世界の終わりに祝杯を

凪司工房

1

 死が全てに終わりを与える一つの最良の方法だと、一度くらいは考えたことがあるだろう。

 年間自殺によってそれを得た人の数は約三万。不運にも事故死によって与えられてしまった人の数は三千から四千程度。更にこれが殺人事件ともなると三百人弱である。けれど誰もその死の向こう側を知らない。


「だからさ、死刑になる為に人を殺そうと思うんだよ」


 あれは大学三年の十月の中頃だったか。

 私と酒林穣太郎さけばやしじょうたろうはサークルの飲み会の後、飲み直そうということで大学にほど近かった酒林のアパートに乗り込み、缶ビールを開けていた。十一月にある学園祭に向け、児童文学研究会は展示と季刊誌の発行を予定していた。割合として女性の部員が多く、飲み会では二人ともやや肩身の狭い思いをするのだけれど、それでも同世代の女性たちの華やいだ空気を吸えることは、それはそれで青春時代を謳歌しているという幻想を、私たちに与えてくれた。

 けれど酒を肴にして大事な話をする為には、それらの装飾は私たちにとっては余計なものでしかなかった。


 彼のアパートはいつも驚くほど綺麗に片付けられていた。同じ大学の男子学生の部屋は比べるまでもなく、同じサークルの女子の部屋と比較しても彼の方がずっと綺麗にしていたほどだ。ただ飾り気は微塵もなかった。物も少ない。小さな組み立て式の本棚と折り畳みのテーブル、ベッドはなく、マットレスに毛布を掛けて寝ていた。

 その彼が突然、私に言った。


「俺は死ぬ」


 悩みの告白が始まるのかと身構えたが、どうやらそういう話ではないらしい。


「園崎はさ、中学の頃とかに考えなかったか? 人は死ぬとどうなるのか。あるいは、目を閉じてこのまま死んでしまうんじゃないだろうか」


 一度くらいは誰もがそういう経験があるのかも知れないが、生憎とソフトテニス部の活動で忙しく毎日を消費していた私にはそういう余裕は生まれなかった。


「どうして“死”なんて名前を付けたんだろうな。生きるって言葉もよく分からないけど、それが“死”となるとますます分からない。ただ生も死もどちらも現実にあって、何も名付けないって訳にもいかなかったことだけは分かるよ。俺だってこのよく分からない状態に名前つけろって言われたら困るもん」

「それじゃあ言葉のない、例えば動物なら、そんなこと考えなくてもいいんじゃないのか?」

「まあ、動物の考えていることをちゃんと理解するのは難しいんだけど、どうやら奴らは奴らなりに“死”という概念を持っているみたいなんだわ。例えば知られているところで云えばゾウ。これは仲間が死んだ時にその周りに集まったり、臭いを嗅いだり、どうも悲しんでいるんじゃないかと考えられる行動を起こす。もちろん人間的な理解だから本当に悲しんでいるかどうかは分からない。他にもカラスは死んだ仲間の周りに集まってギャアギャア喚くそうだし、チンパンジーだと数日間、死んだ子どもの遺体を持ち運ぶらしい。その意味の解釈は研究者によって違うだろうが、奴らが“死”というものに対して何か反応しているのは確かなんだ」

「でもそれは人間の考えている“死”とはやはり違うんだろう? 死後の世界について考えたり、幽霊がいたり、それこそ宗教を作ったりはしていない」

「まあ宗教が何なのかってことまで考えると、完全にないとも言い切れないだろうが、ひとつこんな話がある。カササギっていう鳥、知ってるか?」


 名前くらいは耳にしたことはあるが、それがどんな鳥かと聞かれてもすぐには浮かんでこない。


「青い羽でお腹のあたりが白っぽくなってるカラス科の鳥なんだが、こいつは結構頭が良くてな。ミラーテストっていって、鏡を見てそこに映っているものが自分かどうかを判断するっていうテストがあるんだが、普通は自分じゃなく仲間だと判断する。しかしカササギは自分だと理解できた、と云うんだ。このカササギには奇妙な習性があって、死んだ仲間の遺体を軽く突いた後で草を取ってきてわざわざその遺体の上に置いて、まるで黙祷のようにしばらく佇んでから飛び去ったと云うんだ。これはちょっと宗教的じゃないか?」


 よく猫に鏡を見せて、その裏側に回って「あれ? 今目の前にいた奴は?」となっているのは見たことがある。人間は自然とあれが自分なんだと認識できているが、そもそも自分と他人の区別をすることも実はかなり厄介なのだ。自分は何者か? という問いかけはそれ自体、人間という生き物の本質に迫っているように思う。


「そういう例もあるから一概に“死”という概念が人間固有のものだとは云えない訳だが、それはそれとして、悲しいかな、その“死”という概念を持ってしまったが故に、人間というのは生きなければならなくなった。その訳の分からないものについて考える必要が出てしまったんだよ。生きるべきか死ぬべきか、が問われているのではなく、真の問題は生きるとは何か、死ぬとは何かだったんだ」

「酒林はよくそういう小難しいことを小難しく考えるのが好きだな」

「難しいかどうかは問題じゃない。考えるべき問題かどうか、だ。問題そのものは簡単でいい。ただ俺は他の奴らみたいに何も考えずに既に存在してしまっているぼんやりとこれはこうだろうという考えに染まって暮らしていくのはごめん、ってだけだ」

「じゃあ、このポテトのお菓子についても、そんなことを思うのかい?」


 コンビニでよく売られているジャガイモを薄切りにして揚げたお菓子は、既に袋の半分が消費されていた。私はその一枚を口に入れると、油分をティッシュで拭い、それから缶ビールをちびり、とやる。


「芋、特にジャガイモというのは比較的歴史が新しいのは知ってると思うが、こいつらが見つかってなかったらアイルランドの人間は多くが餓死していたし、もっと云えばヨーロッパ、アメリカ、それに日本も、飢えという苦しみは未だに大きな問題として議論されていたかも知れない。たった一枚のポテトチップスにも、そういう歴史が詰まってるって考えたら、面白くないか?」

「その無駄な雑学はどこから仕入れたんだよ」

「興味を持つか、持たないかだ。それだけの差だぞ。そもそもな、人間というのは好奇心の塊なんだ。成長するにつれ興味は薄れ、ただその日を堕落して生きることに終始してしまうけれど、赤ん坊なんて見てみろ。何にでも興味を持つし、手にしてみるし、食べてみるしで、生きることを体現しているじゃないか」

「それならみんな赤ん坊に戻ればいいと言うのか? 赤ん坊は確かに好奇心ではワールドクラスかも知れないけれど、手の掛かり方も尋常じゃない。老人介護の話ばかりされるが、そもそも子どもを生んで育てることの大変さ、人数や掛かる費用まで考えたコストという点ではこっちも相当なものじゃないか?」

「赤ん坊は確かに手が掛かる。それに全員が天才に育つ訳じゃないし、そもそも天才なんてものは社会的に見れば不適合者枠だ。社会を動かしていくにはもっと平凡な、それこそ労働力になる人材の方がずっと助かる。でも俺たちはその労働力の一部にされると考えると、生きてくって何だよ、という話になるんだよ」


 彼の缶ビールは空になったようだ。新しいものに手を伸ばそうとしたが、何故か彼はやめてしまった。

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