〈7〉 ③

 それから数週間して、歩は小学校から五分ほどの距離にある中学校の前にいました。

 下校ルート沿いなので、赤や黒のランドセルを背負った小学生と革の学生鞄を抱えた中学生とが入り交じっています。校門前のガードレールに凭れる歩を気に留める人はいません。

 しばらくして、「おい」と不機嫌そうな女の子の声が真横からしました。校門ばかりを見ていた歩は驚いて姿勢を正します。

 足首丈のスカートとセーラー服を纏ったさなえでした。肩までめくられた袖から伸びる腕のあちこちに、消えきらない痣や擦り傷があります。

「なにやってる」

「……さなえちゃんに、会いに来たの」

「……あたし、いつも裏門から帰んだけど」

「学校に来てないかもって思ってたから、会えるまで来るつもりだったよ」

「あたしの話、聞けよ。普段こっちの門は使わねぇんだよ」

「でも、来てくれた」

 さなえは忌々しげに舌打ちをしました。それが照れだと、歩にはわかります。

「……なにしき来たんだよ」

「謝りたくて」

 さなえは顔を斜めにして「なにを」と低く呻きます。

「さなえちゃんを助けてあげられなくて、ごめんなさい」

 さなえはゆっくりと歩き出します。歩も半歩下がったところをついていきます。

小学校とは逆の方向でした。

 これがさなえの下校ルートだとすれば、これまでの彼女はわざわざ歩に会うために小学校に来てくれていたことになります。ヒロムやリナが集まっていたコンビニだって逆方向です。

「おまえは、小学生小坊のくせに高校生姉さんたちから中学生中坊助ける気でいたのかよ」

「だって、わたしはお父さんの子で、お父さんの名前を出せばみんなを止められたはずなのに……」

「そんなこと、別に期待しちゃいない」

「でも……」

「あたしは、おまえが社長の娘だから付き合ったわけじゃねぇよ」

 足が止まりました。

 鼻が低く、可愛くもなく、他人と話しも合せられない歩の価値など「平田社長の娘」であることだけだと思っていたのです。事実、ヒロムやリナは父の名を出しただけで手を引きました。

 数歩進んでから、さなえが立ち止まります。体ごと振り返り、億劫そうに手を伸ばします。

「行くぞ」

 当たり前の顔で、どこか拗ねた子供みたいな声で、さなえは歩を呼んでくれました。出来の悪い妹を急かすようでした。

 歩は走ってさなえに追いつきます。勢いのままさなえに抱きつきます。学生鞄がいやに重たい音を立てて落ちました。

「なんだよ、危ねぇなぁ」

 宥めるようにさなえの手が歩の背を叩きます。けれど母のように「気持ち悪い」とは言いません。引き剥がそうともしません。

 さなえの胸に顔を埋めて、歩は少しだけ嗚咽を漏らします。ほんのりと夏の匂いがしました。

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