第九話『父でもなく、娘でもなく』

 作戦当日。予定通りであれば『ルメス医院長』こと父が、誰かしらを連れてギストの部屋の前まで来てくれるはずだ。

 私は準備の為に少し早めにギストの部屋の前まで行き、自白剤の準備をする。

 拷問用のそれではなく、私が作り出した自白という部分のみを切り出した特性ブレンドだ。要は質問された言葉に回答しなければいけなくなり、また嘘がつけなくなるだけの薬。言わないと苦しんだりする効果はない。付け加える事も出来たが、そこまでする必要はないと判断した。その代わりに物凄く苦い。

 その点についてはギストにも説明してある為、おそらく彼も私の用意した物についての不信感は無いだろう。ただし、苦いというのはだいぶ文句をつけられた。


 少し時間がある事に気付いた私は、何も言わずにベッドに座ったままソワソワしているギストが見てられなくて、部屋から鞄を持ってきて、小さな錬金壺で一人分の紅茶を用意する。

「あぁ……悪いなセンセ、気を使わせたな」

「いーえ、逆にギストがそれだけ緊張しているのを見て、私の緊張が解けたくらいです」

 苦笑する彼の顔はやはりこわばっていたが、紅茶を飲むといくらか落ち着いたようだった。飲み終えたギストは私にカップを渡し、少し焦ったように昨日の事を口走る。

「そうだセンセ、あの瓶――」

「瓶?」

 瓶といえば昨日渡された記憶があるが、それがどうかしたのだろうか。

 確認しようと肩にかけていた鞄を探ろうとしたが、そのタイミングで後ろから声がかかった。

「トリス女医、奇妙な申し出だったが、言われた通り診察結果は見せてくれるという事で良いんだな?」

 その高圧的な声に、背中に嫌悪感が走る。振り向かずとも、誰かしら連れてきた事も分かった。

 父は、人前では虎である。中身は狐か狸だろうけれど、とりわけ部下の前では虎を装う人間だ。

「はい、少々手荒な事を致しますが、目を瞑って頂けると幸いです」

 私は振り向いて返事をし、父とお連れの看護師らしき人を部屋の奥へと通した。

 警備員さんと食事運びのお姉さんの姿も見える。二人の表情は少しだけ強張っていた。


 ちらりと奥の廊下を見ると、武装した兵士の姿が見え、少し嫌な予感がしたが、今からする事は真実の提示なのだ。であれば何も気にする事は無い。


「ルメス医院長ならばご存知だとは思いますが、私には錬金術の心得があります」

 そう言うと、父は心底苦々しい顔をしたあとに、小さく頷いた。

「こちらは、私が錬金した自白剤になります。とはいっても嘘をつけなくなるだけで、それ以外の効力は無いように調合をした物で、身体に強い害はありません」

「だから人を呼び寄せた、と。考えたなトリス女医。だが害があったらどう責任を取る? それに自白剤の錬金など許された行為ではあるまい」

 此処までは想定してある流れだ。ギストは何も言わず椅子に座ってこちらを見ている。

 視線は、意外と強く真っ直ぐとしていて驚いた。彼もまた彼の正義を信じているのだろう。


「お言葉ですが、此処は魔法医院です。私もまた魔法医の端くれ、万が一何かあっても処置にお手を煩わせる事はありません。それに、錬金についてもギスト氏から聞き出した一連の問題の解決と比べると些細な事かと……この提案には、ギスト氏も納得してくださっています。私も、彼自身から起きた出来事の全貌は聞きましたが、口ではなんとでも言えてしまうのが常ですので……でしょう? ルメス医院長」

 この父の我儘をここまでずっと聞いてきたのだ。ここで、部下の前で虎を演じている彼が、娘の我儘を通さないというわけにはいかないはず。

 それに、筋は通っているのだから、父は首を縦に振る事しか出来ない。

 正論を言っているのはこちら、であれば周りに人がいれば頷いてしまうのが父だという事を、私は良く知っている。


「まぁ……それも仕方が無いだろう。ではトリス女医、準備を」

「準備はもう既にしてあります。こちらを直接飲むのは憚られますので、紅茶にこちらの自白剤を入れさせて頂きます」

 私はカップに注いでおいた紅茶の中に、自作の自白剤を粉砂糖でも入れるかのようにサラサラと入れてかき混ぜる。

 ちゃんと一つのカップに、一つの容器、入れきったのを見せて、テーブルには自白剤入りの紅茶が完成した。

「それでは、この自白剤が本物という証拠として一口どなたかに飲んでいただいて、幾つかの質問をさせて頂きます。そうして嘘がつけない事を確認した後、ギスト氏にも飲んでもらい、一部始終を話してもらうという事で、よろしいですね?」

 自白剤は同じ容器を使っているから、偽物という言いがかりも無い。


――大丈夫、此処までは何も間違っていないはず。


「飲まれた方の発言について、何か不義のような発言があったとしても、協力なされたという事でどうか、お咎めは無きようお願いいたします。医院長、ではどなたかにカップをお渡ししていただければと思います」

 私はカップをそっと医院長の方へと差し出した。

「ふむ……分かった。では、頂くとしよう」

 そう言って医院長は、カップを手に取り、自分自身で、その中の自白剤入りの紅茶を飲み干した。


「なっ……流石にそいつぁ肝が座りすぎじゃねえか?! 医院長のおっさん!」

 静観していたギストまでが、口を挟むような出来事。私の説明を聞いていた周りの人達も、ややざわついていた。そうして父は飲み干した後に、愉快そうに笑いを堪えていた。

「クク……ククク。良く考えたな、良く考えたものだトリス女医。こんな物を用意するという事はギスト君の手伝い……差し詰め使い魔あたりの協力もあったか? しかし、しかしだね。無駄なんだよトリス女医。紛れもない、嘘偽りの無い事実として告げてあげようじゃあないか。私の口から、真実を伝えよう」


――完全な想定外

 私が、私達が考えていた道筋が壊れていく音が聞こえ始めている。

「君の、君達のしている事はだな。一つも意味が無いんだよトリス女医。君達のしていた事に、意味なんて物は、最初から一つも無い。ギスト君が何を言うかだの、本当の事だの、正当性がどうだの、なんて事はだな。最初からどうでもいい話なんだ。分かるかねトリス女医、私達は役立たずのお前を宛てがって状況をモタつかせ、勇者一行の行動を知る物の口封じさえ出来たら何だって良かったんだ。小癪な錬金ごっこなどに興じおって、出来損ないが笑わせる」

 罵詈雑言の嵐、そう言って差し支えない程の言葉が私の心に突き刺さっていく。


 ギストの目が時折語っていたような、諦めの理由が、父の口からどんどんと溢れ出す絶望に、私の口はやっとの思いで言葉を紡ぐ。

「つまりは、この一連の話は。私をギスト氏の担当医とする以前、そもそもギストが此処に連れられてきてから始まっていた。ギストの冤罪を成立させるまでの時間稼ぎだった、という事……ですか?」

 握った拳から血が出そうな程の怒りを抑えながら、まだ私は対話などという手段を選んでいる。それしか出来ない自分が、何より悔しかった。

 ギストは小さく溜め息を漏らした後で、私の嫌いな、諦め顔をしていた。

「正解ではあるが、君の事が抜けているよトリス女医、君の厄介払いも含まれている。どういう結果であれ、此処にいるのは私達だけだ。正直な話、思った以上に私の所に君がいるのは評判が悪くてな。血筋として魔法医にさせたはいいものの、医院内部の魔法医達の不信を買うのもうんざりだ。よってだな、今日を以て君達二人は終わりだというわけだよ。クク、気持ちの良い物だな。想いの丈を吐き出すというのも。ただまぁ、愚鈍な義母の技術だという事には虫唾が走るがね」

「お前……! 言うに事欠いてそれはあんまりだろうが! ブレン婆さんはアンタよりも余程人格者だったし、錬金術だって立派な技術だろうが!」

「ほう、君は義母と知り合いだったか。だが、そんな事はどうだって構わない。錬金術など反吐が出る。そんな物は旧世代が残したゴミ。いずれ淘汰される技術だ。そもそも隔離病棟のような面倒な病人の為に一部でも魔法以外の処置が必要な事自体、気に食わんのだ。それなのに魔力減衰薬が効かぬなど、舐めたガキだ」

 思わず私が父を殴りつけでもしようかと思った時に、ギストが叫ぶ。

「ガキだ? だったら一生ガキで構わねえよ! センセーは、アンタの娘はこれだけ、これだけやったんだぞ! センセーはよ。嘘かもしれねぇ俺の話を聞いて! 自分の立場が危うくなる自白剤の錬金までして! その結果がこれだぁ? お前はセンセーと血が繋がっている親父だろうが! 人の心は何処にあんだよ!」

 彼のその言葉達が、私の心をゆっくりと怒りの底から引き上げ、冷静さを取り戻させてくれた。それでもこの状況は予定調和以外の何物でも無い。ルメス委員長は、笑いながら自分の頭を人差し指でトントンと叩く。

「心? それは思考の事を言うのかね? ならば出来損ないの娘の頭にも、私の此処にもあるだろう? 人の心などよりも、大事な物があるのだよ。力や、権力といったものがな。まぁガキにはわからんだろうね。私がトリスの父だからなんだというのだ。せめてこの歳まで世話をした事を感謝して欲しいぐらいだ。役立たずなのは知っていたが、此処まで親不孝者だとはな。そもそもトリスを産んだあの女を選んだ事も間違いだった、出来損ないの女からは出来損ないの娘しか産まれん。ならば恥を知って日陰で生きるべきなのだよ。錬金術師の娘などと知っていたら、いくら魔力量があろうと結婚などしなかったと言うのに」


 父は本音を言っている。それは残念ながら私が作った自白薬のせいで、完全に裏付けられてしまった。母の事すら、彼はそんな風に思っていたのかと思うと、目眩がしそうになる。

 だけれど、逆に言えば今は本当の事しか言えないという事でもある。

「それで、貴方は私達をどうするんです? ギストはこの鉄格子から出た瞬間にその周辺の警備兵くらいは一蹴するでしょうし。魔法使いがいる様子もありませんが」

 これは父の慢心、彼の余裕ぶった態度と、見栄から出たミスだ。

 自白剤を飲んでいる以上、質問に答えないという選択はない。医院長という立場とプライドの手前、彼は何も言わず逃げるという事を選ばない。それは、ついさっきまで彼の娘であった私が一番良く知っている。


「ぐ……む。お前がダラダラとしていれば良い物を、根回しが済み切っておらんからな。厄介事でも企んでいるのだろうと今日は此処まで来てやったが、ギストを牢獄へ移送するまでの準備、魔法使いの団体が来るまではまだ数日ある。ただしトリス、お前はお役御免だ。衛兵! この女を適当な独房へ連れて行け!」

 牢獄のようだと思ってはいたが、彼は本当にこの隔離病棟を牢獄だと思っていたようだ。独房なんて言葉が飛び出るあたり、笑えない。

「つまりはまぁ、お手上げって事ですね。ギスト」

「まさか本当に爆弾が正解だったとは、思いもしねぇよなぁ……」

 そう言って、彼は悔しそうに項垂れた。

 それを見て医院長は不敵に笑う。

「残念だったな、もう作らせはせんよ。トリスの部屋の錬金に関わる物は全て廃棄だ。粉々にしろ、行け」


――壊される? 部屋にはお婆ちゃんの、彼の母の形見すらあるのに。

「……何が、何が貴方をそうしたんですか? 言われるがまま、魔法医として、まるで貴方達の傀儡のように、私を此処まで育てておいて。一体貴方は……」

 ポロポロと、私の口からは悲しみに満ちた本音が溢れていく。今の私に自白剤など、必要無い。

 本心からの悲しみが、怒りを潰して、憎しみを包み込んでいるような感覚。

「お前の無能に、尽きる。我が子が無能であった親の、苛立ちをお前は知らないだろう、トリス。勇者パーティーの僧侶の枠すら狙えると言われていた我がケウス家の一人娘が、ロクな魔力許容量も無く生まれるなど、あってはならん。あってはならん事だった。せめて魔法医程度ならばと思いその道に進ませたが、金と時間の浪費だ。吐き出せる物ならば、あの時のワインすら返して欲しいくらいだ」

 小さく、笑いが溢れ、私は眼の前の男に、ツバを吐きかけた。

「本当に、クズなんだ。逆に、少しスッキリした」

「フン、汚らしい。クズはお前だ、クソガキ。一度くらい役に立てば良いものを。最初から最後まで本当に、使えないガキだったな」

 産んだ親から、躾けた親から、その出生を否定された。もう既に医院長としての権威は消え、ただの暴走している哀れな虎だ。周りの人間が聞いているという事すら、分かっていないのかもしれない。

 もしくは全員、口封じでもするのだろうか。

 いいや、此処は魔法医院、手段であれば、いくらでもある。明日には皆何もかも忘れ笑って働いているのだろう。その程度の闇は、もう確実に見えていた。

「おいオッサン。勇者パーティーの僧侶だぁ? あんな男に媚びて勇者にケツを振る女とセンセを比べてんじゃねえよクソったれが! 今の、たった今この瞬間のセンセのが、数千倍どころか、比べ物にならねえくらいマトモだ、このクソ親父……ッ!」

 ギストが鉄格子から手を伸ばして医院長の胸ぐらを掴もうとするが、寸前で医院長はその手を払い、手に持ったカップをギストの手に叩きつけた。

 匂いが良いと言ってくれて、そのカップをそっと飲む彼の記憶が、頭をよぎる。

 その記憶を壊すかのように、カップが割れる音が聞こえ、遠くからは何度も何度も、硬質な物体を叩きつける音が響いていた。

「魔法が使えなければタダの男。元勇者パーティーの面汚しが図に乗るなよ。衛兵、この女もさっさと連れていけ!」


――貧乏くじ、どころの話じゃなかったんだな。

 そう思いながら、私は衛兵に腕を掴まれる。

 酷く哀れで、ひたすらに吠え続ける虎の形をした何か、もう私にはあの男をそう思うくらいしか、出来なかった。並べ立てられた事実を受け止めるのは、一人になってからで良い。


――だけれど私は、抵抗すると決めたのだ。


 私に自白剤なんていらない。

 一言の真実を以て、私は作られ続けて、レールの上を歩かされ続けて、そうしてたった今捨てられた人生と、決別する事を決めた。


 私は、父だった人への怒りをその両目に込めて、口を開く。


「……もはや、貴方を父などとは、思いません」

「お前を娘だと思った事など、一度も無い」

 即座に返す医院長の言葉の刀の鋭利さが、私達が親子だという事をハッキリと証明している。

 それが何よりも皮肉だと思いながら、私は肩にかけた鞄を少し後ろに回しながら、衛兵に掴まれた腕を振り払い、顔見知りの警備員の近くに自ら進んで立った。

「この人の仕事を奪う程、グズじゃないでしょう? 医院長なんですから」

 彼はこの隔離病棟の警備員、衛兵よりもこの場所については詳しい。それがある意味一つの賭けだ。


 彼は私をこの病棟に案内してくれて、もしもの時の為に自白剤を飲んで欲しいと頼んでいた人だ。最初に会った時の『大変ですね』という言葉が彼の本心なのだとしたら、きっと彼の今の表情も本当の物なのだろう。だけれどもう、何が本当なのかは、判断出来なかった。

「どうぞ、指定された場所に連れて行ってください。私はロクな魔法なんて使えやしない、ただの小娘ですのでご心配なく、抵抗もしませんよ」

「ではトリス女医、こちらへ……。ご案内します……」

 彼の目が一瞬私の鞄を見たような気がしたが、あえて彼は何も言わず、歩き出した。

 それが、彼の油断だったのか。それとも私への慈悲のようなものだったのかは、分からないが、あのやり取りを見ていたならば、私の事を思いやる人間がいるというのは、ギストによって証明されている。


 きっとギストがいなければ、私の心はボロボロになっていただろう。

 諦めていた。彼と同じ様な顔をしていたはずだ。だけれどギストの諦めは、医院長によって打ち砕かれ、私の為に声を張り上げてくれたのだ。だから私も、出来る事をしなければ、いけない。

 諦めては、いけない。


 名も未だ知らぬ警備員さんに助けを乞うのは、正直言って恥ずかしい。私もまた、彼の血を引いているような気がして、吐き気がした。もう少しでも彼の事を思いやってあげたかったと、今になって思う。

 鞄を奪われるわけにはいかない。だからこそ私は知り合いの彼を利用したのだ。それは医院長がやっている事とそう代わりが無い事だという事実を、必死に飲み込みながら、今はただ、彼が咎められないよう祈る事しか出来なかった。

「必ず、お礼はするから……」

 小さく呟くが、警備員さんは彼は聞こえない素振りをしていた。彼は見逃してくれたのだ。

 悪意に満ちあふれている中で、優しさはこんな所にもあったなんて、気付きもしなかった。それは私が、気付けなかっただけだ。

 

――彼も『大変』だったはずなのに。


 だけれど、そんな彼のお陰で、私は最後の錬金壺と詰め込んであった雑多な錬金素材が入った鞄を、持ち出す事が出来た。

 私を救う為、ギストを救う為、そうして助けてくれた警備員さんが咎められない為、何を作るべきかを、歩きながら、考え始めていた。

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