民衆の魔族への反感は高まり、一部の貴族はそれを煽るように、魔族が起こした事件を大々的に広める。同じように魔族の間でも、リリアーナが人間に拐かされたと噂になり、人間への反感が高まる。
まだ、戦争になるような気配はない。小さな火種が燻っているだけで、時間が経てばいずれ民衆も落ち着くだろうと、グランはそう考えて行動していた。
その見立ては、間違ってはいなかった。……ただ、とある1つの情報がその全てを覆してしまう可能性があった。だからグランとライは、その情報の真偽を確かめる為、こうして魔族の国を訪れていた。
「お待たせして、すみません」
そこで紳士然とした声が響き、他のリザードマンより更にひと回り大きなリザードマンが姿を現す。
「わたくし、キードレッチと申します。この度はわざわざご足労頂き、感謝いたします。ライ卿とは、一度話してみたいと思っていたのです」
「いえいえこちらこそ、お会いできて光栄です。キードレッチ卿のお噂は、我々の国にまで届いております」
「いやはや、そう言って頂けるとありがたいです。……ただ、この国は貴族制度を廃止しましたので、キードレッチ卿と呼ぶのはお辞めください」
「これは、とんだ失礼を。申し訳ありません、キードレッチ代表」
ライはそこで、頭を下げる。
ライがキードレッチを『キードレッチ卿』と呼んだのは、わざとだった。一見温和に見えるキードレッチが、何より自身のプライドを優先しているという噂を、ライは耳にしていた。
だからお世辞の代わりにそう呼んでみたのだが、キードレッチが喜んでいる様子はない。……というより、ライにはリザードマンの感情の機微が分からない。
ライは誤魔化すような作り笑いを浮かべ、キードレッチは大きな口を開き、品のいい声を響かせる。
「さて、こちらからお呼びたてしておいて申し訳ないのですが、今回は会談は非公式。お互い多忙の身でしょうし、前置きは抜きにして本題から話させて頂きます」
キードレッチは、大きな口を優しげに歪める。それはどう見ても捕食者の笑みでしかないが、ライもその背後に控えるグランも口を挟むような真似はしない。
「我が国では今、意見が2つに割れているのです。今すぐにでも友好条約を反故にし、人間の国に攻め入るか。それとも、もう少し機を見るべきか」
「……どちらにせよ、戦争する気なのですね」
「それはそちらも同じでしょう? 貴国が軍備は整えていることは、我が国では周知の事実です」
「我が国は、あくまで備えているだけです」
「確かに備えは大切ですね。ただ、バルシュタイン卿も、同じ考えならよいのですが……」
キードレッチは試すように、ライを見る。ライは顔色1つ変えず、言葉を返す。
「バルシュタイン卿のお考えは、私のような若造には分かりません。ただ、国王陛下が民の血が流れることを望まれているとは思えません」
「それはそれは、とてもよいことを聞かせてもらいました。どうも我が国の者たちは、人間を恐れ過ぎているきらいがある。攻めなければ、滅ぼされる。……特にイリアス代表なんかは、そのけが強いですね」
「それは誤解です。我々は自らの身を守る為にしか、剣を取るつもりはありません」
「そうですか。ですがまあ、彼女は大事な娘……リリアーナ嬢を人間に攫われてしまった。その気持ちは、汲んで頂きたいものですが……」
キードレッチがまた頬を歪める。ライもそんなキードレッチを真っ直ぐに見つめて、笑う。
「そうなのですか? リリアーナというサキュバスは、我が国の大事な戦力である騎士団に、多大なる悪影響を与えたと聞いたのですが。自由奔放なのは結構ですが、あまり考えなしだと、こちらも然るべき対応をせざるを得ません」
「……彼女は貴方が匿われているのですか? ライ卿」
「生憎と私は妻一筋なので、どれだけ美しい女性がいても目移りすることはありません」
ライは冗談めかして笑うが、キードレッチは取り合わない。
「貴方も知っておられるのでしょう? 彼女が持つ本当の力を。平時であれば、あれは単なる小娘に過ぎません。ただあれの本質……サキュバスクイーンとしての力は、一国を……いや、この世界をも滅ぼしうるものだ」
「それは……」
ライは思わず、言葉に詰まる。
グランがリリアーナについて調べ回っていた時、偶然目にした過去の文献。どうして、サキュバスクイーンという種族が滅びることになったのか。単なる眉唾だと思っていた伝説が、現実に起こったことだとするなら……。
──リリアーナは危険だ。
アスベルの気持ちを理解した上でも、今すぐに殺さなければならないほど。
「あれは、神に繋がっている。失敗した神々の儀式。今も世界を彷徨う7つの終わり。決して終わることのない神の残滓。本来ならあれは、地下深くの檻にでも入れておかなければならない程の怪物だ」
「……キードレッチ代表は、彼女を連れ戻して欲しいと言いたいのですか?」
「そうして頂けるのであれば、ありがたいのですが……。あれを捉えるのは、骨が折れるでしょう? ……ですので、わたくしのお願いは1つ」
キードレッチは立ち上がる。まるで見下すように、蟻でも見下ろすかのような冷たいで、彼は告げる。
「リリアーナ・リーチェ・リーデンを殺して欲しい。それに頷いて頂けるのであれば、向こう100年は友好条約が破られることはないでしょう」
それは取引ではなく、命令だった。しかしライもグランも、この状況で彼に逆らうことはできなかった。
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