第32話 私の事を選んでくれるよね、ご主人様?

「お帰りなさいませ、ご主人様♡」


 扉を開け、訪れた直後、店内に響き渡る女の子の声。


 高橋良樹たかはし/よしきは今、隣街のメイド喫茶にいる。


 先ほど宮崎五華と切りのいいところで別れ、ナギと関わるために店内にいるのだが、今日はそこまで混んでいないようだ。


「ご主人様。こちらのお席にお座りください♡」


 とあるメイドから案内され、カウンター席に座る。


「メニューは、こうなっております」


 そう言って、その親し気な語り口調をする小柄なメイドは、良樹のテーブル前にメニュー表を広げ、見せてきた。


 メイド喫茶だけあって値段は高い。


 良樹はどれにしようかとメニュー表の写真を見ながら、自身の財布の中身を思い出しながらも長考してしまう。


「ごゆっくり選んでもよろしいので、私、あとで来ますね!」


 そう言って、小柄なメイドは背を向け、立ち去って行った。






「ご注文はお決まりになりましたか?」


 可愛らしいメイドの声が聞こえる。


「じゃあ、このメニューで」

「わかりましたッ、ご主人様のために美味しいオムライスをお作りしてきますので、ちょっと待っててくださいね」


 先ほどの小柄なメイド服姿の女の子は別のテーブルで、とある中年男性の相手をしていた。


 ……そういや、ナギの姿がさっきから見えないんだが?


 カウンター席に座ったまま、良樹は店内を見渡す。


 がしかし、ナギの気配すら感じなかった。


 今の時間帯にメイド喫茶に来てくれれば、店内で接客してくれると事前に言われていたのだ。


 もしかして時間を間違ったか?


 念のために制服から取り出したスマホを確認する。


 画面を見るが、特に時間帯に誤差はなかった。


「……」


 以前自分がバイトしていた店内にいると思うと急に恥ずかしくなった。

 顔見知りの子は今のところいないものの、ナギ以外の知っている人にバレないか不安になる。


 ナギだったら、あの時の事を把握しているからバレても問題はないが……。


「……」


 本当にナギっていないのか?


 まあ……今日はいなかったら明日くればいいか。


 ナギがいないのなら、今日は注文だけをして帰るだけになるのか……。


一応、注文は決まったものの、ナギがいないのに注文すべきかどうかを悩む。


 金銭的にオレンジジュースしか選べない現状。


 明日来るなら、このまま帰った方がいいよな。


 店内に訪れて、五分ほどが経つ。


 そして今、帰るかどうかを悩み始める。


 注文もせずに、そのまま店内を後にするのも冷やかしみたいで、あまりやりたくない行為だった。


 メールで伝えるか?


 先ほどはバイトが忙しいからと言われ、ナギとは途中で連絡が取れなくなっていた。


 再び、スマホを片手にメールを打つが、すぐに彼女からの返事はない。


 まあ、さすがに仕事中にメールは返せないよな。


 店内は以前自分がバイトしていた時よりも空いているが、業務的にやることが多いのかもしれない。






 店内に入ってすぐに帰路に付くのはダメだと思い立ち、良樹はオレンジジュースだけでもいいから注文しようと思った。

 座っている席から見える景色へ、パッと視線を移すと、そこには丁度メイドがいたのだ。


 奇跡的にもそれは彼女だった。

 ナギと視線が丁度重なっている。


 ナギはメイド服姿に身を包み、遊園地の時の私服からは得られない可愛いらしさを今、この喫茶店内で感じていた。




 ナギの姿に見惚れていると、ナギが軽快な足取りで歩み寄ってくる。


「ご主人様、ご注文はお決まりになったんですか?」

「ま、まあ、一応」


 ナギの方からやってきてくれて色々と助かった。


 昨日、ナギを怒らせてしまった。

 もう少し何かを言われると思ったのだが、意外とあっさりとした対応を見せつけられたのだ。


「さっきまで、店内にいなかった気がするけど?」

「それはね、キッチンの方で料理を担当してたの。全然、手を離せなくてね。さっきまで忙しくて、メールもちゃんと確認できないかも」

「そうか……けど、今は混んでいない気が?」

「混んでいたのは、ご主人様が来る前の時間帯って事。それと食器の後片付けとか。色々とあったの」

「大変なんだな」


 良樹呼びではなく、ご主人様で貫き通すようだ。

 メイドらしい信念を感じた。


「それがご主人様らに対する、私らの仕事だからね。注文は決まったんですよね? 私の方を見ていたってことは」

「まあ、一応な。じゃあ、オレンジジュースだけ頼めないか?」

「それだけ?」

「今日は少しお金の持ち合わせが……」


 良樹はナギにボソッとだけ伝えた。

 こんな事、大声で言えない。


「じゃあ、私の奢りで一品だけ追加してもいいよ。オムライスは、どうかな? サービスしておくけど、良樹のために」


 彼女はボソッと耳元で名前を呼んでくれた。


「お、奢ってくれるのか?」

「うん。けど、今度は私を選んでくれるよね?」

「賄賂的なやり方だな」

「賄賂って。私と色々な事をした仲じゃない。だから、賄賂とかじゃなくて、奢るのは私の気持ちって事で受け取ってくれればいいよ♡」


 確かに、ナギとは色々な経験をした。


 遊園地の件など――


 観覧車での事を思い出すと、急に恥ずかしくなる。


 ナギだけに限らず、他の子とも、他人には言えない経験をしたのだ。


 今さら誰か一人を選ぶとか、そんな残酷な選択は出来ない。けど、自分の優柔不断な行為で、彼女らが苦しんでいるのなら、自分の気持ちを、あの三人が集まった時、ハッキリと伝えようと思う。


「ご注文はオムライスとオレンジジュースね」


 ナギは軽やかな立ち回りで背を向け、すぐに持ってくるからと言い、立ち去って行った。






 それから一〇分後――


「美味しい?」


 ナギは良樹の顔をまじまじと見つめてくる。


 テーブル上には、ケチャップでハートマークがついたオムライスがあるのだ。


「見られながらだと食べられづらいんだが」

「でも、私はずっとご主人様の姿を見ていたいんだけどね♡」


 ナギはカウンターテーブルの反対側で微笑んでいた。


「そうだ。今ね、人気の漫画があるんだけど。ご主人様は知ってるかな?」

「え、どんな漫画?」


 良樹の問いに、ナギは説明してくれた。

 その漫画は今年中にはアニメ化されるらしい。


 あとで一緒に、その漫画を見ようという話になったのだ。

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