第三話『そりゃあ大変でしょうね』

 嫌々ながらも魔法病院の長い廊下を、運動だと思いながら歩き、やっとたどり着いた自分の診療室で仕事着に着替え、やっと一息つこうと思った所に、目の前の魔法装置が小さく震えているのが見えた。


 魔力によって文字を飛ばす連絡手段。声なども送る事が出来る優れ物ではあるけれど、魔力の節約の為あまり使われる事は無い。魔法社会では魔力許容量が少ないというのは本当に不便だ。眠ったり休めば多少回復するにしても、その許容される器が小さくてはどうにもならない。つまりこれはそんな私への病院側からの配慮である。何とも悔しい。

 あらゆる人の魔力許容量は生まれた時に測定され、そこから増減する事は余程の禁忌を侵さない限り起こらない。生まれ持った見える才能というわけだ。

 勿論運悪く魔力許容量減衰の病に罹ってしまったりする場合もあるのだが、それを治療する為に魔法病院は存在している。


 そんな治療を生業としている私こと、トリスに送られた連絡を見ると、送り先は医院長であるところの父からだった。

『魔法医トリス・ケウス。ただちに医院長室まで来る事』


 その文字を見て私はげんなりとする。

 そもそも、この魔法病院は本当に巨大すぎるのだ。出勤する時間よりも、この病院の中で迷ってしまえばその時間の方が長いくらいの場所。

 そんな病院の私の診療室から父のいる医院長室まで、思ったより離れていないにせよ急いでも5分近くはかかるだろうか。

『今から参ります』

 今からとは書いているものの、多少の猶予は許されるだろうと思いながら、私は鞄の中から診察用の魔法道具をいくつか用意する。その時に先程貰った新聞が見えて、後で読もうと机の上に出してから、私は自分の診療室を出た。カーテンで仕切られた個人的な空間で、一応身だしなみは整える。最近短めに切りそろえた髪も艶がかっていて良い調子、しかし父に会うのに髪型を気にする必要は無いだろう。

 そもそもこれは錬金の際に髪の毛が間違って入り込まないように帽子を被りたいが為にしている髪型なわけで、魔法医としての意味は全くない。見やすいように黒髪に生まれた事も、錬金の時に髪の毛に気づきやすいという理由で感謝しているくらいだ。

 洒落っ気よりも自分がどれだけ楽しめるかという事を考えて生きなければやっていられない。

 

 今日は朝からあまり気分が持ち上がらない。勇者パーティーの魔法使いギ……何とかさんの声と視線に妙な気持ちにさせられたのもあるが、そうさせられただけなのは何とも悔しいので、後で何をしでかしたかくらいは読んで、気分を晴らしたい。号外が出る辺り、本当に悪い事をしたのだろう。


 廊下を歩いていると、通り過ぎる魔法看護師がコソコソと何かしら言っているであろう雰囲気が伝わってくる。最近は無くなったと思ったのに、今日に限ってそんな事をされて、尚更気分が落ち込む。

「はぁ……歩いているのを見ただけでなんだかんだ言うのは流石に半年で飽きてくれないかなぁ……」

 口には出す。けれど聞こえるようには言えない。自分の嫌いな所の一つではあったけれど、不和はなるべく避けたい。どうせ怒られるのは私なんだから。


 この空気感には、もう慣れた。だって自分の父が医院長だし、母は看護師長なんだもの。両親にこの現状を訴えるのはあまりにもみっともないと思い黙ってはいるが、やはり気分が良いわけではない。

 そりゃあ七光りなんて言われても仕方がないけれど、魔法医になりたくてなったわけでもなければ、七光りと言われない程度の努力はしてきた……というかさせられてきたのだから、私は魔力許容量こそ少ないけれど、ある程度まともな魔法医ではあると自負はしている。まぁ、その魔力許容量が無いから本当に立派で名を残す存在にはなれないけれど、なるつもりもサラサラ無い。


 それでも、じゃあ私をトリス・ケウスという個人として見てくれる人がいるかと言えば……何処にもいない。それは、多分、きっと、おそらく、私にも悪いところはあったのだと思う。

 同年代との付き合いは何とも苦手だった。そもそも『ケウス』という名前が魔法学校の時代から足を引っ張っていたのだ。何につけても優等生を演じさせられてきたのもあってか、憂さ晴らしは錬金と運動で汗をかいて発散するばかりだった。

 友達と和気あいあいと過ごすわけもなく、恋愛なんて考えたことも無い。腐った青春時代だったと思う。


 ドシシさんくらいまで歳上の気さくなおじさんだとか、お婆ちゃんみたいな年頃の人とはうまくやれるし、やれていたのだけれど、友達というにはやはり、少し違う。


 そんな事を考えながら歩いてたら、流石に半年以上歩き回っていたというか、よく都合良く父に呼び出されていたという事もあり、あっという間に医院長室へと辿り着いていた。ノックをして名乗ると「入れ」という父の声が聞こえてきた。

「失礼します。お父さ……医院長。何の御用でしょうか」

 この癖はどうにも抜けない。眼の前にいるのは父なのだ。家だろうと病院だろうと厳格というか、融通の効かない人だというのは変わりないのだが、何故かと呼びそうになってしまう。本当は様をつけるような人では無いとは思いながらも、そう躾けられたのだ、仕方がない。


 むしろ、医院長と呼びたくないのかもしれないな、とも考える。

私が未だに魔法医にされたという事実から抗っている証拠なのかもしれないし、私が父の部下であるという事実を嫌っているのかもしれないと、思う。

「まあ、そう硬くなるな。座りなさい」

 珍しく、少し優しげな顔で父は私にソファに座る事を勧めた。父ももう既に来賓用のソファの真向かいに腰を下ろして、あろうことか酒を飲んでいる。


――絶対に良くない話だ。

 この二十一年の勘が告げていた。優しい顔など父がそう簡単にするものか。


「飲むか?」

 父はさりげない風を装いながら、私にワインを勧める。

「いえ、勤務中ですので……」

「私も勤務中だが?」

 この会話だけで、あぁうちの父はこういう人だよなあと思ってしまう。

 要は厳格で融通が効かないが、抜け目も無くズルもするのだ。


 矛盾している沢山の言葉を並べて、その権力でもみ消すような人、つまり自分勝手という言葉に落ち着く。はっきり言えば、私は父が好きではない。


 私は「では頂きます……」と彼からグラスを渡され、紅いワインを少量継いでもらう。医院長に直接ワインを継がれる一年目の魔法医。なんて身分だろう、いやただの親子か。

 飲んでみても味は良く分からなかったが、昔似た味の飲み物を錬金壺で作った事がある気がする。美味しいかはともかく、私はそのワインの構造を理解するようにゆっくりと味わう。

 結局美味しいとはあまり思えなかったが、ワインのラベルでそれが高級酒な事くらいはわかった。何故ならボロついていたからだ。


――ボロついたワイン。

 それは我が家ではたまに、祝い事か、もしくはうんと悪い事が起こった時に開くボトルだった。

「それで、ご要件は……」

 言うと、父はグッと自分のグラスに入っているやや多めのワインを飲み干し、溜め息をついた。


 驚いた。今日はこの人も溜め息の日らしい。母あたりも、もしかしたら今頃溜め息をついているのかもしれない。そうしたらトリス一族溜め息の日だ。

「悪いな……配置換えだ。トリス、今日からお前はとある患者の担当医になってもらう」

「担当医? この病院に来てまだ一年も経っていない私がですか?」

 そう言うと、彼は少し眉を潜めて、自分のグラスにワインを注ぎ直す。

 苛ついている証だ。要は口答えをするなという事なのだろう。


「それは……医院長としての命令ですか? それともお父様の……希望ですか」

 ワインを勧めてきた時点で、もう上司と部下では無い。父と娘の会話になっている事は何となく察していた。

「どちらもだ。お前にしか頼めない。隔離病棟の、とある患者なんだが……」

 隔離病棟という言葉でピンと来た。これは確かにだろう。

 

 自分の娘が自分の病院の魔法医だから自由に使える、という利点を使っているだけ。

やはり自分勝手としか言いようが無い。他の人を選ぶには反感を買うから私を選んだのだ。見栄っ張りが透けている。


 誰が好きこのんでこの病院の隔離病棟に行きたがるだろうか。

 巨大なケウス魔法病院の隅の隅、病院を囲む庭園の裏口なんかの近くにある隔離病棟は、魔法を急に暴発させてしまう病の人や、他人の魔力を吸い込んでしまうような病の人、言い出せばある程度キリが無いような、通常の魔法医では手に負えない人間が送り込まれる、このケウス魔法病院の中でも面倒事の多い病棟だ。


 要は外に出してはいけない人を封じ込める魔法の檻のような所

 厳重な警備と、まるで監獄のような雰囲気は、魔法病院という機関の仄暗い部分を象徴しているようだったと、見学時に衝撃を受けた事を記憶している。

「隔離病棟……ですか」

「あぁ……すまない」

 思ってもいないだろうに、そう言って父はいつの間にか二杯目も飲み切って自分のグラスに三杯目を注ぐ。ピチャン、とワインが空になる音がした。

 私に飲ませたのもまぁ、体裁の為だったんだろうなと思うと、やはりこの父の狡猾さに腹がたった。


 どうやら、今日はうんと悪い事が起きた日という事で間違い無いようだ。その、私が担当する患者が手に負えないか。誰かしらを当てておかないといけない状況だということなのだろうと思った。

 おそらくは話し合いの余地などはない。彼は彼の為に酔っているし、私への申し訳無さからワインボトルを開けたわけでは無いのだろうなと思うと、これだけ辛い思いが詰まっている父を見てきた私でも、やっぱり少しだけ悲しくなった。


 私は言われるがまま、その隔離病棟への異動を了承し、あらかたの書類を確認する間も無く、担当する患者がいる隔離病棟に新たに与えられた自分の診療室へと、警備員の案内で連れられていく。

 どうも急ぎのようで、直接隔離病棟に連れていかれそうになったので、私は警備員を呼び止める。

「ちょっと良いですか? 流石に……鞄くらいは持っていかないと」

「失礼、それもそうですよね。お待ちしております」

 話が分かる人で助かった。柔らかな態度は好感も持てる。この病院の警備員には珍しい、なんせ融通が効かない人が多い。だってトップが融通効かないのだもの。


 警備員をたった今から元診療室になってしまう部屋の外に待たせ、急いで鞄に魔法器具を詰め込んで行く。部屋を出る時に新聞の事を思い出して、鞄の一番上に入れて、私は鞄の中身も整理せずに約半年間を共にした自分の診療室に別れを告げる。錬金壺は持ち込んでいないのでさよならは言わない。


 そうして鞄一つで向かう先は病院の闇の中。途中から確かそこそこ偉い立場の魔法看護師も付き添い、隔離病棟の中に付くまでの魔法鍵を解除してくれた。

 そこからマスターキーときて、やっと鉄の鍵。三重は流石にやりすぎな気もするけれど、そのくらいに危険な患者がいるという事なのだろう。


 そこから少し歩き、入り口の近くに私の新しい診療室があった。

「大変ですね……トリス女医のようなお綺麗な方にはこんな場所似つかわしくも無いでしょうに」

 温和な警備員は何とも言えない顔をしながら、気持ちが入っていないお世辞のような事を言い、私の担当医らしき人の部屋の鍵とそこまでの地図を渡し、持ち場へ戻っていった。綺麗かどうかで言えば確かに母も父も美麗と言われる顔立ちではあったから、それを受け継いではいるものの、それが役に立った事はない。

 ドドシさんに続いて今日二度目の「大変」を聞いたが、全くその通りだ。

「これ…………診療室かなぁ……」

 何とも広い、まるで住む為にあるような気がする。

 部屋の奥には水場も見える。机も診療用の物とは違う。少なくとも私が半年間共にした元診療室の物よりも一般的な物が揃っていた。


――それに、ベッド付きだ。

 見る限り部屋の奥にある事から、患者用ではなく、私のだろう。

 というかそもそも、基本的に備え付けられている診療道具すら部屋には置いていなかった。

「あれ、私……まさか此処に住む事になるンッッッ!!」


 なんて一人でゴチかけた瞬間。


 爆発音と共に、地面が揺れた。

 軽く見た記憶を辿って、爆発物を投げ込める隙間なんてこの病棟には無いはずだ。

 つまりは、誰かしらがこの隔離病棟で爆発魔法を使ったという事で間違い無いだろう。けれど、隔離病棟の患者は症状によって魔力を抑える処置を取られている場合もあるはずだから、こんな魔法が発動するなんて事は無いはずなのだ。


 代わらず鳴り響く爆発音と揺れ、それが、私の鞄から新聞を落とす。

 そうして、私はその揺れを起こしている正体を知った。


「あぁ……そりゃ、大変って言われるわけだ……」

 勇者パーティーを追放されたギストさんが相変わらずこちらを睨んでいる。

 ギストという名前も、思い出したわけではない。


 ただ、一つの文面が目に入ったのだ。


『大魔法使いギストは、ケウス魔法病院に隔離される予定』という言葉を。

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