その後のこと


 僕は猿神の小間使いをお役御免になって、村の外れのあばら家に戻された。雑草が生い茂り、埃を被り、綺麗にするのも骨が折れそうである。屋根は朽ち果てて、雨避けの用を成さない。しょうがないので夜は部屋の片隅にうずくまって寝る。ひたひたと頬に水が迫ってくる不快感もじきに慣れた。


 何かする気にはなれなかった。野垂れ死ぬならそれでいいと、兄さまもいなくなったんじゃもう生きる目当てもないと思ったから。


 やがて飢えに耐えかねた。耐えかねて、何か食べるものでもないかと立ち上がった。喉がちりりと痛む。ひどく乾いていた。先に何か飲むべきだろう。水甕に近づいて、なかを覗き込むと落ち葉が浮かんでいた。羽休みをしている虫もいる。飲めるだろうか。しゃがみこんで、甕の縁に手を突く。


 水を掬おうとごみを払って、くしゃくしゃの顔が映っていることに気付いた。


 ──誰だ?


 見覚えのない顔だった。赤らんで、皺だらけの、口の膨らんだ、それは人のものというより猿のものに近かった。まるで仮面のように貼り付いて、外せない。


「違う。僕は、こんなじゃ……」


 猿を食べたから猿に化けるようになってしまった? そんなわけがない。それならとっくにこの村の住民みんな猿になっているはずだ。なら、もし僕がこんな姿に変わるような心当たりがあるとすれば。


「あれを、一度でも家族だと思ったのか、僕は。あの猿を」


 人の道を外れ、兄弟殺しの罰が当たったために殊類となったのか、心に芽生えた獣性が人としての心を追い越したのか。もし、そうなら、僕があんなに憎んだあれを、兄に重ねて慕っていたというのなら。


 それを拒んで殺したこの手は。


 後悔よりも先に、おかしさがこみあげてきた。なんて顔。兄さまにそっくりだ。あの猿とお揃いだ。なんだ、僕らはずっと側にいたんじゃないか。僕は自分で、それを全部壊してしまったんだ。


 ならばこの手は。


 これは、けだものの手だ。

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