第33話


 膳屋ぜんやの火災の中、喜瀬屋きせやはお通夜状態と化していた。

勘左衛門かんざえもんは部屋から出てこず、お京もいない。番頭がひとりで仕切っていた。遊女ゆうじょ達が自らの部屋に引きこもり、遣手婆やりてばば禿かむろ達が、片付けや葬儀の準備に追われていた。若い者達は主に力仕事を請け負っていた。


「番頭さん、時雨太夫しぐれだゆうが、その、とにかく裏へ来てください」


 裏口担当の若い者が慌てた様子で番頭の前に現れた。

番頭は自分でどうにかしろと言ったが、どうにも判断できないと言って引き下がらない若い者を叱り、仕方なしに裏門へ歩いて行った。そこには血まみれの時雨しぐれが誰かを背負って立っていた。


東伯とうはく先生を呼んでくれないか」


 時雨しぐれは消え入りそうな声で言葉を発した。

 番頭は取りあえず中へ入るように言って、背負っている人物の顔を確認する。一瞬、誰か分からないような顔をしたが、番頭の顔がみるみる嬉しいやら悲しいやら複雑な表情になっていった。

 すぐに指示を飛ばす。若い者達数名が外に出て東伯とうはくを呼びに行く。遣手婆やりてばばたちは部屋を確保し、床を敷いた。

時雨しぐれはそのままの格好で勘左衛門かんざえもんの部屋を訪れた。


てて様、入ります」


 時雨しぐれ勘左衛門かんざえもんの部屋に入ると、勘左衛門かんざえもんはお京の前に座っていた。いつもの面影はなく、疲れ切っているようだ。

勘左衛門かんざえもんは入ってきた時雨の姿を見て眉をひそめた。死者を弔っている場所に入ってくるような格好ではない。


時雨しぐれ、もう少し場をわきまえないか」


勘左衛門かんざえもんの言葉は迫力こそないが、顔は怒りに満ちていた。今日はここに誰も入れるなと伝えていた番頭が仕事をしなかったせいもある。


てて様、東雲とううん先生を保護いたしました」


 少しばかり沈黙が訪れる。

勘左衛門かんざえもんは関心がないように時雨の言葉を聞き流そうとした。何度か時雨しぐれの言葉を頭の中で反芻はんすうしたとき、事の重大性に気づき、正気を取り戻した。


「な、生きていたのか?」


 時雨しぐれは黙って頷く、取りあえず詳しいことは後で話すと言い東雲とううんのいる部屋のことを教えた。

 勘左衛門かんざえもんの顔に生気が宿る。禿かむろ二人を呼び、勘左衛門かんざえもんの部屋で待機するように言うと時雨しぐれを伴って部屋を出た。

 部屋を出ると、番頭が言いつけを守らなかったことを詫び、今の現状を報告する。

勘左衛門かんざえもんは言いつけのことは気にするな、むしろ詫びるのは自分だと言い、現状報告は東雲とううん先生に会ってからだと伝えた。

 二人は東雲とううんが寝かされている二階にある一室に入った。

そこには以前とは全く異なる、変わり果てた東雲とううんの姿があった。勘左衛門かんざえもんは近づいてそっと東雲とううんの首筋に手を当てた。


「よかった。生きている。時雨しぐれ東雲とううん先生をどこで」


 時雨しぐれは、今、東伯とうはく先生を呼びにやっていることを伝え、すべてはそれからだと言った。勘左衛門かんざえもんもそれで納得し、とりあえずは待つことになった。

半刻ほど過ぎた頃、階下からばたばたと激しい足音が近づいてきた。それは、挨拶も何もなしに突然入ってきた。息を切らした東伯とうはくであった。


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東雲とううん、生きておったのか……」


 東伯とうはくはその場にへたりと座り込んだ。後には岡崎のと数人の与騎よりきの姿もある。

 東伯とうはく膳屋ぜんやの近くにいた。多数の怪我人が出ると踏んでいた奉行所が予め呼んでいたためだ。

とりあえず、東伯とうはく東雲とううんの診察と治療を始めた。暫くすると、溜息をついた。


「かなり、阿芙蓉あふようを吸っておるの。うまく阿芙蓉あふようが抜ければ良いが、厳しいのぅ」


 岡崎が口を開いた。


「先生、証言などは得られませんか?」


 東伯とうはくは岡崎を睨む。その目には怒気が含まれていた。


「岡崎殿、無理言いなさんな。ただでさえ阿芙蓉あふようを長期間吸っておる。その上、この衰弱ぶりじゃ。命さえ危ういのじゃぞ!」


岡崎はばつの悪い顔をして、頭を掻いた。

東伯とうはくは禁断症状が出るのを恐れ、東雲とううんに猿ぐつわを軽く噛ませ、手足を絹の紐で結んだ。

それが終わると、喜瀬屋きせやに詰めている医者を一人呼び、対応を説明した。


「さて時雨、ことの内容をすべて説明してくれるかな?」

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